山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

くろんど園地(ヒヨドリバナは最盛期)

2012年09月29日 | 山野走

Sii392_2 

◆撮影:2012年9月15日、富士山宝永火口にて

(オンタデ)

2012923日(日) 

『山野走』

<くろんど園地>

[私市駅]153000→[すいれん池]→160236[くろんど池]160800(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)162114[展望台]162300164657[キャンプ場]→(やまごえの路)170323[水舞台]→171031[草原広場]171200→[すいれん池]→174653[私市駅]

ヒヨドリバナは最盛期

仕事の関係で昨日お彼岸の中日にお墓参りに行くことは叶わなかったゆえ、今朝10時スタート、帰宅14時過ぎで、上さんと一緒に三つのお墓を廻って来た。先ずは上さんの実家のお墓、その次は我々の長女が眠っている僕達の墓、三ヶ所目のお墓は僕の父や母達が眠る墓だ。それぞれのお墓には昨日お墓参りにやって来た人があって、墓地の清掃や供華が済んでいて我々は意外と早く帰宅することとなった。

車での走行距離は8090kmくらいになったのだろうと思うのだが、その帰路僕は「早く帰れるなら私市へ走りに行こう」と決めていた。それは、車を走らせる間も、また墓地の清掃をするときも、そして御経を上げる間も、僕の腰には常に痛みが存在し、そのうえ左腰裏から左脇裏にかけての筋肉に変な歪みというか張りを感じていたからだ。以前からこの歪みの感触は時折表面化するのだが、今日のそれは異常であった。その異常な違和感より森中を走ることで何とか脱出できないのだろうかと期待したのだ。なるほど、カイロの先生の御蔭で最悪の状況からは脱出したが、しかしここ二ヶ月近く今の一触即発と思しき状態からなかなか抜け出せないでいるのも現実だ。一旦走るのを止め再度走り始めるときに左腰裏から左脇裏にかけての筋肉にかなりの痛みが生じた。その症状を和らげたいと懸命に腕を振ったりもしたが、私市駅に着くまで改善することはなかった。

このコースを走るのは今日で三度目で、前回よりも短時間で私市駅に戻って来た。しかし歩いた距離の方が走った距離よりも断然多い、そうであるにもかかわらず前回よりも時間短縮となったのには理由がある。それは日没の時刻がそこに迫っていたからで、ヘッドランプの携行を忘れたことを後悔しつつ、立ち止まる時間も惜しんで歩き続けた。今日が釣瓶落としの秋の一日であることに気づいて。

森中に咲く花の数は二週間前と比して確実に減ったが、それでも森中の其処彼処で僕の眼を楽しませてくれた。前回にはまだ蕾であったヒヨドリバナは最盛期を迎えていたし、葉は3出複葉、花は紅紫の色彩のヤマハギにも何度も出合った。枝先に小さな白花を密につけているのはリョウブだろうか。また、終焉を迎えようとしていたのはキンミズヒキとブタナで、路傍片隅で申し訳なさそうに顔を覗かせた。

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富士山(富士宮ルート)

2012年09月23日 | 山野歩

Sii415_2 

◆撮影:2012年9月16日、富士山にて

2012914日(金)~17日(月) 

『T山の会』

<富士登山>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MI子さん、SE子さん、YUさん

◆一日目

[富士宮口5合目]110311226合目宝永山荘]11451255[宝永山]13101350[宝永火口]→14456合目宝永山荘]

◆二日目

6合目宝永山荘]12001253[新7合目]100150[元祖7合目]2002508合目]3053509合目]40544795勺]455540[浅間大社奥宮]→[剣ヶ峰]→[浅間大社奥宮]65510286合目宝永山荘]→[富士宮口5合目]

<富士宮ルート>

入山前の天気予報からそれなりの降雨を覚悟していた。ところが、一日目に宝永火口で、そして二日目の山頂より下山し宝永山荘で談笑する昼ごろにほんの僅かに降ったのみで、本降りの降雨に遭うことはなかった。もし降っていたならば僕は富士山頂に立つことが出来なかったのだろうと思う。それぐらいに我が身体にとって辛い富士登山であった。

18時に就寝、そして21時過ぎに目覚めたときから頭痛があり、元祖7合目を過ぎるころより軽微だが気分が悪くなる。こんな筈ではないと思ったが、それ以降我が身体は疲労困憊状態に陥ってしまう。それは夜行バスと山室での睡眠不足の影響かもしれないと思ったが、灰色の岩石と砂礫の九十九折り急勾配の道を、兎に角一歩一歩足を前へ前へと運び続けたなら必ずやいつしか山頂に辿り着くのは間違いないと覚悟を決めた。上るときも下るときも、各山室前で僕がやって来るのを先行く皆が待っていてくれるのも励みとなり懸命に歩き続けた。上りは腰の鈍痛、下りは左膝痛と左脚足首外側の靴擦れに悩まされ続けた。

僕が浅間大社奥宮の鳥居をくぐってから暫くしてMI子さんがやって来た。8合目辺りで一人腰を下ろすMI子さんの姿を暗闇の中で見かけたのだが、結果的には僕と殆ど時間差無しで上って来た。そのMI子さんが皆が待つ処に来るや否や、SE子さんの胸に顔を埋めて泣く姿に僕は目頭が熱くなるのを感じた。ところで、「待つのはやめよう」と発言していたMOくんは3時間10分というタイムで浅間大社の鳥居をくぐったそうで、皆が鳥居をくぐったときには既に“お鉢めぐり”を済ませ戻って来ていたそうだ。

宝永山荘でお弁当(朝食用)を準備して戴いた。大きな海苔巻御握りが2個に唐揚げや佃煮等がはいった心のこもった品であったが、僕が食したのは下山後宝永山荘内であった。ザック中の行動食にも殆ど手をつけることができないほどに疲労していた。それゆえ、山頂からの景観が記憶中に余り無い。併しだ、懸命に上るとき、休憩した山室前から見上げた透徹した秋の気なかに拡がる満天の星と、下界に拡がる富士宮市を中心とした優美な燈火を僕はけっして忘れないだろう。また、剣ヶ峰に行こうと頂上山室の裏手へと廻ったとき、眼前至近距離に測候所を見たときに、僕の脳裏内には「あそこまでなら何とか歩くことが出来る」という明確な感情があった。そのときに皆が「お鉢めぐりに行こう」と言ったとしても、僕にはそのための心身の余裕は皆無で行くことはなかっただろう。僕は、御来光の時刻(520分ごろと聞いていた)に山頂に辿り着くことは出来なかった。また空が白み始めたころ、東の空に黒褐色の高積雲が棚引いていたのだが、聞くところによると、その雲の影響で明確な華やかな御来光を拝むことは叶わなかったそうだ。

富士山は5合目が森林限界という様子だ。宝永山荘の周辺に低木が僅かにあったくらいで、宝永火口へと進むと直ぐに樹木は無くなり乾いた火山礫原が拡がるばかりであった。その砂礫荒地中の其処彼処に勢力を伸ばしていたのはオンタデだ。そのオンタデとは別に、6合目山室付近にあった茎が少し赤みを帯びているものは同じタデ科のオヤマソバなのだろうか。しかしそのオンタデの勢力も宝永第一火口()までくらいで、それ以降植物を見ることはなかったと記憶する。オンタデに負けじと其処彼処に泰然と伸び上がっていたのはミヤマオトコヨモギで、立ち上がった茎に総状下向きに花をつけていた。黄花のアキノキリンソウを見たのは一度だけ、清爽の気溢れる白花のイワツメクサは三度僕の眼前を通り過ぎて行った。それともう一つ、宝永山荘から直ぐの処にタカネヒゴダイがあったのも忘れてはいない。また、宝永火口周辺における火山礫の色彩が殊のほか美しく、暫くの間僕の眼を虜にしたのも忘れてはいない。石塊の大きさは掌に納まるくらいのものが殆どで、灰色、褐色、茶褐色、赤褐色、褪紅色などと様々な色彩を呈していた。また、宝永山荘から眼下に拡がる緑の絨毯も壮大であったし、山荘右手に発達する入道雲の頂が我が目線と同じ高さであったことも記憶の中にある。

そして、山の仲間への感謝も忘れてはいない。交通アクセスの確認や切符の購入、山室の予約、山行計画などと、すべてにおいて僕はかかわることなく、最初で最後になるかもわからない富士登山を楽しませて戴いた。ほんとうにありがとう。

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くろんど園地(愉楽の時)

2012年09月22日 | 山野走

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◆撮影:2005年10月9日、睡蓮池にて

201299日(日)

『山野走』

<くろんど園地>

[私市駅]716→[すいれん池]→75402[くろんど池]80000(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)81411[展望台]8180084431[キャンプ場]→(やまごえの路)90706[水舞台]9090091653[草原広場]91800→[すいれん池]→95332[私市駅]

<愉楽の時>

「走るのは瞬間宙を飛んでいるわけで、足が着地する時に腰にかなりの衝撃が生じる」「その衝撃にYUさんの腰はまだ耐えられない」とカイロのK先生は言うが、1~2ヶ月前と比較すると腰の状態はかなり改善、且つ安定していると考えている。歩いているときや走っているときにはまったくというくらいに腰に違和感が無い、ところが、椅子や床に一旦腰を下ろすと腰に鈍痛が生じ右腰に明確な痛みが現れる。「右腰が痛むということは、左腰に問題がある」というのがカイロの先生の弁だ。

走ることができたのは全行程の3割くらいだろうか。しかし走ったといってもけっして「駆ける」ではない、「歩く」に近い「走る」だ。その間、左腰上部背中辺りに僅かに張りを感じたくらいで、我が脚腰は大丈夫であった。

先月26日に歩いた道を忠実に辿った。そしてその殆どを歩いたことで、秋の山野に咲く花たちと出合うことになった。もっとも繁茂していたのは青のツユクサだろう、処々で群落を形成し我が眼前に現れた。微かな風に揺れる黄花のブタナ、淡紅色の小さな花を咲かせるキツネノマゴ、スッと伸びた細い茎に多くの小さな黄花をつけるキンミズヒキ、秋の七草であるオミナエシは直立した茎先に多数の黄花を華やかに咲かせていた。ヒヨドリバナは茎先に上品に白花をつける。どこが花やら分からないチヂミザサ、そして僕の拙い知識では名称が判然としない花たちも多数あった。帰宅後植物図鑑をながめていて益々判らなくなった。そっと林下に一輪顔を覗かせていたユリは、タカサゴユリのようにも思うがテッポウユリかもしれない。ヤマハギとマルバハギ、ボタンズヅルと仙人草などと至極似ていて判らない。またスッと伸びた茎に小さな淡紅色の花を多数つけていたのは何だったのだろう。キク科だろうと思われる白花もあったが分からない。併しだ、いずれにしてもそれらの花たちは僕の眼を楽しませてくれた、二時間以上もの愉楽の時であった。

「大峰、葛城、生駒の峰の展望」と書かれている展望台に上ると頭上に真っ青な空が拡がった。青空中に絹雲、絹積雲、そして絹層雲と、氷晶雲三兄弟の競演があった。そのど真ん中を3本の飛行機雲が走っている。好天ゆえ視界が利く、何処までも見えるのではないかと思うくらいに。葛城の峰も生駒の峰も、しかしどれが大峰なのかが分からない。盛夏のころからみると、昨晩や今朝の気候から秋を感じたのだが既に汗ビショであった。水舞台では数多のアメンボウがスイスイと泳いでいた、ミンミンゼミとツクツクボウシの大合唱もあった。

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比良山系(武奈ヶ岳)

2012年09月08日 | 山野歩

Hieizan008

◆撮影:2009年1月3日、京都洛北にて

(比叡山)

201292日(日) 

