山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(珠玉の木漏れ日)

2012年10月29日 | 山野走

Si001

◆撮影:2012年10月13日、ほしだ園地にて

(ミズヒキ)

20121016日(火) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]63800→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65849[ピトンの小屋]70200(さえずりの路)71532[やまびこ広場]72000(まつかぜの路) 74036[飯盛霊園・境界]74300(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→83441[私市駅]

<珠玉の木漏れ日>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板」に往路でプラス12℃とあり、ジャージー長ズボンを穿いて来たことに幾分安堵する。それは、年齢と共に寒いのが苦手になってしまい、例えば上さんと同じ条件の処に居るときであっても、上さんが寒気を感じていなくても、僕はよく「寒い」という言葉を発する。夏季なんかはまさにそうで、クーラーが動いているときに僕は度々足先に冷えを感じる。それゆえ僕一人のときはクーラーを使用しないのが常である。盛夏であっても夜にはすべての窓を閉め、冷房無しで一人で眠る。

今朝、携帯のアラーム音が微かに耳に届いたが、昨晩布団に入るのが遅かった所為だろうか起きることが叶わなかった。それで予定よりも30分遅れのスタートとなり、帰宅しなければならない時刻を意識し上り階段以外は走り続けた。ところが意外と時間を要する結果となってしまう。それは、「腰痛が酷くならないだろうか」「左膝痛が生じないだろうか」という不安感が脳裏から離れることがなく、数ヶ月前までのような駆け方ができないからだろうと思う。しかし、腰痛の症状は皆無、左膝痛は軽微で済み、一昨日の八雲ケ原湿原山行におけるトレッキングシューズで痛んだ左足の外反母趾も痛むことはなかった。

今朝僕の眼は一輪の花でさえ捉えることができない程に精神的に余裕が無かった。ただ、“まつかぜの路”を戻るとき、瞬時のことではあったが、華やかな珠玉の木漏れ日が眼に留まった。

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比良山系・八雲ケ原湿原(悠久のとき)

2012年10月28日 | 山野歩

Sii396

◆撮影:2012年9月2日、比良山系・八雲ケ原湿原にて

20121014日(日) 

『山野歩』

<比良山系・八雲ケ原湿原>

[比良駅(JR湖西線)]717809[イン谷口]→832[大山口]→910[青ガレ下]920957[金糞峠]10131040[八雲ケ原湿原]12501323[金糞峠]1350→[青ガレ]→1454[大山口]→1514[イン谷口]→1556[比良駅]

<悠久のとき>

JR比良駅より山麓へと向かうとき、頭上には鱗雲が、比良山系上には高積雲が発達するという、雲量「2」の晴れやかな秋天であった。往路、金糞峠から見上げた狭い空には僅かに絹雲があったのみで、高積雲は消滅し真っ青な空が拡がっていた。ところが、“八雲ケ原湿原”でその景観を楽しむ内に、雲量は漸次増え陽射しが陰るようになる。しかしもしかすれば、“八雲ケ原湿原”には陽光が注ぐ蒼穹よりも、曇り空の方が似合うのかもしれない。

池や湿原の周りを何周もしたし木橋上を幾度となく歩き、二時間余りの間“八雲ケ原”で愉楽の時を過ごさせて戴いた。池面にはあめんぼやイモリが見られ、小魚が泳いでいた。また湿原では、白花のウメバチソウと黄花のミミカキグサが花期を迎えていたし、マムシグサの朱赤の果実が、立ち上がった茎の頭に燦然と輝いた。湿原上をルリタテハ蝶が舞い、数多の赤蜻蛉が飛び交い時折木橋上に舞い降りたが、この赤蜻蛉は“アキアカネ”なのだろうか。木橋上を闊歩するオオカマキリにも出合った。またスキーゲレンデ跡の草叢中には紫の筋がある白花のセンブリが其処彼処に咲き、僅かではあったが、華やかな紫の色彩のリンドウにも期待通り出合うこととなった。

