今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

早慶戦の日

2007-11-21 | 記念日
1903(明治36)年11月21日の今日、東京・三田網町の慶応グランドで早慶対抗野球試合が行われ、11対9で慶応が勝利を収めた。これが、初の早稲田大学慶應義塾大学の試合「早慶戦」である。
野球に関しては1884(明治17)年に、はじめて塾生 がアメリカ人ストマーより野球の指導を受け、1892(明治25)年には野球部を創設していた慶応が先進校であったが、早稲田も欧米留学から帰朝の安倍磯雄が、1901(明治24)年に野球部を創設、対抗試合などを積んで力をつけていた。
早稲田が先輩格の慶應に「挑戦状」を送達し、慶應が応じた事によって行われた試合である。挑戦状の筆者は当時の早稲田主将橋戸信であったといわれており、このときの双方の書面は野球体育博物館に所蔵されているそうだ。
試合は11-9で慶應の勝利。当時早稲田は野球部発足から1年余り、対する慶應は発足から20年近い歴史を持ち当時最強を誇った一高 (旧制。現在の東京大学の前身の一つ)に勝った実績も持っていた。しかし後発でかつ格下と思われた早稲田が大いに善戦したことによって慶應も対戦相手にふさわしいと評価し、翌年から定期戦を行うことに決まった。翌1904(明治37)年6月1日・2日、当時学生野球王者と謳われた一高野球部に、早慶両校が連日にわたり勝利すると、早慶戦は学生野球の頂点を争う試合として衆目を集めるようになった。
早稲田の1905(明治38)年のアメリカ遠征後には定期戦を2勝先勝方式にし、2勝した側にトロフィーを与えることとした。現在東京六大学をはじめ多くの大学野球で採用される、勝ち点制(引き分けは再試合)の始まりである。
こうして、早慶両校は一躍球界の頂点を争う存在となったが、それは同時に応援合戦の過熱も招き、その過熱がもとで1906(明治39)年に中止になったまま空白は19年にも及んだ。その発端は、早慶第1戦で勝った慶応の学生が「大隈(早大創立者・大隈重信)さんの門から玄関先になだれ込んで」大騒ぎをしたのが始まり。三田(慶応)で行われた第2戦は逆に早大が勝って、「グラウンドの周囲をグルット廻った幾千の弥次(観衆)は、網町から三田通りをねって慶応の前(福澤諭吉邸・慶應正門)で万歳を唱える」(朝日スポーツ)。
1勝1敗で迎えた第3戦が近づくにつれ両校応援団の間に不穏な空気が流れ、事態を憂慮した両校関係者は試合前日、第3戦中止を決めた。以後早慶戦は長い空白期間に入る。
慶應が学生大会を開いて全競技での早稲田との試合禁止を決議すれば、早稲田も慶應に絶縁状を送るなど、両校の関係は修復不能と思われたが、1925(大正15)年秋、早慶戦がやっと復活した。このシーズンから東京帝大(東大)も加わって、今日に続く東京六大学が始まったのである。
1925(大正15)年秋の、東京六大学野球リーグ戦開始で早慶戦も復活・・・は、東京の大イベントになった。
今でこそプロ野球人気だが、プロ誕生以前はもちろん、第二次大戦後も50年代まで、野球をとりこにしたのは東京録大学野球や夏の甲子園大会であった。最初に学制野球の主役に躍り出たのは明治時代の一高(旧制)、1906(明治39)年に、早稲田大と慶応大に相次いで敗れ、両校の対戦に人気が移った。その早慶戦の対戦は応援合戦の過熱がもとで1906(明治39)年に中止になったまま空白は19年に及んだ。発端は、早慶第1戦で勝った慶応の学生が「大隈(早大創立者)さんの門から玄関作になだれ込んで」その早慶戦の大騒ぎをしたのが始まり。三田(慶応)で行われた第2戦は逆に早大が勝って、「グラウンドの周囲をグルット廻った幾千の弥次(観衆)は、網町から三田通りをねって慶応の前で万歳を唱える」(朝日スポーツ)1勝1敗で迎えた第3戦が近づくにつれ両校応援団の間に不穏な空気が流れ、事態を憂慮した両校関係者は試合前日、中止を決めた。中止は19年に及んだ。
1925年の秋、早慶戦がやっと復活した。このシーズン春からは東京帝大(東大)も加わって、9月20日、東京六大学野球連盟発足した。今日に続く東京六大学が始まりある。
六大学野球は最初、1914(大正 3)年、明治大学明治大学が、早慶戦中止中の両校の間をとりもって三大学野球リーグを結成。早稲田、慶応、明治の三大学対抗からスタート(但し、早慶戦は実現せず)。 1917(大正 6)年から法政が加わり四大学リーグとして、1921(大正10)年には立教が参加し、五大学でのリーグ戦を実施するようになった。しかし、この間も早慶戦に関しては関係者が過熱を懸念したため早慶戦は実施されない状況が続き、早慶戦抜きの変則的なリーグ戦運用となっていた。
