今日(3月22日 )は、1943年の「新美南吉」 (童話作家『ごんぎつね』) の忌日。<29歳>
新美南吉(にいみ なんきち)本名渡辺正八は、1913(大正2)年7月30日、愛知県半田市生まれの児童文学作家。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌「赤い鳥」(1932年1月号)に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなった。早世したため作品数は多くはないが、童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残しているという。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。
『ごん狐』は、南吉の出身地である現在の愛知県半田市岩滑(やなべ)地区の矢勝川や、隣の阿久比町にある権現山を舞台に書かれたといわれており、筆者が村の老人から聞いた話という体裁をとっており、「城」や「お殿様」、「お歯黒」という言葉が出てくることから江戸時代ぐらいから明治にかけての物語と思われる。この物語は、ひとりぼっちでいたずら好きの小狐ごんが、兵十が川で魚を捕った魚やウナギを目を離した隙に逃がしてしまう。それから10日ほど後に、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が母親のために用意していたものだと悟り、反省する。自分と同じひとりぼっちになった兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いの意味もあって、鰯を盗んで兵十の家に投げ込む。だが鰯屋は兵十が盗んだと勘違いし、兵十が殴りつけられたため、ごんは再び反省する。それからごんは毎日栗や、時には松茸を届けるようになる。兵十は毎日届けられる栗を不思議に思い加助に相談すると、「それは神様のおかげだ」と言われる。その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十はまたいたずらに来たのだと思い、母親にウナギを食べさせられなかった無念もあり、ごんを撃ってしまう。倒れたごんの横に散らばる栗に気づき、兵十が「おまえだったのか」と問いかけ、ごんがうなずく・・・。といった内容で、ごんの善意の行動が、結果として相手を傷つけてしまう。兵十とごんは、お互いの境遇を一番理解し合える仲でありながら、死をもってしか通じ合うことができなかった。読む者に何ともいえない哀しさを伝えてくれる作品である。
また、数ある南吉の作品のなかでも『ごん狐』と並んで人気の高い作品『手袋を買いに』は、私の前のブログ、「手袋の日」でも採りあげたことがあるが、冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は手袋を買ってやろうと思い、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、「人間は相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」だから、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出した。
子狐は帰ってきて母狐に言いました。「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました・・・。新美 が描こうとした親子の愛情や善意、信頼といったものが行動的な子狐の体温とともに伝わってくる物語であるが、非常に考えさせられ内容の作品である。
以下参考に記載の■手袋を買いに ■によると、作品の最終場面の母狐の言葉は、推敲(すいこう=詩文を作るとき、最適の字句や表現を求めて考え練り上げること)前は、以下のようだったという。
”「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間がいいものなら、その人間を騙さうとした私は、とんだ悪いことをしたことになるのね。」とつぶやいて神さまのゐられる星の空をすんだ眼で見あげました。”
これを、先に書いたような文章に推敲しているのであるが、どうして南吉はこのような推敲をしたのだろうか。そこでは、”当時の南吉は、人間、とくに彼の周囲にいる大人たちに対して不信感を抱いていたと考えられるのですが・・・推敲後の母狐のつぶやきは、大人たちの都合に翻弄された南吉自身のつぶやきなのではないでしょうか。”・・・とかかれているが、私には、どうもそうではなく、遂行前に母狐のつぶやいた事をも含めて、物語を読んだ読者に色々と考えさせる意図があったのだろうという気がする。小説でも、映画でも、後に余韻を残す作品の方が作品に深みが加わって独特の味わいがあると思うのだが・・・。
『手袋を買いに』は、小学校の3年生の、『ごん狐』は、4年生の読書本となっているようだが、どちらの作品も奥の深い作品であり、子供に読ませて考えさせるには、本当に良い作品だと思うが、このような内容をどのように子供たちに教えるかはなかなか難しいものではあるだろうね~。
南吉は、地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多い。賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカル(皮肉であるさま。冷笑的)な筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人から視た主観的・情緒的な視線で自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風で、好対照をなしている。
宮沢賢治のものよりもこちらの方が、ほんわかと暖かく、小さな子供には、適しているだろうね。
