今日(3月12日)は、「菜の花忌」。昭和前期の詩人・伊東静雄の1953(昭和28)年の忌日。
伊東 静雄(いとう しずお)は、1906年12月10日 長崎県諫早市生まれの詩人。
私は、この詩人のことは良く知らないが、Wikipediaによれば、代表作に『わがひとに与ふる哀歌』などがあり、萩原朔太郎が「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛したといわれ、当時の日本浪曼派の代表的な詩人として、評論の保田與重郎とともに同時代に影響を与えた人だそうで、少年期の三島由紀夫にも多大な影響を与え、三好達治、中原中也、立原道造らとともに、詩同人誌「四季」に参加した。
忌日は、季節の花に因み「菜の花忌」と呼ばれ、忌日に近い3月最終日曜日に長崎県諌早市の諌早公園で追悼行事が行われるようだ。
又、諫早市の伊東静雄顕彰委員会によって、現代詩を賞する伊東静雄賞が設けられている。(以下参考に記載の「伊東静雄賞」参照)
伊東静雄の経歴を見ると、長崎県立大村中学(現、長崎県立大村高等学校)から、旧制佐賀高等学校(現、佐賀大学)を経て京都帝国大学国文科に学び、大阪府立住吉中学校教諭となり、生涯教職を離れなかったという。学校では、『古事記』を教えていたことと、その流行を追わないスタイルから〈コジキ〉というあだ名をつけられていた名物教師だったそうだ。独身時代は、北田辺や阪南町に住んでいたようだが、昭和7年に結婚し、阪南町中3丁目20番地、旧大阪高等学校(現阪南団地)近くに新居をおいていたそうだ。阿倍野区松虫通には伊東静雄文学碑が建立されている。
阿倍野区ホームページ | 区内のあれこれ | 伝説・人物・伊東静雄参照 ↓
http://www.city.osaka.jp/abeno/variety/person.html#05_ito
伊東静雄が没したのは、1953(昭和28)年3月12日であった。郷土の諌早では、伊東の詩を愛していた詩人の上村肇を中心とした文学関係者が、伊東の詩碑の建立を全国に呼びかけ、1954(昭和29)年に諌早文化協会によって有明海を望む高城城址に詩碑が建立された。「菜花忌ーさいかきー」第1回が始まったのは、1965 (昭和40)年3月、伊東静雄13回忌からであり、その後「菜の花忌」と改名されたそうだ。そして、毎年「菜の花忌」には、恒例の行事として、詩碑の前で諌早中学音楽部女子生徒により、碑文に刻まれた「手にふるる 野花はそれをつみ 花とみずからをささえつつ 歩みをはこべ」(「そんなに凝視めるな」の抜粋、『反響』所収。)の合唱が歌い捧げられているとのことである。
菜の花忌 → http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/
伊東静雄のことは良く知らなかったので、このブログを書くにあたり、以下参考に記載の作家別作品伊東 静雄(青空文庫)や、伊東静雄(つれづれの文車)、静雄作品などで呼んでみた。なるほど、浪曼派の詩人であることが伺える。しかし、こうして、ネットですぐに読みたいものが読めるなんて実に便利な時代になったものととつくづく思う。尚、伊東静雄像についての人物像などは、以下を読めばよく分かるかな・・・。住吉中学時代庄野潤三の国語の教師が詩人の伊東静雄だった。庄野潤三の小説のなかの言葉を引用してのものである。
「伊東先生」の言葉-庄野潤三から見た伊東静雄像-↓
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/ito_shizuo.htm
この伊東 静雄とは別に、2月12日の小説家・司馬遼太郎の忌日も、氏が愛した野の花に因んで『菜の花忌』と名づけられている。司馬遼太郎の忌日については、以前に私のブログで採りあげたので、興味のある人は見てください。「菜の花忌」・・司馬遼太郎の忌日。
前のブログに書き忘れたことを、付け足しておこう。
司馬遼太郎小説に菜の花の沖がある。この小説の題名にある「菜の花」であるが、これは、菜種油にするため、水車利用で急速に絞油量を伸ばしたのは灘目 (なだめ= 摂津西部の海岸地帯)と呼ばれる地方に、六甲 山地から流れ落ちる芦屋川や住吉川の急流を利用した水車が作られ、(東灘区文化施設マップ・灘目の水車参照)その大量生産技術が価格的に有利となった事や、酒造業の発展により、兵庫の海運業が栄えたという歴史的な背景がある。
主人公の高田屋嘉兵衛が生まれた対岸の淡路では多くの菜の花が栽培されていた。菜の花の実が結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている灘目の搾油業者に売られ、そこで、油にされたものが兵庫港より北前船で諸国に運ばれていたのである。
作者・司馬遼太郎の忌日名が「菜の花忌」であるのは、一つにはこの小説の題名に由来しているのであった。
江戸時代の画人にして俳人である与謝蕪村(よさぶそん) は菜の花をいくつもの歌に詠みこんでいる。
例えば「菜の花や 月は東に日は西に」や 「菜の花や 摩耶を下れば 日の暮るる 」などの歌は、神戸六甲山脈の摩耶山を訪れたときのものといわれており、当時、摩耶山には見渡す限り菜の花が咲いていたということでである。
下記参考の「日々の風: 旅行・地域」によれば、当時、摩耶の初午の縁日は名高かったらしい。摩耶が馬屋・厩に通ずるところから、多く人々が飼馬の無難を祈って、馬を連れて参ったらしい。その後、摩耶詣が俳句の季題に選ばれたことから、摩耶山が俳句の山として有名になったという。正岡子規もこの地を訪れ、親子馬の句をのこしているという。
又、飯田蛇笏 (いいだ たけじ)の以下の句がある。
「菜の花の 夜目に白さや 摩耶詣 」
これは、漢字の 【摩耶】 は、Goo辞書によると、”釈迦の生母。ルンビニ園において釈迦を生み、浄飯王(じようぼんのう)の妃を言う。七日後に没し、死後は利天(とうりてん)に生まれたと伝えられている。摩迦摩耶(まかまや)(Mahmy)。摩耶夫人(ぶにん)。”・・とある。摩耶山の中腹には摩耶夫人像をまつる摩耶山とう利天上(とうりてんじよう)寺があり、同寺では毎年3月の春分の日 「摩耶詣」には沢山の菜の花が供えられているそうだ。
