山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(ストレッチ)

2012年07月29日 | 山野走

Sii112 

◆撮影:2010年7月24日、くろんど池にて

201279日(月) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]60300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→62402[ピトンの小屋]62700(さえずりの路)64059[やまびこ広場]64600(まつかぜの路) 70613飯盛霊園・境界]71000(まつかぜの路)→[やまびこ広場]→(つつじの小路)→72351[展望スポット]72900→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→75806[私市駅]

<ストレッチ>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス21℃、帰路では25℃とあった。早朝まだ自宅に居るとき、陽が昇るほんの少し前の時間の経過中で、それも僅かな時間ではあったが、絹雲や絹積雲が淡く赤く染まる朝焼けの美しい瞬間があった。また、駅より自宅へと戻るとき、青空中に絹積雲や絹雲、そして絹層雲が拡がり殊に華やかな景観を楽しむ幸運にも恵まれた。

今朝手水を使うとき、痛いのを我慢すればなんとか両手で顔を洗うことが可能となった。昨日までなら、けっして両手で洗えなかった。片手を洗面台につき身体を支えなければ顔を洗うことが出来なかった。また、坐る姿勢より立ち上がるときに強い痛みが生じ、上半身と下半身が一直線になるまでにかなりの時間を必要としたが、それも、1週間前と比較するとき確実に短くなった。まるで牛の歩みの如くではあるが、治癒し始めているのは間違いがない。

一旦立ち上がってしまえば歩くことも走ることも可能で、走ることで腰痛を治さんと、今朝も“ほしだ園地”にやって来たのだが、一昨日よりもしんどい山野走となり、帰路、“かわぞいの路”を駆けるとき、かなり疲労困憊してしまったが、なんとか最後まで走り切った。

一昨日、数年前に購入した「西東社」発行、「コンディショニング・ストレッチ」という書籍を開いてみた。その中に「症状別ストレッチ」「腰痛を緩和する」という頁があった。そこには8種類のストレッチがあり、そのうちの7種のストレッチを、15分間足らずではあったが一昨日、昨日とほんの軽く行なった。

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ほしだ園地(鍛える)

2012年07月28日 | 山野走

Sii111_2

◆撮影:2010年7月24日、くろんど池畔にて

201279日(月) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]60300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→62332[ピトンの小屋]62700(さえずりの路)64044[やまびこ広場]64600(まつかぜの路) 70543飯盛霊園・境界]70800(まつかぜの路)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→75116[私市駅]

<鍛える>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス18℃、帰路では21℃とあった。走り始める時刻にもよるが、20℃を切るのは久し振りのように思えた。18℃という気温に「腰痛の中であっても今朝は山野走を楽しめるに違いない」と心なしか安堵感を覚えた。

私市の駅舎をゆっくりとスタートし、また駅に戻って来るまでの間、腰痛以外の事柄は我が脳裏に存在しなかったと言っても過言ではないだろう。最悪の腰痛に陥って今日で一週間になるのだが一向に良くなる気配がない。痛みのため一挙手一投足に緩慢になり、日々の生活にも仕事にも支障を来している。もしこのまま快方に向かうことがないとするのなら、今後の僕の生活は如何なるそれとなるのだろうと不安感が頭を過った。この14日からの大峰山系沢登りの不参加を昨日Abちゃんに伝えたのだが、「今後、山へも行けなくなるのかもしれないな」などと考えていた。

腰の周りの筋肉を鍛えることで腰骨を保護できるという話を聞き、腹筋や背筋を鍛えようと過去に試みたことがある。しかしそれは三日坊主で終わってしまっていた。その原因は僕の精神力不足にあるのは明白だ。その後、娘より、「走ることでも腹筋や背筋が鍛えられるんやで」と聞き、「走ることなら僕にも可能かもしれない」と考えた僕は、昨秋より走り始めたのだ。しかしその回数は毎月6回から10回くらいが関の山で、鍛えるというところまでは到達していないのだろうか。

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ほしだ園地(腰に好影響を与える運動とは)

2012年07月22日 | 山野走

Sii122_2 

◆撮影:2010年7月18日、黒添池畔にて

(カタバミ)

201276日(金) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]63800→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65938[ピトンの小屋]70300(さえずりの路)71658[やまびこ広場]72000(まつかぜの路) 74136飯盛霊園・境界]74500(まつかぜの路)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→83639[私市駅]

腰に好影響を与える運動とは

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス23℃、帰路では25℃とあった。帰宅すべく京阪電車に乗るとき、我が身体全体は汗に包まれていた。

