今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

女子大生の日

2006-08-16 | 記念日
今日(8月16日)は「女子大生の日」
1913(大正2)年の今日(8月16日)、東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表、日本初の女子大生が誕生した。
東北帝国大学は、1907(明治40)年に、日本で三番目の帝国大学として創設された。同大学では「研究第一主義」と「門戸開放」を大学理念とし、この理念は現代の東北大学にも受け継がれているという。
「研究第一主義」の標語は、初代総長である沢柳政太郎が1911(明治44)年の入学式における式辞で「…大学の主とするところは研究第一であって…」という発言に由来し、こうした研究第一主義によって、第二次世界大戦前には附置研究所が10以上となった時期もあったという。
「門戸開放 」については、以下参考の「東北大学史料館 デジタル展示室」によると、東北帝国大学が誕生した明治末頃の日本の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のための学校であり、正規の学生身分で女性が大学に入学することは考えられていなかった。しかし、創立間もない東北帝国大学が、独自の判断で4人の女性の受験を認めた。入学試験のさなか、文部省は「元来女子を帝国大学に入学せしむることは前例これ無きことにて・・・」云々と事情説明を求める書簡を大学に送るが、大学は委細かまわず、黒田チカ、牧田らく、丹下ウメの3人の合格を発表、ここに日本初の「女子学生」が誕生することになった。そして、3人の女子学生はやがて卒業して女性初の「学士」となり、その後も副手や大学院生として数年間大学での研究生活を送り、その後黒田チカは母校東京女高師(のちのお茶の水女子大学)の教員となり、やがてオックスフォード大学等へ留学。帰国後は恩師真島利行のもとで理化学研究所の嘱託を兼ね、紅花の色素に関する研究等で業績を上げ、1939(昭和4)年には、日本国内では二番目の女性理学博士となっている。また丹下ウメは大学院進学後米国に留学。帰国後は母校日本女子大の教授となる一方やはり理化学研究所に入所し鈴木梅太郎のもとでビタミンの研究に従事、農学博士となっている。牧田らくは黒田同様母校女高師に教員として戻るが、洋画家・金山平三との結婚を機に退職、孤高の画家と呼ばれた金山を支える後半生を送ったそうだ。
この日本初の女子大生誕生のニュースは当時の新聞が一大事件として取り上げられるほど珍しい出来事であったことは想像に難くない。日本で一般に女子大生が見受けられるようになったのは1950年代に入ってから。そして1980年代、バブルの到来とともに「女子大生ブーム」も巻き起こるのだが……。思い起こせば、1962(昭和37)年の「婦人公論」に早稲田大学の暉峻(てるおか)康隆教授が、「女子学生世にはばかる」を、慶応大学の池田弥三郎教授が「大学女禍論」を執筆、「女子学生亡国論」としてマスメディアを賑わせたことがある。戦後、男子と同等の大学教育が女子に開放されて15年余り。しかし、まだ、女子の4年生大学進学率は、8,2%(1960年度)と他の先進国に比べて低く「男子は4年制大学へ、女子は短大へ」は当時の一般の親達の希望でもあった。しかし、女子の進学志向はこのころから確実に短大から4年生大学へ、女子大から共学へという一つの流れを形成し、変化は人気の高い私学の文学部中心に現れた。この年、各大学の文学部に限ってみれば、文学部に占める女子学生の比率は、慶応44%、上智44%、立教64%、青山学院86%、早稲田34%全国平均37%(4年生)である。女子の進路は現在よりはるかに、文、教育、家政、理系では薬学などに隔たっていた。(数字など朝日クロニクル・週刊20世紀より)
当時、立教大学文学部長の杉木喬(米文学)は、「女子の中にはお稽古ごとの気持ちのものもいるようで、花嫁学校的になってきた」と言っているように、1970年代までの日本では、大学を卒業しても就職する女性が少なく、教養を身に付けることを目的に大学で学ぶ女性が多かった。そして、早稲田大学の暉峻康隆教授(国文学)は、「一生懸命講義してもどこまでしっかり聞いて、将来どの程度役立ててくれるかと思うとゲンナリすることもある。大学は学問の後継者を育て、大学で得たもので社会に役立っていく人物を作ることだ。結婚を控えた教養の為なら、男子を押し退けてまで大学に来なくてもいいと思う」とまで言い切るが、当時日本の私学を代表する著名教授が、「女子学生亡国論」の口火を切ったのは、このままでは女子学生がいるために文学部が真剣な学問の場としての意味を失ってしまう、という危機感というか被害者意識を持ったからだろう。「日本人の半数は女性、その女性が教養を身につけるため大学教育を受けるのは無駄ではない。女性は生来文学に向いているのだから、そのために文学部が女子学部になってもそれで結構だ」と弁護するのは、学習院大学部長の麻生磯次教授(国文学)だった。この女子学生亡国論の尻馬にのるようにして、4年後の1966(昭和41)年には、熊本大学学長は「薬学部に女子が集中して、後継研究者の養成を困難にしている」と延べ、翌年の募集要項に「女子は製薬学科を第1志望にしないよう」但し書きをつけていたという。今思うとすごい蛮勇だが、時代の嵐でもあった。高度経済成長の波に乗って、効率よく機能する家庭建設のため、中央産業教育真偽会が高校家庭科に「女子の特性論」を打ち出したのもこの年である。
