山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

街中走(冷えに弱い)

2013年06月30日 | 健康・病気

Cimg0205_2

◆撮影:2006年3月、淀川河川敷にて

2013619日(水) 

街中走

<冷えに弱い>

KS鍼灸整骨院の先生が語る、「早朝ランニングは身体によくない」「夏の季節なら夕方16時ごろ」「冬なら14時ごろが走るのに適している」と。併しだ、16時や14時に走るのは僕にはちょっと無理がある。というところで、久し振りに嘗ての僕の私的トレーニングコース(約6.3㎞)を走った。それも朝に走ったのだが、気持のよいランニングであったように思う。私市の森中を駆けるのと比べるべくもないが、7時前後の街中は車の往来は然程多く無く、排気ガスも気になることはなかった。また、早朝運動を行なう高齢の方々の姿も其処彼処にあったことで、本年8月に64歳を迎える僕はその姿に元気づけられながら駆けたように思う。タイムは4239秒。前回走ったときのタイムがどのくらいであったのか、またマラソン大会に出場していたころの20数年前には如何なるタイムで走っていたのかは記憶にないのだが、40分も掛かることは間違いなくなかった筈だ。

ところで、街中のランニングは私市の森中を走るのと比して利点があった。それは、走り終えて直ぐに汗を流し着替えられるゆえ、身体を冷やしてしまうということが殆ど無いに等しいということにあった。「ランニングの後、シャツが濡れていなくても着替える必要がある」「走り終わったとき、必ず冷えが始まっている」「YUさんは冷えに弱い」とKS先生が言ったのを覚えている。

615日の山の会例会にて、僕は寒さに弱いということを再認識することとなった。それは、雨に打たれただけではなく自身の汗で着ている綿製品のシャツが濡れてしまったことにも原因があったようにも思う。半袖シャツ一枚で道場の駅舎で電車を待つときも、冷房が効いた車内でも、そして最悪であったのは、大阪市内の居酒屋で皆と談笑するときであった。余りにも寒くてザックより濡れた合羽を取り出し着用せざるを得なかったのだ。一時間余り後に店を後にするころには雨は止んでいたにもかかわらず、合羽を着たまま帰宅した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしだ園地(ハヤブサとヤマドリ)

2013年06月29日 | 山野走

Kc3z0004

◆写真撮影:2013年6月17日、ほしだ園地(展望デッキ)にて

(星のブランコ)

2013617日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]64500→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→70528[ピトンの小屋]70900(さえずりの路)72337[やまびこ広場]72800(まつかぜの路) 74755[飯盛霊園・境界鞍部]75100(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(つつじの小路)→80416[展望デッキ]80900→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→83915[私市駅]

◆所要時間:1時間5415

<ハヤブサとヤマドリ>

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板」に往路でプラス21℃とあった。高層雲が全天を覆い陽射しはまったく無く、また微かな風があるという、走るにはよい条件だろうと思えたが湿度はかなり高かったのかもしれない。“ピトンの小屋”に到着したときには全身汗ビショで顎から汗が滴り落ちていた。

月曜日の朝にもかかわらず、小屋前の広場には既に「隼」撮影隊の大きなカメラが56台並んでいた。この時刻、下の“駐車場”はまだ営業していないし、さて、皆さんは大きなカメラを携えて私市駅より歩いて来られるのだろうか。それとも飯盛霊園から来られるのだろうか。

ところで、“ハヤブサ”が棲む岩壁前の広場は昨年までの賑いからみると今年の人出は今一つなのだろう。昨年は10台以上ものカメラが並ぶ様子を何度も見たように思うのだが、今年は“ヤマドリ”人気に押されているのだろうか。そういえば、今年の3月下旬、“すいれん池”横の管理棟に“ヤマドリ”撮影のための大きなカメラが17台も並んでいたのを思い出す。僕は昨年になって、“ピトンの小屋”前の掲示板で“ヤマドリ”という名称の鳥の存在を初めて知った。“ハヤブサ”にしたって“ほしだ園地”で数年前に初めて知り、“ピトンの小屋”中で書籍を見ることにより僕にとって身近な存在となった。

僕は兄に連れられて50年以上も昔、12年間蝶採集に夢中になったことがある。親爺の故郷の淡路島や箕面公園などでも補虫網を携え野山を駆けたのを記憶している。もう残っていないが、蝶に防腐剤を注射し100種余りの標本を作成したのも記憶している。それゆえ蝶については、その多くは忘れてしまったが、至極ささやかだが幾つかの蝶の名称を今でも覚えていて、三歳三ヶ月のJ太郎に「あの蝶はテングチョウや」などと蝶の名前を言えるのが殊のほか嬉しい。併しだ、眼前を飛翔する蝶の名称が分からない場合が余りにも多い。また蝶類に属するのか、それとも蛾類に属するものかも分からない場合も至極多い。それなら嘗てのように採集し持ち帰って図鑑と参照すればよいのではなかとも思うが、今の僕には生き物の殺生は不可能だ。

そこで僕は“府民の森”の関係者の方々に次のことをお願いしたいと考えている。それは、“ほしだ園地”や“くろんど園地”に生息する動植物の写真などを出来るだけ多く、ホームページや各小屋中に掲げて頂きたいと。園地内で自然と興じるとき、鳥や獣、昆虫、そして植物など、様々な生き物が生息していると思うと、また名称が分かれば分かるほど嬉しくなるとともに精神が高揚するのを感じる。

今日出合った生き物は、まだしっかりと陽が届かない薄暗いところをヒラヒラと飛ぶハグロ蜻蛉、咲いていた花はヒメジョオンとドクダミくらいだろうか。10日程前に “せせらぎの路”で最盛期を迎えていた立浪草はまったく見かけなかった。花の命は極めて短い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百丈岩&鎌倉峡(冷え対策)

2013年06月23日 | 岩登り

Kc3z0001_2

◆写真撮影:2013年6月15日、百丈岩

2013615日(土) 

『T山の会』

<百丈岩&鎌倉峡>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MKさん、SEさん、YUさん

[コースタイム]

[JR駅・道場駅]→[百丈岩]→[鎌倉峡]→[JR駅・道場駅]

<冷え対策>

本来なら今日の山行計画は金毘羅(京都)で岩登りであったのだが、「降雨の確立が高い」「MKさんが17時に予定がある」の二つの理由で、「不動岩で岩登り」「雨が降ったら鎌倉峡へ移動して沢歩き」へと変わった。ところが、道場駅に皆が集合したときに、「百丈岩で岩登り」「雨が降ったら鎌倉峡で沢歩き」へと二転三転変化した。

結果としては、最後の選択で正解であったような気がする。それは思いの外雨の降り始めの時刻が早かったからだ。この空模様では不動岩に行っても殆ど練習できなかったのだろうと思われた。

百丈岩中央稜下部岩壁で一本、二本目は西壁のⅢ級ルートと、ザックを担いで攀じった。一本目でポツリポツリと降り始めた雨は、西壁終了点に全員が揃ったころには本格的に降り始めた。Ⅲ級ルート二本の登攀ではあったが、ここのところザックを担いでの登攀が無かったゆえ、7月の本チャンを想定してザックを担いで登る練習にはなったように思われた。

15時半ごろには道場駅に戻る」を考えてしっかりと降り続ける雨の中鎌倉峡を遡行した。鎌倉峡に居たのは一時間半余りだろうか、岩床美、峡谷美に魅了されながらの遡行ではあったが、「水質が綺麗であったなら」という条件付きであった。上流に住宅が開発されているそうなのだが、僕が寺内先生(当時・守口市教員)に連れられてキャンプにやって来た55年程以前は至極美しい峡谷だったのだろうと思われた。帰路、滑が続く岩床で沢蟹の群れに出合った。

ところで、今日の山行で僕の課題が明確になった。7月に向けて、「荷物が担げない」「歩けない」を克服しなければならないとは考えていたが、もう一つ、「冷え対策」を真剣に考えなければならないと改めて思った。大阪市内の居酒屋で談笑するとき、僕は半袖シャツ上に合羽を羽織っていた。寒くて仕方が無く濡れた合羽を身につけたのだが、その後も雨は上がっていたにもかかわらず、合羽を身につけたまま帰宅した。

ここのところの体調は芳しくなかった。常態化している頸椎や腰の痛みは当然のことながら、それらとは別に精神的抑圧感が高まり頭痛が生じ、胃液のため口中が苦い状態が続いていた。併しだ、山仲間と山中に居る間は、否、街中に戻って居酒屋で談笑するときもそうであったが、日常の雑念が我が脳裏には存在しなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏六甲・不動岩(リード登攀)

2013年06月22日 | 岩登り

Sii234

◆写真撮影:2010年6月6日、道場駅辺りにて

(ブタナ)

201369日(日) 

『T山の会』

<裏六甲・不動岩>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOん、YUさん

[JR道場駅]→[不動岩]→[JR道場駅]

<リード登攀>

夏山(7月)参加予定の中高年4人による山行であった。大混雑する中で、待ち時間も生じる中での東壁登攀となったのだが、短時間で、MOくんとABちゃん組は5本、僕とUMさん組は4本とかなり充実した岩登りになった。

昨日、J太郎と7時間もの間“くろんど園地”における逍遥の結果、昨夕より右腰に違和感が生じていて、ちょっとした身体の曲げ具合で酷い腰痛に陥るのではないかという予感がある中での不動岩であった。しかし大事に至ることなく快適な登攀を楽しめたことに安堵し感謝するばかりである。しかし道場駅前でザック上に坐り談笑するときに、坐する姿勢にやはり何時もの如く腰痛が頭をもたげた。

不動岩には過去に何度も来ているのだが、年にすると1回に足らないくらいかもしれない。その所為かどうかは分からないのだが、それぞれが如何なる特徴を有するルートなのかが記憶に余り無いのが現実で、例えば過去に何回か攀じている“菱形ハング”であっても、過去に登攀したときのその様子が僕の脳裏中にまったく存在せず、恰も始めて攀じるルートのように思えてしまうのは、ある意味では嬉しいことでもある。

本日の一本目は“蜂の巣ハング”右手のカンテを上るルート、そして二本目はクラック左手のフェイスを上るルートであったのだが、なかでも二本目の取り付いて間も無い処で、細かいホールドが続く処で、足が微かに震えるのが脳裏に伝わった。

併しだ、岩登りは「墜ちるかもしれない」という緊張感のなかでのリード登攀に、魅力があるように僕には思える。経験も実績も少ない僕だが、実力を上回る厳しい場面に遭遇したときに瞬時躊躇してもその後直ぐに、「えいや!」精神で大胆に前進することで、我が精神は解放感に浸ることができる。「それやから怖い」と皆は言うのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くろんど園地(草原広場の砦)

2013年06月16日 | 山野逍遥

Sii202

◆写真撮影:2010年6月12日、くろんど池にて

201368日(土) 

『山野逍遥』

<くろんど園地>

[コースタイム]

[私市駅]1030→[月ノ輪滝]→1145[すいれん池]12401310[くろんど池]1410→[すいれん池]→(鎖場)→[草原広場]→[すいれん池]→1735[私市駅]

◆所要時間:7時間05

<草原広場の砦>

J太郎が鎖場を上りたいという意思を示したときに、「もう帰らなあかんで」「お祖母ちゃんとK子が待ってるで」と、かなり疲労していた僕は言った。鎖場を上ると、急勾配上り坂の尾根道を“草原広場”付近まで行かねばならず、それなりの時間を要すると判断したのだが、J太郎の「登る」という意思に変化は起こらなかった。「仕方がないな」「上ろうか」と言うとJ太郎は意気盛んにコンクリート製の階段を上り始め、上部の鎖場も難なく乗り越してしまった。上り切ると次に「階段…」とJ太郎は言う。「階段…」とは何を指しているのだろうと考え、直ぐに思い浮かんだのは“草原広場”の砦であった。「ここを下りたら、直ぐに帰れるで」と鎖場を下りようと促すが聞き入れない。J太郎がいう「階段…」とは、もしかすれば“草原広場”の砦のことではなく、この直ぐ上にある小さな砦のことではないかと期待し急坂を懸命に上り砦に辿り着く。砦の木製の梯子を上り高床上で暫く横になって一息入れていると、J太郎が「階段…」と呟き下りようという仕草をしたのだ。「階段…」とはやはり“草原広場”のことのようだと観念した僕は“草原広場”へと急いだ。そして“草原広場”の人ひとり居ない砦で一頻り遊ぶこととなった。ところで、“草原広場”より少し下ったところの左手の森が山火事跡の様子を呈していたのだが、管理職員さんの話によると、昨日に放火があったのだという。

