山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

滑落事故後、二回目の街中歩

2013年11月30日 | 我が街中歩

Pb280011

◆写真撮影:2013年11月28日、北東空の積雲

20131126日(火)

街中歩

<滑落事故後、二回目の街中歩>

1120日に続き、プライベートランニングコース(6.3km)を歩いた。前回の後悔から今日は手袋(軍手)をはめていたのだが、その手袋が思いの外役に立つこととなった。20日は、滑落事故で傷めた左手指を庇い、滑落事故の神経麻痺症状が明確に残る左顔のマッサージを右手で行ないつつ歩いたのだが、歩きながら右手で左顔を長時間触り続けることは難しく、右手が疲労してしまったというのが現実であった。ところが手袋をはめていると摩擦がよく利き、指にかかる負担も少なく、左手指で効果的なマッサージが可能となったのだ。また腕が疲れてくると、左手指の「握る、開く」を繰り返し左手指のリハビリも行なった。

16時半ごろ、西陽に紅く染まる西方の空を除くと殆ど雲が無い天候へと変化し、頭上には晴間が拡がり、先日と違って殆ど風も無く寒気を感ずることはなかった。

今日のタイムは7831秒。終始しっかりと歩くことが出来、脚腰に殆ど違和感は無かったのだが、自宅玄関に辿り着くや否や腰痛の症状が突然頭をもたげた。重量物を持ち上げた訳ではなくただ歩いただけなのだが、その歩くという単純で健康的である筈の運動で、腰痛が起きてしまったことに僕は愕然とした。

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滑落事故後、初めての街中歩

2013年11月21日 | 我が街中歩

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◆撮影:2010年11月23日、ほしだ園地にて

20131120日(水) 

街中歩

<滑落事故後、初めての街中歩>

913日以来、約二ヶ月振りに、いつものランニングコース(6.3km)を歩いた。「走った」のではなく「歩いた」のである。時間は計らなかったので正確な所要タイムは分からないのだが8090分くらいだろうか。疲労により後半の速度は落ちたのだが、終始懸命に歩き続けた。西陽に桜紅葉が輝く三井団地の道も治水公園横の道も懸命に歩いた。

自宅に戻って来た9月末ごろから今日まで屋外を歩くことは殆ど無かったが、家中で動くときの最近の我が脚力から見て6.3kmを歩き切る自信はあった。因みに、今夏のランニングによるこのプライベートランニングコースの最高タイムは345323、平均的なタイムは40分前後だ。

歩き始めて暫くしたとき手袋を持って来なかったことを後悔した。12時前になると晴れ間が拡がり始め、13時には冬晴れとなった。14時には一旦雲量が「7」へと変化し、頭上を鉛色の積雲が覆い陽射しは陰ったが、しかしそれは僅かの時間であって1430分以降には冬晴れへと変化した。それゆえ出掛ける気分になったのだが、屋外には意外と強い西北西の風があった。桜紅葉中の三井団地の道を行くとき、足下を赤や黄の色彩の桜の落葉が駆け廻った。左手が余りにも冷たいので、終始ズボンのポケットに突っ込んで歩いたが、手先が温まることは最後まで無かった。滑落事故で傷めた左手指はなかなか改善してくれない、次回歩くときには手袋を持って来なければならない。また、明確に残っている神経麻痺症状の左顔を右手指でマッサージを行ないつつ歩いたのだが、その改善も儘ならない。

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ほしだ園地(私市駅~飯盛霊園・往復)

2013年11月18日 | 山野走

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◆写真撮影:2010年11月23日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

現在僕は、心身共に山に行けない条件にあるゆえ、山日記を記載することができません。それゆえ、ブログを始めた20126月以前の山野行記から、抜粋して記してゆこうと考えました。

20111122日(火)

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

(所要時間:1時間3949秒)

[私市駅]63800→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→[ピトンの小屋]→(さえずりの路)71331[やまびこ広場]→(まつかぜの路) 73410[飯盛霊園・境界]73700(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(管理道)→(おねすじの路)→[ピトンの小屋]→81749[私市駅]

<御袋>

「WK医師は私を治してくれへん」「関西医科大病院へ転院させてほしい」と、御袋は不満を露にした。「関西医科大病院なら治してくれる」と言いたげだったが、あのとき御袋は「生きたい」という意思を明確に表していたように思う。

あのとき御袋は何故「生きたい」と考えたのだろうか。「お父ちゃんを残して先に逝けない」「先に逝ってしまったら、お父ちゃんが心配」と考えたのだろうか。それとも単に「死ぬのはいやや」「生き続けたい」と、生きることへの執着心だけだったのだろうか。今となっては分からない。

僕は御袋から直接聴いたわけではないが、兄貴に言わせると御袋は「お父ちゃんと別れたい」と言っていたそうだ。その話を兄貴から聞いたとき、御袋からそのような発言があったことを僕は信じることができなかった。それは親爺の認知症が進行するなかで、御袋の脳裏では処理することができない困惑するような様々な事態が生じていたのだろう、それゆえ発作的な「別れたい」発言となっただけなのだろうと当時僕は考えていた。

磐船街道入口に設置してある道路情報電光表示板にプラス2℃とあったが、然程冷気を感じることはなかった。何ゆえか終始御袋の様々なことを考え走り続けた。

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左顔神経麻痺症状(滑落事故後遺症)

2013年11月15日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2006年11月12日、くろんど園地にて

(すいれん池)

20131115日(金)

『左顔神経麻痺症状』

<マッサージを行なってください>

上さん言わせると「だいぶんマシになったよ」ということなのだが、僕的には一向に改善したという実感がない。それは滑落事故で生じた左顔神経麻痺の話だ。

左顔神経麻痺症状には、「咀嚼が上手くできない」「飲料が上手く飲めない」「左眼だけを閉じることができない」などがあるのだが、この改善を目的に、耳鼻科の先生がおっしゃった如くまめに左顔面のマッサージを行ない、処方して戴いた薬を呑んでいる。

処方して戴いている薬は、『レチコラン錠500?g』と『ATP腸溶錠20mg「日医工」』の2種で、『レチコラン錠500?g』には、「ビタミンB12です。抹消神経の働きを助けて、手足の痺れ、痛み、麻痺などの症状を改善します。」『レチコラン錠500?g』には、「体の臓器や筋肉のエネルギーになるお薬です。」との働きが説明書に記載されている。今僕が処方されている薬はお蔭でこれら二種類のみとなった。

昨日、二週間振りに病院へ行ったのだが、診察は僅か数分間で終了した。「マッサージを行なってください」という医師の言葉があったのみで、昨日は三週間分の同じ薬が処方された。

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快食快便(もう少し身体を動かす)

2013年11月12日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2006年11月12日、くろんど園地にて

(すいれん池)

20131112日(火)

 

『快食快便』

<もう少し身体を動かす>

まだ、以前のような快食快便という状態ではないが、「毎食、しっかりと食べる」「毎日、水をしっかりと飲む」を基本に体調を整えているつもりだ。今の状態で、もう少し身体が動かせるようになれば、嘗てのような「快食快便」に一歩近づくのではないかと考えている。

先ずは「快食」なのだが、滑落事故で生じた左顔の神経麻痺の所為で口元(唇)が右側へと少し歪んでいるのと、左頬に柔軟性が無く口中が上手動いてくれない。もしかすれば上の歯と下の歯が微妙に上手く噛み合っていないのだろうか。それらの所為で咀嚼が上手く出来ないという現実があり、食べ物をしっかりと噛めずにのみ込んでしまっているのかもしれない。咀嚼をしっかりしようとすると、食事の時間があまりにも長くなってしまうのだ。さて、上手く噛めないことが、胃や腸に如何なる影響を及ぼしているのだろうか。

ところで、暫く以前からみるとかなり水を飲むことができるようになり、2㍑近くは飲めているように思う。しかし、課題は睡眠時だ。水を飲んで布団に這入ると夜中にトイレに行く破目に陥る。トイレから戻ると、またラクノミ一杯の水を飲むので、朝目覚めるまでにもう一度くらいトイレに行くときもある。これからの寒くなる季節には、夜半に起きなければならないのは少々辛いかもしれない。若ければ何ら問題は無いのだが、60歳を超える者にとっては辛いことだ。

さて、昨晩23時にラクノミ一杯の水を飲んで就寝したのだが、朝7時に目覚めるまで、一度も起きることは無かった。

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健康管理(水の飲み方)

2013年11月10日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2012年11月25日、ほしだ園地にて

(ピトンの小屋)

20131110日(日)

 

『健康管理』

<水の飲み方>

健康管理のために水を飲むことを勧めてくださったのは、腰痛の治療でお世話になっているKS鍼灸整骨院(カイロプラクティック)の先生であった。

当時、「食事前後の一時間は飲料を飲まないように」と言われたように記憶する。また、「食事時に飲み物を、あまり摂らない方がよい」とも聴いたように思う。その理由として、「消化器官に、なかでも胃の中に水分が多くあることで、食べ物の消化吸収が上手く行なわれない。」との説明があったように記憶する。「食べ物が消化されるのに一時間近く必要」というのがその主たる理由であったと思う。そしてその話があって以降、僕は、食事の一時間前と後ろを避けて、水を飲むよう心掛けてきたし、また、食事中には、最低限必要とする温かいお茶以外の飲み物は摂らなくなった。

水以外によく飲んだ飲料は、牛乳と珈琲なのだが、滑落事故後、珈琲を殆ど飲むことはなくなった。あれほどによく飲んだのに、退院後自宅に戻って珈琲に口を付けたのは一度のみで、そのときに「美味しくない」と思ってから飲まなくなった。ところが、牛乳に対する嗜好に変化はない。「牛乳は健康によい」という思いもあるのだが、どちらかというと、「牛乳は排便を助けてくれる」という意味合いで飲んでいる側面がある。

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華やかな桜紅葉(二ヶ月振りの墓参)

2013年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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◆写真撮影:2013年11月3日、霊園にて

2013114日(月) 

『二ヶ月振りの墓参』

<華やかな桜紅葉>

昨日、二ヶ月振りに墓参りに行った。霊園は華やかな桜紅葉に包まれ始めていて、秋の景観が拡がっていた。その秋景色を撮りたいと思った僕は、自宅へデジカメを取りに帰らねばならなかった。

ところで僕は、毎月三日に墓参するのを常としているのだが、入院中であったり療養中であったりして、9月のお彼岸は勿論のこと、103日の墓参も叶わなかった。それゆえ昨日、墓石前で、お祖母ちゃんとお袋、そして親爺に謝ることとなった。

毎月の「三」の日の墓参には理由がある。お袋と親爺がまだ元気なときに、二人が祖母の命日である三日に合わせて毎月墓参りをしていたので、お袋と親爺が行なっていたことを僕が踏襲するようになっただけなのだが、仕事の都合などで三日に行けないときには、その前日や明くる日に必ずお参りするようにしてきた。

親爺が車の運転が出来なくなった20078月以降僕は、お袋と親爺を乗せて三日に墓参りに行くようになったのだが、墓参を済ませた後に、何処かのお店で昼食を摂り暫くの間談笑するのが常であった。また、食品の買物にも曜日を決めて毎週一度は出掛け、その時にもやはり外食を楽しんだ。これらはお袋に喜んでもらえたのだろうと思っている。

ところで僕は次男だからそのお墓の継承者ではなく、僕は別の処に墓地を持っている。そこには1999年に逝った僕の長女が眠っていて、娘に逢うために毎月一度は墓参に行く。しかし、前回の墓参がお盆の814日で、それを最後に娘に逢っていない。我が家の墓地は、親爺やお袋が眠っている墓地と比して少々遠隔地なので、墓参のために車で5~6時間くらいの時間を要するのが難点だ。娘には二ヶ月以上逢っていないゆえ、この10日には逢いに行くつもりだ。