“八雲ケ原”に至る途でも幾つかの花に出合った。なかでも青ガレに入った直ぐのところ、左手日当りのよい処に咲いていたアキチョウジ(?)の華やかな紫の色彩の花の数は圧巻であった。その右手には白花のヤマシロギクが伸び上がっていた。大山口を過ぎてから暫くの間路傍を賑わしたのは小さな白花のマツカゼソウで、なかには花期が終わり花の部分が赤くなったものも数多あったが、その赤の色彩は花の白よりも透き通るような葉の緑色に一層合うように思われた。またその道すがら黄花のアキノキリンソウにも再三出合うこととなった。

奥の深谷の源流に沿って歩く途、原生林に包まれた清閑なその途を、軽やかで清冽な沢の流れに耳を欹てながら歩くとき、原生林中に猿の声があった。その辺りの足下に栗の毬が多数落ちていたのは猿が餌としたからに違いないと思った。滔滔と流れる奥の深谷源流の川面が僅かな木漏れ日に煌き、陽射しが届く少しばかり明るい処にヤマトリカブトがひっそりと咲いていた。山麓では淡紫色のノコンギク、そしてヨメナと、キク科の花が僕の眼を楽しませてくれた。

青ガレの下で休むとき、地元の方と話す機会があった。「熊が出たそうだ」「猿が群れを作って移動している」「鹿が畑を荒らす、今朝、我が家の傍らで鹿の声を聞いた」などとその方は語った。帰路、湖西道路のほん近くで、捨てられたナイロン袋をくわえて、僕の気配に気づき雑木林中に駆け込む二頭の鹿の姿があった。

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ほしだ園地(J太郎は怖がり)

2012年10月27日 | 山野逍遥

Sii432

◆撮影:2012年9月16日、富士山五合目より

20121013日(土) 

『山野逍遥』

<ほしだ園地>

[私市駅]1110→[星の里いわふね]1150→(かわぞいの路)1210→[星の里いわふね]→1605[私市駅]

<J太郎は怖がり>

私市駅舎から直ぐのところ、駐車場の金属製網目の柵に絡んで伸び上がるホオズキ(?)相手にJ太郎が遊んでいると其処に家族連れがやって来た。その中の小学校中級学年くらいの女の子が、「これ私の学校にもあるよ、フウセンカズラっていうねん」と話した。僕にはホウセンカズラとも聴こえたので、「ホウセンカズラ?」と訊き返すと、隣に居られたお父さんが「果実が風船みたいやからそう言っているだけと違うんか」と娘さんに仰っりつつ笑った。J太郎は先日よりこの植物が至極気にいってしまい、帰路には15分以上もの間フウセン相手に遊び続けた。「お母さんが待っているよ」「お祖母ちゃんも待っているよ」と度々声を掛けるが、彼の耳にはなかなか届かなかった。

“星の里いわふね”を過ぎ森中へ入り桐の高木並木を過ぎ暫く歩いたころ、樹木が鬱蒼と茂り何となく薄暗くなったとき、堤でもあるのだろうか、雑木林の向こうを流れる川音が少し激しくなったとき、「もう帰ろう」とJ太郎が呟いた。そのときのJ太郎の心根に如何なる感情が生じていたのかは知る由もないが、きっとそのときの周辺の雰囲気にJ太郎なりの“恐怖”を感じたのだろうと思う。

また、“星の里いわふね”の川辺の大石が階段状に巧みに積み上げられている処で遊ぶとき、J太郎が僕の顔をみつつ岩と岩の隙間を指差す。よく見るとそこには仰向けに転がったミンミンゼミの死骸があった。「死んでいるから触っても動かへんで」と僕が言うと、J太郎は安堵した様子でそっと触った。次はツチイナゴだ。ミンミンゼミの死骸があった一段上の石上に薄茶色のバッタが静止している。それは一見死んでいるかのようにも見えたが、しっかりと見ると6本の足でしっかりと立っているのが分かった。「生きているみたいやけど、触っても大丈夫やで」とJ太郎に触るよう促したが、手を出す気配がない。僕が指を出すと瞬時にその場から姿を消した。

“星の里いわふね” のバーベキュー場下方に意外と綺麗な天ノ川の流れがある、その川辺でお弁当にした。上さんが作ってくれたJ穣太郎のためのお弁当箱と、僕のためのものの二つのお弁当箱があったが、中身はまったく同じで量が違うだけだ。柿と蜜柑も皮を剥いて他の容器に入っていて、J太郎はそれらをしっかりと食べ尽くした。また魔法瓶に入った熱いお茶がお気に入りで、「あついッ!」と言って美味しそうに飲んだ。

J太郎が砂上にお握りを落とした。「砂が付いているから食べられへん、蟻にあげような」と言って暫くが経ったとき、多くの蟻が集まっていた。J太郎は集まる蟻の様子を興味深そうに何度も何度も身体を伸ばして眺めていた。

J太郎よりも1歳から2歳年上に見える男二人兄弟がやり始めた川への石投げを、J太郎も真似てやり始めた。僕には何が面白いのか分からないのだが、川に石を放り投げ続けた。暫くして男の子達は居なくなったのだが、J太郎は延々と1時間以上もの間石投げを続けた。薄暗い森中で先程彼が言った、「もう帰ろう」の言葉は何処にいってしまったのだろうかと、僕は石上に腰を下ろし茫然として眺めていた。

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くろんど園地(水舞台・池面の波紋)

2012年10月25日 | 山野走

Sii393

◆撮影:2012年9月15日、富士山にて

(タカネヒゴダイ)

20121012 日(金) 

『山野走』

<くろんど園地>

[私市駅]55300→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→62558[くろんど池]63100(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)64309[展望台]64600→(管理道)→70723[キャンプ場]71000→(管理道)→(やまごえの路)72737[水舞台]7350074139[草原広場]74400→[すいれん池]→80628[私市駅]

<水舞台・池面の波紋>

駅へと歩むとき、東方の空に形のよい三日月が鮮明に浮かび、その左下に明星の金星があった。半ズボン姿であってもけっして寒くはない清けし秋の朝であった。

最後の民家に分かれを告げ森中へ入ってから、帰路、森に分かれを告げるまで誰に会うこともなく、森は僕の一人占めであった。昨夕刻19時過ぎの雷鳴と閃光のときに、私市の森中では僅かに降雨があったのかもしれない。足下はしっとりと水気を含み、乾いた状態よりも走りよい柔らかい道へと変化していた。

“やまごえの路”を下るとき、僕の胸は少し高揚する。それは、その下方に位置する“水舞台”がある謐然とした雰囲気が気にいっているからだろうと思う。ここに初めてやって来たのは今夏の826日で、今日で5回目だが、今朝の水舞台には過去4回には無かった自然現象があった。そして暫くの間その景色に僕の五感は、なかでも視覚と聴覚が虜になった。

“水舞台”は森中に位置する平凡な小さな池だが、背後に横幅10m以上、高さが3m以上もある大石が鎮座している。その池には“あめんぼ”が生息していて水面を駆け廻り池面に規則的な小さな丸い模様を其処彼処に創る。ところが今朝の池面にはもう一つの丸い模様が生まれていた。初めその模様が何故生じるのが解らなかった、しかし直ぐに判明し暫くの間僕の眼を釘づけにした。それは、池面に張り出した樹木の葉っぱから音も無く落ちる滴が水面に創り出す波紋であった。その水滴は昨日の降雨時に葉上に残っていたものなのか、それとも露時雨なのかは分からないのだが、池面に波紋が生じ至極ゆったりと円状に拡がってゆくのだ。拡がる波紋が消滅する前にまた池面の何処かで波紋が生じる。その繰り返しが継続する。この情景を見ているとき僕は長女を想った。彼女が生きていたならこの自然が創り出す造形美を、鉛筆デッサンで、また顔彩で画紙に如何に画くのだろうかと。時間が許すのなら、この水辺にもっと佇みこの情景を楽しみたいと思ったが、仕事の関係で9時までには自宅に戻らねばならない。それゆえ後ろ髪を引かれる思いで水舞台を後にした。

キャンプ場への上り坂を走るとき、足下に栗を見つけ3個拾った。我が家の仏壇に供えようと思った僕はリュックサックの横ポケットに大切に忍ばせた。

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ほしだ園地(判らない植物の名称)

2012年10月21日 | 山野走

Sii427

◆撮影:2012年9月16日、富士山にて

(富士山頂)

20121010日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]63700→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65740[ピトンの小屋]70200(さえずりの路)71618[やまびこ広場]72000(まつかぜの路) 73908[飯盛霊園・境界]74200(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82807[私市駅]

<判らない植物の名称>

早朝屋外に出たとき頭上に三日月があった。数多発生している絹雲と絹層雲が淡紅色に染まり、殊に美しい朝焼けの空も頭上にあった。

往路168号線を走るとき、冷たい風が僕の身体を叩き、長ズボンを穿いてこなかったことを後悔した。それは出掛けるときに、ジャージ長ズボンを穿くべきか、それとも半ズボンにしようかと躊躇し、結果として半ズボンを選択したからであった。磐船街道入口に設置された電光道路情報表示板(気温計)に15℃とあるのを見て、「なんや6日と同じ気温やんか」と思ったが、今朝の体感温度は確実に6日より低かった。ところが森中は暖かい空気に包まれていた。“星の里いわふね”から森中へと進むと、それ以降私市駅に戻るまでまったく寒気を感じることはなかった。また、一日置き三日連続の山野走は今の僕の身体にはきつかったのだろう。帰路にはいると明確に左膝に症状が現れたし右腰にも違和感が生じた。

今日“ほしだ園地”に走りに行こうと決めたときから、4日前に名称が分からなかった植物をしっかり観察して帰ろうと考えた。植物図鑑でそれらの花が何という名称の花なのかを確認したいと思ったからだ。そのために、花や葉の特徴を極めて簡単ではあるが手帳に絵と文字にして持ち帰った。ところが、“せせらぎの路”で出合った青紫色唇形の花も、また、“さえずりの路”に入る少し下方の沢の傍らに咲いていた紅紫色の花のいずれの名称も解決することはなかった。また、紅紫色花の直ぐ横に咲いていた大振りの白花もまた分からなかった。ところが、図鑑を見るなかで先日分からなかった菊の名称が判明した。それは“シラヤマギク”であった。

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くろんど園地(義兄の穏やかな表情)

2012年10月20日 | 山野走

Sii413

◆撮影:2012年9月16日、富士山頂にて

(浅間大社奥宮)

2012108日(月) 

『山野走』

<くろんど園地>

[私市駅]74500→[すいれん池]→81508[くろんど池]82200(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)83548[展望台]84000→(管理道)→90012[キャンプ場]90600→(管理道)→(やまごえの路)92025[水舞台]9240093114[草原広場]93500→[すいれん池]→95549[私市駅]

<義兄の穏やかな表情>

今朝、食堂兼居間に入るや否や、「ラズモフスキー第3番を流すね」と写真の義兄に声をかけつつラジカセの電源を入れた。流れ始めた曲は、弦楽四重奏曲 9 ハ長調 作品593の第四楽章だ。その曲を聴きつつ朝食を頂戴した。

写真の義兄は、2年前の11月に肺癌、胃癌により63歳で逝った。それから4ヶ月後、義兄が残した“兄さんの宝物”といっても過言ではない多くのクラシックのレコードやCDの中から僕はCDの一部を頂戴した。それ以降僕はそれまで無縁であった音楽(クラシック)を食事中に聴き始めた。それまではテレビを見ながら食事をするというのが常であったのだが、それ以降の生活のなかでまったくに近いくらいテレビを見なくなった。

今朝、“くろんど園地”森中を走るとき、我が脳裏に度々兄さんが現れた。それは2年前の10月、某宿泊施設における晩餐会の、痩せ細ってはいるがしかし、家族全員(総勢27名)が揃い、家族の姿を見て愉楽の時を過ごす穏やかな表情の兄さんの姿であった。微笑む兄さんを被写体に僕はシャッターを数回切った。その中から、左横顔の一枚の写真を上さんが選んでラジカセの右側に置いた。それ以降僕は、僕がクラシックを聴くとき、兄さんも必ず一緒に楽しんでくれているものと思っている。

至極ゆっくりであったが、また傍目には走っているように見えないかもしれないが、我が脳裏の何処かに居る兄さんに常に見られているような気がして僕は懸命に走り続けた。階段の上下行と草原広場へのコンクリート道の上り坂、そして休憩地点を除くすべての処で懸命に腕を振った。

キャンプ場の床机に腰を下ろし眩しいくらいの青空を見上げるとき、ピッピッピッ、チェッチェッチェッ、ピロピロピロピロ、ピリリピリリと、樹林の其処彼処に小鳥達の囀りがあったが姿はない。展望台で椅子に腰を掛けるとき、心地好い風が僕の熱い身体を叩いた。南方に浮かぶ絹雲は西から東へと流れているように見えるが、身体を叩く風は南からのようだ。遠景は霞み葛城の峰も明確に見えない。草原広場にて空を見上げると半月があった、青空中に浮かぶ淡い絹雲の向こうをゆっくりと静かに動いていた。

睡蓮池畔のニシキギの紅葉が始まろうとしていた。キャンプ場への路傍に紫色の花を咲かせていた樹木はセイヨウニンジンボクだろうか。キツネノゴマも露草もキンミズヒキもまだ残っていた。黒添池近くに紅紫色のイヌタデの群落があった。林中にキク科と思われる2種の白花があったのだが、拙い僕の知識ではその名称が分からない。

今日は “体育の日”でもあり“寒露”でもある。“寒露”とは二十四気の一つで、辞書を開くと「寒さで露が凍るの意で、晩秋から初冬にかけての露をいう」とあった。そういえば今朝駅へと向かうとき、一昨日より一時間近く遅い時刻にもかかわらずそれよりも寒気を感じた。

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ほしだ園地(マルバルコウ朱赤の花)

2012年10月13日 | 山野走

Sii402_3

◆撮影:2012年9月15日、富士山(宝永火口)にて

2012106日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]65400→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→71417[ピトンの小屋]71800(さえずりの路)73129[やまびこ広場]73600(まつかぜの路) 75429[飯盛霊園・境界]75800(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→84307[私市駅]

<マルバルコウ朱赤の花>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス15℃とあった。帰路表示板を見忘れ気温が何度であったのかは分からないのだが、往路と余り変わらなかったのではないだろうか。それは6時半ごろの雲量が「8」くらいと、天空は美しい絹積雲と絹層雲に覆われ陽射しがあまり届いていなかったからだ。また、半袖ティーシャツ一枚と半パン姿で走ったので然程汗をかくことはないだろうと思っていたが、私市駅に戻って来たときには上半身から腰周りがびっしょりと濡れていた。

朝起きたときから暫くがもっとも腰の状態が悪い。靴下やズボンを穿くときは最悪で、その後、仕事で動くときも、事務所に腰掛けるときも鈍痛が続く。腰を掛ける、腰を下ろす、前屈みになる等の姿勢が今の僕にとっては至極辛い。その後身体を動かすことにより、時間の経過のなかで次第に痛みは和らぐが、完全に消滅することはなく一日中痛みが続く。

そんな状態のなか「駆ける」を意識して今朝 “ほしだ園地”へとやって来た。“ほしだ園地”を走るのは711日以来であった。走り始めるとき「走り続けることができるのだろうか」という不安感が我が脳裏を支配していた。左膝と腰に細心の注意を払い、下り階段は至極ゆっくりと歩くように下った。それらが功を奏したのだろうか、左右の膝に疲労はあったが心配していた左膝の痛みは軽微で済み、腰に酷い痛みが生じることもなく安堵する結果となった。

桐の高木が立ち並ぶ薄暗い樹木下に78本くらいの彼岸花があった。既に最盛期が過ぎた様子で如何にも元気がなく淋しげな姿を覗かせた。“ピトンの小屋”前にシモツケの紅紫の色彩が残っていたがそれも極僅か、青色のツユクサもほんの少しだけ僕の足下を通り過ぎて行った。紅紫の色彩のヤマハギも然り。

