今日(11月23日)は、「外食の日」
日本フードサービス協会(ジェフ)が1984(昭和59)年に制定。
家族で外食することの楽しさを知ってもらおうと「勤労感謝の日」に制定したそうだ。
家庭の外で食事を提供するサービス業は外食産業と呼ばれている。
広義の外食は、主として食事を提供する業種が全て含まれるとされている。広義にのみ含まれる業種として、調理済みの弁当、惣菜の販売などの「中食」や、出前、デリバリー形態の販売、イベントや飛行機の機内食などの大人数分の仕出し(ケータリング)、工場などの社内食堂や病院など給食業務を請け負う事業がこれにあたる。
狭義の外食は、食事をする空間とともに食事を提供する形態の業種を指し、食堂、レストラン、ファーストフードや喫茶店(カフェ)など一般に「飲食店」と称する業種がこれにあたる。 ここで行っている「外食」は、ここで言うところの狭義の外食を指しているのだろう。
日本における狭義の外食の原型「茶屋」が登場したのは室町時代であり、また、江戸時代に飲食店が現れ始めたのは明暦の大火(1657年)以降であるといわれている。江戸の町には各地から多くの人々が移住してきたが、その多くは単身の男性であったこと、また参勤交代により妻子を故郷に残して江戸へやってきた武士が多いこともあって、外食の需要が多かった。そうした人々を相手に、簡易な外食の手段として振り売りや屋台店が現れ、店を構えた「飯屋」も登場し、例えば元禄時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者であった井原西鶴の遺稿集「西鶴置土産」によれば、1657(明暦3)年に浅草金竜山(浅草寺)に出店した飯屋の奈良茶(茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆のセットメニュー)が人気を博したようで、「中々上がたにもかかる自由はなかりき」と評しているという。一般的には、この奈良茶飯の店が料理屋の元祖とされているようである。
中期から後期にはそば屋や居酒屋、また、留守居茶屋(大名がいない間、大名屋敷を預かる留守居役を相手とした高級茶屋。会席料理を出していた)などの業態が登場するが、特に明和8年(1771年)に、深川洲崎で営業を始めた升屋は、料亭の元祖といわれているそうだ。
江戸時代から明治に代わり、文明開化の名の元、西洋文化が取り入れられる中、食文化も「洋食」が本格的に流入すると、外食も急速に多様化し、1867(慶応3)年には早くも外神田神田に三河屋久兵衛の「三河屋」という西洋料理店が出現し、1868(明治元)年には大衆相手の牛鍋屋「太田なわのれん」が誕生。その後、「小川軒」、「東洋軒」、「精養軒」などといった今で言う洋食レストランが次々と開業して話題となる。また、1879(明治12)年には中華料理店の永和斉(王斉)が東京築地入舟町で開店し、1899(明治32年には新橋に日本初のビヤホールとして「恵比寿ビール Beer Hall 」が登場する。大正期に入ると、外食が日常化してくる。
これらの業態は、個人による生業(なりわい)的なものがほとんどで、「のれん分け」による支店としての関係にとどまっていたが、1960年代にアメリカで起こったフランチャイズブームをきっかけに、日本にもフランチャイズ形式の店舗不二家(レストラン)が登場。1968(昭和43)年には、回転寿司の元禄寿司が大阪にオープンした。
ファーストフードについては、1970(昭和45)年、大阪日本万国博覧会会場にケンタッキーフライドチキンが出店。翌・1971(昭和46)年7月20日には、東京・銀座の三越デパート1階にマクドナルド1号店がオープンした。当日は丁度、日曜日、歩行者天国をふらつく若者たちに人気を集め、1個80円のハンバーグや1杯60円のコカコーラが飛ぶように売れた。以後わずか73平方メートルの店舗に連日2000人からの客が押し寄せたという。1号店は郊外がよいというアメリカ側のアドバイスを蹴って、銀座での開店に固執したのは日本マクドナルドの藤田田(でん)社長であった。藤田は、マクドナルドのハンバーガーとは新しい文化であり、新しい文化を受け入れるのに最適の地は日本では銀座をおいて他にはないと確信していた。そして、日本初の本格的なファーストフード店は見事成功した。同年にはミスタードーナツも第1号店を出店。1973(昭和48)年には牛丼をメイン商品とする吉野家が神奈川県小田原市にフランチャイズ第1号店を出店。ファミリーレストランは1970(昭和45)年に、すかいらーく、ロイヤルホストが出店している。
