今日はお盆の入りの日である。朝曇りから晴れて来て、若干涼しく感ぜられる朝であった。メイトの散歩の様子は全く毎日と同じであって、用事を済ませると一目散に帰宅するのがこの一ヶ月の習わしである。家の中では、絨毯の廊下で「往復全力疾走」は5回程も出来るし、駆け足の後は朝食は取らずに、お菓子のみ。そして暫く休息の時間後に、やおら鳥のささみを食べると言うのが、このところ朝の習わしとなって仕舞った。今日は迎え盆の日でありお盆と言えば盂蘭盆会である。何時も兄と菩提寺へ行って、本堂で提灯にお灯明を頂き、それを大事に自宅迄持参して来て、ご先祖様を迎える。そして、自宅の仏壇に飾り、生活を共にして、5日間供養する。16日に茄子や胡瓜のお馬に乗せ、送り火で霊をお送りしたものである。このようにお先祖様を大事に精霊をお祭りする昔からの行事は、民俗行事としても大事であり、永遠に語り継ぎ行われなければなるまいと思う。
今週から本格的な夏休みに入った。昨日は不順な悪天候で気分も冴えなかった。パソコンを弄り身の回りを整理して、ゆったりと一日を過ごした。時折驟雨が襲ったり、曇り空で積極的に物事をやる気がしなかった。今週一週間は純粋な夏休みである。これから娘への返礼の小品を高島屋へ家内と買い物に出掛けようかと思う。幸い昨日と異なり天気晴朗で、元気で電車とバスとでお買い物を楽しもうとか思う。息子や孫達も来週から夏休みだそうだ。世間に遅れての夏休み、中々知恵が有って宜しいと思う。メイは利口で、二人で出掛ける様子や算段を、早くも察知して、何だかそわそわしている。しかし、お使いと言う言葉で、納得するから不思議で、大丈夫安心である。
午後2時帰宅したらメイが大騒ぎで喜んでくれた。一少時間部屋中を駆け巡り、二人を歓迎して本当に体一杯、喜びを見せつけてくれた。可愛いものである、折から、空一杯に入道雲が立ちこめて来て、丁度芸術作品を見せつけられた感じである。洗濯物を早めに取り込んで、暫し雲を眺めていた。夏の兆し特価大奉仕と言う点で、優れた風物詩である。自宅のポストに小学校の時の仲のよい旧友の死が手紙で届いていた。人生は儚いものである。心から哀悼の意を表した。友人の訃報で自らの今後を考える日ともなっている。
いよいよ葉月も三分の一となって仕舞った。真夏日が10日も続いてやっと雨が降るらしい。干天の慈雨と言っても良いと思われる。朝さのうちはすっかり晴れて、これから雨空が訪れるとはとても思えない程であるが、メイの散歩の為に、そろそろとメイと一緒に外へ出てみると、矢張り曇り空の層が彼方此方から、厚い薄黒色の雲となって出現して来ている。時折、小雨さえも散ら着いてきた。これから軈て予報通りの雨が訪れることになりそうである。しかし、そうこうしている内に、またも晴れて来た。蝉も天気に呼応して鳴き始めている。不順な天候であるが、これが今年の7月一杯の押し並べての天気であったし、8月に入って、この10日間だけが猛暑で晴天続きであった。不順と言う言葉が今年の夏程格好であったことは、恰て無かったことと思われる。今日は驟雨あり霖雨が続き、正に悪天候のアラカルトである。
真夏日が続いて明日たった一日だけの雨の日になりそうである。今日の凡そのブログを書き終えて、デスクトップを見れば良い知らせが有ったので、それに従っていろいろ操作をしている内に、遂には肝心のファイアーホックスのデスクトップ画面が出無くなって仕舞った。またまた急いで息子に修理して貰って事無きを得たが、これからはウイルス感染をも考えて、慎重にPCを操作すべきと考えている。反省頻りである。これからは決して、余計なPC弄りは行わない事としよう。却って混乱と息子に大変な迷惑を掛けてしまう事となって、ブログに書き込む事が生活の一部を無くしてしまう事となろう。ご用心ご用心である。誘いや誘惑どちらも同じと思うが、PCの中にもそれに類似した文章が、時折目に着くことが見られるので、この際大いに勉強しその対応方法とに付いて、よく勉強しておく必要があろう。
