今日(3月19日)は、「アカデミー賞設立記念日」
1927(昭和2)年の(今日3月19日)、アメリカで映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が設立された。
第1回アカデミー賞は1927年8月1日から1928年7月31日までの1年間に公開された作品が対象とされ、ウィリアム・A・ウエルマン監督の「つばさ」が作品賞を受賞。この第1回のアカデミー賞が授与されたのは、1929年5月16日のことで、以来、毎年アカデミー賞の授与を行っている。
少し映画の歴史を振り返ってみると、1893年、アメリカのエジソンが自動映像販売機(映写機)キネトスコープを一般公開したが、これは、箱の上から覗き込むと、その中に動画を見ることができるというものであった。さらに、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを開発し、1895年3月にパリで開催された科学振興会で公開し、同年12月28日にはパリのグラン・カフェと言う名称のカフェで有料の試写会を開いた。 このリュミエール兄弟が開発したのは、その仕組みを箱から、スクリーンへと投射するものへと改良し、一度により多くの人が動画を観賞することができるようにしたものである。リュミエール兄弟らが公開した世界最初の映画は、駅のプラットフォームに蒸気機関車がやってくる情景をワンショットで撮したもので、人が歩く映像や、列車が近づいてくる映像に観客は興奮した。これをもって映画の起源とするのが有力な説となっている。
1902年に、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された映画『月世界旅行』がフランスで制作された。この作品は、初のSF映画でもある。
そして、ついに、1927年、アメリカで世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が公開された。「You ain't heard nothin' yet!(お楽しみはこれからだ!)」というセリフが、映画史上初めてのセリフとして有名である。映画全編を通してのトーキーではなく、部分的なトーキーだったが、驚異的な興行収入を記録し、トーキーの時代の幕開けとなった。トーキーは世界的に受け入れられ、急速に普及した。
20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地はニューヨーク(ニュージャージー州フォート・リー)とシカゴであった。しかし、エジソンがシネマトグラフをアメリカで使用する特許を取ったために、アメリカでの映画制作は難しいものとなり、困った映画人たちは西海岸のロサンゼルス・ハリウッドへ逃げたという。そこは東海岸と異なり、降雨も少なく様々な風景があったため映画制作にも適していた。 ハリウッドの映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人の移民達だったそうだ。ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けており、映画という新しい娯楽ビジネスに注目したそうだ。そして、1912年にはユニヴァーサル映画とパラマウント映画、1915年には20世紀フォックスの元となるフォックス・フィルム、1919年にユナイテッド・アーティスツ、1923年にワーナー・ブラザーズ、1924年にMGMとコロムビア映画などの現在のメジャースタジオが次々と設立された。これらの会社を設立したのは皆ユダヤ人だそうである。
そして、第一次世界大戦の後、多くの映画制作者がヨーロッパから渡米してきた。その最も有名な人物はアルフレッド・ヒッチコックである。そして、1927年、アメリカで初めてのトーキー映画「ジャズ・シンガー」が公開され、1927(昭和2)年の(今日3月19日)、アメリカで映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が設立され、1929年には第1回アカデミー賞が開催されたのである。当初、見世物として始まった映画が、本格的に文化として認められ始めたといえる。
映画芸術科学アカデミー(AMPAS) は、アメリカ映画の芸術・科学の発展を図るため、ハリウッドの映画業界関係者を中心にして創設されたアカデミー賞選考の権利を保有する団体であり、会員の3割は俳優が占めているようだ。アカデミー賞は、授賞式前年の1年間にアメリカ国内の特定地域で公開された作品を対象に選考され、また映画産業全般に関連した業績に対して授与される映画賞であり、AMPASの会員の投票により選定される。つまり、この賞は、国際映画賞ではなく、映画製作の部外者である評論家や記者や映画ファンなどによって選ばれるゴールデングローブ賞や他の映画祭のようなものとは、異なり、基本的にはアメリカの映画関係者がアメリカの映画関係者に贈るものなのである。しかし、その知名度は「世界三大映画祭」の各賞以上に大きく影響力は巨大で、受賞結果が各国の興行成績に多大な影響を与えている。つまり、それだけ、アメリカ映画の世界に与える影響が大きくなったということだろう。
2007年2月25日(日本時間26日)、第79回アカデミー賞授賞式がハリウッドのコダックシアターで開催され、各部門のオスカー受賞者(作)が決定した。今年のアカデミー賞では、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』で主演した渡辺謙や『バベル』で助演女優賞にノミネートされた菊地凛子の入賞なるかと熱い期待が寄せられたが受賞できなかったのは残念であった。しかし、助演女優賞にノミネートされた菊地凛子などアメリカで認められているのに、日本では、それまで、全く話題にもならなかったのは、日本のマスコミや映画関係者に見る目がないということだろうか。彼女の授賞式でのシャネルの黒いドレス姿はなかなかエレガントでよかったよ。これから、大活躍するだろう。
(画像は映画『硫黄島からの手紙』チラシ)
アカデミー賞ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E8%B3%9E
ゴールデングローブ賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96%E8%B3%9E
映画芸術科学アカデミー公式日本語サイト|WOWOW ONLINE
http://www.wowow.co.jp/oscars/
2007年・第79回アカデミー賞 ドンデッチ映画情報
http://www.dondetch.com/movie/m&v-2.html
日本アカデミー賞公式サイト
http://www.japan-academy-prize.jp/
映画史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%8F%B2
