山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

新型コロナウイルス(昨年の1月27日の日記)

2021年02月08日 | 健康・病気
2021年01月27日(水)
『新型コロナウイルス』
<昨年の1月27日の日記>
昨年の1月27日の日記に、
「19時過ぎのNHKラジオによると、中国(湖北省・武漢)で蔓延しているという新型コロナウイルスによる肺炎患者が2700人に達し、
81人が死亡。また、中国以外では59人が罹り、内、日本では4人とのことであった」と、
そして、31日の日記には
「朝6時のNHKラジオによると、新型コロナウイルスによる肺炎患者が、日本国内で14人になったらしい。それも近畿圏内に集中しているようだ」と、
僕は記しているのだが、それより一年後の今日、我が家に“広報 ねやがわ 令和3年2月号”が届いた。
表紙も含めて全42頁の広報なのだが、その内、10~17頁に亘り、“新型コロナウイルス”にかかわる事柄が記されている。
1年前には、我が家族には、あまり関係のないことと捉えていたように思うのだが、
現在の心境は、当時とはまったく違う。
娘夫婦が行なう商いにも大きな影響を及ぼしているし、
僕自身も、「感染すれば、家族皆に迷惑をかける」という思いで、細心の注意を払い行動している。
お正月の2日、3日と、独りで山歩きを愉しんだ折りにも、
電車の吊革でさえ持つことなく、殆ど何も触ることなく、外食をすることもなく帰宅した。
また、1月10日の、山の会における例会山行(北摂・剣尾山)には、剣尾山は行ったことがない処ゆえ、
本来なら行きたかったのだが、コロナ感染が不安で欠席することにした。
出掛けるのは、人と出会うことが殆どない早朝の街中歩と、食品の買物に週3回スーパーに行くのみだ。
スーパーに入るとき、入口に設置してある消毒液で手をしっかりと揉み、買物用のカートの持つ所もしっかりと消毒液で濡らすのだ。
そして途中でもう一度、更に、スーパーを離れるときにも消毒液で手をしっかりと揉むように心掛けている。
そしてだ、我が家の玄関にも消毒液を置いている。
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ドルマイシン軟膏(踵のひび割れに効果抜群)

2021年01月31日 | 健康・病気
2021年01月11日(月)
『ドルマイシン軟膏』
<踵のひび割れに効果抜群>
冬季に入ると、手足にひび割れが生じる。手も足も右側だ。
手は分かる。手は台所仕事をするからだ。僕は右利きだから、左手よりも右手をよく使うからだろう。
それゆえ、毎日手入れをしている。
入浴後、指先を中心にハンドクリームを塗り込み、ナイロンの手袋をして布団に潜り込むのだ。
しかしそれでも、右手の親指と人差し指、そしてときには中指にもひび割れが生じ始める。
そんなときには、肌が割れてしまう前に、液体絆創膏を付け一晩経過するとだいぶん改善するのだが、
次の日の夕刻にはまたひび割れが生じてしまう。まさにイタチゴッコだ。
併しだ、右足の踵のひび割れには難義する。何でだか分からないのだが、右足の踵だ。
昨年も12月中旬にはひび割れが生じてしまった。
僕の硬い身体では、踵をしっかりと眺めることができないのだが、
近年毎年のことゆえ、昨年も11月下旬より、二日に一度は風呂上がりにハンドクリームを塗り、靴下を穿いて寝るようにしていた。
しかしそれでも、12月下旬には右足の踵が見事に割れてしまったのだ。
バンドエイドや液体絆創膏を使って治療していたが、改善することはなく、傷口が次第に大きくなってゆくばかりであった。
そこで思い出したのが、“ゼリア新薬工業㈱”が製造している“ドルマイシン軟膏”という、2種類の抗生物質配合の傷薬だ。
昨年大晦日に、ガーゼに“ドルマイシン軟膏”を塗り、それより毎日取り替え、4日ほどで漸次痛みが和らいだのだ。
この“ドルマイシン軟膏”という傷薬は、
何年か前に山行時に転倒して、脚に負ったかなり大きな面積の擦り傷を、
その内に治るだろうと放っておいたところ、化膿し始めたのだ。
そのときに近隣のドラッグ店へ行き、店員さんに傷の説明をしたところ、この傷薬を勧めてくださったのだ。
この薬の効果は抜群で、あのときは、この薬を勧めてくださった店員さんに感謝したのを覚えている。
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パーキンソン病・脳疾患の一つ

