山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(何を目的として走りにやって来るのか)

2013年01月27日 | 山野走

Sp006

◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(初日)

2013112日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]65200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→71450[ピトンの小屋]72100(さえずりの路)73527[やまびこ広場]73900(まつかぜの路) 75837[飯盛霊園・境界鞍部]80200(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→85444[私市駅]

◆所要時間:2時間0244

<何を目的として走りにやって来るのか>

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス1℃とあった、因みに帰路ではプラス1℃。意外と気温は低くなく寒気を感じることもなく快適に走ったのだが、二日連続の山野走は僕の身体にとって負担が大きかったのだろうか。帰路、京阪電車交野線に乗るとき、膝と腰に明確な疲労感があり、右足甲の左下方が痛む。この足の痛みは以前にも生じたことがあるのだが、サロモン製の靴を穿くようになってからは初めてのことであった。その痛みを最も強く感じたのは今朝靴を穿くときで、靴に足を入れたとき「この状況で走れるのだろうか」と思うぐらいの痛みがあった。また、電車中で手帳にメモをとる両手指に腓返りが生じた。

今朝、「何を目的として走りにやって来るのか」と考えながら走っていた。これは走っているときに僕が時折考える命題である。そのとき「別にこんなしんどいことをせんでもええやん」と必ず思うのだが、数日経てばまた森中へとやって来る。その理由として、「生きている限り健康であらねばならない」「身の回りのことは自身で行ない人の世話にならないようにしなければならない」などを当然のこととして思い浮かべるのだが、それよりも先に必ず我が脳裏に出現するのは「上さんよりも健康で長生きしなければならない」である。それは上さんが「今以上に見えなくなってしまうかもしれない」「将来失明するかもしれない」という身体的条件を背負っているからだ。

長女が20歳の春、瞬時のうちに逝ってしまって間も無く一旦は両眼とも失明するが、その後奇跡的に僅かに見えるまでに回復する。しかし今も、色彩が無く、眼前に濃霧がかかったような状態で、弱視の状態が続いている。それゆえ、近い将来は僕が家事の全般を担う必要があるのだろうし、もし上さんの介護が必要となったときには僕がそれを担わなければならないと思っている。

次に挙げるとすれば、「四季通して自然と戯れたい」だろう。その次は、「山の会の皆に迷惑を掛けることなく山行に参加したい」だろうか。“やまびこ広場” でひと休みするとき、天空にはうろこ雲の高積雲があった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くろんど園地(贅沢していると心底思う)

2013年01月26日 | 山野走

Sp004

◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(初日)

2013111日(金) 

『山野走』

<くろんど園地>

[コースタイム]

[私市駅]63600→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→65853[くろんど池]71600(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)72819[展望台]73200→(管理道)→75141[キャンプ場]75600→(管理道)→(やまごえの路)80931[水舞台]8110081709[草原広場]81900→[すいれん池]→83906[私市駅]

◆所要時間:2時間0306

<贅沢していると心底思う>

我が家の10畳余りの食堂兼居間のエアコンを昨年12月上旬になって買い替えた。それは従来のものとは違って冷房だけでなく暖房にも利用できる便利なものであった。買い替えた理由は、既に15年間以上も使用しているクーラーが一昨年夏よりかなり調子が悪かったのと、それ以外にもう一つ大きな理由があった。

それは、近隣に住むJ子が二人の子供を連れてやって来て、二人を母親に預けて仕事や用事を済ませるために出掛けることがしばしばある。暖房は従前ガスストーブを使用していたのだが、「子供達がストーブに触れないかと心配でたまらない」と上さんが嘆いていた。上のJ太郎は兎も角、一昨年の大晦日に誕生したK子がハイハイで激しく動き回るため、食事の準備をしているときなどは上さんの眼が届かないことが生じてしまう。また、完璧でない上さんの眼では尚更だ。色彩が無く濃霧がかかったような状態の弱視の上さんの眼では、瞬時のなかで部屋の隅々まで確認することは不可能だろうと思うからだ。

