◆撮影:2010年3月14日、くろんど園地にて
(すいれん池)
2013年3月3日(日)
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[コースタイム]
[私市駅]12:15→12:24[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→13:16[ピトンの小屋]15:33→15:50[星のブランコ]16:15→[ピトンの小屋]→16:53[ほしだ園地駐車場]
◆所要時間:4時間38分
<ピトンの小屋前広場を駆る>
吊り橋を南側から北側へと戻り渡り終えようとするとき、突然J太郎の様子がおかしくなった。渡り終え椅子に腰掛けさせ顔を覗きこむと体調が芳しく無い表情だ。熱があるのだろうかとJ太郎の額に僕の額をくっ付けるがそうでもない。「抱っこしようか」と言うと、その言葉を理解したのであろう朦朧とした表情のJ太郎は両手を広げ抱っこの体勢に入った。山中にJ太郎を連れて来るようになって今日で7回目だが、穣太郎を抱きかかえ歩き続けるは初めてのことであった。
抱き上げ歩き始めるや否や瞬時のうちにJ太郎は眠り始めた。「眠たかっただけやったんや」と理解し安堵した僕は、J太郎を胸前に抱え歩みを進めた。ピトンの小屋方面への階段を慎重に下るときJ子より電話が入った。「まだ吊り橋から少し下ったところやねんけど、J太郎が眠ってしまって抱っこして歩いている」と言うと、「駐車場まで車で迎えに行くから」とJ子は応じた。
J太郎を抱き上げたとき僕は、彼を胸前に抱え私市駅まで戻る覚悟をしていた。その一時間余りのときを、もう一週間で三歳の誕生日を迎えようとしているJ太郎の体重に、腰痛を病む我が身体が耐えられるのだろうかとも考えた。併しだ、もし耐えられたなら、否、耐えられるような気がしたのだが、「山野走が再開できる」「山の会例会に出席できる」とも考えた。ところが、J子から「ほしだ園地駐車場まで迎えに行こうか」の言葉を聞いたとき、一時間余りJ太郎を胸前に抱え歩き続けることが、腰に如何なる影響をもたらすのだろうかとも不安感を抱いていた僕は、即座に「ほんなら、駐車場で待っている」と答えた。それは今以上に酷い腰痛に陥ってしまうことを懸念したからだが、そのとき僕は「駐車場まで頑張ればよい」「私市駅まで歩く必要がなくなった」と安堵したのも事実だ。
寝顔を見ながら、J太郎の今日の運動量は僕の数倍であったに違いないと思った。それは、 “ピトンの小屋”に居た二時間余りを、僕は漂う冷気に負け、小屋内の椅子に坐り冊子や書籍を見て、またときにはベランダに出て手摺に腕をのせて、J太郎の行動を確認するのみでまったく動かなかったのだが、J太郎は“クライミングウォール”前の広場や“ピトンの小屋”周辺を駆け巡った。また、三歳の彼にとって、同じ一時間の道程といっても僕と小さな彼とでは運動量が確実に違う。階段を一段昇るにしても然りだ。疲れを知らないJ太郎の身体力に敬服するばかりだ。