左顔面の神経麻痺と左手指の痛みを除くと、僕の体調は至極安定してきた。歩くよりも車の運転の方が支障が無いというところまで快復してきている。僕の救援にかかわって戴いた大勢の皆さま、ほんとうに有難う御座いました。

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脳梗塞(水を飲むことが脳梗塞の予防になる)

2013年11月03日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2012年9月15日、富士山頂より

2013113日(日)

『脳梗塞』

<水を飲むことが脳梗塞の予防になる>

僕は予てより、水を飲むよう心掛けている。事務所で坐るときには机横に、車に乗るときには車に魔法瓶を持ち込み、夜、眠るときには、水が入った容器を枕元に常に置いていて、夜中であっても目が覚めると飲むようにしていた。その理由は、将来、脳梗塞になるかもしれないという親爺のDNAをもらっていると考えていたからだ。20124月に89歳で逝った親爺が、脳梗塞を病んでいたからだが、水を摂ることが、血液をサラサラにするために効果があると、僕は信じて疑わない。

親爺が何歳のときに一回目の脳梗塞に陥ったのかを正確には記憶していないのだが、70歳が廻っていたのは間違いがない。そのときの症状は軽微であったのだろうと思う。それは、親爺がお袋と二人で城崎温泉へと車で一泊二日の旅行に行ったときのことであった。「海岸を歩いているとき、お父ちゃんの様子がちょっとおかしいと思ったんや」と、帰宅後お袋は語った。しかし、そのおかしいと思われる体調の下で、城崎から大阪まで、車の運転がよく出来たものだと当時は感心すること頻りであった。

そのときの症状は、例えば、計算を電卓で行なおうとしたときに、指で「1」の数字を押そうとしても指が「1」の処を押すことが出来ず、「4」の処を押してしまうという、嘘みたいことが現実に生じていた。それ以外にも様々な症状があったのだろうが、親爺もお袋もそれらについて語ろうとはしなかった。

大正生まれの頑固一徹の仕事人間である親爺は、「周囲の人間には自身の病を知られたくない」「仕事が出来ない自身の姿を見られたくない」という気持ちが強かったのだろう。お袋の話によると、上手く扱えない電卓を懸命に押し続けるなど、親爺は僕達の目が届かないところで懸命にリハビリに励んだらしい。そしてその甲斐あって、間も無く脳梗塞の後遺症から脱出したのだ。発病後、血液をさらさらにする薬を呑んでいたはずだが、そのような話も親爺はすることはなかった。

次に、20005月から、脳挫傷で二ヶ月間の入院生活を送った。それは、親爺が青信号で横断歩道を歩くときに左折する車にはねられたのだ。それが原因で読み書き、算盤を頭脳より失った。しかしそれでも親爺は復活し車の運転を行なった。仕事からは離れはしたが、今、考えると至極恐ろしいことなのだが、歩くことが好きではないお袋のために、自身が車の運転をしなければならないと念じていたのだろう。

ところが、原因が脳挫傷にあるのか二度の脳梗塞にあるのかは分からないのだが、2007年の夏季頃より認知症が顕著になり始めたのだ。夜中の徘徊もあった。布団中での排便もあった。お風呂に這入るのを嫌がる親爺と一緒に、50数年振りに親爺とお風呂にも這入った。その他様々なことがあって、2009年の秋には、お袋や僕達子供のことも、解らなくなってしまった。

実に淋しいことではあるが、自身の配偶者の存在も、自身の子供達の存在も、自身の脳裏から消滅してしまったのだ。これが脳梗塞や脳挫傷を病んだ人間の近未来の姿だと僕は考えている。だから僕は水を飲み続ける。

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滑落事故(後遺症は治癒するのか?)

