Yoz Art Space

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【特別エッセイ】落語のしあわせ

2016-05-14 19:59:05 | 未発表エッセイ

【特別エッセイ】落語のしあわせ

(2016.5.14 第13回弁天寄席パンフレット掲載)


 あまりに可笑しいと、人間は立っていられなくなる。座ってもいられなくなる。それが畳の上なら、そこに倒れて、畳を叩いて、文字通り笑い転げる、というハメになる。

 子どものころ、テレビを見ては畳の上で笑い転げていた。それは「てんやわんや」の漫才であったり、「コント55号」のコントであったりしたが、落語ではなかった。

 落語で笑い転げたのは、近ごろでは、三遊亭遊雀の『初天神』だ。これでもかとぶち込んで来るギャグ(?)はあくどくさえあったが、港南区民センター「ひまわりの郷」の椅子からずり落ちそうになるほど、笑い転げた。

 そう! 座っていると、椅子からずり落ちそうになるのである。そういう女性を見たことがある。十年ほど前、TBSの何とかスタジオで柳家花緑の落語だった。演題は忘れたが、その枕がひどく可笑しくて、ぼくは息が苦しくなるほど笑ったが、ちょっと前に座っていた若い女性がほとんど椅子からずり落ちそうになって笑い転げていた。彼女はほとんど呼吸困難状態だった。

 そして直近で椅子からずり落ちそうなるどころか、実際にずり落ちたのを目撃したのが、柳家ろべえさんの栄光学園での落語教室だった。今から五年ほど前だったろうか、当時中学一年生の国語を担当していたぼくは、殊勝にも生徒に落語を聞かせようと思い立ち、ろべえさんに来ていただいたのだ。山本進先生にも解説をお願いしたあと、『のめる』と『転失気』をやっていただいた。

 子どもに落語を聞かせるという経験のまったくなかったぼくは、ろべえさんには失礼ながら、受けなかったらどうしようと、かなり本気で心配していた。ところが、『のめる』で落語の可笑しさを知ってしまった生徒は、『転失気』になると、もう場内は割れんばかりの爆笑の坩堝と化し、前の方に座っていた生徒が何人も椅子からずり落ち、本当に床に転がってしまったのだった。それを見たとき、ぼくは子どもころの「しあわせ」を思い出して、とてもしあわせになった。




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一日一書 884 喧噪 権威・パスカル

2016-05-12 19:12:38 | 一日一書

パスカル「パンセ」より

 

半紙

 

 

彼らは多数の中に隠れ、自分らの助けとして数をもとめる。

喧噪。

権威。

あることを人から聞いたということが、君の信じる基準になってよいどころか、

それをいまだにかつて聞いたことがないかのような状態に自分を置いた上でなければ、何も信じてはいけない。

君自身への君の同意、そして他人のではなく、君の理性の変わらぬ声、

それが君を信じさせなければいけないのだ。

(以下略)

 

中公文庫「パンセ」前田陽一・由木康訳

 

 

こんなに当たり前のことが

何か新鮮に感じられる最近の世の中。

 

パスカルは、折りに触れて

読まねばならない。

 

 

 

 


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一日一書 883 一枝の梅・三好達治

2016-05-11 16:03:05 | 一日一書

 

三好達治「一枝の梅」より

 

半紙

 

 

  一枝の梅

 

嘗て思つただらうか つひに これほどまでに忘れ果てると

また思つただらうか それらの日日を これほどに懐しむと

いまその前に 私はここに踟蹰(ちちゅ)する 一つの幻

ああ 百の蕾(つぼみ) ほのぼのと茜さす 一枝の梅

 

 

「踟蹰(ちちゅ)する」とは「ためらう」の意。

結構むずかしい詩ですが、「忘れる」と「梅」の取り合わせは

百人一首の紀貫之の歌

人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほいける 」を思い起こさせます。

そんな関連で作った詩なのでしょうかね。


いずれにしても、最初の2行だけの方が分かりやすい。

少なくともぼくにとっては日常茶飯事ですから。

 

