今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

映画俳優・「佐田啓二 の忌日」

2006-08-17 | 人物
今日(8月17日)は、映画俳優・佐田啓二 の忌日 <37歳>
佐田啓二は、昭和中期(1940年代後半-1960年代前半)の代表的二枚目スターとして活躍した映画俳優。1964(昭和39)年 の今日 自動車事故で37歳で亡くなった。
1926(大正15=昭和元)年12月9日、京都市下京区の商家に生まれる。本名は中井寛一。京都市立第二商業学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946(昭和21)年、に入社する。
1947年、木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンが話題となり、早くもスターの地位を獲得したという。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマの映画化、『鐘の鳴る丘』に主演し、国民的人気を獲得する。(鐘の鳴る丘は次の3本がある。 「鐘の鳴る丘隆太の巻」(1948) 「鐘の鳴る丘 修吉の巻」(1949)「鐘の鳴る丘 クロの卷」(1949)
ほぼ、同時期にデビューした高橋貞二、鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と言われた。その人気を決定的なものとしたのは、1953(昭和28)年に公開された『君の名は』である。当時の大人気ドラマを映画化したこの作品で岸惠子と共演し、名実共にトップスターの地位についた。
1952(昭和27)年から1954(昭和29)年にかけて2年間放送されたドラマは、毎回「忘却とは忘れ去ることなり…」という来宮良子のナレーションで始まると、女性たちはラジオの前に集まり、その時間帯の風呂屋がガラガラになったと伝えられている。・・事実、私が子どもの頃、この時間帯に銭湯に行ったときには、いつも賑やかな隣の女風呂静かであったのは確かである。それにしても、さすがはドラマ作りの天才菊田一夫のこの言葉、明言である。「忘却とは忘れ去ることなり…」次に何を言うのかと思ったら、「・・・忘れ得ずして忘却を誓(ちこ)う心の悲しさよ」なにか、ちょっと難しそうでいて、平易な難しさ・・・いつの間にか覚えてしまっている、・・・忘れられない言葉である。
君の名はと たずねし人あり
  その人の 名も知らず
  今日砂山に ただひとりきて
  浜昼顔に きいてみる
「君の名」。作詞は、菊田一夫。作曲は、古関裕而である。
氏家真知子と後宮春樹の二人が出会った「思い出の橋」は、空襲のさなか、初めて出会い、再会を約した数寄屋橋である。数寄屋橋で会うことを約束したこの二人の男女が、すれ違いを重ねていくというストーリーであったが、当時、そうした出会いや別れは戦争が変えてしまう人の運命というものを象徴していたともいえるだろう。
ドラマも良かったが、この歌がすばらしい。
この懐かしの名曲「君の名」は以下参考に記載の「二木紘三のうた物語」で聞ける この曲は、NHKラジオの連続ドラマ「君の名は」のテーマ曲である。ラジオドラマでの主題歌を歌っていたのは、声楽家・高柳二葉であるが、コロムビアからの販売用のレコードは織井茂子によって吹き込まれた。織井自身はレコーディング後に胸部疾患を患ったため、彼女の歌声がラジオ番組の主題歌として放送されることはなかったが、翌1953(昭和28)年に発売されたレコードは番組の人気に支えられ順調に売り上げを伸ばした。さらに同年に『君の名は』が映画化され、主題歌として使われたことにより、この曲は空前の大ヒットとなり、総計110万枚の売り上げを記録したという。
松竹で映画化されたとき、『君の名は』の主題歌として、「君の名は」のアンサーソングという形で、「君いとしき人よ」が作られた。
 君 名も知らぬ うるわしき人よ
  君はしあわせか
  夜霧の橋に 君待てど
  街はただふけて ネオンは悲し
  ああ 君ありてこそ 楽しきに
作詞は、菊田一夫、作曲は、古関祐而、唄は伊藤久男が歌っている。
この「君いとしき人よ」も以下参考に記載の「二木紘三のMIDI歌声喫茶」でここで聞ける。
『君の名は』が氏家真知子の立場で歌われたものであるのに対し、こちらは後宮春樹の心情を歌ったもの。
「夜霧の橋」は、当然、春樹と真知子が初めて出会った数寄屋橋である。しかし、この場所には、今では川も橋もなく、作家・菊田一夫の筆による『数寄屋橋 此処にありき』と刻まれた記念碑が立っているのみである。
ここで懐かしい当時の数寄屋橋の写真が見れます。
震災復興橋梁工事写真/数寄屋橋↓
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/kyouryou/si022_01.html
岸恵子と佐田啓二を主役とする『君の名は』の映画は、全3部作(君の名は第一部(1953) 君の名は第二部(1953)君の名は 第三部(1954) )とそれらを再編集して1本にまとめた総集編がある。
この君の名は 第三部では、主題歌『君は遥かな』を、佐田啓二は織井茂子とのデュエットで歌っている。勿論、作詞:菊田一夫・作曲:古関裕而 のコンビである。
この歌「君は遥かな」 はここで聞ける↓
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/Kimi_ha_Harukana.htm
その後、二枚目俳優で売り出した佐田啓二も、徐々に演技派に脱皮していき、特に、プロ野球選手のスカウト合戦を題材にした1956年の小林正樹監督の問題作『あなた買います』ではスカウトを演じ、伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得した。
その後も、木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾歳月』、『カルメン故郷に帰る』。小津安二郎の『秋刀魚の味』」『彼岸花』『秋日和』など戦後を代表する作品に出演している。なかでも、小津安二郎との関係は深かったようで、数々の名作に出ているが、小津作品での演技が一番自然体の佐田啓二が見られるといわれている。
1964(昭和39)年8月17日の今日、信州の別荘から東京へ戻る途中韮崎市で交通事故に遭い死去。享年37歳。あまりにも短い命だった。佐田啓二は、小津監督を非常に慕っていたために、 前年(1963年)12月な亡くなった小津監督があの世でさみしくなって連れて行ってしまったのではないか・・などともささやかれたという。
俳優の中井貴一、中井貴惠は実子である。松竹は、女性を対象とした映画を多く作っていた。そのような、女性向け作品の中、当時の典型的な二枚目俳優佐田啓二は、物静かな言動、穏やかなまなざしが、うっとりするほどすばらしいと女性には、モテモテであった。しかし、私など男性としては、佐田啓二の映画を見るために映画館へ足を運んだ記憶は余りない。彼の映画を見たのは、彼が亡くなってからであり、テレビで見たものが殆どである。それでも、名画が多い為だろう今、思い起こすと、彼の出演映画を非常に沢山見ている。今、シネ・ヌーボ(大阪・九条)他で松竹110周年祭が行われており、松竹映画の傑作43本が一挙上映されている。勿論、『君の名は』など佐田啓二出演の作品が多くある。近くの方は見に行かれては・・・。
※2008年3月31日1部修正。
(画像は、松竹映画110周年祭チラシ)
コレクションの切手「君の名は」平成12年5月発行、20世紀デザイン切手)
参考:
佐田啓二 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%94%B0%E5%95%93%E4%BA%8C
佐田啓二 (サダケイジ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/107636/index.html
二木紘三のMIDI歌声喫茶
http://www.duarbo.jp/songs.htm
関東大震復興工事関係写真(土木学会附属土木図書館)
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/index.html
震災復興橋梁工事写真/数寄屋橋
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/kyouryou/si022_01.html
二木紘三のうた物語
http://duarbo.air-nifty.com/songs/