2013年11月02日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2007年11月17日、御在所岳(前尾根)にて

2013112日(土)

『滑落事故』

<後遺症は治癒するのか>

914日の滑落事故による左耳と左瞼上の裂傷、左耳奥の骨折、激しい目眩、そして後頭部内出血はお蔭で治癒したようだが、当初痛まなかった筈の左手指が、拳を作ることが出来ないほどに痛む。力を籠めてグッと握りしめることが難しく、パソコンのキーボードを叩くときにも痛みが生じる。最も痛むのは中指だ、薬指と小指もかなり痛むのだが、人差し指と親指にはまったく違和感が無い。何ゆえだろうか。

一昨日、整形外科でレントゲンを撮ってもらい診てもらったのだが、「特段異常は無い」「テーピングでもしておかれたら」との診断結果が出た。取り敢えずは安堵したのだが、その痛みはかなりのものだ。しかし、それも時間の経過の中で自然治癒してゆくのだろう。この症状を感じ始めたのは、二週間くらい前からだろうか。三重県立総合医療センターに入院する間も、自宅に戻ってからも、つい先日までは感じることはなかった筈だ。何ゆえこのころより左手指の痛みを感じ始めたのだろうか、また同じころより左肩にも痛みが生じ始めた。

もう一つ、なかなか治癒しない症状が左顔の神経麻痺だ。滑落するときに岩で強打したことが原因となり、麻痺症状が出現しているのだろう。上さんに言わせると「だいぶんマシになったよ」ということなのだが、僕に言わせると相変わらずで、「食事時の咀嚼が上手くゆかない」「飲み物を摂るときコップでは上手く飲めないのでストローを使用している」「左目だけ閉じることがでず、頭髪を洗うときに石鹸が目に這入ってしまう」「上手く喋れない」「鏡で自身の顔を見るとき、口が右へと寄っているのが分かる」などの症状がまだ顕著に残っている。一昨日、耳鼻咽喉科の担当医師から「マッサージをしていますか?」との質問があり、当然のことながら「しています」と僕は答えた。

今処方してもらっている薬は『レチコラン錠500?g』と『ATP腸溶錠20mg「日医工」』の2種で、それらを毎食後一錠ずつ呑んでいる。『レチコラン錠500?g』には、「ビタミンB12です。抹消神経の働きを助けて、手足の痺れ、痛み、麻痺などの症状を改善します。」『レチコラン錠500?g』には、「体の臓器や筋肉のエネルギーになるお薬です。」との働きが記載されてあった。

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滑落事故(山野の楽しみを奪う)

2013年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

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◆撮影:2007年11月17日、御在所岳(前尾根)にて

2013111日(金)

『滑落事故』

<山野の楽しみを奪う>

913日の御在所岳における滑落事故は僕より「山野の楽しみを奪う」こととなった。月に一度から二度の山の会の例会で、山の景観や山仲間との交流を楽しんできたのだが、それらが出来なくなってしまった。また、僕が滑落事故を起こして以降、山の会は活動を休止していた。次の山行は明日から一泊二日で行く霊仙山なのだが、天気予報によると3日は雨らしくて、辛い雨中の歩荷山行になるのだろう。皆揃って若くない訳だから心配だ。

929日に山の仲間が見舞いに来てくれたとき、「年内に山の会に復帰する」と強がってみたものの、現在の我が体調や身体力を考えるとき、それが不可能だということを僕自身が一番分かっている。しかし、やはり一日でも早く山の会に復帰したいと願うばかりだ。

ところで、自身の庭みたいに「山野走」や「自然を愛でる山行」として、訪問した回数が、おそらく300回以上にはなるであろう「くろんど園地」や「ほしだ園地」を今季節に、時間や距離にこだわることなくゆったりとした精神で歩いてみたいと思考するが、また、「くろんど園地」や「ほしだ園地」を歩くことが、自身の身体力の快復度をはかるもっとも適した物差しになるように思うのだが、近いうちに一度は出掛けてみたいと考える。さて、起伏のある道や階段が続く道を、上手く歩くことができるのだろうか。

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