 


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100のエッセイ・第10期・84 写真の楽しみ(2) レンズという魔物、あるいはボケの魔力

2016-05-10 16:55:19 | 100のエッセイ・第10期

84 写真の楽しみ(2) レンズという魔物、あるいはボケの魔力

2016.5.10


 

 透明なもの、澄んだものが好きだ。秋の空、山中に湧き出る清水、太陽の光に透きとおる若葉、シャボン玉、窓ガラス、ガラス、レンズ。

 レンズを見ていると、吸い込まれていってしまいそうだ。レンズは無色ではない。何枚も組み合わされたカメラのレンズは、紫、緑、ピンクなど、さまざまな複雑な色をしている。けれども、それはあくまで透明で、光を集め、光を捉え、光を表現する。そのレンズは、単眼と呼ばれる固定焦点レンズと、ズームレンズがあるが、それぞれに多彩な商品がとりそろえられ、カメラマニアを誘惑し続ける。彼らはその魅力にはまると、そこからなかなか抜け出ることができない。彼らはそれを自虐的に「レンズ沼」と呼んでいる。ぼくは、そうした「通」にしか通じないような言葉はあまり使いたくないが、まことに言い得て妙である。

 たくさんのレンズを買い集めることが写真好きなら誰でも抱く共通の夢だが、「夢」を抱かせるようなレンズはひどく高価だ。

 以前、舞岡公園に野鳥を撮影するために足繁く通ったことがあるが、そこに集まるいわゆる「鳥屋」さんたちは、ほとんどが定年退職したジイサンたちで、しかも、「年金暮らしだから倹約しなくちゃ」なんてお決まりのセリフとは無縁の人たちらしく、いったいどこからそんなお金が出てくるの? って聞きたくなるくらい高価なレンズをこれ見よがしにカメラに装着して、三脚を立ててずらっと並んで珍しい鳥を狙っている。彼らの持っているレンズは、たいてい、400ミリとか800ミリとかいった超望遠レンズで、ニコンでもキャノンでも、まあ、100万円はくだらないというシロモノである。

 その頃、ぼくは、カメラもニコンのD40あたりに、6万円ぐらいの望遠ズームレンズを付けて、三脚も立てずに嬉々として撮っていたのだが、たまたま、大きなレンズを持ったジイサンに撮った写真を見せてもらったら、もう呆れるくらいキレイに大きく撮れているので、これじゃあ、勝負になんないやとすっかり白けてしまって、「鳥屋」さんからあっさり身を引いた。別に「勝負」なんかしなくてもいいのに、案外ぼくは負けず嫌いらしい。あんなの見なきゃよかったんだ。「比較は不幸の元」である。

 そう、「比較」が、一時、ぼくを写真そのものから遠ざけたこともあった。30年以上も前のことだが、家内の父が突然写真に凝り出した。初めのうちは、35ミリカメラで、風景写真を撮り、四つ切りぐらいにプリントしてひとり悦に入っているのを見て、よせばいいのに、ぼくは「オトウサン、大きく引き伸ばすなら、なんといっても大判のフィルムがいいですよ。」とけしかけたのだ。すると、それから何ヶ月もしないうちに、アサヒペンタックスの6×7やら、ゼンザブロニカやら、とにかくすごいカメラを買いまくり、やがて、二科展の写真部の常連となり、果ては個展も何回となくやるようになってしまったのだった。

 大判のフィルムで撮った写真は、全紙サイズにプリントしても、ちっとも粒子が荒れることなく、ピントはあくまでシャープで、35ミリフィルムでは、どう逆立ちしたってかないっこなかった。そういう写真を日常的に目にするようになって、ぼくの写真への興味はほとんど消えかかった。ぼくも風景写真を主に撮っていたから、35ミリなんかで撮った写真なんてミジメでならなかったのである。これも「比較」が生んだ不幸であった。

