今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

スチュワーデスの日

2007-03-05 | 記念日
今日(3月5日)は、「スチュワーデスの日」
1931(昭和6)年に今日(3月5日)、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された。そして、わが国のスチュワーデス第1号といえる「エアガール」が、1931年4月1日に就業した。
東京と伊藤、下田、沼津、清水間に逓信省指定の定期航路をもっている東京航空輸送会社が募集したところ3人の募集のところ140人が応募した。大部分が官公私立高女在学中で、中には、目白の女子大生もいた。2月5日の第1次採用試験の模様を、翌日の東京朝日新聞は、「押し寄せたモダン天女志願」の見出しで、時代が生んだ先端的な女性の新職業と、報道している。「エアガール」は、東京ー清水間を水上飛行機に乗り、機上から風景の説明、コーヒーや紅茶のサービスをした。しかし、4月末、初めて、3人が手にした、月給袋の中身は軽く16円から17円」だった。このころ女性の平均月給は28円くらいだったそうだから、採用時の華やかな夢も一時にさめ、彼女等は、一緒に退職する騒ぎになったという。(朝日クロニクル「週間20世紀」)
日本では、交通機関としての飛行機は運賃が高額だったため一般的でなく、乗客は外国人や富裕層に限られたため、飛行機は高級クラブや社交サロンのような雰囲気といわれ、客室乗務員はこのように「エアガール」や「エアホステス」とも呼ばれ、富裕層の乗客をもてなしていたようだ。後に、このような名称は、水商売ホステスに紛らわしいと改名され最近まで、「スチュワーデス」と呼ばれていた。
この「スチュワーデス(stew・ard・ess)。末尾の-essは女性を示す接尾語」は、男性の「スチュワード(steward )」からきた女性用の言葉である。英語の「steward」 は、日本語では、 執事, 家令; (クラブ・病院などの)まかない係; (汽船・旅客機などの)給仕; (宴会・ショーなどの)幹事をさす言葉であるが、1980年代以降、それが、差別的な言葉だということも言われ、アメリカにおける「ポリティカル・コレクトネス」(差別のない単語への言い換え)の浸透により、性別も問わない、"Floor Attendant"(フロアアテンダント)、"Flight Attendant"(フライトアテンダント)、"Cabin Attendant"(at・tend・ant=付添いの, 随行の, 付随の; 出席の; 付添人, 随行員; 係員; 〔英〕 案内係; 随伴物;)という単語に言い換えられた影響で、日本ではこの英語の和訳である「客室乗務員」(客乗)という言葉が正式とされるようになったそうだが、客室乗務員に対する社内での呼称には、日本航空では単に「アテンダント」(AT)、全日空では「キャビン・アテンダント」(CA)を用いている。
又、当時東京府荏原郡羽田町鈴木新田字江戸見崎(旧旅客ターミナル地区付近、 翌年に東京市蒲田区羽田江戸見町となる)に、日本初の国営(逓信省管轄)民間航空専用空港東京国際飛行場(現在の東京国際空港通称は羽田空港)が開港したのが、この年・1931(昭和6)年8月25日のことであった。総工費40万円、面積53haに延長300m、幅15m滑走路1本を設けて開港した。それまで、立川飛行場にあった逓信省事務所と航空会社はすべて羽田に移転、民間の航空関係施設も翌年3月までに全て移転した。日本の民間航空黎明期における重要な飛行場で、東洋一の空港である。外国航空機も離着陸するようになった。
この東京国際飛行場開港日の第1便スーパー・ユニバーサル機は、大連の日本人に向けスズムシ、マツムシ6000匹を乗せて御前7時30分に離陸したという(朝日クロニクル「週間20世紀」)。この目出度い空港開港日の第1便で、誰がどこへ行くのかと思ったら、初の常客が虫さんだったとはね~。
1931年と言えば、9月に満州事変が起こるのだが、 大連は、日露戦争後、ポーツマス条約によりロシアより日本に関東州旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権が譲渡され、日本語で「大連」の都市名が付けられた地である。当時、多くの日本人が居た。誰かが、そんな日本人に日本の秋の気分を味わてもらおうと送らせたものであろう。よく分からないが、同空港が公式に開港したのは、同年の11月3日と聞いている・・・。
世界各国で航空会社が次々と開業した1930年代から1950年代当時、日本では大日本航空が1939(昭和14)年に、日本航空が1951(昭和26)年に、全日空の前身となる日本ヘリコプターが1952(【昭和27)年に開業したが、旅客機は運賃が高額だった上、1945(昭和20)年8月の太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦以降長期に渡り海外渡航が自由化されていなかったために、乗客が渡航許可を受けた政府関係者や企業の業務出張者、または外国人に限られていた。その後日本の高度経済成長に伴い1964(昭和39)年には、海外渡航が完全に自由化されたものの、海外旅行はまだまだ高嶺の花であったこともあり、日本において客室乗務員はステータスの高い花形職業とされていた。
スチュワーデス第1号といえる「エアガール」が処遇に不満で全員退職したが、その後、給料のアップなどもあり、1941(昭和16)年のエアガールの給料は諸手当を含めて120円以上。これは、当時の大学卒の男子サラリーマンの給料の倍近かったそうだ。しかし、彼女達は給料よりもひざ上2,3cmの軽快な濃紺の制服が着られるのが何よりの喜びだったといい、街を歩くと皆が振り返るほどだったという(朝日クロニクル「週間20世紀」)。「エアガール」の制服は当時としては、超モダンだったのだろう。今の時代でも制服にあこがれて、進学校を決める女性とが多く居ると聞くが、何時の時代も女性は、おしゃれな衣服に憧れるのだね~。給料より制服などと言うのは、男性には考えられないことだものね。
