霊亀3年11月17日(西暦717年12月28日)、元正天皇が行幸して「養老の滝」命名に因んで日本の元号を養老に改元した日。
養老の滝(ようろうのたき)は、岐阜県養老郡養老町養老公園にある滝で、滝谷という川にある。落差32m、幅4m。「日本の滝百選」並びに環境省の「名水百選」に選ばれている名瀑、名水である。
当地には「孝子伝説」がある。昔、美濃の国の山愛の村(今の養老郡)に、源丞内(げんじょうない)という若者がいた。毎日山に登り薪を取ってそれを売り、年老いた父を養っていたが、、年老いた父は、目と耳が悪くなり楽しみは酒を飲むことだけであった。しかし、そんな老父に酒を充分に買ってやることができない。ある日、丞内は足を滑らせて崖下へ落ちて、起き上がろうとすると酒のにおいがし、あたりを見廻すと滝があった。滝の水を飲んでみると酒の味がした。丞内は喜んで、老父にその酒を与えた。すると今まで悪かった老父の目や耳がすっかりよくなったという。この不思議な、水の噂はたちまち村中に評判となり、村の病人や老人が飲むと皆元気になったという。やがて都の帝にも伝わり、亭はこの地へ来て、自身も飲浴し、「肌は滑らかになり、痛むところは治った。目出度い出来事である。 これは老いを養う若返りの水だ」と、年号を養老と改め、80歳以上の老人に位一階を授け、孝子節婦を表彰し、この地方の人々の税を免除したという。
これは、万葉集にも以下のように詠まれている。
「古ゆ人の 言ひ来(け)る老人の 変若(を)つといふ 水そ名に負う 滝の瀬」(巻六1034 大伴宿禰東人 )
意味は、昔から人々が言っていた、老人が若返ると言う水ですよ、その名にふさわしい滝の瀬は・・・といったもの。
また、元正天皇は、この地に行幸している。養老ノ滝の付近に行宮趾の碑が建っており、これは、養老元年と同2年になされた元正天皇の行幸を記念するものだそうである。以下参考に記載の「美濃の国 多藝 不破」参照)
『続日本紀』の養老元年(717)11月のくだりには、次のように詔されている。
「癸丑。天皇臨軒。詔曰。朕以今年九月。到美濃國不破行宮。留連數日。因覽當耆郡多度山美泉。自盥手面。皮膚如滑。亦洗痛處。無不除愈。在朕之躬。甚有其驗。又就而飮浴之者。或白髪反黒。或頽髪更生。或闇目如明。自餘痼疾。咸皆平愈。昔聞。後漢光武時。醴泉出。飮之者。痼疾皆愈。符瑞書曰。醴泉者美泉。可以養老。盖水之精也。寔惟。美泉即合大瑞。朕雖庸虚。何違天■。可大赦天下。改靈龜三年。爲養老元年。天下老人年八十已上。授位一階。」(以下参考に記載の続日本紀 巻七より抜粋)
つまり、朕は今年9月(霊亀3年9月のこと)、美濃国の不破の行宮(天皇行幸の時の仮の皇居)に赴き、数日間逗留した。その時、当養郡の多度山(養老山のこと)の美泉を見て、自ら手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになった。また、痛いところを洗うと、痛みが全く除かれた。朕の体にとって大きな効き目があった。また、聞くところによると、これを飲んだり浴びたりする者は、白髪が黒くなったり、禿げ頭に新たに毛が生えたり、あるいは見えない眼が見えるようになったともいう。昔、後漢の光武帝の時に醴泉(れいせん)が湧いて、これを飲んだ者は永年の病気が皆治ったという。符瑞書にも「醴泉は美泉である。これで老いを養うことができる。これは水の精霊であろう」とある。まことに考えると、美泉は大瑞(最大の目出度い印)である。朕は凡庸で劣っている。天の賜物を無視してはならぬ。天下に大赦を行おう。霊亀3年を改めて「養老元年」とし、天下の老人で年80以上の官人に位を一階加えよう・・・。といったところ。
「符瑞書」というものは、「瑞兆(ずいちょう。目出度い前兆。吉兆。)に関して書かれた書物」という意味で、一般名詞であり、これが特定の「符瑞書」を指すのか、指すとして如何なる「符瑞書」を指すのかは不明のようだ。
続日本紀 では、孝子の話は出てこず、ここではお酒が湧いているわけではなく、醴泉=美泉であり、若返る効果、薬効のある水が湧いていたという記録となっている。
「孝子伝説」の源丞内は実在した樵であり、後に美濃守にもなったと伝えられており、養老公園内の養老寺には墓もあるという。 また、水がお酒になったという水は、養老の滝ではなく、近くの養老神社境内にある菊水泉(名水百選)ともいわれている。
養老神社の祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)ともいわれ、菅原道真が合祀されている。神名の「ククリ」は「括り」の意で、イザナギとイザナミの仲を取り持ったことからの神名と考えられているそうだ。また他に、「ククリ(潜り)」の意で水神であるとする説もあるようで、養老伝説も古い時代の国生みや水神信仰がかかわっているのだろうか?。
菊水泉の「菊水」は、普通には家紋の一つ、流水に半輪の菊花が浮かび出たものをいう。中国から伝わった五節句のひとつに「重陽(ちょうよう)の節句」があり、陽(奇数)の最も大きい数字九が重なる9月9日のことで、大変目出度い日とされた。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。古代中国では菊は「翁草〔おきなくさ〕」「千代見草〔ちよみくさ〕」「齢草〔よわいくさ〕」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられていたそうで、長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。日本でも奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われている。 このようにキクは長寿を祝う花である。続日本紀・養老元年(717)12月丁亥【22)には、「令美濃国。立春暁〓醴泉、而貢於京都。為醴酒也」とあり、この水で酒を醸したことが記されている。