昨日の炎暑屋上から世田谷観音の方を眺めると、ツクツクボウシが鳴いている。正に暦の上では立秋である。昔故郷の田舎では8月23日頃、この蝉が鳴き始めた事を鮮明に覚えている。丁度夏休みもその半ばを過ぎて、地蔵尊のお祭りの頃であった。季節が自然に推移してそこに小鳥や蝉などの唱和が加わるとき、風物詩が生まれと言うものである。こよなく自然を愛し親しみ、生活の大部分であった昔の思い出は、細かな事柄も逐一思い出されてならないし、尽きないものである。嬉しい爽やかな懐かしさが生活の糧となっている。
今日から暦の上では立秋である。道理で昨日よりは、幾分気温も低くなりつつある様で過ごし易い。古今和歌集の中で「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」と藤原敏行が詠んでいる。流石二十四節気だけに、何だかそのような風の囁きが聞こえそうである。メイの今朝は何時もの通りであったが、公園から一目散の帰宅の玄関前で、若干脚を止めたので、其の儘折原建設方向へリードで誘導して連れて行った。家内が着いて来ないのを知ると、直ぐさま逆走して自宅の方へ速歩で帰って行った。このときリードを離した事は言うまでも無い。自然に玄関へ消えて行った次第である。流石に吾が家の愛犬である。夜来の弄り過ぎで愛用のPCが、如何にも言う事を利かなくなってしまった。いろいろ苦心惨憺したが、却って弄り過ぎで、彼方此方不明の箇所を操作し過ぎであろうと思いつつ、遂に11時半迄苦心してしまい、挙げ句の果て、明日息子に診て貰う決心をして就寝した次第であった。今朝他の要事でPCの具合を見てと頼んだ所、即座に操作して直してくれた。流石だと又もや感心してしまった。有り難く嬉しいものである。今日は本当にこれから午後でも断捨離を実施して行こうかと決心している。
先月の霖雨、この肌寒さが未だこの間であったと思う間もなく、この8月に入ってからは、もう一週間も熱帯夜で、日中の猛暑35°C以上と気温の異常が続いている。TVや新聞では、これでもかと言わんばかりに、熱中症で病院へ搬送された人々の数が挙げられ、不幸相当の数の高齢者が亡くなってもいる。大変なこの夏場である。日本各地の至る所でもこの異常気象は明治以来の観測史上で初めてであるとの情報が多い。メイも公園での仕事を終えて急いで帰って来た。外の流しで、何時ものお水を一杯に飲んで、脚をきれいに洗ってもらい、又「往復全力疾走」を6回も実施した。運動をした後は人間と同様に朝食は食べない。その代わり、美味しい梨を6分の1程平らげてしまった。水分が欲しいのであろう。室内が外気の温度の酷暑と違って27℃以下なので、メイも過ごし易く気に入っているのであろう。比較的元気で大いに助かる。一昨日は、医師である孫の26歳の誕生日なので、家内が銀行からお祝いを贈っておいたところ、直ぐさまお礼の携電のメールが届いた。嬉しい事である。これで家中が暑さに負けず自分の職場で一生懸命励んでいる姿が窺い知れてとても有り難い。昨日もメールアドレスを初めパスワーなどの総点検を実施し、プリントアウトして6頁に収め、やっと3日掛かりの作業が終えて、ほっとした所である。今日も又、涼しい居間で写真整理である。