三年ほど前の冬のある日、当時通っていた鍼灸整骨院の先生に「寒いのに弱いですね」と言われたのを思い出しつつ走っていた。しっかりとした記憶はないのだが、そのころ僕は冬の季節になるとよく腰痛に陥っていたのかもしれない。併しだ、今は夏ではないか。あれから三年を経て、季節に関係なく腰痛が生じるようになったのだろうか。当時のその症状と現在の症状を比較するとき、殆ど変化はないように思う。前屈みの、なかでも何かを持ち上げるときの姿勢や椅子に腰掛ける姿勢を我が腰は苦手としている。さて、我が腰は如何なる状態にあるのだろうか、森中を駆けること以外に、どのような運動が我が腰に好影響を与えるのだろうか。

腰に負担が掛からぬように至極ゆっくり走った、腕を振ることを心掛けた。今のような症状のときに、走ることが腰痛にプラスに働くのか、それとも、マイナスになるのかは分からない。しかし、プラスに働くに違いないと信じ一昨日に続き今日も“ほしだ園地”にやって来た。

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ほしだ園地(酷い腰痛&合歓の木)

2012年07月21日 | 山野走

Sii140

◆撮影:2010年7月10日、くろんど池畔にて

201274日(水) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]60500→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→62519[ピトンの小屋]62900(さえずりの路)64233[やまびこ広場]64700(まつかぜの路) 70641飯盛霊園・境界]71000(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→75255[私市駅]

<酷い腰痛>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス20℃、帰路では23℃であった。

近々酷い腰痛に陥るのではないかと心配していたが、案の定、昨朝より最悪の状態に陥ってしまう。靴下を穿くのも、パンツを穿くのもひと苦労だ。椅子に腰掛ける姿勢も鈍痛があり辛いのだが、椅子に坐した姿勢から立ち上がろうとするとき、我が腰は素直に伸びてくれない。上半身と下半身が正常な位置におさまるまで、一直線になるまで数分を要する。なかでも前屈みの姿勢程辛いものはない、ちょっとした軽い物でさえ足下より上手く拾い上げることができない。

そんな症状の中、“ほしだ園地”のいつものコースを走った。腰に負担が掛からぬように終始ゆっくりと走った。それでも足が着地するときその振動が腰に微かに響いた。それゆえ森中の景観を楽しむ余裕がなく足下ばかりを見て走った。走ることにより何とか早くこの状態から脱出したいと願いつつ走った。

“せせらぎの路”を下るとき、夏草が繁茂し道幅が心なしか狭まっていた。夏草が我が足首や脛をそっと撫で、そのこそばゆい感触が妙に心地好かったのは何ゆえだろうか。“せせらぎの路”から“管理道”に飛び出した足下に一つの合歓の木の花があった。立ち止まり上部を見上げると、我が老眼であっても、至極ぼんやりとではあったが、無数の淡紅色の色彩が確認できた。

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裏六甲・百丈岩(脱出と救助訓練)

2012年07月15日 | 岩登り

Sii172

◆撮影:2010年6月20日、百丈岩にて

201271日(日) 

T山の会』

<裏六甲・百丈岩>

■参加者:Abちゃん、Moくん、Se子さん、Yusun

脱出と救助訓練

降雨の確立が極めて高いというところで、行き先と目的が変更になった。本来なら堡塁岩にて岩登りの計画であったが、百丈岩での脱出と救助訓練へと変わった。

Moくんの指導のもと、トップが墜落したという想定で、セカンドがユマールとチェスト、そしてテープ、シュリンゲを駆使してトップのところまで登り、先ずはトップを下ろし、その後自身も懸垂下降するのだ。

先ずはAbちゃんからスタートし、次はMoくん、そして僕、最後にSe子さんという順で行なった。なかでもAbちゃんは、強まる雨脚のなか、1時間近く壁と対峙していたのではないだろうか。その姿を見る僕は、Abちゃんの体力と精神力に感服するばかりであった。奮闘するAbちゃんの姿を、傘を差し見上げていた僕が寒気に震えていたのに対し、雨具を身につけていなかったAbちゃんは「寒いことはなかった」とケロッとした表情で語った。最くんが登るころには雨は上がり、僕のときもSe子さんが行なうときも、雨に降られることはなかったのは真に幸いであった。ところで、チェストの位置が難しい。それが高すぎても、また逆に低すぎても真に都合が悪い。

僕は、金曜日夕刻の酷い立ち眩み以降、何処となく気分が優れない。相変わらず胃の調子も芳しくない。そんななか脱出&救助訓練をするとき、右足を大きく持ち上げたときに足先と大腿四頭筋で痙攣が生じ、腰に電気が走った。

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ほしだ園地(立ち眩み)

2012年07月14日 | 山野走

Sii123

撮影:2010年7月18日、黒添池辺りで

(カタバミ)

2012630日(土) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]65500→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→71532[ピトンの小屋]71900(さえずりの路)73401[やまびこ広場]74000(まつかぜの路) 80146飯盛霊園・境界]80500(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(管理道)→[おねすじの路]→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→85618[私市駅]

立ち眩み

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス21℃とあった。因みに帰路では25℃。

朝4時半に携帯電話のアラームが鳴ったはずだが、我が耳には届かなかった。その結果、スタート時刻が遅くなってしまい、気温25℃の中を走ることとなったのだが、それが影響したのだろうか。それとも体調の所為であったのだろうか、腰痛もまだ治っていない。

昨夕刻の某スポーツ用品店内のことであった。下部にある商品確認のために腰を下ろし暫くしゃがんでいた。そして立ち上がろうとしたときに立ち眩みが生じたのだ、それも二度。その内の一度は転倒するのではないかと思うぐらいの強い症状であった。そもそも僕は昔より貧血気味で、昨年の血液検査でも、一昨年の血液検査でも、赤血球数やヘモグロビン量は基準値以下なのだ。併しだ、立ち眩みを起こしたのは久し振りだろう。

なんとなく眠い。なんとなく身体がだるい。体調は芳しくなかった。不安であった。ゆっくりと走り始めた。帰路“かわぞいの路”を走るとき疲労困憊の状態にあった。

“ピトンの小屋”前にシモツケの紅紫がまだ残っていたし錦糸梅の黄花もまだ残っていた。“まつかぜの路”では5枚の花弁を付けるサクラソウ科黄花のコナスビ、“かわぞいの路”では淡紅紫のムラサキカタバミが開花していた。いずれも2cmにも満たない小さな花冠をつける、普通に見られる植物だ。今年初めて緑茶(500ml)をリュックサック中に忍ばせて森中を走った。

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ほしだ園地(腰痛の原因は内臓にある?)

2012年07月08日 | 山野走

Sii183

◆撮影:2010年6月19日、くろんど園地(睡蓮池畔)にて

「イヌツゲ」

2012628日(木) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]63700→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65452[ピトンの小屋]65700(さえずりの路)70952[やまびこ広場]72500(まつかぜの路) 74111飯盛霊園・境界]74500(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(管理道)→[おねすじの路]→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82942[私市駅]

<腰痛の原因は内臓にある?>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス21℃とあった。因みに帰路でも21℃。

幸いなことに今回の腰痛は最悪の状態に陥っていない。しかし、この24日以前と比べるとその差異は明確である。僕の場合、腰の左側に痛みが生じるのは珍しく、痛みが生じ始めたとき、原因が腰にあるのではなく、もしかしたら内臓にその原因があるのではないかと考えた。どんなときにどの辺りがどのように痛むのだろうかと探ってみたが分からない。

内臓に原因があるのではないかと考えたのには二つの理由がある。その一つは、「腰痛だと思っていたら肝臓に癌があった」という話を嘗て聞いたことがあったからだ。もう一つは、一昨年、僕の義兄が肺癌で逝ったのだが、腰痛だと思っていたその症状が治まらずさらに顕著になったために病院へ行ったところ、胃にも癌が見つかり末期癌との診断に至った。そして一年後僅か62歳で他界したのである。

“やまびこ広場” の東屋で一息入れるとき、過去に何度か“まつかぜの路”で見かけている高年(?)の女性がやって来られた。どちらから話し掛けたということもなく暫くの間言葉を交わした。その女性は「趣味はダイビング」「西表島やササ…諸島へ脚を伸ばす」「“まつかぜの路”が好きで時折歩きに来る」「ガレ場ではなくこのような森中が好き」「幸い近くに住んでいるから」等と話された。

6月末になって、“ほしだ園地”で花を見かける機会が極めて少なくなった。咲く花はヒメジョオンくらいだろうか。懸命に駆けるとき足下に一輪のニガナを見つけた。帰宅し植物図鑑で確認すると、まるい葉の形状からそれは“イワニガナ”なのだろうと思った。

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ほしだ園地(ハグロトンボ)

2012年07月07日 | 山野走

Kisaiti021

◆撮影:2008年6月30日、くろんど園地(睡蓮池辺り)にて

2012626日(火) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]62000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→63758[ピトンの小屋]64100(さえずりの路)75324[やまびこ広場]75700(まつかぜの路) 71335飯盛霊園・境界]71600(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(管理道)→[おねすじの路]→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→75916[私市駅]

ハグロトンボ

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス20℃とあった。因みに帰路では21℃。天空には白の絹雲と絹積雲があり、駆けるとき、ひんやりとした風が我が身体を叩いた。

今年初めてハグロトンボに出合った。“かわぞいの路”で二匹のハグロトンボに出合ったのだが、“かわぞいの路”であっても、いつも限られた処、陽射しがあまり届かないなんとなく薄暗いところ、しかも途の直ぐ傍を川が流れ、川面が途にもっとも近づく処、なかでもそれは、桐の大木が並んでいる辺りのように思える。ヒラヒラ、ヒラヒラとしなやかに飛ぶ漆黒のハグロトンボに出合うとき、僕はいつも何故か夏を想う。