『T山の会』

<武奈ケ岳>

■参加者:Abちゃん、UMさん、MI子さん、SE子さん、YUさん

[比良駅(JR湖西線)]9151000[大山口]→1105[青ガレ下]11151150[金糞峠]12001250[中峠]13001340[武奈ケ岳]14151500[八雲ケ原]→1535[比良峠]1540→[大山口]→1700[駐車場]→1750[比良駅]

<もう一度訪れてみたい八雲ケ原湿原>

我が足には新品のトレッキングシューズ、手にはやはり新品のトレッキングポールがあった。そしてそれらのいずれもは僕が初めて手にする山具で、今日の比良山行でそれなりの効果を発揮してくれたのは間違いがない。トレッキングシューズは足首より先、足裏や指の疲労軽減に効果があったし、ポールは膝と腰の痛みを軽減してくれた。もしそれらがなければ、先頭を行くUMさんの速歩について行けなかっただろうと思う。それにしてもUMさんの歩行速度は至極速い。それはいつものことだが、今日のそれは「異常や!」と言っても過言ではなかった。併しだ、UMさんの速歩のお蔭で、予定通り18時までに比良駅に辿り着いたのも事実だ。また、登山道各分岐点で先行くUMさんやMI子さん、そしてSE子さんの三人が僕とAbちゃんを待っていてくれたのも、僕が皆から然程離されることなく歩き続けることができた大きな要因であった。

入道雲が発達し一時黒雲が拡がり武奈ケ岳への道でパラパラと降り始めたが、それは瞬時のことでそれ以降雨は落ちることはなく、武奈ケ岳山頂での30分間は遮るもののない、かんかんと照りつける太陽の下での大休止となった。また、樹林中以外では終始強い陽射しが注ぎ続けた。森中で沢の冷気を感じる場面もあったりしたがそれは至極稀で、森中であっても「暑い!」という言葉を度々発せざるを得なかった。

そのかんかんと照りつける陽射しの下、武奈ケ岳山頂で休むとき、二種の蝶が舞った。一頭はキアゲハで我が眼前に暫くの間止まった。もう一頭はクロアゲハで盛んに飛翔し直ぐに消え去った。また、秋を想わせる赤蜻蛉がススッーススッーと宙を浮遊していた。樹間ではツマグロヒョウモンとコミスジ、そしてシオカラ蜻蛉を見かけたように記憶する。樹間林下に極僅かではあったが開花する花があった。淡紅色のゲンノショウコと白花のマツカゼソウ、そして名称は分からないが1cmばかりの花弁の黄花が、渾身を振絞り懸命に歩く我が眼前を瞬く間に通り過ぎ去った。帰路、国道に出る直ぐのところ、民家が点在するちょっとした空き地に淡黄白色のウバユリの群落があったが、それは民家の方が育てておられるのだろうという様子であった。また百日紅の紅の色彩を其処彼処で見たようにも思う。ツクツクボウシやミンミンゼミの鳴き声も盛んであった。それは山中よりも山麓で、それも夕刻に、イン谷口より比良駅へと向かう雑木林中で我々の話声を掻き消さんばかりに、夏の季節との惜別の哀歌を歌いあげていた。

今回の山行を僕は楽しみにしていた。それは、スキー場が無くなりロープウエイやリフトが無くなった今、20年以上も訪れていない八雲ケ原辺りの自然が、如何に変貌しているのだろうかと期待していたからだ。そしてそれは僕にとって予想外の景観であった。八雲小屋もなければ炊事場もない、比良ロッジもロープウエイの山上駅もすっかり撤去され、嘗てそれらが存在していたという形跡は殆ど無かった。しかしスキー場の傷痕が明確に残っているのが至極残念であったのと、本来なら八雲ケ原周辺でゆったりとした時間を過ごしたかったのだが時刻がそれを許さなかったことが心残りであった。

燦々と太陽が注ぐ清けし原生林の景観は我が眼を虜にしたし、スギや赤松が林立する夕刻迫る八雲ケ原も然り。ゲレンデ跡より振り返った清新な八雲ケ原を見るとき、この八雲ケ原湿原周辺のみの散策を目的に、今秋にもう一度訪れてみたいと念じた。

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くろんど園地(一ヶ月半ぶりの私市)

2012年09月01日 | 山野歩

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◆撮影:2010年6月19日、睡蓮池にて

2012826日(日) 

『山野歩』

<くろんど園地>

[私市駅]810→[星の里いわふね]→[私市駅]828859[すいれん池]→914[くろんど池]925(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)→[キャンプ場]→[展望台]→(やまごえの路)1100[水舞台]→1100[草原広場]→[すいれん池]→1202[私市駅]

<一ヶ月半ぶりの私市>

私市の森中へやって来たのは久し振りだ。しかしそれは、山野走ではなく山野歩を目的としてやって来た。それはカイロのK先生より「走ってもよい」という許可がまだ下りていないからだ。「走るのは瞬間宙を飛んでいるわけで、足が着地する時に腰にかなりの衝撃が生じる」「その衝撃にYuさんの腰はまだ耐えられない」というのがK先生の意見だ。「歩く」のはよいが「走る」のはまだ駄目だというのだ。従前僕は「走る」ことで体調を整えてきたという経緯があるゆえ、最近腰以外の部分で調子が思わしくないのは、「走っていない」ことが原因なのかもしれないと考えた。

本来なら“ほしだ園地”中を歩くつもりであった。それは“くろんど園地”中よりも多くの道を知っているからだ。ところが今朝、“星の里いわふね”までやって来たところ、先日の豪雨の影響だろうか、“さわぞいの路”への入口のところに「通行止」の看板があった。

“くろんど園地”の様々な路を楽しんだ、初めて歩く道も幾つかあった。そのところどころで、炎暑にもかかわらず森中の散策を楽しむ多くの人々に出合ったし、トレイルランを楽しむ数人の姿も見かけた。幾つもの常設天幕が張られたキャンプ場では中学生らしき30人ぐらいのグループと複数の家族連れが野外料理を楽しんでいた。

樹間より見える青空中には絹積雲が僅かに棚引き、絹層雲が浮かぶ。森中では華麗に飛翔する蝶に出合った。アカタテハ、コミスジ、クロアゲハ、テングチョウ、そしてヒョウモンチョウの六種だ。なかでもヒョウモンチョウは大型で優美であった、大きい翅は欠け傷んでいたが華やかな茶の色彩がまだ鮮やかに残っていた。蜻蛉にも出合った、シオカラ蜻蛉にオニヤンマ、ハグロトンボの三種だ。なかでもオニヤンマには何度も出合いその度に我が心は弾んだ。

森中の音は蝉時雨一色であった。我が家の周辺では盛夏の時期ほどに聴かれなくなってしまったクマゼミの盛んな声もあったし、我が家の周辺には生息していないミンミンゼミの声もあった。そして、夏休みが終わるころになって啼くツクツクボウシの声もあった。

僅かだが開花する植物があった。一つは淡紅色のマルバハギだ、雑木林中、下り道の傍らにひっそりと一本の茎を伸ばしていた。二つ目は黄花だ。キク科の花なのだろうが僕には名称が分からない、花弁や葉っぱが正にタンポポなのだが茎が長く風にゆらりゆらりと揺れている。三つ目は白花だ、やはりキク科なのだろうが名称は分からない。細い花弁が8から10枚、葉っぱは披針形で茎の下部になるほど大きくなっていた。

“くろんど池”で10分間休んだ以外、休むことなくほぼ4時間歩き続け、疲労困憊の状態で私市駅に戻って来た。駅舎で椅子に腰掛け電車を待つとき、腰に鈍痛、両足指付け根辺りにはかなりの疲労があった。その間、「富士山でも必要ですので、意地を張らずに、9月2日までにトレッキングポールを購入していただいた方がいいと思います。下りでの、腰と膝への負担が少なくなると思います。」というAbちゃんからのメール文章を思いだしていた。

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