1927(昭和2)年の(今日3月19日)、アメリカで映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が設立された。
第1回アカデミー賞は1927年8月1日から1928年7月31日までの1年間に公開された作品が対象とされ、ウィリアム・A・ウエルマン監督の「つばさ」が作品賞を受賞。この第1回のアカデミー賞が授与されたのは、1929年5月16日のことで、以来、毎年アカデミー賞の授与を行っている。
少し映画の歴史を振り返ってみると、1893年、アメリカのエジソンが自動映像販売機(映写機)キネトスコープを一般公開したが、これは、箱の上から覗き込むと、その中に動画を見ることができるというものであった。さらに、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを開発し、1895年3月にパリで開催された科学振興会で公開し、同年12月28日にはパリのグラン・カフェと言う名称のカフェで有料の試写会を開いた。 このリュミエール兄弟が開発したのは、その仕組みを箱から、スクリーンへと投射するものへと改良し、一度により多くの人が動画を観賞することができるようにしたものである。リュミエール兄弟らが公開した世界最初の映画は、駅のプラットフォームに蒸気機関車がやってくる情景をワンショットで撮したもので、人が歩く映像や、列車が近づいてくる映像に観客は興奮した。これをもって映画の起源とするのが有力な説となっている。
1902年に、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された映画『月世界旅行』がフランスで制作された。この作品は、初のSF映画でもある。
そして、ついに、1927年、アメリカで世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が公開された。「You ain't heard nothin' yet!(お楽しみはこれからだ!)」というセリフが、映画史上初めてのセリフとして有名である。映画全編を通してのトーキーではなく、部分的なトーキーだったが、驚異的な興行収入を記録し、トーキーの時代の幕開けとなった。トーキーは世界的に受け入れられ、急速に普及した。
20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地はニューヨーク(ニュージャージー州フォート・リー)とシカゴであった。しかし、エジソンがシネマトグラフをアメリカで使用する特許を取ったために、アメリカでの映画制作は難しいものとなり、困った映画人たちは西海岸のロサンゼルス・ハリウッドへ逃げたという。そこは東海岸と異なり、降雨も少なく様々な風景があったため映画制作にも適していた。 ハリウッドの映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人の移民達だったそうだ。ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けており、映画という新しい娯楽ビジネスに注目したそうだ。そして、1912年にはユニヴァーサル映画とパラマウント映画、1915年には20世紀フォックスの元となるフォックス・フィルム、1919年にユナイテッド・アーティスツ、1923年にワーナー・ブラザーズ、1924年にMGMとコロムビア映画などの現在のメジャースタジオが次々と設立された。これらの会社を設立したのは皆ユダヤ人だそうである。
そして、第一次世界大戦の後、多くの映画制作者がヨーロッパから渡米してきた。その最も有名な人物はアルフレッド・ヒッチコックである。そして、1927年、アメリカで初めてのトーキー映画「ジャズ・シンガー」が公開され、1927(昭和2)年の(今日3月19日)、アメリカで映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が設立され、1929年には第1回アカデミー賞が開催されたのである。当初、見世物として始まった映画が、本格的に文化として認められ始めたといえる。
映画芸術科学アカデミー(AMPAS) は、アメリカ映画の芸術・科学の発展を図るため、ハリウッドの映画業界関係者を中心にして創設されたアカデミー賞選考の権利を保有する団体であり、会員の3割は俳優が占めているようだ。アカデミー賞は、授賞式前年の1年間にアメリカ国内の特定地域で公開された作品を対象に選考され、また映画産業全般に関連した業績に対して授与される映画賞であり、AMPASの会員の投票により選定される。つまり、この賞は、国際映画賞ではなく、映画製作の部外者である評論家や記者や映画ファンなどによって選ばれるゴールデングローブ賞や他の映画祭のようなものとは、異なり、基本的にはアメリカの映画関係者がアメリカの映画関係者に贈るものなのである。しかし、その知名度は「世界三大映画祭」の各賞以上に大きく影響力は巨大で、受賞結果が各国の興行成績に多大な影響を与えている。つまり、それだけ、アメリカ映画の世界に与える影響が大きくなったということだろう。
2007年2月25日(日本時間26日)、第79回アカデミー賞授賞式がハリウッドのコダックシアターで開催され、各部門のオスカー受賞者(作)が決定した。今年のアカデミー賞では、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』で主演した渡辺謙や『バベル』で助演女優賞にノミネートされた菊地凛子の入賞なるかと熱い期待が寄せられたが受賞できなかったのは残念であった。しかし、助演女優賞にノミネートされた菊地凛子などアメリカで認められているのに、日本では、それまで、全く話題にもならなかったのは、日本のマスコミや映画関係者に見る目がないということだろうか。彼女の授賞式でのシャネルの黒いドレス姿はなかなかエレガントでよかったよ。これから、大活躍するだろう。
(画像は映画『硫黄島からの手紙』チラシ)
アカデミー賞ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E8%B3%9E
ゴールデングローブ賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96%E8%B3%9E
映画芸術科学アカデミー公式日本語サイト|WOWOW ONLINE
http://www.wowow.co.jp/oscars/
2007年・第79回アカデミー賞 ドンデッチ映画情報
http://www.dondetch.com/movie/m&v-2.html
日本アカデミー賞公式サイト
http://www.japan-academy-prize.jp/
映画史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%8F%B2