それから間も無くして我が脳裏に二つの映像が蘇った。一つは次女と歩いた奥穂高岳から西穂高岳への稜線、二つ目は長女と歩いた白馬大池から白馬岳へと続く稜線であった。槍穂高縦走は次女が中学一年生の夏のことであった。それは間の岳の下り、西穂高岳へと続く岩稜上の景色であった、身長が1.5mに満たない次女は岩稜を跳ぶように歩いていた。二つ目の白馬岳へと続く稜線、それは間違いなく白馬大池を出て暫く後にこれから向かう小蓮華辺りのなだらかな山容を眺めた景色であった。今は亡き長女と歩いた、僕にとってはけっして忘れえぬ白馬の夏山であった。それは彼女が小学六年の時であったのだが、我が脳裏中に何ゆえか彼女の姿はなかった。

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ほしだ園地(腰痛)

2012年07月03日 | 山野走

Kisaiti018_2

◆撮影:2008年6月30日、睡蓮池畔管理棟にて

2012624日(日) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]63300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65145[ピトンの小屋]65500(さえずりの路)70727[やまびこ広場]71100(まつかぜの路) 72856飯盛霊園・境界]73400(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(管理道)→[おねすじの路]→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→81356[私市駅]

<腰痛>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス18℃とあった。因みに帰路では20℃。

今朝、起床時から左腰に異常な痛みがあった。それは間違いなく腰痛で、腰の左側が痛むのは極めて珍しいことであった。2週間前ごろから腰に違和感を抱き、また腰痛に陥るのではないかと心配していたのだが、やはりそのときが訪れた。

“飯盛霊園”からの帰路に、久し振りに“まつかぜの路”を選択した。それは階段が殆どなく走りよいからであった。帰路に“まつかぜの路”を走るのは久し振りで、しかも懸命に走った。帰路にこれ程に駆け続けたのは初めてのことではないだろうか。“おねすじの路”の下り階段も、“かわぞいの路”に入っても懸命に腕を振った。脚が痙攣するのではないかと思ったが、なんとか無事に私市駅に辿り着いた。懸命に駆けた理由は、脚や腰を、そして腕を激しく動かすことで、もしかしたら腰痛から脱出できるかもしれないと考えたからであったが、結果は無駄な足掻きとなった。

“やまびこ広場”より北へと少し下ったところ、右手路傍に白の花冠のオカトラノオの群落があった。この花も、ほしだ園地の職員の方々が植栽してくださったのだろうと思うと、頭が下がるばかりである。

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ほしだ園地(大阪マラソン外れる)

2012年07月01日 | 山野走

Cimg0146

◆撮影:2005年11月13日、星のブランコにて

2012623日(土) 

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

[私市駅]60600→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→62446[ピトンの小屋]62700(さえずりの路)63936[やまびこ広場]64400(まつかぜの路) 70043飯盛霊園・境界]70600(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(つつじの小路)→71708[展望スポット]72300→(つつじの小路)→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→75124[私市駅]

<大阪マラソン外れる>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス15℃とあった。因みに帰路では18℃。自宅より駅まで歩くとき、半袖半パン姿で肌寒く感じたのだが納得であった。

森中を駆けるとき、大阪マラソンの抽選に外れたというAbちゃんの言葉を思い出していた。「小生はくじ運が悪いですわ」というAbちゃんからのメールを思い出していた。そのメールを読んだとき、「これでフルを走らなくて済む」と僕は胸を撫で下ろしたのだ。

僕が所属する小さな山の会のメンバーの数人が予てよりフルやハーフを走っている。今年は「大阪マラソン」にグループエントリーしようとしたのだが、そのためには7名が必要だという。ところが6名しか集まらず一人足らないというので、僕は仕方なくエントリーした。

僕がハーフやフルマラソンを走らなくなってから既に20年以上が経過していて、今の僕の脚力ではフルを走り切る自信がない。ましてやなんら変化の無い街中を走るなんて、硬いコンクリートの上を走るなんて今の僕には考えられないことであった。きっと飽きてしまうに違いないと思っていた。それゆえ、「外れた」と聞いたときには心底から安堵したのだ。

「展望スポット」では三度目の正直で、北方の峰を望むこととなった。僅かに霞がかかってはいるが薄青い峰の連なりが我が眼前に横たわっていた。比叡の山裾が層雲に隠れているのみで、比叡山、愛宕山、ポンポン山、竜王山などと、設置されている地図を見ながら峰の頂を確認した。天空には高積雲、絹雲、そして絹層雲と華やかに雲が拡がっていた。

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