1980年代には、テレビ番組「オールナイトフジ」などで素人の女子大生がマスメディアでもてはやされ、女子大生ブームが巻き起こる。その一方では、性風俗業で働く女子大生もおり、ある大学教授は「女子大生が性風俗で働くというと情けないが、風俗嬢が大学で学ぶようになったと考えれば美談ではないか」と皮肉たっぷりに語ったといわれている。それでも女子は大学へ行く。現代でも専攻の偏りなどは見られるが、向井千秋さん などのように宇宙へ行く女性や政治の世界にも有能な女性が登場している。2001(平成13)年4月暉峻氏は93歳で亡くなったが、「亡国論」どころか、これからは、日本の国のために大いに女性に頑張ってもらわないといけないだろう。
ただ、このブログを書いていて、ふと、日本の女子教育の先駆者と評価されている津田梅子のことを思い出す。岩倉使節団に随行して渡米した5人の女性のうち最年少の6歳で渡米。帰国後、封建制度が色濃く残る日本において華族平民の別のない女子教育を志向して、一般女子の教育を始める。それまでの行儀作法の延長の女子教育と違い、進歩的で自由なレベルの高い授業をおこなった。その「女子英学塾」(現在の津田塾大学)開校の辞で、 「--真の教育には物質の設備より教師の資格と熱心と学生の研究心が必要であること。また真の教育は少人数にかぎること。英学塾の目的は種々あるが、将来英語教師の免許状を得たいとのぞむ人々のために、たしかな指導を与えるのが主な目的の一つであること。そうしてさいごを、「何事によらず、あまり目立たぬよう、出すぎぬよう、い つもしとやかで、謙虚で、ていねいであっていただきたいとのぞみます。こういう態度は、決して研究の高い目的と衝突するものではありません」と結んだという。高い教養を身につけると同時に女性らしいつつましさも説いている。いつだったか、今、女性の出生率が低下し問題となっている少子化対策への取り組みのニュースのなかで、登場した30代とおぼしき女性は、インタビューに対して、子供を産んで「うまみがない」と答えていた。 損得勘定だけからすれば、妊娠・出産・子育てに得などというものがあるわけはないだろう。しかし、こんな答えをした彼女の感覚は現代において必ずしも少数派ではないだろう。 昔のように、男は外で仕事、女は内で家庭の中を見るといった役割の分担も崩れた現代、戦後、自由主義の教育を受けた女性には、役割の分担といっても、先の「女子の特性論」などを持ち出して下手に男と女の役割分担などを口にしようものならすぐにそれはジェンダーの問題に結び付けられてしまう。父親に育児参加をうながす「二人での子育て」も、夫婦2人共がどちらも家庭と仕事半々の中途半端な感じではあるが、まじめに考えなきゃいけないときがきているようだ。
大学の男の教授たちが「女子学生世にはばかる」などと発言し「女子大生亡国論」などで物議をかもしたことがあるが、今時こんなことを口にしたら社会から葬り去られるだろう。今のような高学歴社会の中で、全てのことに男女共同参画を建前にすれば、晩婚・未婚、ついには離婚が増えるのは至極当然の成り行きである。お釈迦様は、「人間は知恵によって自ら滅びる」ととかれていると聞いたことがある。知恵をつけ、自然に逆らい科学によって、地球環境をゆがめ、知恵をつけ他の自然の動物とは違った生き方をすることによって、人は存続してゆけなくなるかもしれない。
昔、おばあさんが、「大学へ行くとアホになるよ」などと言う言葉をよく耳にした。最近、著名な大学に通う優秀なそして背の高いスタイルのよい女子大学生が、つまらぬ宗教団体の誘いに乗り、性的嫌がらせを受けたなどというニュースを聞くが、生まれながらにして阿呆な私などには、頭の良い勉強のできる人達が如何してそんなに簡単にアホみたいな話しに騙されるのか理解できない。きっと、それは、知識を身につけ賢くなっように見えるが、その実、生きていく上で必要な世間のことにはとんとうとい人間、昔、おばあさんが言っていた「アホ」になったからなんだろうね~。
(画像は黒田チカ。以下参考の東北大学史料館 デジタル展示室より借用)
参考:
東北大学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%A4%A7%E5%AD%A6
ようこそ東北大学へ
http://daigakujc.jp/u.php?u=00035
東北大学史料館 デジタル展示室
http://www.archives.tohoku.ac.jp/tenji/index.html
女子大生 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F
去華就実 -黒田チカ-上下のうち上
http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze29/shaze29.htm
お茶の水女子大学 | Topics | 本学出身の保井コノ博士が、日本初の女性理学博士として・・・http://www.ocha.ac.jp/topics/h180331.html
家庭科教育とジェンダー
http://www.nicol.ac.jp/~iori/network/gender2_2000/2000_04.html
津田梅子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%AD%90
日本史のなかの女性 18・ちいさい一粒の種・女子高等教育と職業的自立の開拓者たち
http://www.lib.nara-wu.ac.jp/open/ronbun/tuna18.html