小さな子供向きの童話は、子供が読みやすいような簡単で分かりやすい短い文章で、しかも奥の深い文学性の高いものである必要があるが、これは、分かっていても、作品を作るものにとっては、なかなか難しいものであろう。
以下参考に記載の、には、、『ごん狐』『手袋を買いに』他、沢山の童話が掲載されている。是非子供に読んで聞かせてあげて欲しい作品である。
作家別作品リスト:新美 南吉(青空文庫) → http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html
又、角川映画じゃないけれど、以下HPでは、新美南吉の作品をモチーフにイメージを膨らませて曲を作っている。作者は、あえて南吉作品の解説はしておらず、ここの音楽を聴いて童話を読んでみても良いし、童話を読んでから曲を聴いていただいても結構ですと言っている。いい曲だと思うので、音楽好きの人は覗いてみるのも良いのでは・・・。
MIDI音楽図鑑「ごんぎつね音楽村」~南吉の世界~→http://www.gld.mmtr.or.jp/~shisyun/midi/gon.html
南吉の出身地の半田には、新美南吉記念館の他、彼の実家や作品ゆかりの場所を巡るウォーキングコース(新美南吉文学散歩道)も作られている。
(画像は「ごんぎつね」 (大型本)新美 南吉 (著), 黒井 健 (著) )
新美南吉- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89
新美南吉 【にいみ・なんきち】
http://uraaozora.jpn.org/niimi.html
新美南吉の詩・童謡―時代の影響と独自性―
http://www.jscl.internet.ne.jp/jscl/record/regular/regular_12.html
新美南吉の詩・童謡
http://www.jscl.internet.ne.jp/jscl/record/regular/regular_12.html
新美南吉記念館
http://www.nankichi.gr.jp/
新美 南吉:作家別作品リスト(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html
■手袋を買いに ■
http://www.nankichi.gr.jp/meisaku/4tebukuro.htm
福娘日本童話集
http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/index.html
国語のへや 「ごんぎつね」
http://www2.saga-ed.jp/school/edq12804/hirano-el/gongitune.html
ごんぎつね
http://www.kamezaki-e.ed.jp/tiiki/gon/gon.htm
MIDI音楽図鑑「ごんぎつね音楽村」~南吉の世界~
http://www.gld.mmtr.or.jp/~shisyun/midi/gon.html
新美南吉(にいみ なんきち)本名渡辺正八は、1913(大正2)年7月30日、愛知県半田市生まれの児童文学作家。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌「赤い鳥」(1932年1月号)に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなった。早世したため作品数は多くはないが、童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残しているという。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。
『ごん狐』は、南吉の出身地である現在の愛知県半田市岩滑(やなべ)地区の矢勝川や、隣の阿久比町にある権現山を舞台に書かれたといわれており、筆者が村の老人から聞いた話という体裁をとっており、「城」や「お殿様」、「お歯黒」という言葉が出てくることから江戸時代ぐらいから明治にかけての物語と思われる。この物語は、ひとりぼっちでいたずら好きの小狐ごんが、兵十が川で魚を捕った魚やウナギを目を離した隙に逃がしてしまう。それから10日ほど後に、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が母親のために用意していたものだと悟り、反省する。自分と同じひとりぼっちになった兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いの意味もあって、鰯を盗んで兵十の家に投げ込む。だが鰯屋は兵十が盗んだと勘違いし、兵十が殴りつけられたため、ごんは再び反省する。それからごんは毎日栗や、時には松茸を届けるようになる。兵十は毎日届けられる栗を不思議に思い加助に相談すると、「それは神様のおかげだ」と言われる。その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十はまたいたずらに来たのだと思い、母親にウナギを食べさせられなかった無念もあり、ごんを撃ってしまう。倒れたごんの横に散らばる栗に気づき、兵十が「おまえだったのか」と問いかけ、ごんがうなずく・・・。といった内容で、ごんの善意の行動が、結果として相手を傷つけてしまう。兵十とごんは、お互いの境遇を一番理解し合える仲でありながら、死をもってしか通じ合うことができなかった。読む者に何ともいえない哀しさを伝えてくれる作品である。
また、数ある南吉の作品のなかでも『ごん狐』と並んで人気の高い作品『手袋を買いに』は、私の前のブログ、「手袋の日」でも採りあげたことがあるが、冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は手袋を買ってやろうと思い、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、「人間は相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」だから、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出した。