以下参考の登山家・随筆家でもある小島 烏水「菜の花」にもあるが、春の景色と云うと、菜の花畑だよね~。、最後に、菜の花の出てくる「おぼろ月夜」を聞いて終わることにしよう。
春のうた・唱歌・おぼろ月夜(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)
http://sakykun.oops.jp/midi/C11_5.htm
(画像の菜の花はフリー百科事典Wikipediaのものを借用)
伊東静雄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E9%9D%99%E9%9B%84
詩人伊東静雄を偲ぶホームぺーじ
http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/>http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/>http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/阿倍野区ホームページ | 区内のあれこれ | 伝説・人物
http://www.city.osaka.jp/abeno/variety/person.html
asahi.com:菜の花忌 - マイタウン佐賀
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000130603290001
作家別作品伊東 静雄(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1197.html#sakuhin_list_1
伊東静雄(つれづれの文車)
http://www.nextftp.com/y_misa/ito/ito.html
静雄作品
http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/poem.html
伊東静雄賞
http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/sizuoshou.html
「伊東先生」の言葉-庄野潤三から見た伊東静雄像-
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/ito_shizuo.htm
四季・コギト・詩集ホームぺージ
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/index.htm
庄野潤三 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E9%87%8E%E6%BD%A4%E4%B8%89
庄野 潤 三 の 部屋
http://tc5810.sugoihp.com/shonotop.htm
アブラナ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8A
近世日本の地域づくり200のテーマ/衣食住文化の成熟[105]菜種
http://lib.ruralnet.or.jp/syokunou/lib/fudoki/200/105.html
東灘区文化施設マップ・灘目の水車
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/81/town/gm_09.html
神戸市文書館 灘の酒造業
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/syuzo/1.html
日々の風: 旅行・地域
http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/cat3136131/index.html
菜 種/元町・夢街道
http://www.kobe-motomachi.or.jp/cont08/cont08-14.htm
菜の花の沖: 司馬遼太郎を読む
http://shiba-ryo.com/archives/000086.html
菜の花 (ナノハナ)
http://www.hana300.com/nanoha.html
与謝蕪村 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E8%95%AA%E6%9D%91
飯田蛇笏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E8%9B%87%E7%AC%8F
正岡子規 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F
摩耶山天上寺
http://www.mayasan-tenjoji.jp/
とう利天上寺- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%86%E5%88%A9%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E5%AF%BA
「菜の花忌」・・司馬遼太郎の忌日。
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%BA%DA%A4%CE%B2%D6%B4%F7
六甲 山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%94%B2%E5%B1%B1
小島 烏水「菜の花」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000027/card1462.html