このところ連日猛暑が6日程続いた。今日は70年前の広島への原爆投下の日である。TVでは中継で平和祈念の日の祈りを実況をで報道していた。メイトの何時もの公園への散歩も、今日もワンコの飼い主は一人も現れなかった。このところ暑さ負けか、も少し早めの散歩を、既に済んで仕舞っているのかは定かではない。この一ヶ月位そうなのだから、暑さ負けが本当であろう。猛暑で日本列島もうだる様な各地区の様子が報道されているが、あと一週間もすれば収まるそうである。今日なパソコンで写真の整理を仕様かと思う。昔からも4年程使っていたairPCが、どうも立ち上げからマウスの動きが鈍く、息子に聞いた所もう古くバージョンアップも出来ないそうで、この主PCを使えばその方が良いとの忠言であった。成る可く古い機械は段々に篩い落とされて行くのであろうと、考えると淋しい気がする。
本土決戦を前にこれが最初で最後になるかも知れないとの帰省を許されて、故郷の父母に挨拶のため、急遽故郷の駅に到着した。実家への途上で神社にお祈りを捧げ、隣接の写真店で最期の記念の写真を撮り、自宅へ向かった。出征兵士の家族として父母と姉が緊張した面持で喜んで迎えてくれた。陸士入校以来初めて、然も最期になるかも知れない帰省。この時日本の戦争状況は頗る悪く連合軍に追い詰められていて本後決戦を迫られ一が撥かの勝負どころであった。そんな事態を知る由もなく、平松区隊長から最期の帰省だ!行って来いとのご好意で、何故か私だけ帰省が実現し幸運であった。帰宅して軍装を解く間もなく、陸士の話、戦の現況などを会話して昼食後そそくさと軍装して、不動尊を参拝、そして岡古井の親戚一同、小学校の高橋爺や、級友峰岸君実家、いずれも男手は無く遺・家族の人達に、極めて簡単に別れを告げて、再び帰宅、この間父は、ずーっと私の後を付けて自転車で付き添っていてくれていた事に、感動を覚えた。若しかすると父は、最期の帰省の今日こそが今生の別かれかなと切羽詰まった意識と、戦争状況下での判断の為せる業かも知れない。私には少しも他人からみての武者振いなど無く、只管国家の為に一身を投げ打つ、至誠尽忠の覚悟のみで、やや悲壮感は窺い知れたかも知れない。父母、故郷の神社仏閣にお参りして、清心清浄な覚悟と心情のみであった。僅かの時間面談した家族は、戦時下での悲愴感を抱いていたかも知れない。朝霞の陸士と故郷とでは、同じ県内と言っても交通は不便で、その往来には数時間も掛かり、実家に居られたのは、たったの一時間足らずでしか無かった。急ぎ帰途午后5時迄に校門に入り、教官へ帰校の報告をした事は言うまでも無い。当時の事柄に付いては、今でも記憶は鮮明で、懐かしさが込み上げてくる次第である。さて東京は昨日で真夏日が4日連続、気象台始まって以来の記録的な猛暑の連続、しかも5日目の由であった。今朝のメイとの朝の散歩は何時もの通りで元気であった。晴れて暑い日和で、屋上からは富士山が綺麗に眺められ、思わず故郷の空を望んで礼拝した次第である。
猛暑の最中、朝食後メイを連れての何時もの公園までの散歩である。朝の内は夏風が涼しく顔を通り過ぎて行く。何時もの行事を終えるとメイは一目散に家路へと急ぐ、それも息急き掻いてリードを引っ張っての駆け足の帰宅である。今日は吉田松陰の誕生日であると正書に書いてある。「蓋し人に五倫あり」と言う。真その通りであるが、今朝の新聞での国際間のやり取りは、強引で善し悪しは固より、人の倫理などは殆ど弁えず、力ずくで自己主張を押し通す姿には、がっかりして仕舞う。国連などあまり用を為さず、力と力の傲慢無礼が罷り通る時代なのであろうか。一人我が国のみが清貧を装っても、駄目であろう。科学の進歩はグローバル化を招き、人の心は無惨に消されてしまう、正当な人の願いは届かない、悲しい。閑話休題:今日はゆっくりとパソコンに触れて、写真整理や自分史などの整理に時間を費やそうかと思う。斯く言う吉田松陰も最期に惨殺された故事を憶うや、切なりと言うべきである。