森中を駆けるとき、昨晩の上さんとの会話を思い出していた、それは暖房にかかわる内容であった。エアコンが動く食堂兼居間に這入るとき、「つくづくと贅沢していると心底思う」と僕は言った。僕が物心ついた頃、それは昭和30年ごろのことだと思うのだが、我が家の暖房器具は炭がいこる火鉢一つ切りであったと記憶する。当然お風呂も自宅に無く、布団中を温めるのは“湯たんぽ” であった。上さんからも同様の話があった。夏、蚊帳中で寝たこと、ブーンと高い音をたてて廻る鉄製のプロペラ扇風機が一台きり、台所は畳の部屋より一段下りた土間にあった。現在より当時は気温が低かったにもかかわらず、今のような暖かい衣類も無かった時代に、父母や祖母はどのような服装をして冬をやり過ごしたのだろうか。などと、様々な当時の何も無い生活を想い出していたのだが、「それが普通の生活やったから」と云う上さんの言葉で想い出話は終了した。

展望台から見る遠景を層積雲が覆い、金剛葛城の峰は雲の向こうだが、頭上には一点の雲も無い。層積雲の上に輝く朝陽があった。最後まで快調に走り続けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしだ園地(生き物の生命)

2013年01月20日 | 山野走

Sp002

◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(初日)

201319日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]65200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→71316[ピトンの小屋]72000(さえずりの路)73358[やまびこ広場]73800(まつかぜの路) 75706[飯盛霊園・境界鞍部]80000(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→84421[私市駅]

◆所要時間:1時間5221

<生き物の生命>

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス1℃とあった、因みに帰路ではプラス2℃とあった。

“さえずりの路” を歩いて上るとき、足下に敷き積もる落葉より連想が始まった。「葉っぱは落葉し朽ちて土に戻り生物の再生に寄与するよな」と思った。それ以降、人の生命も含めて様々な生き物の生命にかかわる事象の連想が始まった。

そのなかで僕の脳裏に蘇った一つの記憶は、昨年のいつの日にかこの“さえずりの路”で出合った“ヤマドリ”であった。その“ヤマドリ”から、携帯に写る“横たわる四羽のキジ”の写真を想いだした。それは、昨年の12月上旬、故障した機械の修理に設備屋のNさんが来てくださったのだが、修理が終わるまでの一時間余りの間、僕は彼の話し相手になった。暖房の無い外気と殆ど変らない寒い室温を、少しでも高めようと電気ストーブを自宅から持ち出し、また、機械と機械の隙間が僅かしかないゆえ、その隙間にどうやって這入り込み作業をするのかと心配するばかりであったが、またそのために僕にもし手伝えることがあればとNさんの傍らに立ち続けたのだが、彼は故障個所を直接見ることなくもなく、反対側から手を伸ばし器用にねじまわしなどの道具を操った。

彼との会話のなかで分かったこと、それは彼の趣味が狩猟であるということであった。そして修理が終了したときに彼は携帯に写る一枚の写真を見せてくれた。其処には腰を下ろした彼の前に四羽のキジが横たわり並んでいた。「趣味は鉄砲」「狩猟の対象はキジ」「狩猟解禁は冬の三ヶ月間」「次の連休に富山まで出掛ける」と彼は言った。そのときに僕が、「今年、ほしだ園地でヤマドリを見たんですよ」と返すと、一呼吸おいて彼が続けた。「この近辺にもヤマドリが居るんやな」「それは生駒山系が鳥獣保護区やからかな」と。次に僕の脳裏に蘇ったのは、これまた昨年の比良山系の麓に住む人の「鹿が増えてしまって困っている」という話であった。

ところで、日本の人口は今後減少することは間違いの無い事実であるのだが、しかし世界的にはまだ加速度的に増え続けるのだ。そのときに、地球に住むすべての人々に食糧は行き渡るのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くろんど池より交野山へ(腰痛は身体の冷えが最大原因)

2013年01月19日 | 山野走

Sp024

◆撮影:2013年1月1日、交野山にて

201316日(日) 

『山野走』

<くろんど池より交野山へ>

[コースタイム]

[京阪電鉄・私市駅]73200→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→80450[黒添池]81200→[八橋]→84339[交野市野外活動センター(ぼうじの里)]→90316[交野山]91000→[白旗池]→[国見山・直下]→94814JR津田駅]

◆所要時間:2時間1614

<腰痛は身体の冷えが最大原因>

「昔のタイムで走ろうと思うこと自体無理やん」という数日前の上さんの言葉を思い出していた。三年前辺りから、身体力の衰えを実感する事態が度々生じるゆえ、上さんの言葉に僕も納得なのだが、しかし、鍛えれば体力は向上するに違いないという思考も我が脳裏の片隅に存在するのも事実だ。「怪我をすると完治しない」「維持することを優先する」「無理をしない」などと云う山の会のMOくんの言葉も重ねて思い出していた。

