山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ひとりの墓参(墓石一つひとつに言葉を掛ける)

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

P1260174

◆撮影:2014年1月26日、ポンポン山登山道にて

2014216日(日)

『ひとりの墓参』

<墓石一つひとつに言葉を掛ける>

昼食を摂る間に、何となく平尾の墓地に行きたくなり僕一人で墓参に行った。上さんは今日も長女の遺作展で「TSUNAGU」に居たゆえ、上さんに声も掛けることなく墓参に行った。

ところで、四墓石のそれぞれに、昨日今日に献花されたばかりという様子の供華があったので、さて、どなたが来てくださったのだろうかと考えたが、今晩、上さんと話すなかで、午前中にTO君が、MIお母さんを連れて墓参に来たのだということが判明した。

普段の平尾墓参の殆どが上さんと一緒ゆえ、お参りは上さんに任せて僕は清掃に精を出すのが常なのだが、今日は僕一人ゆえ清掃の後、四ッの墓石前でそれら一つひとつに言葉を掛けた。先ずはKO兄さんに語り掛け、次はTE祖母ちゃん、そしてMIお父さん、最後は長女にと順に語り掛け、それぞれの墓石前で般若心経をあげた。なかでも、長女の前では我が瞼に涙が溢れることとなった。

先ずはKO兄さんに、「早く逝った方が辛いことを見なくて済むよね」「また、日々の生活の中で、しんどい思いをしなくても済むよね」「兄さんみたいに僕も早く逝きたいな」と話し掛けた。それは僕の偽らざる本心なのだが、MIお父さんにも同じ言葉を掛けた。更に「お父さんを羨ましく思う、KI子の死を見なくてもよかったんだから」と。

TE祖母ちゃんには、YMさんの健康を願ってほしいと頼んだ。最後のKI子には「もう知っていると思うが、今、TSUNAGUで御前の遺作展をやっていて、母さんが毎日通っているよ」と話し掛けた。

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センノサイド錠12mg(便秘に効力あり)

2014年02月15日 | 健康・病気

P1260184

◆撮影:2014年1月26日、ポンポン山にて

2014211日(火)

『センノサイド錠12mg

<便秘に効力あり>

昨秋処方された「センノサイド錠12mg」の何錠かが現在机上に眠っている。昨年の12月に、28日、29日と連日呑んで以降、まったく呑んでいない。「便秘で苦しむことなくお正月を快適に過ごしたい」と思考して呑んだのだが、その効果は、29日、30日と連続で明確に存在したと記憶する。そのとき、処方された「センノサイド錠12mg」の効力に感激もし感謝もした。しかし、下剤の副作用について不安感を抱き、その後何度も「呑みたい」という衝動に駆られたが、それ以降下剤を呑むことなく今日に至った。

ここ一ヶ月余り僕が心掛けたこと、それは、「朝目覚めのときに一杯の水を飲む」「朝食のとき、コップ一杯の牛乳を飲む」「食事時以外の水分補給を多くする」「毎食後、必ずトイレに這入る」「トイレではウォッシュレットを使用する」くらいだろうか。これらを心掛けた結果、少しずつではあるが、改善してきたように思うのだが、まだ嘗てのような快食快便というわけではない。その理由として、某ホームページに記載されていた「ストレスが便秘に関係する」が、僕の場合にも当たっているのではないだろうか。また運動不足も便秘の大きな原因だろう。

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比良山系・堂満岳(第3ルンゼ)

2014年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Si038

◆写真撮影:2012年10月14日、比良山系、八雲ヶ原にて

2014210日(月)

『T山の会』

<比良山系・堂満岳>

 計画書では僕の処が下山報告先となっているゆえ、昨日1722分にABちゃんから「無事下山しました」というメールがあった。そのとき僕は、「JR比良駅に着いたときに発信したのだろう」と考えると同時に安堵した。それは、土曜日の降雪のためにかなり辛い雪上歩きとラッセルになるのではないだろうかと心配していたからであった。

そもそもの山行計画は、JA比良駅→大山口→青ガレ(第3ルンゼ)→堂満岳→(堂満東稜)→桜のコバ→JA比良駅 であったのだが、昔とは違って、JR比良駅からのバスの便が無い現在では、雪が降り積もっている道をJR比良駅から延々と歩き続けるだけでも大変だろうなと考えた。