伊東 静雄(いとう しずお)は、1906年12月10日 長崎県諫早市生まれの詩人。
私は、この詩人のことは良く知らないが、Wikipediaによれば、代表作に『わがひとに与ふる哀歌』などがあり、萩原朔太郎が「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛したといわれ、当時の日本浪曼派の代表的な詩人として、評論の保田與重郎とともに同時代に影響を与えた人だそうで、少年期の三島由紀夫にも多大な影響を与え、三好達治、中原中也、立原道造らとともに、詩同人誌「四季」に参加した。
忌日は、季節の花に因み「菜の花忌」と呼ばれ、忌日に近い3月最終日曜日に長崎県諌早市の諌早公園で追悼行事が行われるようだ。
又、諫早市の伊東静雄顕彰委員会によって、現代詩を賞する伊東静雄賞が設けられている。(以下参考に記載の「伊東静雄賞」参照)
伊東静雄の経歴を見ると、長崎県立大村中学(現、長崎県立大村高等学校)から、旧制佐賀高等学校(現、佐賀大学)を経て京都帝国大学国文科に学び、大阪府立住吉中学校教諭となり、生涯教職を離れなかったという。学校では、『古事記』を教えていたことと、その流行を追わないスタイルから〈コジキ〉というあだ名をつけられていた名物教師だったそうだ。独身時代は、北田辺や阪南町に住んでいたようだが、昭和7年に結婚し、阪南町中3丁目20番地、旧大阪高等学校(現阪南団地)近くに新居をおいていたそうだ。阿倍野区松虫通には伊東静雄文学碑が建立されている。
阿倍野区ホームページ | 区内のあれこれ | 伝説・人物・伊東静雄参照 ↓
http://www.city.osaka.jp/abeno/variety/person.html#05_ito
伊東静雄が没したのは、1953(昭和28)年3月12日であった。郷土の諌早では、伊東の詩を愛していた詩人の上村肇を中心とした文学関係者が、伊東の詩碑の建立を全国に呼びかけ、1954(昭和29)年に諌早文化協会によって有明海を望む高城城址に詩碑が建立された。「菜花忌ーさいかきー」第1回が始まったのは、1965 (昭和40)年3月、伊東静雄13回忌からであり、その後「菜の花忌」と改名されたそうだ。そして、毎年「菜の花忌」には、恒例の行事として、詩碑の前で諌早中学音楽部女子生徒により、碑文に刻まれた「手にふるる 野花はそれをつみ 花とみずからをささえつつ 歩みをはこべ」(「そんなに凝視めるな」の抜粋、『反響』所収。)の合唱が歌い捧げられているとのことである。
菜の花忌 → http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/
伊東静雄のことは良く知らなかったので、このブログを書くにあたり、以下参考に記載の作家別作品伊東 静雄(青空文庫)や、伊東静雄(つれづれの文車)、静雄作品などで呼んでみた。なるほど、浪曼派の詩人であることが伺える。しかし、こうして、ネットですぐに読みたいものが読めるなんて実に便利な時代になったものととつくづく思う。尚、伊東静雄像についての人物像などは、以下を読めばよく分かるかな・・・。住吉中学時代庄野潤三の国語の教師が詩人の伊東静雄だった。庄野潤三の小説のなかの言葉を引用してのものである。
「伊東先生」の言葉-庄野潤三から見た伊東静雄像-↓
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/ito_shizuo.htm
この伊東 静雄とは別に、2月12日の小説家・司馬遼太郎の忌日も、氏が愛した野の花に因んで『菜の花忌』と名づけられている。司馬遼太郎の忌日については、以前に私のブログで採りあげたので、興味のある人は見てください。「菜の花忌」・・司馬遼太郎の忌日。
前のブログに書き忘れたことを、付け足しておこう。
司馬遼太郎小説に菜の花の沖がある。この小説の題名にある「菜の花」であるが、これは、菜種油にするため、水車利用で急速に絞油量を伸ばしたのは灘目 (なだめ= 摂津西部の海岸地帯)と呼ばれる地方に、六甲 山地から流れ落ちる芦屋川や住吉川の急流を利用した水車が作られ、(東灘区文化施設マップ・灘目の水車参照)その大量生産技術が価格的に有利となった事や、酒造業の発展により、兵庫の海運業が栄えたという歴史的な背景がある。
主人公の高田屋嘉兵衛が生まれた対岸の淡路では多くの菜の花が栽培されていた。菜の花の実が結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている灘目の搾油業者に売られ、そこで、油にされたものが兵庫港より北前船で諸国に運ばれていたのである。
作者・司馬遼太郎の忌日名が「菜の花忌」であるのは、一つにはこの小説の題名に由来しているのであった。
江戸時代の画人にして俳人である与謝蕪村(よさぶそん) は菜の花をいくつもの歌に詠みこんでいる。
例えば「菜の花や 月は東に日は西に」や 「菜の花や 摩耶を下れば 日の暮るる 」などの歌は、神戸六甲山脈の摩耶山を訪れたときのものといわれており、当時、摩耶山には見渡す限り菜の花が咲いていたということでである。
下記参考の「日々の風: 旅行・地域」によれば、当時、摩耶の初午の縁日は名高かったらしい。摩耶が馬屋・厩に通ずるところから、多く人々が飼馬の無難を祈って、馬を連れて参ったらしい。その後、摩耶詣が俳句の季題に選ばれたことから、摩耶山が俳句の山として有名になったという。正岡子規もこの地を訪れ、親子馬の句をのこしているという。
又、飯田蛇笏 (いいだ たけじ)の以下の句がある。
「菜の花の 夜目に白さや 摩耶詣 」
これは、漢字の 【摩耶】 は、Goo辞書によると、”釈迦の生母。ルンビニ園において釈迦を生み、浄飯王(じようぼんのう)の妃を言う。七日後に没し、死後は利天(とうりてん)に生まれたと伝えられている。摩迦摩耶(まかまや)(Mahmy)。摩耶夫人(ぶにん)。”・・とある。摩耶山の中腹には摩耶夫人像をまつる摩耶山とう利天上(とうりてんじよう)寺があり、同寺では毎年3月の春分の日 「摩耶詣」には沢山の菜の花が供えられているそうだ。