現代の外食産業が大きく発展した理由のひとつには、このような、ファーストフードやファミリーレストランの出店が上げられる。 チェーン展開やフランチャイズ形式で、どの店でも同じ味、同じサービスを、しかも手頃な価格で味わうことができるようになり、若い人たちや新しいファミリー層の支持を受けて外食がより身近な存在になったため飛躍的に発展してきた。
しかし、1979(昭和54)年ごろになると、郊外レストランやハンバーガー、ピザなど外食産業全体に、低価格を売り物とした動きが活発になった。値段と味に対する消費者の選択が厳しくなる一方で、大手のチェーン展開もここに来て急速に広がり、競争が激化したためで、成長産業ともてはやされた外食産業は早くも「生き残り時代」に突入したようだ。大手企業のうち、1979(昭和54)年春以降メニューの値下げに踏み切ったのは、ハンバーガーの日本マクドナルドとファミリーレストランのすかいらーく。マクドナルドの値下げは1971(昭和46)年にハンバーガーに進出して以来始めてのことであった。それでも全体として成長してゆくが、1998 (平成10)年ごろからは、長く続く厳しい生活環境のなかで、全体としては、売り上げが減少してゆくが、2003(平成15)年では、まだ、外食産業全体で25兆円以上の販売額を示している。その内訳中、食堂・レストランなどの飲食店等が16兆円、居酒屋などの料飲主体では5兆4千億円を締めている。以下参考に記載の「食育・食生活指針の情報センター」の外食・中食産業の中の資料 「外食産業の市場規模〔PDF 112KB〕」を参照)
先に述べたように、広義の外食には中食(なかしょく)も含まれるわけであるが、ここに来ての全体的な外食産業の伸び悩みの中、中食などの調理食品への支出が増加しきている。
中食産業は、核家族化、個食化、家庭での料理の簡便化などから、また、外食ほど経費がかからないこともあり、年々市場規模を拡大してきているようで、2003(平成15)年には、推定で約6兆1千億円と、外食産業の4分の1の規模にまで達するようになったという。
以前、ある食品スーパーの社長から、聞いたことがある。今は、「外食産業とメーカーの競争の時代である」・・・と。今、冷凍技術なども非常に進歩し、高級レストランの味が冷凍食品でも味わえるようになってきた。私の街は昔は、神戸でも有数の商店街だったが今は他の都市と同じ様にダウンタウン化しているが、食べることに関しては非常に便利なところである。商店街には、非常に惣菜屋さんが多く、しかも安い。100円均一の惣菜屋も数件あり、それぞれが味を競っている。私等のように年をとった2人っきりの夫婦にとっては少量の食事を作るより買う方が安い。
今テレビの番組は、クイズとグルメの番組ばかりである。どちらも局にとっては金のかからない番組だろう。クイズなど視聴者が見ていても判らないような難しいクイズを出題していたら誰も見なくなってしまう。程ほどの簡単なクイズを見てそれを判ったといって視聴者は喜んでみている。そんな簡単なクイズに答えられない芸のないタレントなどがとんでもない答えをして失笑を買うと、私より馬鹿な人が大勢いると視聴者は少し賢くなった気持ちで楽しくなる。昔、まだ、日本でクイズ番組が余りなかった時代アメリカではクイズ全盛で、いずれ日本もクイズ番組ばかりになるだろうといわれていたがその通りになった。アメリカへ行って堕落した社会や現象を見て帰って来ると良い。かならず後追いで日本もそうなるから。少々頭の悪い芸のないタレントなどを安く使えて番組を作っている局も安上がりで番組が作れて儲かる。