今朝になってABちゃんにメールを送信した。「無事の下山安堵しました。ところで計画通り山行は遂行できましたか? 一昨日の降雪により至極難義したのだろうと推察します」と。午後になってABちゃんから返信があった。「ご推察の通りです。ラッセルがひどくて、ルンゼの途中までしか行けませんでした。小生とUMさんが交替でラッセルしました。上りは2時間半、下りは1時間でした。あ~しんどかった」と。

山行行程の状況詳細は分からないのだが、兎に角第3ルンゼにはトライ出来たようで、そこで3時間半苦闘した模様であった。本当にお疲れ様でした。

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星の里いわふね(半年振りのJ太郎との山野)

2014年02月08日 | 山野逍遥

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◆写真撮影:2月2日、星の里いわふね にて

201422日(日)

『山野逍遥』

<星の里いわふね>

[コースタイム]

[私市駅]1440→[星の里いわふね]→1645[私市駅]

<半年振りのJ太郎との山野>

J太郎と山野に来るのは、昨年の728日以来の実に半年振りだ。昨年の914日の滑落事故以降、僕は心身ともに山野に行けない条件にあった。併しだ、今年に入ってからJ太郎に何度か、「山に行かへんか」と声を掛けたのだが、その度にJ太郎は「行かへん」と答え続け、山野に興味が無くなってしまったという様子であった。

そんななか、一昨日夕刻に電話で同様に声を掛けたところ、「行く」との返事があったゆえ、朝から私市に行くために一昨日は我が家に泊ったのだが、朝になって「行かないもん」と気持が変化した。昨晩も我が家に泊ったJ太郎に、今日昼食後、半ば冗談で「山に行かへんか」と声を掛けると、「行く」と返した。さてJ太郎は如何なる思考があって「山に行こう」と考えたのだろうか。「山野はしんどいゆえ行きたくないのだろう」と考え、今後J太郎は僕とは山に行かないものだと思っていた僕にとって、J太郎の言葉は意外であった。

もっとも出掛けた時刻が遅かったゆえ、J太郎が嘗て夢中になって石投げをして遊んだ“星の里いわふね”の川原を最終目的地として決めて出掛け、そこで一時間半くらい楽しんだ。流れに石を投げ込むだけの単純な遊びなのだが、J太郎はそれを一時間以上も続けた。ところで、この季節の夕刻迫る15時以降に川原で遊ぶのは我々だけではなかった。長靴を穿き網を手にして川中を進む幼い二人の子供を連れたご夫婦がおられた。「何を探しておられるのですか?」と尋ねると「ゴリです!」と答えた。その家族も含めて川原では三家族に出合った。すべての家族の子供達は川原を快闊に歩いた。

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日本山岳協会「山岳共済会」(山岳遭難・捜索保険)

2014年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

P1260184

◆写真撮影:2014年1月26日、高槻・ポンポン山

201423日(月)

『山岳共済会』

<山岳遭難・捜索保険>

僕が所属する「山の会」では、山岳共済会の「山岳遭難・捜索保険」に加入する約束になっていて僕も含めて全員がその保険に加入している。

昨秋の御在所岳における滑落事故で生じた費用の内の多くを占める金額を、暫く以前に、三重県山岳連盟遭難対策委員会にお支払いした。対策委員会の方によると、僕の救援の為に活動してくださった藤内小屋の方は当初、「拠出した費用は貰えない」と仰っておられたそうで、「救援活動は善意の無報酬活動である」という思いが心根にあるようであった。また、委員会の方も「今年になって、遭難者に対して救援請求書を発行したことが無い」とも仰っておられたそうで、滑落事故より二ヶ月以上も経過したころに、僕が直接電話を差し上げたことと、僕が山岳共済会の「山岳遭難・捜索保険」に加入しているということを理解したうえで、12月下旬になって漸く明細書が届いたのだ。

また、委員会や山小屋関係の方々以外に、滑落現場から至近距離でクライミングをしておられたN山岳会三名の方にも事故直後より至極お世話になった。お礼として個人的に支出したものは除外されるようなのだが、委員会等にお支払いした全額を引受保険会社である三井住友海上火災保険㈱が引き受けてくれる。

自身が山岳事故を起こし、山岳共済会の保険を使わせて戴くことになるとは考えだにしなかったのだが、結果として、山岳共済会の「山岳遭難・捜索保険」に加入していたことにより、昨秋の事故の救援活動は、夜半という時刻にもかかわらず、僕の救援活動に精魂を尽くし携わってくださった人の中で、警察や消防署、病院の方々を除くすべての方々に対して、僕自身が拠出することなく、その費用をお支払いすることができるのは至極嬉しいことであります。

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高槻・ポンポン山(30年振りのポンポン山)

2014年02月02日 | 山野歩

P1260177

◆撮影:2014年1月26日、神峯山寺にて

2014126日(日) 

『T山の会』

<高槻・ポンポン山>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、SE子さん、YUさん

[コースタイム]

[JR高槻駅]912(バス)929[神峰山口バス亭]→945[神峯山寺]→1050[本山寺]→1150[ポンポン山]12101235[釈迦岳]→[大杉]→(林道ポンポン山線)1410[川久保バス亭]→(際面ヶ谷林道)(東海自然歩道)1500[神峰山口バス亭]

◆所要時間:5時間30

30年振りのポンポン山>

神峰山口より東海自然歩道を通りポンポン山を往復するのみという、軽いハイキングの心算で参加した僕にとっては、所要時間5時間30分、それも速歩のかなりしっかりとした山野歩となった。「往路と同じ道を帰りたくない」というMOくんの思考により、ポンポン山から後は地図を片手に歩くこととなった。

17時には家に戻らねばならない」とUMさんが言うゆえ、また、本日山行のリーダーであるABちゃんが、「930分出発、ポンポン山到着12時、神峰山口バス亭着1330分頃」とメールに記していたゆえ、15時までには高槻市駅界隈に戻っているものと僕は考えていた。

結果として然程遅くはならなかったのだが、途中道が判然としない状況下で、下山が何時になるのかが分からないなかで、「暗くなるまでにバス亭に着けばいいや」と僕が言うと、「ヘッドランプは常識やで」という言葉を誰かが発した。高槻北口バス亭に居るとき、「ポンポン山縦走コース」という地図が全員に配られた。誰が準備してくれたのかは分からなかったのだが、山中をしっかりと歩こうという姿勢が最初から現れていたように思う。「やっぱりT山の会やな、存分に山を楽しもうという心意気やな」と、僕は皆の山に対する思いを再認識することとなった。

僕にとってはかなり厳しい山歩きであったといっても過言ではない。その証拠として、ポンポン山に辿り着いたときには、大腿二頭筋と足首にかなりの疲労があったし、「バスの時刻に間に合いそうだ」というので、神峰山口バス亭までの最後の300m程を懸命に走った結果、バス停椅子に腰掛けようとするときに腰痛が生じてしまったからだ。

ポンポン山頂には、雨に降られるかも知れないという予報にもかかわらず、我々も含めて30名以上の登山者が居たように思う。もっとも山頂に着いて暫くして降り始めたのは、雨ではなくて雪だったのだが。併しだ、この天気予報にもかかわらず、また冷気に包まれているこの季節にもかかわらず、大勢の山を楽しむ人が居ることに驚くばかりであった。

僕にとっては二度目のポンポン山であった。一度目は30年近く以前のこと、我が二人の娘がまだ3歳から7歳くらいのころの寒い季節に家族で、神峰山口よりポンポン山経由で善峯寺を通って阪急京都線向日町駅まで歩いたことがある。小塩からのバスの便が無く、舗装道路を延々と向日町駅まで歩いたのだが、長女はしっかりと歩き続け、眠ってしまった次女を暫くの間、抱っこして歩いた記憶がある。

神峰山口バス亭から歩き始めて間も無く、我が脳裏には二十歳で逝ってしまった長女の姿が現れた。30年前の想い出が鮮明になるに連れ、長女と共に、善峯寺から向日町駅へと歩いてみたいという気持が高まった。

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