今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

国際結婚の日

2007-03-14 | 記念日
今日(3月14日)は、「国際結婚の日」
1873年のこの日(3月14日)、日本で外国人との結婚が公式に認可されたのを記念して定められた。
1873(明治6)年3月14日、政府は、太政官布告による第一〇三号(内外人民婚姻条規)内外人婚姻条規の発令により、日本で最初の国際結婚に関する規則を定め、外国人との婚姻を許可した。これを記念して「国際結婚の日」が定められた。「太政官布告第一〇三号(内外人民婚姻条規」については、以下参考に記載の「スポーツ文化史料情報館 ・書庫明治5」には「東京日日」の伝える内容として以下のように記されている。
太政官布告第一〇三号(内外人民婚姻条規)
 自今外国人民と婚姻差許し、左の通り条規相定め候条、この旨相心得べき事。
一、日本人、外国人と婚嫁せんとするものは、日本政府の認許を受くべし。
一、外国人に嫁したる日本の女は日本人たるの分限を失うべし、もし故あって再び日本人たるの分限に複せん事を願う者は免許を得あたうべし。
一、日本人に嫁したる外国の女は日本の国法に従い日本人たるの分限を得べし。
一、外国人に嫁する日本の女はその身に属したる者といえども、日本の不動産を所有する事を許さず。ただし日本の国法並びに日本政府にて定めたる規則に違背する事なくば、金銀動産を持携するは妨げなしとす。
一、日本の女外国人を婿養子となす者もまた日本政府の認許を受くべし。(後略)
 明治六年三月十四日 太政官
この太政官布告により、日本人男性の妻となる外国人女性は日本国籍を取得し、外国人男性の妻となる日本人女性は日本国籍を失うというものである。”
日本が江戸時代の鎖国を解いて開国した後、近代国家として歩み始めた明治時代から、日本人と外国人の結婚は極めて少ないながらも存在したが、それは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のようなごくごく限られたケースであった。
ラフカディオ・ハーンは、1890(明治23)年に来日し、島根県松江尋常中学校(現島根県立松江北高等学校)と松江師範学校(現島根大学)の英語教師に任じられ、8月30日松江に到着。 1891(明治24)年1月、中学教頭西田千太郎のすすめで、松江の士族小泉湊の娘・小泉セツ(節子)と結婚した。
国際結婚とは、異なった国の出身者間での婚姻を指すが、国際結婚をした「外国人」は、外国籍を有し続ける場合もあれば、後に帰化する場合もある。ハーンの場合は、1896(明治29)年、東京帝国大学文科の英文学講師のときに、帰化し、「小泉八雲」と名乗るようになった。少し余談だが、ハーンは、来日以前のアメリカにいた頃、当事違法だった黒人と結婚したことにより職を失い、後に離婚をするといった 経験を持っていたんだね~。
これと反対に、五千円券の肖像でお馴染みの、新渡戸稲造 は、新渡戸は、1884(明治17)年、 渡米して米ジョンズ・ホプキンス大学に入学。 1891年(明治24)1月、アメリカで、両家の反対を押し切り、米国人メリー・エルキントンと結婚。同年、帰国し、札幌農学校教授となっている。メリー は日本名:萬里と改名、帰化申請して日本人となった。平和主義者・女子教育者として、先覚的理念で時代をリードした青年の国際的な活動には、常に妻メリー(萬里)の尽力があったという。
先の明治6年の太政官布告により、新渡戸の妻メリー(萬里)は、帰化して、日本国籍をとり名前も日本人名に改めているが、ハーンの妻であったセツは、ハーンが帰化し、小泉八雲」と名乗るようになるまでは、日本人ではなかったということかな・・。
この2人が、近代に入っての国際結婚のはしりでもあるが、そう言えば、私の前のブログクリスマスツリーの日でも書いたが、勝海舟の3男・梅太郎が1875(明治8)年、商法講習所の教師として来日したウイリアム・ホイットニーの娘クララと、国際結婚(1886=明治19年?)し、1男5女をもうけ、1900(明治33)年にアメリカへ帰国するまで、大小のノート17冊に及ぶ日記を遺している。(以下参考の「クララの明治日記」参照)
何でも、、梅太郎に甲斐性がなくクララは、1900(明治33)年に子供を連れてアメリカに帰国してしまったそうだが・・・。このときのクララの結婚の方が、ハーンやメリーより早いわけだが、クララはアメリカへ帰国するまでちゃんと、日本国籍になっていたのだろうね~。そこのところは良くわからないのだが・・・。
以下参考に記載の『国際結婚の誕生 〈文明国日本〉への道』には、太政官布告による内外人婚姻条規の発令について、以下のように書かれている。