大晦日にこのルートにやって来たときに走り続けることができなかったゆえ、今日はゆっくりでも構わないから兎に角走り続けようと考えた。コトコトコトコトと小走りで、懸命に腕を振り続けた結果今日は、道程の9割以上を走ったのではないだろうか。その結果にある意味では満足したのだが、しかし物足りなさが我が心底に同居していたのも間違いが無い。

“黒添池”への道で感じ始めた左脚大腿四頭筋内側の筋肉の張りは、いつの間にか消え、その後快調に駆け続けた。身体が温まった“黒添池”畔で、下着とヤッケの二枚になり、以降JR津田駅よりバスに乗って帰宅するまでの間もその姿で過ごした。走っている間には何ら問題が生じることはなかったのだが、帰路のバス中で汗で濡れた下着が冷たくなり始めたのには至極閉口した。

僕が身につけているスコットランド製オーロンの下着は、30年近くも前に購入したものゆえ、品質が劣化してしまっているのだろうか。また、先日より使用し始めたモンベルのヤッケ(シンサエード)も、これまた30年近く昔に購入したものゆえ、シンサエードが本来持っている性能が消滅してしまっているのだろうか。その青色のヤッケは色落ちが生じ、極僅かではあるが他の衣類を青く染めてしまっていた。

ところで昨年は一年間に三度酷い腰痛に陥ってしまった。なかでも7月上旬より始まった腰痛は、走ることが可能となるまでにほぼ三ヶ月を要したのだ。また、酷い腰痛に陥る機会が増えるのは冬の季節に多い。それゆえ、腰痛に陥る機会がどのような条件のときかと考えるとき、“身体の冷え”が最大原因のように思える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山頂(途中走っていたんですわ)

2013年01月13日 | 山野走

Sii032

◆撮影:2011年2月11日、ほしだ園地(やまびこ広場)にて

201314日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山頂>

[コースタイム]

[京阪・私市駅]82000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→84049[ピトンの小屋]84700(さえずりの路)90057[やまびこ広場]91000(まつかぜの路) 92955[飯盛霊園・境界鞍部]93300→(飯盛霊園内)→[戎公園バス亭]→95635[ビオトープ田原の里山・車止め]→00000[堂尾池]00000(小池)91939[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →[むろいけ園地出口]0000000000[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場)→(カントリークラブ横)→114532[生駒山頂遊園地入口]

◆所要時間:3時間2532

<途中走っていたんですわ>

駆ける速度はゆっくりではあったが、また、上り階段や上り坂では歩いてしまう場面も度々あったのだが、身体は至極快調であった。それは、最後まで、膝と腰にまったく違和感が生じなかったことと、前回の時のように、前ボタンが留められないほどに手がかじかんでしまったり身体が急激に冷え切ってしまうことがなかったからだろう。それは昨年12月下旬より着用し始めた冬山用下着(スコットランド製)と、これまた30年近く昔に購入したモンベルのヤッケ(シンサエード)のお蔭だろう思った。

飯盛霊園へ這入った直ぐの処で、前から来た高年男性(65歳)に声を掛けられ、その奈良在住の方と立ち話をするときに、僕の後ろからやって来た男性が我々の横を通り過ぎて行った。30歳台後半だろうと思われるその男性を“戎公園バス亭”付近で追い抜くが、“生駒山頂遊園地”の門扉を潜ったのはほぼ同時であった。

終始、彼を意識して走った山野走であったと言っても過言ではない。それは、“戎公園バス亭”で追い抜いて以降、走っても走っても彼の姿が僕の後方に常に見え隠れしていたからである。僕の走る速度が遅くて、彼の歩く速度が至極速いゆえ、彼との距離が開かないのだろう。僕が歩き始めるとそのときに距離が縮まってしまうのだろうと考えたが、しかしやはり不思議であった。“阪奈道路”陸橋を過ぎてから、生駒山腹に掛かるまでの間懸命に走った結果、もうこれで彼に追い付かれることはないだろうと考えたが、生駒山腹を行く緩やかな勾配のアスファルト管理道から離れ、山頂へと続く急勾配の道へと這入ったときに、彼の姿が僕の直ぐ後ろにあったのには驚かされた。