様々な生き物に出合った山野逍遥であった。“くろんど池”ではアヒルとカモ、そして甲羅の大きさが25cmくらいもあるカメ。尺治川では沢蟹や小魚。森中では蝶(テングチョウ、イチモンジチョウ、コミスジ、モンシロチョウ、キチョウ、ヤマトシジミ、ベニシジミ、タテハチョウ等)、中でもテングチョウは其処彼処で群れと出合うこととなった。その他、カタツムリやムカデ、イトトンボ、毛虫や薄緑色の幼虫。そして多くの開花する花たち(スイレン、キショウブ、スイカズラ、ホナガタツナミ、ニガナ、ササユリ等)にも出合った。触ることが可能なものは触らせるように努めたつもりだが、さてJ太郎の眼にそれらは如何に映り如何に記憶に残ったのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしだ園地(健康的なことをしている)

2013年06月15日 | 山野走

Sii052

◆写真撮影:2010年11月14日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

201367日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]63700→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65725[ピトンの小屋]70200(さえずりの路)71622[やまびこ広場]72100(まつかぜの路) 74041[飯盛霊園・境界鞍部]74300(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82633[私市駅]

◆所要時間:1時間4933

<健康的なことをしている>

先日の比良山系(獅子岩)における体たらくな我が身体に僕自身が唖然としてしまった。それはこの五ヶ月間運動らしきことを殆どやっていないことが大きく影響しているのは間違いがない。しかし腰痛や膝痛が原因で運動から遠ざかっていたゆえ仕方がないことと思うが、その間に僕の脚腰は脆弱な状態に陥ってしまった。

ところで、山の会の来月(7月)の八ヶ岳山行には是非行きたいと考えている。何故なら腰痛の為、春山(明神ヶ岳)には参加出来なかったからだ。しかし、今の我が身体では、「荷物を担げない」「歩けない」は明白で、今の儘では皆に迷惑を掛けてしまう。そこで、もう一ヶ月あまりしか日数は無いが、時間を見つけて走ろうと考えた。

「どんなにしんどくても兎に角走り続けよう」を目標に今日“ほしだ園地”にやって来た。そしてその目標は完遂出来たのだろうと思っている。ただ、“さえずりの路”の上り階段は何時ものことだが歩かざるを得ない。また蝶に出合ったときに、その蝶が何たる蝶かを確認するために立ち止まったのと、“せせらぎの路”を下るときに出合った立浪草(ホナガタツナミ)の群落を楽しむためにその場に佇んだ以外は、懸命に腕を振り続けた。

ところで、僕の眼前を舞った蝶はコミスジ、シジミチョウ、黒のジャノメチョウ、薄黄色のタテハチョウ、そして群れを形成していたのは天狗蝶だが、僕の拙い蝶の知識では詳細な名称までは分からない蝶も多い。“さえずりの路”を上るとき、汗が額を流れ顎から滴り落ちた。そのとき僕は思った、「健康的なことをしている」と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比良山系・獅子岩(岩肌の感触を楽む)

2013年06月14日 | 岩登り

Si046

◆撮影:2012年10月14日、比良山系・八雲ヶ原にて

201362日(日) 

『T山の会』

<比良山系・獅子岩>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MIさん、SEさん、YUさん

[コースタイム]

[北小松駅]→[楊梅滝・雌滝]→[楊梅滝・雄滝]→[獅子岩]→[北小松駅]

<岩肌の感触を楽む>

今朝目覚めたのは4時前、4時過ぎには布団から抜け出した。昨晩横になったのは23時半が廻っていたゆえ、睡眠時間は4時間半足らずというところだろうか。やらねばならない用事を済ませ6時過ぎごろには朝食を済ませ7時過ぎの電車に飛び乗った。

先日からの体調不良がまだ続いているのだろうか、昨日には食欲が戻ってきた筈だが、それとも寝不足の所為だろうか。身体が、なかでも上半身に気だるさがあり、身体全体が浮いている感じであったのはけっして気の所為ではない。