2020年11月18日 | 健康・病気
(上・写真)10月11日に、寝屋川公園にて撮影した《カリン》です。

2020年11月07日(土)
『パーキンソン病』
<脳疾患の一つ>
今朝の目覚めは、5時10分過ぎ。ちょっと遅かったが街中歩に出掛ける。
6時頃より降雨の可能性があるというので、傘を持って出掛ける。5時21分のスタートであった。
ところが、歩いて数分のところのアスファルト道上に、大きな袋のような何かが落ちているのが眼に留まる。
近づくとそれは人(男性)であった。身体を折り曲げ小さくなって横向きの姿勢で、眠っておられるような様子であった。
しかし、こんな処で眠っておられる筈はないと思って声を掛けるが反応がない。
横向きの顔を覗きこむと、物凄く汗を掻いておられるし、アスファルト上はその汗と、顔面から流れたのであろう血液で濡れていた。
倒れておられる理由が解らない儘に、再度声を掛けると僅かに反応があった。顔面の汗の理由を訊ねると、「ダウンを着ているから」と仰った。
「何か持病があるのですか」と問うと、「パーキンソン病」との返事があり、「救急車を呼びましょうか」と言うと「いいえ」と仰る。
「お名前は?」と訊ねると、「TBです」と応じた。
「お家は近くですか?」の問いに「はい」と答えられたので、そこで「●●町ですか?」と訊ねると、僕と同じ●●町であった。
近所という様子ゆえ、僕の肩を貸して、自宅まで御一緒しようと考え、男性を起こそうとするのだが、あまりにも重たくて不可能であった。
後で分かったことなのだが、男性の体重は80kg以上もあったのだ。
そうこうしているうちに、年配の独りの女性(Hさん)が現れ、偶然にも、その方は男性の知り合いであったのだ。
知人が来られたからだろうか、男性は「家に電話をする」と仰り、ポケットよりスマホを取り出したが、上手く掛けることが出来ない。
そこで、男性に電話番号を教えてもらい、僕のスマホで自宅に電話を掛けると、暫くして奥様が自家用車でやって来られた。
スマホの履歴から、男性の自宅に電話を入れたのが5時37分。奥様がやって来られたのが、それより5分あまり経ってからだろうか。
男性は独りでは立ち上がれないし、奥様と僕の二人で車に彼を乗せようと試みるが、重たくて不可能であった。
結果的には、奥様の判断で救急車を呼ぶことになった。
意外と早く救急車がやって来て、救急隊員二人の方の助けを借りて彼は救急車に乗り、病院へと向かわれた。
パジャマ姿であった奥様は、後で病院へ行かれるとのことであった。
奥様の話によると、パーキンソン病の発症は2017年のことだったそうで、以前は体重が100kgのときもあったのだという。
身長は180cmで、毎朝4時頃に歩きに出掛けられるのだそうだ。
これで一件落着。大したことが無くて好かった。好かった。僕が我が家に帰って来たのは6時17分であった。
帰宅して、国語辞典を紐解くと、パーキンソン病とは「脳疾患の一つ」「大きな震え、筋肉の硬直による手足の運動障害が主な症状」とあった。
今のところ僕は病院とは無縁だ。ほんとうに有り難い。丈夫な身体に生んでくれたお袋と親爺に感謝して止まない。
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外反母趾・靴擦れ