駐車場より“生駒山頂遊園地”へと続く長い階段を懸命に上り、門扉を潜った処で僕は直ぐ左後ろに居た彼に話し掛けた。「飯盛霊園から一緒でしたね」「歩くのが速いですね」と。すると、「道が分からないので、離されないように途中走っていたんですわ」との答えが返った。僕は納得であった。彼はこれから高安山へ向かうと言った。生駒山上遊園地内をケーブル乗り場へと向かうとき小雪が舞い始めた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7年連続の交野山(お袋のリュックサック)

2013年01月12日 | 山野歩

Sii386

◆撮影:2010年1月1日、交野山頂にて

201311日(火) 

7年連続の交野山』

[コースタイム]

[交野駅]520 [機物神社]→[白旗池]→645[交野山]715→[白旗池]→ [機物神社]825[交野駅]

<お袋のリュックサック>

元旦に初日を拝みに交野山へ行くのは今年で7年連続である。そして、2011年の元旦より僕はお袋のリュックサックを担いで初日の出を拝みに行くようになった。そのリュックサックはお袋が生きているときにお袋の承諾を得てお袋からもらったもので、僕がそれを担いだのは、2012年の元旦とそして今日の僅か三回だけだ。その薄茶の平凡なリュックサックをお袋は何度背負って近所の方と低山に行ったのかは知るすべもないのだが、もしかすれば両手の指を折って数えられるくらいの回数であったのかもしれない。併しいずれにしても、お袋が逝った今、そのリュックサックを背負うとき僕は、お袋が僕の傍らに居るような気がしてならないのだ。今朝そのリュックサックを背負うとき、「初日を一緒に拝みに交野山へ行こうな」とお袋に語り掛け自宅を後にした。ところで、そのリュックサックは僕にとって余りにも小さくて、また真に使い勝手がよくないものだから、山野走や山野歩には不向きで普段利用することはまったくないのが現実である。

交野駅から住宅街を抜けて東方へ歩くのは僕一人だけだ。例年なら “源氏の滝”が近づく辺りにやって来ると、暗い中、多くの人々が何処からとなく集まってくるのだが、今朝は殆ど人の気配が無かった。併しだ、交野カントリークラブ入口には例年の如く守衛さんが立ち、初日を拝みに交野山へ向かう人々の為に門扉を開放して下さっていた。

それより急勾配のS字カーブのアスファルト道を上るのだが、いつものことだが僕は後から来る人々に次から次へと抜かれることになる。やっとの態で“白旗池”に到着すると、其処には大勢の人が集っていた。それからひと頑張りで交野山頂なのだが、上り階段の途中に大阪平野が望める処、展望が利く処があり小さなベンチがある。そのベンチに腰掛け小休止し、街の明かりが灯る眼下の景観と頭上の月をカメラに収める。

狭い交野山頂は軽く二百人を超す大勢の人々で溢れていた。当然のことながら、見晴らしが利く大岩上も超満員であった。けっして十分とは言えなかったが、隙間を縫って大岩上に立ち上がり日の出を待った。東方峰上に僅かに雲が棚引くのみで、頭上には一点の雲も無かったのだが、その僅かに棚引く雲が太陽の昇るのを最後まで邪魔することとなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くろんど池より交野山へ(山野走が先決)

2013年01月06日 | 山野走

Asa009

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121231日(月) 

『山野走』

<くろんど池より交野山へ>

[コースタイム]

[京阪電鉄・私市駅]73000→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→80228[黒添池]→[八橋]→[交野市野外活動センター(ぼうじの里)]→90425[交野山]90800→[白旗池]→[国見山・直下]→95546JR津田駅]

<山野走が先決>

年末、仕事に忙殺され“山野走”を楽しむ時間的な余裕を見つけることができなかったが、今日から休みゆえ、やり終えねばならない仕事から解放され、また“走り納め”という意味合いもあり、私市へとやって来た。「店の帳面もしたい」「お墓の清掃にも行きたい」「洗車もしたい」「横になったままのMお母さんの身体の揉みほぐしにも行きたい」などという様々な思いが脳裏を掠めたが、先ずは“山野走”を楽しむことが先決だと考えた。

7時前の西の空にはまあるい月がぼんやりと浮かんでいる。夜が明けるに連れ、至極淡い絹雲や絹積雲が天空にあって、月がぼんやりと浮かぶ理由が判明する。交野山頂に立ったとき、絹積雲はいつしか消滅し青空が拡がっていた。また青空中に積雲が数多発生し心地好さそうに其処彼処に浮遊していたが、冷たくて厳しい北風が終始吹き続けた。なかでも、“交野市野外活動センター”手前の狭い開墾地中を通る細い道に差し掛かかったときに、烈風が作り出す「ゴー、ゴー」という唸るような凄まじい音が耳に届いた。それは強風が高圧電線にあたって奏でる音だろうか、それとも鉄塔にあたって生じる音なのだろうか。また、その烈風が大気中の塵埃を運び去ってしまったのであろう、交野山頂からの視界は明瞭であった。大阪市内のビル群は勿論のこと、京都の山、北摂の山、六甲の峰などを、これ程に明確に望むことができたのは久し振りのことであったのかもしれない。

殊に膝が痛んだわけではない、腰も然り。ところが、交野山頂へと続く上り坂に差し掛かった処より歩き始めたのだが、その後歩いてしまうことが多くなる。最後、国見山直下の薄暗い杉林の入口よりJR津田駅へと続く下り道は、速度は兎も角、懸命に腕を振り続けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしだ園地(冬山用下着の効果は絶大)

2013年01月05日 | 山野走

Asa008

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121224日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]64200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→70333[ピトンの小屋]70700(さえずりの路)72136[やまびこ広場]72700(まつかぜの路) 74826[飯盛霊園・境界鞍部]75200(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(つつじの小路)→80605[展望スポット]81000→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→84332[私市駅]

<冬山用下着の効果は絶大>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス3℃、そして帰路ではマイナス1℃とあった。しかし寒気に震えることもなく、ほぼ一ヶ月振りの山野走を楽しむことが可能となったのは、20年以上も昔に使用した冬山用下着(オーロン)を上下身に着けたことに理由があった。

1128日に頭をもたげた腰痛を始め、頸椎痛、胃炎、頭痛、風邪引き、胸の痛みなどに加えて、12月上旬より到来した厳しい冷気に気負けし、走ることが出来ない精神状態に陥っていた。10日に掛かり付けの医者に行き、一向に治癒する気配が無い風邪引きを看てもらう。帰宅後頂戴した抗生物質を服用すると、その夜より明確に効果が現れた。また、気管支炎だろうと自身で診断していた胸の痛みについては、「肋間神経の痛み」「運動をする人はよく掛かる」「暫くで治る」と云う診断が下った。「医者に行き、風邪がこんなに簡単に改善するのなら、もっと早く行けばよかった」と後悔すること頻りであった。

我が家中で感染性胃腸炎が猛威を振るった。14日夕刻より嘔吐と下痢が我が家を襲った。先ずは、J太郎が体調を崩し、J子がJ太郎とK子を伴って我が家に泊った。次は上さんで、16日には食事が喉を通らない状態に陥ってしまう。次はK子で、16日夕食時に食べた物を突然戻した。その夜中、仕事より戻ったJ子も嘔吐し、結果として、僕と、自宅で独り暮らす娘婿だけが感染性胃腸炎から免れた。我が家から感染性胃腸炎が完全に姿を消したのは21日になってからだ。20日が過ぎるころより僕の腰痛は改善し始めていて、山野走を楽しむことを目的に私市に行きたいと思っていたが、感染性胃腸炎が我が家を完全に通り過ぎるまで自重するのが賢明だと観念した。

今朝、僕の身体を襲う寒気に我が精神は耐えられるだろうかと不安に思っていたが、冬山用下着の効果は絶大であった。ピトンの小屋に着くころには手袋なかの両手指先の毛細血管に温かい血液が届いていたし、走っている間、腰や膝は至極快調で違和感を覚えることはなかった。併しだ、走り終え京阪電車交野線に乗るとき、両膝と腰にかなりの疲労を感じていたのも事実だ。

森中の木々の殆どが裸になって、普段見ることが出来ない景観が次から次へと眼前に出現する。また、敷き積もった落葉の上を、僕の足で心地好い旋律を奏でながら駆けるのも大変気持ちが好いものだが、今の僕の足取りでは「サックサックサックサック」と云う心地好い旋律を奏でるという訳にはいかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする