むろいけ園地“湿生花園”にて
2018年09月23日(日)
『生駒山系縦走路』
<ほしだ園地~むろいけ園地&“森の工作館”を訪問>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:44→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:47[ピトンの小屋]9:00→(さえずりの路)→(つつじの小路)→9:24[展望デッキ]9:30→[やまびこ広場]10:55→(まつかぜの路) →11:38[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内(大休止)]12:24→12:43[ビオトープ田原の里山・車止め]→13:15[堂尾池]→14:00[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→(森の工作館)→(むろいけ園地・散策)→16:00(蟹ケ坂ハイキングコース)→17:11[四条畷駅]
◆所要時間:9時間27分
<お袋の姿が現れる>
目眩から一週間が経った。我が身体に自信がなかった。
「しんどくなれば山行を中止し、時間をあまり要することなく何処かに下山することが可能」
「歩いている方が多く、人が居る建物も数多あるので最悪の場合は助けを求められる」などと思考し、
我が身体力のバロメーターになり得る生駒山系縦走路にやって来た。
また、“森の工作館”を訪問する目的もあった。
“森の工作館” が造っているのではないかと思われるホームページ(里山サロン・ナウ「自然情報」)、
普段より楽しませて戴いているそのホームページの造り手に御目に掛かりたかったからだ。
“むろいけ園地”の植物や昆虫、鳥などの自然をテーマとしているそのホームページの造り手に御目に掛かって、
先月の13日に“むろいけ園地”にやって来たときに撮影したものの中で、
名称が分からない植物の名前を教えてもらうのも目的の一つであった。
体調に問題はなかった。
しかし今の我が歩みでは、高安山どころか生駒山頂へも行けそうにもないなと思った。
“むろいけ園地”を散策するときに脚に痙攣が生じ始めたので、
蟹ヶ坂ハイキングコースを下り始める前に暫くの間ベンチに坐り脚を休ませ、芍薬甘草湯を服用する。
森の工作館にやって来ると、催しが開催されていて小さな子供達を連れた家族連れで賑わっていた。
それが終了するのを待って入館し、
スタッフらしき方に、何ゆえ僕が此処にやって来たのかを伝え僕のカメラ(オリンパスSTYLUS SH-50)を見せる。
小さなカメラゆえ、狭い面積のモニターの小さな画像はかなり見づらいものであったが、その方は親切に対応してくださった。
ところで、里山サロン・ナウ「自然情報」というホームページの造り手は、やはり森の工作館のスタッフの方達であった。
雲量「7」で絹積雲が拡がる。
磐船街道入口にある道路情報表示板の気温計には「20度」とあった。
汗が顎から滴り落ちるところまではゆかなかったが、歩くうちにタオルが必要になるぐらいまでに気温は上昇したようだ。
上着を1枚持ってきたが不要で終始Tシャツ1枚で過ごす。
やまびこ広場にあるカスミザクラの袂で出会った男性二人連れの方と2時間近く立ち話をする。
二人は立派なカメラを持っておられ、昆虫や蝶、蛾などの撮影したばかりと思われる写真を見せて戴きながら、
それらにかかわる話に華が咲いた。
写真は何れも明瞭で且つ綺麗な出来栄えで羨ましく思うものばかりであった。
なかには僕が暫く出合ったことがない“ミヤマカラスアゲハ”の写真もあったりして楽しませて戴いた。
そんな中、小鳥の囀りが聴こえたときに、「あの声はソウシチョウですよ」とおっしゃった。
飯盛霊園内はお彼岸ということもあり、車の渋滞が生じるくらいお参りをされる方で混んでいた。
その情景を眺めていて僕の脳裏にはお袋の姿が現れた。
昨晩、美空ひばりのCDを聴くときに、
「お島さん、もう若旦那、若旦那、と呼ぶのはよして…」という林与一の台詞が入っている曲(お島千太郎)を聴いたからだろう。
それは、お袋の母親の名前が平仮名で“しま”だからだ。
実家を訪れたときに、実母を「お母さん!」と呼ぶお袋の姿を僕は見たことがなかった。
お袋は必ず「おしまさん」と言い、けっして「お母さん」とは言わなかった。
それは何故か分からない。
お袋は、八人兄弟姉妹の三人目で次女なのだが、
何故か、御袋だけが養女として小学2年生のときに生家を出たのだ。
また戦死した長男を除く兄弟姉妹七人の中で最も早く、8年前にこの世を去った。