2020年08月15日 | 健康・病気
2020年07月23日(木)
『外反母趾』
<靴擦れ>
我が家の押入れには二つの靴が眠っている。一つは雪山用の靴。もう一つはトレッキング靴だ。
いずれもゴアテックス加工の靴で、それなりの価格で購入した靴なのだが、
履く勇気がないというか、履けないのだ。いつしか我が足に合わなくなってしまったのだ。
それは靴に原因があるのではなく、我が足にその理由が存在する。外反母趾だ。
いずれの靴も購入した山の店で、靴幅を伸ばしてもらう手段を二度ずつ講じてもらったのだが、やはり駄目だった。
それゆえ、今、山歩きを愉しむときには、かなり前に購入したトレイルラン靴を履いている。
このトレイルラン靴なら、外反母趾の難儀な僕の足でも、ホンの少しの痛みが生じるだけで一日歩くことが可能だからだ。
朝に歩くときに使用している運動靴は、昨年の6月に歩き始めたときから履いていたのだが、
履き始めた6月以前には長年履いていなかった骨董品の靴だ。
再び履き始めたときには既に両足の外反母趾辺りが破れてポッカリと穴が開いていたのだが、
街中を歩くのには支障を来さないので、棄てるのも勿体無いと思い履き続けてきたのだ。
しかし降雨時や水溜りを歩かねばならないときには、ちょっと難儀をしていたのも事実だ。
この19日に山歩き用の靴を購入した。
山の店に行き、我が足の外反母趾のことを店員さんに伝え、幾つかの靴を出して戴き、試し履きを行なった結果、
ゴアテックス加工の山歩き用のウォーキング靴を購入したのだ。
そして昨日の朝の街中歩で試し履きをした結果、僅か2時間ほどの歩行で両足の外反母趾に靴擦れが生じてしまう。
そして今朝は、傷口にバンドエイドを貼り、更にテープで固定してちょっと厚めの靴下を穿き、
いつものトレイルラン靴を履いて恐る恐る歩いた結果、あまり痛むことなく何とか帰宅する。
今日は目的があった。それは昨日、寝屋川左岸の道で撮影した淡紅色の花を、咲いている間にもう一度撮影することであった。
昨日パソコンに取り込んだのだが、その姿が満足できるものではなかった。
花弁もそうなのだが、茎や葉っぱなど全体の姿もしっかりと撮りたいと思ったからだ。

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浴槽中で眠る(僕の死に場所は浴槽中)

2019年03月02日 | 健康・病気
2019年02月20日(水)
『浴槽中で眠る』
<僕の死に場所は浴槽中>
最近毎年冬になると浴槽中で眠ってしまうことが再三生じていた。
温かいお風呂に入っていると知らず知らずのうちに眠ってしまうのだ。
二時間くらい浸かっていることもあり、二時間も浸かっていると湯温が下がり寒さで目が覚める。
目覚めた時に、僕の死ぬ場所は浴槽中なのかも知れないと思うことが度々であった。
それ故、今冬は気をつけなければならないと思い、浴槽中で眠ってしまうことはなかった。
ところが先日とうとうやってしまったのだ。
しかしそれはこれまでとはちょっと様子が違っていた。
浴槽中で眠っていたという自覚はなかったが、温かい浴槽にそれなりの時間浸かっていて酔ってしまったのかも知れない。
浴槽から出るときには至極気分が悪かった。
後で考えると覚えているのは其処までで、次に気付いたのは、洗い場のタイル上で仰向けに寝ているときであった。
あんなことは初めてで、我が身体に重大な問題が生じたのかも知れないと心配したが、明くる日の体調を考えると、その心配はなさそうであった。
もっとも今冬は、眠るのは風呂場ではなく夕飯後の我が部屋中だ。
我が机前に坐ってから2時間其処其処、電気ストーブと電気座布団に包まれて眠ってしまうことが続いている。
今晩も23時半頃に目を覚まし慌ててお風呂に入った。
二時間もうたた寝をしてしまうと、布団に入っても今度はなかなか眠れないのは明白だ。
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ヨーグルト(便通への効果はあるのか)

2018年12月06日 | 健康・病気
2018年11月22日(木)
『ヨーグルト』
<便通への効果はあるのか>
一ヶ月以上も前、NHKラジオを聴くときに、二人の女性アナウンサーの会話中に「毎日ヨーグルトを食べている」というのがあった。
何ゆえヨ―グルトを毎日食べているのかは聴き逃したように思うのだが、健康を考えて毎日食べているのだと僕は認識した。
今までの僕の食生活に於いて、ヨ―グルトを食べるという習慣はなかった。
そんな中、僕の娘が、保育園に通う一番下の子供の通じが数日ないときにはヨ―グルトを食べさせているのを見ていて、
ヨ―グルトは便通に効果があるようだと思っていたところ、
10月5日に僕自身が排便で苦労することが生じ、ヨーグルトを10月9日より摂り始める。
400gの品を三日間で食べ尽くすという摂り方で始めたのだが、
先日スーパーに食材の買物に行ったおり、
僕と同じように独りで買物に来られていた僕よりも年配の男性が押していた台車にヨーグルト(400g)が二個載っているのを見る。
そこで僕はその方に、「何ゆえヨ―グルトを摂っておられるのですか」と訊ねてみた。
するとその男性は「通じが良くなるよう食べている」「大きな容量のものを二日で食する」「牛乳と合わせて摂ると更に良いようだ」とおっしゃった。
それを契機に僕も、11月10日からヨーグルト(400g)を二日間で1ツ食べるようになった。
それは、2013年9月の滑落事故後に続いた苦しかった便秘状態が忘れられないからだ。
当時、滑落事故で生じた左顔面神経麻痺や内耳骨折、後頭部脳内出血の治療で通っていた病院で便秘薬を処方してもらうようになったのだが、
あのときはほんとうにしんどかった。
それまでに僕は便秘の経験がなかったからだろうが、あのときのような状態に陥ることが恐ろしくて仕方がない。
その後も年に何度か、便通に苦労することがあって、その度に便秘薬がほしいと思ったものだが、
「便秘薬を使うとそれが習慣となり、薬がなければ通じが上手くゆかなくなる」と聞いたことがあったゆえ、便秘薬を使用することなく今日に至る。
そして寒くなってきた暫く前より、
ポリフェノールが豊富だと書いてあるココアを牛乳で溶き温めて、1日コップ1杯を摂り始め、先日グラノーラも購入してきたのだが、
ヨ―グルト摂取は継続していこうと思っている。さて、ヨーグルトを食べ始めた10月9日以前と比して今現在、通じはよくなっているのだろうか。
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我が体調(目眩)

2018年09月19日 | 健康・病気
2013年9月13日、滑落事故を起こした山域の当日の山容

2018年09月15日(土)
『我が体調』
<目眩>
2013年9月の山行時の滑落事故で生じた、
後頭部の脳内出血と内耳骨折が原因と思われる目眩が暫く続いて苦しんだが、
その後何年も目眩に襲われることはなかった。
ところが昨年の8月2日に嘔吐を伴って再び現れたのだ。
その日の日記に僕は
「朝食後暫くして激しい目眩に襲われ、次に吐き気を催し二度吐いた。
口から出た白っぽい物は、朝食した牛乳とパンだろう。
吐くなんてことは久しくなかったように思う。
ベッドに横になり、目覚めたのは11時過ぎだっただろうか。
目眩はなくなり吐き気もなかった。
起きたら医者に行こうと考えていたがその必要がなかったのだが、
さて何に原因があったのだろうかと考えるが分からない。
上さんが言うように、疲れが原因なのだろうか。朝、食事を摂るまでの体調はいつもと一緒であった。」
と記している。
そして今日だ。
11時過ぎ頃、昼食の準備をするときの体調が芳しくない。
そして昼食が終わる頃になって目眩が生じたのだ。
歯を洗うことも出来ず、ベッドに横になり眠る。
目覚めたのが16時過ぎ。
まだ天井が廻っている状態ではあったが、夕飯の準備をしなければならないと台所へ行く。
しかし結果的には、
あまり見えていない眼にもかかわらず、鮮やかな包丁捌きを披露する上さんに殆どやってもらうこととなり、
またベッドに横になる。
次に起きたのは20時頃で、そのときには目眩はなく、夕飯を少しだけ食する。
さて、目眩の原因は何にあるのだろうか。
5年前の内耳骨折が原因なのだろうか、それとも脳梗塞など血管等に原因が存在するのだろうか。
しかし何れにしても、久し振りに出席する予定であった明日の山の会の例会はこの体調では難しい。
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目眩と嘔吐(蛭以外に原因が存在するとは考えられない)