私が、今では超一流のチェーストアーとなっている会社のえらいさんに、昔、聞いた話だが、高い高いコマーシャル料を払ってCMを流しているのはもっともつまらないという。本当に効果のある宣伝は、新聞の記事にしてもらったり、テレビの番組で放送してもらうことだ。グルメ番組で言えば、普通の人が羨むような高級料亭だとかレストランなどグルメを食べさせてくれるところは取材をして貰うだけで物凄い宣伝になる。その広告料をお金に変えれば幾らになるか・・・。番組の取材のために必要な経費ぐらい全てもってもCM料と思えばお釣りが来るだろう。番組に出演するレポーターは、何も味などわからなくても、ただ、目をむいて「美味しい!」とだけ、感嘆詞を述べればよいのである。それで、その後、どっと、客が増えるだろう。番組を作る曲も、「ただ美味い!」とだけ目をむきながら感嘆詞が述べれる出演料の安い名前だけ知られている人やベテラン俳優などでも本職の合間にちょっと美味しいものを食べてお小遣い稼ぎぐらいをしてくれる人を使えばよいのである。これで、番組を作る局側も、グルメを提供している料亭やレストランも、ちゃんと算盤が合うのである。そんなのを見ている人も満足しているのであれば・・。
最近大阪の名門料亭吉兆 の偽装問題がマスコミを賑わしている。吉兆 など私等貧乏人はなかなか行けないが、世の中のお金のある人はこのような料亭や祇園・赤坂などのお座敷や料亭で飲み食いは、先ず、核のある店で食べることイコール格のある人のい証であること。また、そういうお座敷での飲み食いは、その場でどんなことがあってもその秘密が外には洩れないことが一番の信用となる。だから、政治家などはそのような場所で密会をするのである。他にも、最近は食品関係に偽装問題が頻発しているが、それを食べている人たちは、何もそのことに気付かず美味しいと思って食べている。要するに、味など本当はわかっておらず、その店の名前や品名でで美味しいと思って食べている人が多いのである。
私が、現役時代、マクドナルドの社長であった藤田田氏の公演を聞いたことがある。現役時代の会社が毎年やっている幹部を対象にした勉強会に藤田氏が講師として呼ばれたときの話である。藤田氏曰く「私は、マクドナルドのハンバーグなど食べないよ。だって、本当は美味しいはずがない。そんな食べて美味しいような材料は使っていない。ただ、それを、食べて美味しいと思わせているんだよ。だから儲かるんだよ」・・・と言っていた。この話には飲食店の原点があるようだ。飲食の基本は何をどのようにして美味しく食べさせるかが問題で、100g1万円もするような肉を使っているステーキが不味かったら困るよ。それを食べたレポーターが「美味しい!」の感嘆しだけでは困る。我々庶民が食べているような100g何百円の肉のステーキと比較して、その値段差がどれくらい違うのかを述べてもらわないとこちらには味の差がわからない。私などに言わせれば、そんなに高級な材料を使わなくてもそれを調理する方法や技術によって、如何に美味しく食べさせてくれるか(感じさせてくれるか)。そして、如何に他より安く食べさせてくれるかが、外食をサービス業としてやっている人たちの本当の責務であろうと考えるのだが・・・。
今日本のグルメ番組は、なかなか庶民が口に出来ないような高級食材を使っての料理をおいしいといって紹介している。そんなことは紹介してもらわなくてもわかっている。
世界一の財政赤字(借金)国日本の国民にはそのうち、どっと、その借金返済のための税金が押し付けられるだろう。今、政府はその地ならしの工作を一生懸命やっている。前にも書いたが、死に掛けの年寄りから、今生まれたばかりの赤ちゃんを含め1人当り700万円近い借金を国にしていることを忘れないで、グルメを楽しんで置いてください。私等年金生活者はそのうち、外食どころか、家での食事も控えめにしなければならない時代が目の前に迫っている。でも、今日は勤労感謝の日日。私が現役を退き、勝手な毎日を過しているが、家人は、毎日家事、炊事と現役を続けている。今日は家人への勤労感謝の気持ちを込めて、せめて家の近くで、昼食ぐらいは普段よりちょっと良いものを食べることにしようかな。
〔画像は、1971年7月20日東京・銀座の三越1階にオープンしたマクドナルド1号店。朝日クロニクル「週間20世紀」より)
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日本フードサービス協会(ジェフ)が1984(昭和59)年に制定。
家族で外食することの楽しさを知ってもらおうと「勤労感謝の日」に制定したそうだ。
家庭の外で食事を提供するサービス業は外食産業と呼ばれている。
広義の外食は、主として食事を提供する業種が全て含まれるとされている。広義にのみ含まれる業種として、調理済みの弁当、惣菜の販売などの「中食」や、出前、デリバリー形態の販売、イベントや飛行機の機内食などの大人数分の仕出し(ケータリング)、工場などの社内食堂や病院など給食業務を請け負う事業がこれにあたる。
狭義の外食は、食事をする空間とともに食事を提供する形態の業種を指し、食堂、レストラン、ファーストフードや喫茶店(カフェ)など一般に「飲食店」と称する業種がこれにあたる。 ここで行っている「外食」は、ここで言うところの狭義の外食を指しているのだろう。
日本における狭義の外食の原型「茶屋」が登場したのは室町時代であり、また、江戸時代に飲食店が現れ始めたのは明暦の大火(1657年)以降であるといわれている。江戸の町には各地から多くの人々が移住してきたが、その多くは単身の男性であったこと、また参勤交代により妻子を故郷に残して江戸へやってきた武士が多いこともあって、外食の需要が多かった。そうした人々を相手に、簡易な外食の手段として振り売りや屋台店が現れ、店を構えた「飯屋」も登場し、例えば元禄時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者であった井原西鶴の遺稿集「西鶴置土産」によれば、1657(明暦3)年に浅草金竜山(浅草寺)に出店した飯屋の奈良茶(茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆のセットメニュー)が人気を博したようで、「中々上がたにもかかる自由はなかりき」と評しているという。一般的には、この奈良茶飯の店が料理屋の元祖とされているようである。
中期から後期にはそば屋や居酒屋、また、留守居茶屋(大名がいない間、大名屋敷を預かる留守居役を相手とした高級茶屋。会席料理を出していた)などの業態が登場するが、特に明和8年(1771年)に、深川洲崎で営業を始めた升屋は、料亭の元祖といわれているそうだ。
江戸時代から明治に代わり、文明開化の名の元、西洋文化が取り入れられる中、食文化も「洋食」が本格的に流入すると、外食も急速に多様化し、1867(慶応3)年には早くも外神田神田に三河屋久兵衛の「三河屋」という西洋料理店が出現し、1868(明治元)年には大衆相手の牛鍋屋「太田なわのれん」が誕生。その後、「小川軒」、「東洋軒」、「精養軒」などといった今で言う洋食レストランが次々と開業して話題となる。また、1879(明治12)年には中華料理店の永和斉(王斉)が東京築地入舟町で開店し、1899(明治32年には新橋に日本初のビヤホールとして「恵比寿ビール Beer Hall 」が登場する。大正期に入ると、外食が日常化してくる。
これらの業態は、個人による生業(なりわい)的なものがほとんどで、「のれん分け」による支店としての関係にとどまっていたが、1960年代にアメリカで起こったフランチャイズブームをきっかけに、日本にもフランチャイズ形式の店舗不二家(レストラン)が登場。1968(昭和43)年には、回転寿司の元禄寿司が大阪にオープンした。
ファーストフードについては、1970(昭和45)年、大阪日本万国博覧会会場にケンタッキーフライドチキンが出店。翌・1971(昭和46)年7月20日には、東京・銀座の三越デパート1階にマクドナルド1号店がオープンした。当日は丁度、日曜日、歩行者天国をふらつく若者たちに人気を集め、1個80円のハンバーグや1杯60円のコカコーラが飛ぶように売れた。以後わずか73平方メートルの店舗に連日2000人からの客が押し寄せたという。1号店は郊外がよいというアメリカ側のアドバイスを蹴って、銀座での開店に固執したのは日本マクドナルドの藤田田(でん)社長であった。藤田は、マクドナルドのハンバーガーとは新しい文化であり、新しい文化を受け入れるのに最適の地は日本では銀座をおいて他にはないと確信していた。そして、日本初の本格的なファーストフード店は見事成功した。同年にはミスタードーナツも第1号店を出店。1973(昭和48)年には牛丼をメイン商品とする吉野家が神奈川県小田原市にフランチャイズ第1号店を出店。ファミリーレストランは1970(昭和45)年に、すかいらーく、ロイヤルホストが出店している。