因みに、元正天皇の父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。即位前の名は氷高皇女(ひたかのひめみこ)。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。改元をした養老元年(717年)から藤原不比等らが中心と成って養老律令の編纂を始める(757年〔天平宝字元年〕に施行)。また、養老4年(720年)に、日本書紀が完成している。
(画像は養老の滝。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
Wikipedia - 養老
http://ja.wikipedia.org/wiki/養老
養老の滝- 養老
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E3%81%AE%E6%BB%9D
【換暦】暦変換ツール
http://maechan.net/kanreki/
養老町観光協会
http://www.usiwakamaru.or.jp/~yoro/
岐阜の昔話「養老の滝」
http://www.kankou-gifu.jp/mukashi/yourou.html
続日本紀 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80
続日本紀
http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/syokuki/syokuki.html
続日本紀(国史大系本)
http://www.j-texts.com/sheet/shoku.html
光武帝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%AD%A6%E5%B8%9D
万葉集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86
万葉集
http://www.geocities.jp/smak2jp/mannyou/mannnyou-index.htm
養老伝説
http://pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM074.html
日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/
重陽- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%99%BD
日本の歩みと神社: 日本の歴史がここに開いた
http://jinsya.blogspot.com/2007/05/blog-post_14.html
養老の滝菊/水和泉
http://www.ss-info.com/ss-contents/04kankou/kankou_folder/yourou/yourou.html
美濃の国 多藝 不破
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/mino.html
養老の滝(ようろうのたき)は、岐阜県養老郡養老町養老公園にある滝で、滝谷という川にある。落差32m、幅4m。「日本の滝百選」並びに環境省の「名水百選」に選ばれている名瀑、名水である。
当地には「孝子伝説」がある。昔、美濃の国の山愛の村(今の養老郡)に、源丞内(げんじょうない)という若者がいた。毎日山に登り薪を取ってそれを売り、年老いた父を養っていたが、、年老いた父は、目と耳が悪くなり楽しみは酒を飲むことだけであった。しかし、そんな老父に酒を充分に買ってやることができない。ある日、丞内は足を滑らせて崖下へ落ちて、起き上がろうとすると酒のにおいがし、あたりを見廻すと滝があった。滝の水を飲んでみると酒の味がした。丞内は喜んで、老父にその酒を与えた。すると今まで悪かった老父の目や耳がすっかりよくなったという。この不思議な、水の噂はたちまち村中に評判となり、村の病人や老人が飲むと皆元気になったという。やがて都の帝にも伝わり、亭はこの地へ来て、自身も飲浴し、「肌は滑らかになり、痛むところは治った。目出度い出来事である。 これは老いを養う若返りの水だ」と、年号を養老と改め、80歳以上の老人に位一階を授け、孝子節婦を表彰し、この地方の人々の税を免除したという。
これは、万葉集にも以下のように詠まれている。
「古ゆ人の 言ひ来(け)る老人の 変若(を)つといふ 水そ名に負う 滝の瀬」(巻六1034 大伴宿禰東人 )
意味は、昔から人々が言っていた、老人が若返ると言う水ですよ、その名にふさわしい滝の瀬は・・・といったもの。
また、元正天皇は、この地に行幸している。養老ノ滝の付近に行宮趾の碑が建っており、これは、養老元年と同2年になされた元正天皇の行幸を記念するものだそうである。以下参考に記載の「美濃の国 多藝 不破」参照)
『続日本紀』の養老元年(717)11月のくだりには、次のように詔されている。
「癸丑。天皇臨軒。詔曰。朕以今年九月。到美濃國不破行宮。留連數日。因覽當耆郡多度山美泉。自盥手面。皮膚如滑。亦洗痛處。無不除愈。在朕之躬。甚有其驗。又就而飮浴之者。或白髪反黒。或頽髪更生。或闇目如明。自餘痼疾。咸皆平愈。昔聞。後漢光武時。醴泉出。飮之者。痼疾皆愈。符瑞書曰。醴泉者美泉。可以養老。盖水之精也。寔惟。美泉即合大瑞。朕雖庸虚。何違天■。可大赦天下。改靈龜三年。爲養老元年。天下老人年八十已上。授位一階。」(以下参考に記載の続日本紀 巻七より抜粋)
つまり、朕は今年9月(霊亀3年9月のこと)、美濃国の不破の行宮(天皇行幸の時の仮の皇居)に赴き、数日間逗留した。その時、当養郡の多度山(養老山のこと)の美泉を見て、自ら手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになった。また、痛いところを洗うと、痛みが全く除かれた。朕の体にとって大きな効き目があった。また、聞くところによると、これを飲んだり浴びたりする者は、白髪が黒くなったり、禿げ頭に新たに毛が生えたり、あるいは見えない眼が見えるようになったともいう。昔、後漢の光武帝の時に醴泉(れいせん)が湧いて、これを飲んだ者は永年の病気が皆治ったという。符瑞書にも「醴泉は美泉である。これで老いを養うことができる。これは水の精霊であろう」とある。まことに考えると、美泉は大瑞(最大の目出度い印)である。朕は凡庸で劣っている。天の賜物を無視してはならぬ。天下に大赦を行おう。霊亀3年を改めて「養老元年」とし、天下の老人で年80以上の官人に位を一階加えよう・・・。といったところ。
「符瑞書」というものは、「瑞兆(ずいちょう。目出度い前兆。吉兆。)に関して書かれた書物」という意味で、一般名詞であり、これが特定の「符瑞書」を指すのか、指すとして如何なる「符瑞書」を指すのかは不明のようだ。
続日本紀 では、孝子の話は出てこず、ここではお酒が湧いているわけではなく、醴泉=美泉であり、若返る効果、薬効のある水が湧いていたという記録となっている。
「孝子伝説」の源丞内は実在した樵であり、後に美濃守にもなったと伝えられており、養老公園内の養老寺には墓もあるという。 また、水がお酒になったという水は、養老の滝ではなく、近くの養老神社境内にある菊水泉(名水百選)ともいわれている。
養老神社の祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)ともいわれ、菅原道真が合祀されている。神名の「ククリ」は「括り」の意で、イザナギとイザナミの仲を取り持ったことからの神名と考えられているそうだ。また他に、「ククリ(潜り)」の意で水神であるとする説もあるようで、養老伝説も古い時代の国生みや水神信仰がかかわっているのだろうか?。
菊水泉の「菊水」は、普通には家紋の一つ、流水に半輪の菊花が浮かび出たものをいう。中国から伝わった五節句のひとつに「重陽(ちょうよう)の節句」があり、陽(奇数)の最も大きい数字九が重なる9月9日のことで、大変目出度い日とされた。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。古代中国では菊は「翁草〔おきなくさ〕」「千代見草〔ちよみくさ〕」「齢草〔よわいくさ〕」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられていたそうで、長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。日本でも奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われている。 このようにキクは長寿を祝う花である。続日本紀・養老元年(717)12月丁亥【22)には、「令美濃国。立春暁〓醴泉、而貢於京都。為醴酒也」とあり、この水で酒を醸したことが記されている。
因みに、元正天皇の父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。即位前の名は氷高皇女(ひたかのひめみこ)。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。改元をした養老元年(717年)から藤原不比等らが中心と成って養老律令の編纂を始める(757年〔天平宝字元年〕に施行)。また、養老4年(720年)に、日本書紀が完成している。
(画像は養老の滝。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
Wikipedia - 養老
http://ja.wikipedia.org/wiki/養老
養老の滝- 養老
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E3%81%AE%E6%BB%9D
【換暦】暦変換ツール
http://maechan.net/kanreki/
養老町観光協会
http://www.usiwakamaru.or.jp/~yoro/
岐阜の昔話「養老の滝」
http://www.kankou-gifu.jp/mukashi/yourou.html
続日本紀 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80
続日本紀
http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/syokuki/syokuki.html
続日本紀(国史大系本)
http://www.j-texts.com/sheet/shoku.html
光武帝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%AD%A6%E5%B8%9D
万葉集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86
万葉集
http://www.geocities.jp/smak2jp/mannyou/mannnyou-index.htm
養老伝説
http://pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM074.html
日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/
重陽- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%99%BD
日本の歩みと神社: 日本の歴史がここに開いた
http://jinsya.blogspot.com/2007/05/blog-post_14.html
養老の滝菊/水和泉
http://www.ss-info.com/ss-contents/04kankou/kankou_folder/yourou/yourou.html
美濃の国 多藝 不破
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/mino.html