ゆえに、1925(大正14)年という年は、学生野球にとって、画期的な年であったと言ってよい。その際に特筆すべきは、当時の早大監督・飛田忠順(穂洲=すいしゅう)の活躍である。早慶両校のトップを説得して早慶戦復活を果たし、明大の協力を得て六大学リーグの結成にこぎつけた。知られざるエピソードとして、選手不足の東大に対して、飛田は「いかなる時も棄権はしない」という一札を取ったという。後年、東大が学園紛争(東大安田講堂事件参照 )で入試を中止した年(1969年度)もリーグには出場したのはその時の約束があったからだと言う。(アサヒクロニクル「週間20世紀」)
復活した早慶第1回戦の試合に先立ち、両校メンバーはグラウンドで記念写真を撮った。選手監督総勢41人。審判は、早慶戦復活に奔走した明大が担当した。メンバーの中には後に球界で活躍する逸材が何人もいた。審判で当時の明大監督岡田源三郎、球審を務めた明大外野手・二出川延明(後の野球審判)、慶応のエース・浜崎真二(後の阪急監督)、早大外野手氷室(芥田)武夫藤本定義(後の巨人初代監督)、審判の明大エース・湯浅禎夫(後の毎日監督)などである。試合前、早稲田部長安部磯雄がグラウンドに立ち、早慶戦復活が野球の発展にいかなる意義をもつかを、応援におけるマナーの遵守を求める請願とともに満場に訴えた。
早慶戦復活のシーズン、飛田の率いる早大は最終戦の明大戦を制して、六大学初代の覇者となり、シーズン後、飛田は監督を辞任する。そして、初登場の東大は4位と健闘した。
この年に始まったラジオ放送が2年後から六大学の実況を始め、電波にも乗った早慶戦は、やがて、オックスフォードケンブリッジのボートレース、ハーバードエールのフットボールと並び世界の三大学生スポーツと言われるようになった。
初めてこの早慶戦が漫才としてラジオから流れたのは1934(昭和9)年のこと、昭和初期、「万才」は落語や浪曲といった伝統ある出し物の間をつなぐ色物とされていた。その万才を、全国で誰にでも理解できる大衆芸能・「漫才」に大変身させたのがエンタツアチャコのコンビである。
当時放送をはじめたばかりの「ラジオ」という新しい全国的メディアの普及と、新しい娯楽を求める「大衆」に新しい話芸、「漫才」が受けたのであった。その後、同年新橋演舞場に出演し、漫才は落語と並ぶ地位を得たといわれる。 
(画像は1925年六大学野球にて再開早慶戦第1戦の試合前に先立ち両校のメンバーはグラウンドで記念写真を撮った。アサヒクロニクル「週間20世紀」より)
参考:
早稲田大学
http://www.waseda.jp/top/w125/index.html
慶應義塾大学
http://www.keio.ac.jp/
早慶戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%85%B6%E6%88%A6
今日(9月2日)は、東京専門学校が大学へ昇格し「早稲田大学」に改称した日。
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/49cda85b8074d31070bccc6e914f4cdd
日本学生野球協会・野球年表
http://www.student-baseball.or.jp/history/history.html
安部磯雄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%83%A8%E7%A3%AF%E9%9B%84
秋田實の漫才台本にみる戦前と戦後
http://www007.upp.so-net.ne.jp/okeda/articles/akita.htm
東大安田講堂事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%89%E7%94%B0%E8%AC%9B%E5%A0%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
その時歴史が動いた/エンタツ・アチャコの漫才革命
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_06.html#02
オックスフォード大学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6
ハーバード大学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6
横山エンタツ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84