現代の外食産業が大きく発展した理由のひとつには、このような、ファーストフードやファミリーレストランの出店が上げられる。 チェーン展開やフランチャイズ形式で、どの店でも同じ味、同じサービスを、しかも手頃な価格で味わうことができるようになり、若い人たちや新しいファミリー層の支持を受けて外食がより身近な存在になったため飛躍的に発展してきた。
しかし、1979(昭和54)年ごろになると、郊外レストランやハンバーガー、ピザなど外食産業全体に、低価格を売り物とした動きが活発になった。値段と味に対する消費者の選択が厳しくなる一方で、大手のチェーン展開もここに来て急速に広がり、競争が激化したためで、成長産業ともてはやされた外食産業は早くも「生き残り時代」に突入したようだ。大手企業のうち、1979(昭和54)年春以降メニューの値下げに踏み切ったのは、ハンバーガーの日本マクドナルドとファミリーレストランのすかいらーく。マクドナルドの値下げは1971(昭和46)年にハンバーガーに進出して以来始めてのことであった。それでも全体として成長してゆくが、1998 (平成10)年ごろからは、長く続く厳しい生活環境のなかで、全体としては、売り上げが減少してゆくが、2003(平成15)年では、まだ、外食産業全体で25兆円以上の販売額を示している。その内訳中、食堂・レストランなどの飲食店等が16兆円、居酒屋などの料飲主体では5兆4千億円を締めている。以下参考に記載の「食育・食生活指針の情報センター」の外食・中食産業の中の資料 「外食産業の市場規模〔PDF 112KB〕」を参照)
先に述べたように、広義の外食には中食(なかしょく)も含まれるわけであるが、ここに来ての全体的な外食産業の伸び悩みの中、中食などの調理食品への支出が増加しきている。
中食産業は、核家族化、個食化、家庭での料理の簡便化などから、また、外食ほど経費がかからないこともあり、年々市場規模を拡大してきているようで、2003(平成15)年には、推定で約6兆1千億円と、外食産業の4分の1の規模にまで達するようになったという。
以前、ある食品スーパーの社長から、聞いたことがある。今は、「外食産業とメーカーの競争の時代である」・・・と。今、冷凍技術なども非常に進歩し、高級レストランの味が冷凍食品でも味わえるようになってきた。私の街は昔は、神戸でも有数の商店街だったが今は他の都市と同じ様にダウンタウン化しているが、食べることに関しては非常に便利なところである。商店街には、非常に惣菜屋さんが多く、しかも安い。100円均一の惣菜屋も数件あり、それぞれが味を競っている。私等のように年をとった2人っきりの夫婦にとっては少量の食事を作るより買う方が安い。
今テレビの番組は、クイズとグルメの番組ばかりである。どちらも局にとっては金のかからない番組だろう。クイズなど視聴者が見ていても判らないような難しいクイズを出題していたら誰も見なくなってしまう。程ほどの簡単なクイズを見てそれを判ったといって視聴者は喜んでみている。そんな簡単なクイズに答えられない芸のないタレントなどがとんでもない答えをして失笑を買うと、私より馬鹿な人が大勢いると視聴者は少し賢くなった気持ちで楽しくなる。昔、まだ、日本でクイズ番組が余りなかった時代アメリカではクイズ全盛で、いずれ日本もクイズ番組ばかりになるだろうといわれていたがその通りになった。アメリカへ行って堕落した社会や現象を見て帰って来ると良い。かならず後追いで日本もそうなるから。少々頭の悪い芸のないタレントなどを安く使えて番組を作っている局も安上がりで番組が作れて儲かる。