“せせらぎの路”を下るとき、足下に3出複葉、青色唇形の花が僕の踝に届かないくらいの高さに其処彼処に咲いていたが、さてこれは何という名称の花なのだろうか。また“さえずりの路”から管理道に出て僅かに下ったところ、右手沢中の砂上に咲いていた淡紫紅色の花も名称が分からない。ところで民家が並ぶ処から168号線へ出る際にある小さな橋の傍らにマルバルコウが数多咲き満開を迎えていたのだが、僕がマルバルコウを初めて見たのは、30年以上も前に比良山系釈迦岳へと向かうリフト乗り場の下方の道端であったのを明確に覚えている。そしてその朱赤色の小さな花がマルバルコウだと解ったのは最近になってからだ。マルバルコウはヒルガオ科の仲間で、葉は濃緑色、花は2cm足らずの小さな花で熱帯アメリカが原産だという。

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ほしだ園地(孫・J太郎と)

2012年10月07日 | 山野逍遥

Sii051_2

◆撮影:2010年11月14日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

2012929日(土) 

『山野逍遥』

<ほしだ園地>

[私市駅]→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→[星の里いわふね]→[私市駅]

<孫・J太郎と>

午前中の仕事を済ませ、そして午後からのせねばならない仕事との合間に私市にやって来た。目的は2歳半になる孫のJ太郎を自然に触れさせてやりたいと思ったからである。それは自宅の近隣であっても可能なのだろうが、残念ながらそこには森や川が存在しない。

私市駅をスタートしたのは12時になっていなかったように思う。そして14時ごろには私市駅へと戻って来ていたので私市での行動時間は僅か2時間ほどであった。駅前の民家が立ち並ぶ地区を過ぎ、168号線を歩み、“星の里いわふね”から“かわぞいの路”に入って200m余りの処、桐の高木が立ち並ぶ処で銀マットを敷き、枚方市駅構内で購入してきたパンと持参した麦茶で昼食にした。

J太郎の歩みに任せて歩いた。極めてゆっくりではあったが彼はしっかりと歩き続けた。去る814日の豪雨による被害からまだ完全復旧していない“かわぞいの路”は、何箇所かで2歳半の子供にとっては歩き辛い急ごしらえの勾配のある滑り易い道となっていた。そこで彼は足を滑らせた。地面に手をつき這って上がったらええのにと僕は思ったが、彼は手に砂などがつくことを至極嫌がり僕の手を支えにして滑りながら上下行した。

168号線傍らの道を歩むとき、側溝を流れる豊富な水に興味を示し、また足下の暗渠中を流れる水にも興味を示した。ところが、その傍らにある稲穂や草花(ツユクサ・カタバミ・マルバルコウなど)を僕が指差してもまったく反応することはなかった。次に興味を示したのは天の川の流れであった。橋を渡って直ぐの処、天の川を見下ろす処で左手の手摺に寄り掛かって下方を見詰めていた彼が「さかな!」と叫んだ。川の流れ中には我が老眼でも見えるくらいの大きな67尾の鯉がゆったりと泳いでいた。石段を下りて川面に触れられるところまで進むと1cmほどの稚魚と45cm程の無数の魚(カワムツ?)が群れをつくって泳ぐのを見ることとなった。

昆虫にも興味を示した。キチョウ、ヤマトシジミ、そして鳴き声だけであったがツクツクホウシと。なかでも足下に見つけたタマムシの死骸を熱心に触った、黄金色や虹色に輝きを放つ華やかな色彩の翅に魅せられたのだろか。それとも動かない虫に某かの感慨を抱いたのだろうか。植物で唯一つ興味を示したのはもう直ぐで私市駅という処で、垣根に絡み伸び上がっていたホオズキ(?)であった。しかし彼が夢中になったのは小さな白花ではなく透明感のある黄緑色袋状の果実(?)で、「帰ろう」と僕が促すまで袋を指で押さえ楽しんでいた。

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