以下参考の登山家・随筆家でもある小島 烏水「菜の花」にもあるが、春の景色と云うと、菜の花畑だよね~。、最後に、菜の花の出てくる「おぼろ月夜」を聞いて終わることにしよう。
春のうた・唱歌・おぼろ月夜(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)
http://sakykun.oops.jp/midi/C11_5.htm
(画像の菜の花はフリー百科事典Wikipediaのものを借用)
伊東静雄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E9%9D%99%E9%9B%84
詩人伊東静雄を偲ぶホームぺーじ
http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/>http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/>http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/阿倍野区ホームページ | 区内のあれこれ | 伝説・人物
http://www.city.osaka.jp/abeno/variety/person.html
asahi.com:菜の花忌 - マイタウン佐賀
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000130603290001
作家別作品伊東 静雄(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1197.html#sakuhin_list_1
伊東静雄(つれづれの文車)
http://www.nextftp.com/y_misa/ito/ito.html
静雄作品
http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/poem.html
伊東静雄賞
http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/sizuoshou.html
「伊東先生」の言葉-庄野潤三から見た伊東静雄像-
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/ito_shizuo.htm
四季・コギト・詩集ホームぺージ
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/index.htm
庄野潤三 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E9%87%8E%E6%BD%A4%E4%B8%89
庄野 潤 三 の 部屋
http://tc5810.sugoihp.com/shonotop.htm
アブラナ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8A
近世日本の地域づくり200のテーマ/衣食住文化の成熟[105]菜種
http://lib.ruralnet.or.jp/syokunou/lib/fudoki/200/105.html
東灘区文化施設マップ・灘目の水車
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/81/town/gm_09.html
神戸市文書館 灘の酒造業
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/syuzo/1.html
日々の風: 旅行・地域
http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/cat3136131/index.html
菜 種/元町・夢街道
http://www.kobe-motomachi.or.jp/cont08/cont08-14.htm
菜の花の沖: 司馬遼太郎を読む
http://shiba-ryo.com/archives/000086.html
菜の花 (ナノハナ)
http://www.hana300.com/nanoha.html
与謝蕪村 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E8%95%AA%E6%9D%91
飯田蛇笏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E8%9B%87%E7%AC%8F
正岡子規 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F
摩耶山天上寺
http://www.mayasan-tenjoji.jp/
とう利天上寺- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%86%E5%88%A9%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E5%AF%BA
「菜の花忌」・・司馬遼太郎の忌日。
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%BA%DA%A4%CE%B2%D6%B4%F7
六甲 山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%94%B2%E5%B1%B1
小島 烏水「菜の花」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000027/card1462.html