「国際結婚という言葉の頭にある「国際」とは、自律した近代国民国家の間の関係性を示すものである。国際結婚が成立するには、まず前提条件として、日本国民の範囲が法律により定められ、かつ、日本政府により認められた婚姻の効力が国外でも認められる必要がある。このため国際結婚では、日本国籍者どうしの婚姻では表面化しにくい、国民国家そのものの特質や国家間の関係があらわになるのである。西欧列強と強制的に結ばされた不平等条約を改正するために、明治維新後の政府は、近代国民国家としての体裁を整え、国際社会の一員として承認を得ることに必死であった。そして、開国により、日本人と西欧出身者との間の婚姻がますます増えるという現実を前に、日本政府はイギリスの圧力に対応する形で、国際結婚に関する最初の法律を定めた。明治六(1873)年太政官布告第一〇三号、通称「内外人民婚姻条規」である。同条規は、初の近代的成文法とされるフランス民法典を範とし、「日本臣民タルノ要件」という語句があらわれる大日本帝国憲法(1889)や、「臣民タルノ要件」を規定する国籍法(1899)の制定に先んじて、定められたものである。」・・・と。
1889(明治32)明治憲法による国籍法が公布されたが、太政官布告の婚姻については、夫の国籍に従うという父系優先血統主義の内外人婚姻条規発令の原則は変わっていない。その後、1916(大正5)年の改正で、外国人男性の妻となる日本人女性がその外国籍を得られぬ場合のみ日本国籍は失わないということになった。
そして、戦後、1950(昭和25)年に公布された新憲法の国籍法では、それまでの家制度が廃止され家族全員が同一国籍でなければならないという制限がなくなった。しかし相変わらず父系優先血統主義は継続され、日本人女性の配偶者である外国人男性の日本入国や滞在に対して厳しい制限があった。国籍の確定についても、日本人男性と外国人女性の間に生まれた子は日本国籍を取得できたが、外国人男性と日本人女性の子には日本国籍の取得は出来ないというものであった。そして、1984(昭和60)年に国籍法と戸籍法の一部が改正され1985 (昭和61 )年に施行、男女の区別なく外国人と日本人の間に生まれた子は日本国籍を取得できるようになった。その背景には、男女平等の実現を求める内外世論の高まりや諸外国でも父母両系主義(血統主義参照)に改める国が多くなってきたこと、1984(昭和60)年に批准された「女子差別撤廃条約」(以下参考の女子差別撤廃条約参照)などが大きな影響を与えている。(以下参考の国籍法の変遷より)
もう、今や国際化の時代、日本人の国際結婚も珍しくなくなってきた。TVなどを見ていてもそのような人の2世が多く活躍している。今社会問題になっているのは、国際結婚の問題ではなく、正規に入国手続きをしていない外国人やオーバーステイの日本人の間に出来た子供の入籍問題などである。昔のように、正規の婚姻手続きを踏まずに、子供を生む人が増えてきているが、子供には責任がなく、そのような無責任な親の子供をどうするか・・・難しい問題だよね。)
(画像は、「新渡戸稲造と妻メリー」湊 晶子 著】[キリスト新聞社])
国際結婚 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%B5%90%E5%A9%9A
太政官布告・太政官達 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%AE%98%E5%B8%83%E5%91%8A
国籍法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%B1%8D%E6%B3%95
国籍法
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1950L147.html
戸籍法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%B1%8D%E6%B3%95
国際結婚@情報ステーション>国籍法の変遷
http://www.ko-kekkon.com/jo-ho/2006/04/post_52.html
国籍/国際結婚したら国籍はどうなる【婚姻による国籍取得・帰化】
http://blog.livedoor.jp/prenup/archives/cat_50014420.html
[PDF] 『国際結婚の誕生 〈文明国日本〉への道』』- HTMLバージョンあり
http://www.igs.ocha.ac.jp/igs2/igs/IGS_publication/journal/5/journal05157.pdf
オーバーステイからの結婚方法(在留特別許可編)
http://cavite.or2.ne.jp/os-k2.htm
中野文庫 太政官布告
スポーツ文化史料情報館 ・書庫明治5
http://www.eonet.ne.jp/~otagiri/new_page_19.htm
新渡戸稲造 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0
クララの明治日記
http://www.water.sannet.ne.jp/kazuya-ai/11/kurara.html
女子差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)/外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html