岩登りに興じる間は身体の気だるさを感じることもなかったし腰痛も無かったように思うのだが、獅子岩を離れ雑木林中を下るとき、大腿四頭筋と腰にかなりの疲労が生じ始める。皆の歩みに付いていけない状態に陥ったとき、「皆は何であんなに早く歩けるんやろ」と思うばかりであった。6時間足らずの行動時間にもかかわらず、我が身体が疲労困憊の態に陥ったのは、往路で獅子岩への道に迷い、中腰で前屈みの姿勢の藪漕ぎを強いられたことに直接的な原因があったのかもしれないが、今年の1月中旬以降の運動不足が最大原因であるのは間違いのない事実だ。

獅子岩で岩登りをするのは今日で三度目だ。一度目は数十年も昔のこと、二度目は昨年の520日だが、獅子岩の岩場がどのような様子であったのかを、まったく覚えていなかった。昨年もそうであったのだが、今日ももっとも左側の壁で岩登り講習会らしきものが行なわれていて、参加者は小学生男子二人を含む4人家族一組みであった。

先ずはMOくんがABちゃんとMIさんと組んで右側のルートを登り、続いて同じルートを僕はUMさんとSEさんと三人で楽しんだのだが、そのルート(2ピッチ)のグレードはⅢ級というところだろうか。その後MOくん達三人は左側の壁へと移動するが、僕達は再度右側のルートの岩肌の感触をゆったりとした気分で楽しんだ。

獅子岩から望む琵琶湖の模糊とした景観や森の緑の色彩に魅了され続けた数時間でもあった。また、森中の小鳥達の囀りに聞き耳を立て、岩肌に咲く黄花のイワニガナに愉楽を感じ、帰路、楊梅の滝(雌滝)を過ぎ、駅へと向かう森中で眼前を舞った蝶の姿に安寧感を抱いた。因みにその蝶とは、モンキアゲハとアサキマダラ、そして瞬時の飛翔で明確ではないのだが、それはツマグロヒョウモンであったように思う。また路傍雑木林中から白花のガマズミ(?)やエゴノキが何度か顔を覗かせてくれたのも心安らぐ事象の一つとなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仁川(恐怖心が頭をもたげる)

2013年06月09日 | 岩登り

Sii146

◆写真撮影:2010年7月4日、仁川にて

(ムーンライト)

2012519日(日) 

『T山の会』

<仁川>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MIさん、SE子さん、YUさん

[コースタイム]

[仁川駅]910→[ムーンライト]→[三段壁]→[パール]→[じすべり資料館]→[仁川]

<恐怖心が頭をもたげる>

三段壁に到着して暫くでポツリポツリと雨が落ち始めた。その時刻が丁度12時ごろであったのだが、降り始めの時刻を、今朝のラジオが「昼ごろから」と語っていたゆえ、見事なまでの天気予報だと感心すること頻りであった。

昼から雨という予報ゆえ、それまでに出来るだけ練習しておきたいという思いが皆にあったのだろう、全員機敏に行動したように思う。先ずはムーンライトの岩場で、通称“ヘソ”と呼ばれるルートの左側のレイバック気味に上るルートをMOくんがリードしてトップロープをセットし、次に“ヘソ”の右側のルートを僕がリードして準備、次に最初にMOくんが上ったルートの直ぐ左側のルートをやはりMOくんがリードして準備する。結果として、6名全員が三つのルートを少なくても一度ずつ攀じることとなったのだが、岩登りをするのがほぼ一年振りとなる僕は、“ヘソ”の右側のルート(Ⅲ級)をリードするとき脳裏中に恐怖心が頭をもたげた。しかし、7月の夏山に向けて可能な限り例会に出席して岩に慣れなければならない。

ところで、MIさんが下降するとき、MIさんの確保をABちゃんから僕に代わった。「僕が確保するよ!」と僕の方からABちゃんに声をかけたのだが、テンションがかかるとズシリッという重量感が僕の身体に伝わった。「60kgよ!」と言って大きな声でMIさんは笑ったのだが、攀じるMIさんの姿を見ていて、体重48kgのABちゃんでは確保ができないかもしれないと考え交替したのであった。