その後、時が経ちボーイング747DC-10型機などの大型ジェット機の導入やアメリカにおける航空規制緩和政策の導入。航空会社間の競争の激化などにより航空運賃が下がり、飛行機での旅が大衆化してきた1970年代-1980年代以降は、欧米の先進諸国ではそのステータスは下がったが、日本では『アテンションプリーズ』や、『スチュワーデス物語』(1983年-1984年)など人気テレビドラマの題材にもなり、まだまだ女性のなりたい職業の上位として憧れの存在であった。
しかし、日本でも航空業界の規制緩和が行われ航空会社間の競争が激化した1990年代以降、契約制客室乗務員の導入により待遇が低下していること、海外旅行の大衆化や価値観の多様化などにより、近年は人気職種の一つではあるものの以前よりその人気は下がっている。
かって、スチュワーデスと言えば、背の高い美人で、頭が良くって、未婚の良家の子女のイメージで高いステータスを付加されていたのは、外国語の素養のある人がまだ小数であったことや外国に観光などで渡航することが少なかったことなどが大きかったが、今では、一般人においても海外への渡航が特別なものではなくなってきた上、外国語を話せる人も多くなったし、女性側の意識も、「客室乗務員」が他の専門職業種と比べて特別なものではないというように変革してきている。
私も2度ほどアメリカへ仕事でいったが、行きかえりは日本の航空会社の飛行機で行ったので分からないが、向うの都市から都市への飛行機などでは、かっての若くて美人で頭の良いスチュワーデスといったイメージとは程遠い、所得層からみるとどちらかと言うと所得の低い層の人達の仕事になっているようだ。これが、外国航路となると多少の、違うはあるのであろうが、日本人にとっては、英語は特別なものであっても、アメリカ人などにとっては、普通の言葉であり、英語が話せる事は、何の特技でもない。事故などが起こった際の対処などが適切に出来るか否かは別として、機内で行っている業務内容など、別に、ホテルやレストランの給仕などとたいして変った事はしていない。
1931(昭和6)年に、わが国初のスチュワーデス「エアガール」として採用された人達の月給が普通の女性たちの給料よりも極端に低かったのは、当然に、採用者側から見れば、単なる給仕程度にしか見ていなかったからだろうと思う。
羽田空港の敷地の一部は東京都大田区羽田五丁目にある「羽根田穴守神社」の境内だったそうで、羽田空港の歴史は、1916(大正5)年に羽田穴守町に日本飛行学校が設立されたことに始まるという。以下参考に記載の「[PDF] 「蒲田・羽田の歴史について」 第一章 蒲田の歴史」には、空港の歴史が、古い戦前の絵葉書などを使いながら記されている。面白いので、興味のある方は御覧になるとよい。
(画像は、エアガールの制服。彼女達は、高い給与よりもひざ上2,3cmの軽快な濃紺の制服が着られるのが何よりの喜びだったという。1941年福岡空港で。アサヒクロニクル「週間20世紀」より)
客室乗務員 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%A4%E4%B9%97%E5%8B%99%E5%93%A1#.E6.8E.A1.E7.94.A8.E6.99.82.E3.81.AE.E6.80.A7.E5.B7.AE.E5.88.A5
東京国際空港 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
羽田空港の歴史(東京空港整備事務局)
http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/more/f_405_01.html
立川飛行場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
航空史年表(日本)
http://home4.highway.ne.jp/t-park/tp/history/table2.html
スチュワーデスの誕生
http://www.tanken.com/airgirl.html
客室乗務員
http://encyclopedie-ja.snyke.com/articles/%E5%AE%A2%E5%AE%A4%E4%B9%97%E5%8B%99%E5%93%A1.html
スチュワーデスという言葉
http://www.majenka.jp/meaning.html
満州事変 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
大連 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%A3
日本の民間航空界の夜明けを翔ぶ人たち
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln11/1910/Nippon-Avi.html
#時刻表にみる東京航空輸送会社
http://www.tt-museum.jp/golden_0080_tkk1931.html
日本飛行機ホームページ
http://www.nippi.co.jp/cafe/legend/kirin2.html
東京-大阪間 定期便スタートから84年
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20070111/mng_____thatu___000.shtml
「羽根田穴守神社」
http://anamori.jp
[PDF] 「蒲田・羽田の歴史について」 第一章 蒲田の歴史
http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/UE/RP-okamura200501.pdf
[PDF] 女車掌37名が登場!広がる女性の新職業
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/data/link/pdf/chronicle_0207.pdf