私が、今では超一流のチェーストアーとなっている会社のえらいさんに、昔、聞いた話だが、高い高いコマーシャル料を払ってCMを流しているのはもっともつまらないという。本当に効果のある宣伝は、新聞の記事にしてもらったり、テレビの番組で放送してもらうことだ。グルメ番組で言えば、普通の人が羨むような高級料亭だとかレストランなどグルメを食べさせてくれるところは取材をして貰うだけで物凄い宣伝になる。その広告料をお金に変えれば幾らになるか・・・。番組の取材のために必要な経費ぐらい全てもってもCM料と思えばお釣りが来るだろう。番組に出演するレポーターは、何も味などわからなくても、ただ、目をむいて「美味しい!」とだけ、感嘆詞を述べればよいのである。それで、その後、どっと、客が増えるだろう。番組を作る曲も、「ただ美味い!」とだけ目をむきながら感嘆詞が述べれる出演料の安い名前だけ知られている人やベテラン俳優などでも本職の合間にちょっと美味しいものを食べてお小遣い稼ぎぐらいをしてくれる人を使えばよいのである。これで、番組を作る局側も、グルメを提供している料亭やレストランも、ちゃんと算盤が合うのである。そんなのを見ている人も満足しているのであれば・・。
最近大阪の名門料亭吉兆 の偽装問題がマスコミを賑わしている。吉兆 など私等貧乏人はなかなか行けないが、世の中のお金のある人はこのような料亭や祇園・赤坂などのお座敷や料亭で飲み食いは、先ず、核のある店で食べることイコール格のある人のい証であること。また、そういうお座敷での飲み食いは、その場でどんなことがあってもその秘密が外には洩れないことが一番の信用となる。だから、政治家などはそのような場所で密会をするのである。他にも、最近は食品関係に偽装問題が頻発しているが、それを食べている人たちは、何もそのことに気付かず美味しいと思って食べている。要するに、味など本当はわかっておらず、その店の名前や品名でで美味しいと思って食べている人が多いのである。
私が、現役時代、マクドナルドの社長であった藤田田氏の公演を聞いたことがある。現役時代の会社が毎年やっている幹部を対象にした勉強会に藤田氏が講師として呼ばれたときの話である。藤田氏曰く「私は、マクドナルドのハンバーグなど食べないよ。だって、本当は美味しいはずがない。そんな食べて美味しいような材料は使っていない。ただ、それを、食べて美味しいと思わせているんだよ。だから儲かるんだよ」・・・と言っていた。この話には飲食店の原点があるようだ。飲食の基本は何をどのようにして美味しく食べさせるかが問題で、100g1万円もするような肉を使っているステーキが不味かったら困るよ。それを食べたレポーターが「美味しい!」の感嘆しだけでは困る。我々庶民が食べているような100g何百円の肉のステーキと比較して、その値段差がどれくらい違うのかを述べてもらわないとこちらには味の差がわからない。私などに言わせれば、そんなに高級な材料を使わなくてもそれを調理する方法や技術によって、如何に美味しく食べさせてくれるか(感じさせてくれるか)。そして、如何に他より安く食べさせてくれるかが、外食をサービス業としてやっている人たちの本当の責務であろうと考えるのだが・・・。
今日本のグルメ番組は、なかなか庶民が口に出来ないような高級食材を使っての料理をおいしいといって紹介している。そんなことは紹介してもらわなくてもわかっている。
世界一の財政赤字(借金)国日本の国民にはそのうち、どっと、その借金返済のための税金が押し付けられるだろう。今、政府はその地ならしの工作を一生懸命やっている。前にも書いたが、死に掛けの年寄りから、今生まれたばかりの赤ちゃんを含め1人当り700万円近い借金を国にしていることを忘れないで、グルメを楽しんで置いてください。私等年金生活者はそのうち、外食どころか、家での食事も控えめにしなければならない時代が目の前に迫っている。でも、今日は勤労感謝の日日。私が現役を退き、勝手な毎日を過しているが、家人は、毎日家事、炊事と現役を続けている。今日は家人への勤労感謝の気持ちを込めて、せめて家の近くで、昼食ぐらいは普段よりちょっと良いものを食べることにしようかな。
〔画像は、1971年7月20日東京・銀座の三越1階にオープンしたマクドナルド1号店。朝日クロニクル「週間20世紀」より)
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