子狐は帰ってきて母狐に言いました。「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました・・・。新美 が描こうとした親子の愛情や善意、信頼といったものが行動的な子狐の体温とともに伝わってくる物語であるが、非常に考えさせられ内容の作品である。
以下参考に記載の■手袋を買いに ■によると、作品の最終場面の母狐の言葉は、推敲(すいこう=詩文を作るとき、最適の字句や表現を求めて考え練り上げること)前は、以下のようだったという。
”「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間がいいものなら、その人間を騙さうとした私は、とんだ悪いことをしたことになるのね。」とつぶやいて神さまのゐられる星の空をすんだ眼で見あげました。”
これを、先に書いたような文章に推敲しているのであるが、どうして南吉はこのような推敲をしたのだろうか。そこでは、”当時の南吉は、人間、とくに彼の周囲にいる大人たちに対して不信感を抱いていたと考えられるのですが・・・推敲後の母狐のつぶやきは、大人たちの都合に翻弄された南吉自身のつぶやきなのではないでしょうか。”・・・とかかれているが、私には、どうもそうではなく、遂行前に母狐のつぶやいた事をも含めて、物語を読んだ読者に色々と考えさせる意図があったのだろうという気がする。小説でも、映画でも、後に余韻を残す作品の方が作品に深みが加わって独特の味わいがあると思うのだが・・・。
『手袋を買いに』は、小学校の3年生の、『ごん狐』は、4年生の読書本となっているようだが、どちらの作品も奥の深い作品であり、子供に読ませて考えさせるには、本当に良い作品だと思うが、このような内容をどのように子供たちに教えるかはなかなか難しいものではあるだろうね~。
南吉は、地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多い。賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカル(皮肉であるさま。冷笑的)な筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人から視た主観的・情緒的な視線で自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風で、好対照をなしている。
宮沢賢治のものよりもこちらの方が、ほんわかと暖かく、小さな子供には、適しているだろうね。
小さな子供向きの童話は、子供が読みやすいような簡単で分かりやすい短い文章で、しかも奥の深い文学性の高いものである必要があるが、これは、分かっていても、作品を作るものにとっては、なかなか難しいものであろう。
以下参考に記載の、には、、『ごん狐』『手袋を買いに』他、沢山の童話が掲載されている。是非子供に読んで聞かせてあげて欲しい作品である。
作家別作品リスト:新美 南吉(青空文庫) → http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html
又、角川映画じゃないけれど、以下HPでは、新美南吉の作品をモチーフにイメージを膨らませて曲を作っている。作者は、あえて南吉作品の解説はしておらず、ここの音楽を聴いて童話を読んでみても良いし、童話を読んでから曲を聴いていただいても結構ですと言っている。いい曲だと思うので、音楽好きの人は覗いてみるのも良いのでは・・・。
MIDI音楽図鑑「ごんぎつね音楽村」~南吉の世界~→http://www.gld.mmtr.or.jp/~shisyun/midi/gon.html
南吉の出身地の半田には、新美南吉記念館の他、彼の実家や作品ゆかりの場所を巡るウォーキングコース(新美南吉文学散歩道)も作られている。
(画像は「ごんぎつね」 (大型本)新美 南吉 (著), 黒井 健 (著) )
新美南吉- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89
新美南吉 【にいみ・なんきち】
http://uraaozora.jpn.org/niimi.html
新美南吉の詩・童謡―時代の影響と独自性―
http://www.jscl.internet.ne.jp/jscl/record/regular/regular_12.html
新美南吉の詩・童謡
http://www.jscl.internet.ne.jp/jscl/record/regular/regular_12.html
新美南吉記念館
http://www.nankichi.gr.jp/
新美 南吉:作家別作品リスト(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html
■手袋を買いに ■
http://www.nankichi.gr.jp/meisaku/4tebukuro.htm
福娘日本童話集
http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/index.html
国語のへや 「ごんぎつね」
http://www2.saga-ed.jp/school/edq12804/hirano-el/gongitune.html
ごんぎつね
http://www.kamezaki-e.ed.jp/tiiki/gon/gon.htm
MIDI音楽図鑑「ごんぎつね音楽村」~南吉の世界~
http://www.gld.mmtr.or.jp/~shisyun/midi/gon.html