ムーンライトで岩登りを楽しむときに川傍で戯れる蝶と蜻蛉の姿があった。蝶はクロアゲハとモンキアゲハ、クロアゲハはムーンライトの辺りを縄張りとしているのだろう。突然やって来たモンキアゲハを「僕の縄張りだぞ」というが如くの舞いでモンキアゲハを追い掛け、モンキアゲハは瞬時の内に姿を消した。蜻蛉はカワトンボ(ニホンカワトンボ?)だろう、三匹の蜻蛉が葉っぱから岩上へとヒラヒラと戯れ続けた。

三段壁はもっとも右側のルートをMOくんがリードしトップロープをセットし、僕、UMさん、ABちゃんの順で攀じり、雨が落ち始めてからは渓流靴に履き替え沢歩きと洒落込んだ。それは、「昼からは雨」の予報から、MOくんの提案で渓流靴を準備していたからであった。しかし仁川を詰めることができたのはパール壁の下部までで、それよりは右岸にある一般道を下山することになった。帰路強雨の中、“地すべり資料館”に立ち寄り館長さんの軽妙な会話を楽しんだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしだ園地(四ヶ月振りの山野走)

2013年06月08日 | 山野走

A105

◆撮影:1999年6月、ほしだ園地にて

(ササユリ)

2013518日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]70400→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→72532[ピトンの小屋]72900(さえずりの路)74438[やまびこ広場]75000(まつかぜの路) 81112[飯盛霊園・境界鞍部]81400(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→90153[私市駅]

◆所要時間:1時間5753

<四ヶ月振りの山野走>

私市の森中を今年最後に走ったのは118日、それより既に四ヶ月が経過している。その四ヶ月の間、僕はまったくランニングを行なっていない。一時は走ると酷い腰痛に、或いは膝痛に陥るのではないかと、走ることに恐怖感を抱くらいの脚腰の状態であったのだが、日常の生活と仕事で身体を動かす以外にはまったく運動らしきことをすることなく、また身体を冷やさないようにと細心の注意を払い、暖かくなるのを待ち続けた四ヶ月であった。

その甲斐あってか、5月に入って次第に良い状態へと変化し始めたのだが、10日ほど前の或る日に三つの事件があった。その中で最も大きな出来事は、用事があって椅子より立ち上がり、用事が終わり後ろを見ることなく坐ろうとしたときに間違いが生じた。背後にある筈の椅子が無かったのだ。床に尾骶骨を、壁に後頭部を激しく打ち付けてしまったのだ。そのとき痛みが治まるまでの暫くの間床上に横になっていなければならなかった。今も尾骶骨打ち身の症状は明確に残り長時間坐り続けるのは至極辛い。

二つ目は、その日の朝より生じ始めた両手指の腓返りだ。手指を使う用事をしているときに手指に腓返りが生じるのだ。何ゆえだか分からないのだが、一日中再三悩まされた。

三つ目は落し物だ。それは僕にとって至極大切な小さなものなのだが、我が家の駐車場に落ちているのを眼に病を抱える上さんが見つけてくれた。それは偶然のことであったらしい、駐車場を歩むときに何かが足に当たった、見ると僕の大切なそれであったというのだ。併しだ、それは駐車場に落とす可能性が殆どあり得ないものゆえ、僕の気持は滅入ることとなった。

結果として、四ヶ月振りの山野走が、「私市へ走りに行こう」と一念発起してから10日ほど遅れてしまって今日になったのだが、僕は走り続ける自信がなかった。それゆえ終始ゆっくりと走ったのだが、それにもかかわらず何度も立ち止まり暫くの間歩かねばならなかった。無理をしなかったからだろう、私市駅に着くまで膝、腰に疲労感はあったが痛みが生じることがなかったことに僕は安堵した。

“ピトンの小屋”前にある掲示板に毛虫の写真があった。黄や黒、そして朱の色彩が主体のその毛虫は先日も“くろんど園地”でもっともよく見かけた幼虫で、マイマイガだと書かれていた。マイマイガの成虫はどのような姿をしているのかは分からないが、幼虫を触ると痒みが生じるときがあるという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする