2016年10月2日(日)
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:30→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:07[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:27[展望デッキ]8:32→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →9:06[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:24→[戎バス亭]→9:40[ビオトープ田原の里山・車止め]→9:57[堂尾池(大休止)]10:19→10:36[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→11:12[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→11:36[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→11:46[龍王神・祠]11:48→12:16[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→12:24[くさか園地バイオトイレ(大休止)]12:42→12:57[辻子谷ハイキングコース北出合]→13:07[辻子谷ハイキングコース南出合]→[あじさい園北口]→13:24[ぬかた園地北分岐]→13:32[ぬかた園地南分岐]→13:39[摂河泉展望ハイキングコース分岐]→13:49[ぬかた園地ゲート]→13:59[暗峠・下方分岐]→14:03「なるかわ園地ゲート」→14:07[鳴川休憩所(大休止)]14:30→(万葉植物展示園)→15:14[鳴川峠]→15:56[鐘の鳴る展望台]16:02→[十三峠]→16:33[平群分岐]→17:34[高安山駅]
◆所要時間:10時間04分
<栴檀は双葉より芳し>
阪奈道路から間も無くの処、花の写真を撮ろうとしたとき、しゃがむときには何とかなったのだが、撮影が終了し立ち上がろうとするときに脚腰が素直に伸びてくれず、瞬時のことだが平衡感覚を失いふらついてしまった。それは歩き始めてまだ4時間くらいの処であったのだが、既に左脚膝裏の筋肉(ハムストリング?)と腰にかなりの疲労と痛みが生じていた。
先週の日曜日よりも暑く、汗が顔を伝い顎から滴り落ちるという気候であった。その所為か後半はしんどいばかりで、先日、上さんと次女に「大峰」に行く日程を伝えたのだが、「歩き切ることができないのではないか」という不安感が我が脳裏を過った。いつものように「なるかわ休憩所」でザックよりポールを取り出し後半の難路への準備をした。
今日の前半、先日に、上さん宛てに頂戴したN先生からの手紙に書かれていた「栴檀は双葉より芳し」という譬えの言葉を思い出し、我々よりも先に20歳で逝ってしまった長女の想い出が心中を駆け廻った。「坐するS先生」「川の字になって布団に横になる家族」等の長女の幼い頃の絵画、そしていつ頃に描いたのか僕は分からないのだが、「草花の鉛筆デッサン」などが走馬灯の如く、我が脳裏に映った。もしも生きていたなら、どのような日本画を描いて我々を楽しませてくれたのだろうか。
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:30→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:07[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:27[展望デッキ]8:32→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →9:06[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:24→[戎バス亭]→9:40[ビオトープ田原の里山・車止め]→9:57[堂尾池(大休止)]10:19→10:36[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→11:12[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→11:36[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→11:46[龍王神・祠]11:48→12:16[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→12:24[くさか園地バイオトイレ(大休止)]12:42→12:57[辻子谷ハイキングコース北出合]→13:07[辻子谷ハイキングコース南出合]→[あじさい園北口]→13:24[ぬかた園地北分岐]→13:32[ぬかた園地南分岐]→13:39[摂河泉展望ハイキングコース分岐]→13:49[ぬかた園地ゲート]→13:59[暗峠・下方分岐]→14:03「なるかわ園地ゲート」→14:07[鳴川休憩所(大休止)]14:30→(万葉植物展示園)→15:14[鳴川峠]→15:56[鐘の鳴る展望台]16:02→[十三峠]→16:33[平群分岐]→17:34[高安山駅]
◆所要時間:10時間04分
<栴檀は双葉より芳し>
阪奈道路から間も無くの処、花の写真を撮ろうとしたとき、しゃがむときには何とかなったのだが、撮影が終了し立ち上がろうとするときに脚腰が素直に伸びてくれず、瞬時のことだが平衡感覚を失いふらついてしまった。それは歩き始めてまだ4時間くらいの処であったのだが、既に左脚膝裏の筋肉(ハムストリング?)と腰にかなりの疲労と痛みが生じていた。
先週の日曜日よりも暑く、汗が顔を伝い顎から滴り落ちるという気候であった。その所為か後半はしんどいばかりで、先日、上さんと次女に「大峰」に行く日程を伝えたのだが、「歩き切ることができないのではないか」という不安感が我が脳裏を過った。いつものように「なるかわ休憩所」でザックよりポールを取り出し後半の難路への準備をした。
今日の前半、先日に、上さん宛てに頂戴したN先生からの手紙に書かれていた「栴檀は双葉より芳し」という譬えの言葉を思い出し、我々よりも先に20歳で逝ってしまった長女の想い出が心中を駆け廻った。「坐するS先生」「川の字になって布団に横になる家族」等の長女の幼い頃の絵画、そしていつ頃に描いたのか僕は分からないのだが、「草花の鉛筆デッサン」などが走馬灯の如く、我が脳裏に映った。もしも生きていたなら、どのような日本画を描いて我々を楽しませてくれたのだろうか。