 それでも細々と風景写真を撮っていたのは、水彩画の素材にするためだった。そのため、絵になるような風景を、絵になるような構図でしか撮らなかったし、ピントは画面全部にあう(専門的にはパンフォーカスという)ような写し方しかしなかった。写真そのものを表現とはしなかったのだ。

 そのうち、書道をやりはじめ、ひょんなきっかけから「コラ書」と自称するものを作り始めた。自分の書いた書と写真を合成するというもので、そのための写真を意識的に撮るようになった。そうなると、あまり説明的な写真では書と合わないし、ピントが合いすぎている写真も字とまざってしまって具合がわるい。そこで、半分ぐらいボケている写真を撮るようになった。ここで、初めて、「ボケ」を意識するようになったわけである。

 鳥を撮っても、いかにして鳥にピントを合わせるかが最大の問題だった。望遠レンズで、鳥にピントがあえば背景は当然ボケるのだが、そのボケは「結果」であって、「目的」ではない。しかし、コラ書の背景としての写真は、ボケそのものが目的となったわけだ。

 そのうち、コラ書にも飽きてきた。もう写真を撮る必要もなくなり、カメラもレンズも、最低限のものがあればいいやということになった。もう二度と新しいレンズなど買うこともないだろうと思っていた。

 それなのに、転機が突然訪れた。きっかけは、フェイスブックだった。たまたま、「友だち」になった、母方の従妹の投稿を見ていたら、そこに彼女のご主人の写真が載っていた(あるいはリンクが張られていた。こちらがそのブログ。またお店(美容室)のホームページにもたくさんの写真があります。どうぞご覧ください)。その写真を見て、驚いた。画面のほんの一部しかピントがあっていないのである。しかも、使用しているレンズが、聞いたこともないメーカーのもので、F値が1.1とか、0.95という、ぼくが生まれ初めて知る明るさのレンズだった。「1.1」すら聞いたこともない値で、「0.95」となると、その数字を見たとき、それがF値だとすら気づかなかったくらいなのだ。そんなレンズがあるのかと、ネットで調べてみると、ちゃんとある。びっくりした。

 しかも、彼は、そのレンズを開放値(つまり0.95)で撮影しているのだ。それなら、ピントはごく一部にしか合うはずはない。画面全体に広がるのはほとんどボケばかり。まさに究極の「ボケ写真」である。

 風景を撮るにしても、電車を撮る(そうだ、撮り鉄でもあったっけ)にしても、鳥を撮るにしても、とにかく「ビシッとピントがあうこと」「シャープであること」をひたすら追求してきた。だから、どんなに明るいレンズを使っても、絞りはなるべく絞って使ってきた。コラ書の写真だけは例外だったけれど、「絞り開放」で撮ることなど滅多になかったのだ。そうである以上、実は「明るいレンズ」がなぜあんなにも皆がほしがるのか、よく分からなかったのも当然だったのだ。レンズの明るさは、「いいボケ」に必須なのだということに、あまり重要性を感じなかったわけだ。

 フィルムの時代は、フィルムの感度(ISO感度。昔はASA感度と言ったなあ。)が低かったから、暗い所で撮るためにはどうしても明るいレンズが必要だった。それはよく知っていた。昔のフィルムの感度はせいぜい600ぐらいが限度で(よく覚えてない。ぼくが使った白黒の「高感度フィルム」は200ぐらいだ。)、あとは「増感現像」といって、現像時に特別な処理をしたのだが、それは、画面の解像度を犠牲にせざるを得なかったのだ。昨今のデジタルカメラでは、ISO12800などという昔では考えられない感度も普通になっているから、そういう意味では明るいレンズである必要なんてないのだ。

 ぼくは、改めて自分が持っているレンズの「明るさ」を調べてみた。古いレンズだが、一番明るいものでニコンの1.2というのがあった。10年ほど前にずいぶん高いなあと思いつつも買った105ミリのマクロレンズも2.8の明るさだった。そうか、だから高かったんだ、と今更ながら納得した。それらの明るいレンズを使って「絞り開放」で撮ってみた。そうか、そうだったのか、と膝を打つ思いだった。なんというボケ方だろう。なんという美しいボケだろう。ここからまたぼくの写真狂い、あるいはレンズ狂いが始まったのだった。

 小学生の頃からカメラを持ち、その後、様々な写真を撮り続けてきて、いっぱしのカメラマン気取りで生きてきたのに、実はこんなにもいい加減な撮り方しかしてこなかったとは我ながら驚きだった。もちろん、絞りを明ければ、背景がボケることぐらい基本中の基本だからよく知っていた。けれども、絞りを「5.6」で撮るのと、「1.2」で撮るのがこんなにも違う世界が広がるとは思わなかった。いやそれも正確な言い方じゃない。しつこいようだが、違うことは知っていたのだ。けれども、それを作品に生かすことをちっとも考えてなかった、ということなのである。

 「ボケ味」に目覚めたぼくは、必然的に「レンズ沼」に引きずりこまれてしまい、いくつかのレンズを買うはめになったが、今ではもうこれ以上レンズを買う金もないから、ようやく沼から這い出して、持っているレンズで、いかに「ボケた」写真を撮るかに熱中しているというわけである。ぼくのことだから、そのうち飽きるだろうが、それまでは当分退屈しそうにない。

 あるいは飽きる前に、ぼくの方がボケてしまうかもしれない。いずれにしても、あしたのことは、分からない。



 

絞り値(f値)の違いによる、ボケ方の例です。 

3枚は、ほぼ同じ位置から同じ焦点距離のレンズで撮っています。

ちなみに、この花は「ヒメツルソバ」と言います。

 

Nikon D750
AF-S MICRO NIKKOR 105mm 1:28G ED

 

 

 f  36

 

「36」が、どうもこのレンズの一番絞った値。

それでも105ミリの望遠マクロレンズなので、前と後ろはボケます。 

 

 

 f 5.6

 

「5.6」あたりは、スナップ写真などでよく使う絞り。

これでも結構いい感じにボケています。

 

 

 f 3.0

 

レンズを見ると、「2.8」が開放のレンズなのですが

どうも、このカメラでは「3.0」になるようです。

こうなると、ほとんど中央の1点にしかピントが合っていません。

 

この写真を、現像ソフトで更に調整していくと

こんなふうになります。

こうなると、後ろの崖なんか、もう判別不可能です。

つまり「非現実的」になっていくわけです。

 

 

 

 


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一日一書 882 不二ノ山・北原白秋

2016-05-09 16:13:57 | 一日一書

 

北原白秋「北斎」より

 

半紙

 

 

  北斎

 

一心玲瓏

不二ノ山。

 

桶屋箍(たが)ウツ桶ノ中二

白金玲瓏

天ノ雪。

 

思ヒツメタル北斎ガ、

真実心(しんじつしん)ユヱ、桶ノ中二

光リツメタル天ノ不二。

北斎思ヘバ身ガ痩スル。

 

 

北斎の有名な「富嶽三十六景・尾州不二見」の絵を見ての作でしょう。

 

 

これです。

ここに、白秋は、北斎の芸術家としての厳しい思いを感じているわけです。

 

白秋という人も、

面白い感じ方をする人です。

 

この桶屋の仕事というのは

本当に見事なもので

こうやって接着剤もつかわずに

板をつなげて、箍で絞めると

水は一滴も漏れないのです。

この仕事に、白秋は感動してもいるのでしょう。

 

ぼくが生まれ育った町にも、近くに桶屋があり

その仕事をよく見ていたものです。

 

 

 

 

 


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