2017年08月24日 | 健康・病気
(写真)2017年6月3日、犬鳴山天狗岳
2017年8月15日(火)
『目眩と嘔吐』
<蛭以外に原因が存在するとは考えられない。>
7月30日の山行で、蛭にやられて裾が血塗れになったズボンは、帰宅して直ぐに裾を水洗いして洗濯場に置いた。しかし衣類は別として、それ以外の山道具は僕自身が洗濯するのが常だ。上さんに迷惑を掛けたくないからだが、2日朝の酷い目眩と嘔吐以降、体調が芳しくなく、血塗れになった運動靴用スパッツとトレイルラン靴は玄関に置いた儘であった。昨日、それら二点の洗濯を済ませた。血塗れのスパッツは、先にお湯洗いをしてから洗剤を使用したにもかかわらず、バケツ中のお湯は赤く染まった。
6日も13日も山に行くことが可能な環境にあり、なかでも13日は前日内に山行の準備を済ませて置いたのだが、朝になって我が体調を考えるとき行くことが出来なかった。2日の酷い目眩と嘔吐が忘れられないのと、しんどい状態が続き、食欲が無く気力が湧いて来ないのだ。あれ以降二週間が経ち、その間目眩も嘔吐もまったく無いのだが、身体を動かしたときに目眩が生じているのではないかと瞬時緊張し、暫くの間、天井や壁を見ることがしばしばだ。
あの目眩と嘔吐の原因は何処にあったのだろうかと考えるがやはり分からない。上さんが言う「夏の疲れ」が原因だと思えない。やはり蛭に原因があったのだろうか。
かなりの傾斜地の濡れた落葉上を四つん這いになり這い登るときに蛭にやられたように思うのだが、その蛭を我が家まで持ち帰ったわけだから、約7~8時間もの間、蛭に我が血液を吸われ続けたことになる。その傷跡が両足首を中心に十数ヶ所も残り、未だに痒い処もあるのだが、蛭にやられることで目眩や嘔吐が生じるのだろうか。あれから二週間余りが経ち徐々に体調が上向きになるなかで、普段の我が身体を顧みるとき、如何考えても蛭以外に原因が存在するとは考えられない。
それにしても今までに経験したことがない凄い目眩で、同時に吐き気を催しトイレに駆け込むのに、壁や箪笥を支えにしてふらふらになりながら無我夢中で歩いたように思う。もしかすれば床上を這っていたのかも知れない。
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目眩と嘔吐(蛭が原因?)

2017年08月16日 | 健康・病気
蓬莱山

2017年8月6日(日)
『目眩と嘔吐』
<蛭が原因?>
ベッドから起き上がった時、横になった時、椅子から立ち上がった時、坐った時など、身体を動かした時に、「目が廻っていないか」を確認することが度々だ。8月2日の朝の激しい目眩と嘔吐が忘れられなくて、我が身体に自信がないからだろう。
目眩は、2013年の山岳事故で生じた後頭部脳内出血と内耳骨折が原因と思われる目眩以来だ。その儘ベッドに横になり三時間ほど眠ると、目眩も吐き気も消滅していた。しかし、何処となくすっきりとしない日々が続く。原因が何処にあるのだろうかと考えるが分からない。
僕の身体に影響があったことと言えば、7月30日に山歩きで比良山系に行き、かなり疲れたのも事実だ。上さんが言う単純な[疲れ]が原因なのだろうか。また、そのときに蛭にやられたのだが、それが原因だったのだろうか。あれから一週間経ったにもかかわらず、脚や手に蛭による十数ヶ所もの傷跡が残っている。帰宅してから数日間手当てをすることなく放って置いたので其処彼処で膿み始め、慌てて治療をしのだが、まだ脚の傷が痒くて仕方が無い。
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滑落事故の後遺症(左顔神経麻痺)

2016年11月09日 | 健康・病気
2016年9月24日(土)
『滑落事故の後遺症』
<左顔神経麻痺>
2013年9月の山行における滑落事故で生じた「左顔神経麻痺」は、後遺症として今も僕の左顔に残っている。食事時に「左目から涙が出る」「左鼻から鼻水が出る」などがそうなのだが、咀嚼する時や喋るときに「口というか顎に何処となく違和感がある」も少しばかりだが感じる。また「認知症の検査をしてもらったら?」と上さんや次女に言われるのも、上さんや次女が僕の言動に何かを感ずるからだろう。思考能力の減退が生じているのは間違いのない事実だ。
夜中の2時頃に運び込まれた「三重県立総合医療センター」に二週間入院していたのだが、病院ではこの神経麻痺にかかわる治療はなかった筈だ。治療が始まったのは我が家に戻って来て近隣の病院に通い始めてからだ。処方された薬は「レチコラン錠500μg」と「ATP腸溶錠20mg」であった。薬の説明書に、「レチコラン錠500μg」は「ビタミンB12です。末梢神経の働きを助けて手足の痺れ、痛み、麻痺などの症状を改善します。」と、「ATP腸溶錠20mg」は「体の臓器や筋肉のエネルギーになるお薬です。腸で溶けて作用するので、噛まずにそのままお呑みください。」と記載されていた。これらの薬の効果も大きかったのだろうし、医師に言われたように、左顔要所部分を我が手でマッサージをしたのも麻痺改善に役立ったのかも知れない。当時、器から直接、汁物や飲料を上手く飲むことが出来ないためにストローを使用していたのだから。また、酷い目眩があったのを思いだす。
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