山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

我が街中歩(謐然とした月)

2023年03月30日 | 我が街中歩
2023年02月06日(月)
『我が街中歩』
<謐然とした月>
4時59分のスタート。スマホの寝屋川市の気温は「0度」、湿度は「85%」と表示。
“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、
“成田山不動尊”の“奥の院(閉)”にお参りし、続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、
そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。内周を歩く時、
北西の空に、真ん丸い月が昇っているのに気付きカメラに収める。
続いて外周もいつものように一周歩いて、東方より治水緑地を離れる。
その後、ハリエンジュの道、十月桜の道、寝屋川左岸の道(寒緋桜の道)へと進み、上観音橋を渡る。
寝屋川右岸の道より、国松町の昔道を通り帰路に就く。街中歩の本日の歩数は14,412を数えた。
今日はお袋の祥月命日ゆえ、帰路は、寝屋川霊園へと廻りお参りしようと、
我が家をスタートする時には思っていたのだが、打上川治水緑地で我が眼に飛び込んで来た、
真ん丸い謐然とした月に向かって、願い事を唱えるなどして夢中になっているうちに、
そのことをすっかり忘れてしまい、いつもの如く歩いてしまい、
国松町の昔道を歩くときにそのことを思い出したのだが、
7時過ぎまでには我が家に戻りたい僕にとって、正に遅かりし由良之助であった。

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我が街中歩(成田山不動尊で豆撒き式)

2023年03月29日 | 我が街中歩
2023年02月03日(金)
『我が街中歩』
<成田山不動尊で豆撒き式>
5時02分のスタート。スマホの寝屋川市の気温は「1度」、湿度は「81%」と表示。
“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、“成田山不動尊”の“奥の院(閉)”にお参りし、
続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を歩くとき、いつものようにMさんに出会い挨拶を交わし、それより暫くしてHさんにも出会い挨拶を交わす。
それより伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。いつものように内周を、続いて外周を一周ずつ歩く。
東方より治水緑地を離れ、そのまま東方へと進み、伊之内橋を渡り、往路を進み、中央道を通り帰路に就く。今朝の歩数は12,881歩。
5時20分頃に、成田山不動尊本堂のお参りを済ませ、ホンの少し南方へ歩むと、
今日に行われる、毎年恒例の節分祭の豆撒き式が行われる木橋が現れる。その木橋の袂に、20人程の方々が既に参集しておられた。
1回目の豆撒きが10時30分ゆえ、まだ5時間もあるのだがと感心するばかりであった。
スマホによると、NHK朝ドラ“舞いあがれ”のヒロインの福原遥さん始め、二人の役者さんや、桂福団治さん、そして宮川大助さんと花子さん達が来られるようだ。
コロナ感染防止の為に、昨年も一昨年も、芸能人による豆撒きは行われなかった筈ゆえ、久し振りの豆撒き式が催されるのだが、さて、何人位の方々が参集するのだろうか。
ところで、今朝の我が街中歩では、いつもの国松町の昔道を通らず、往路を帰路に選択し、6時半頃には開店している和菓子店に立ち寄り、御萩と厄除饅頭を購入する。
それは、今日3日は娘の命日ゆえ、娘が好きだったお饅頭を仏壇に供えたかったからだ。

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我が街中歩(ロウバイが開花する)

2023年03月27日 | 我が街中歩
2023年01月13日(金)
『我が街中歩』
<ロウバイが開花する>
今朝の目覚めは、4時08分。直ぐに起床する。スマホの寝屋川市の気温は「2度」、湿度は「85%」と表示。NHKラジオ深夜便を聴く。
5時01分のスタート。“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、
“成田山不動尊”の“奥の院(閉)”にお参りし、続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。内周を、続いて外周を一周ずつ歩き、東方より治水緑地を離れる。
緑橋を渡り、寝屋川右岸の道を進み、寺山橋を渡り、寝屋川左岸の道(寒緋桜の道)より上観音橋を渡り、
寝屋川右岸の道より国松町の昔道を通り帰路に就く。我が家着7時35分。歩数は15,213歩。
今年に入って我が街中歩を愉しんだのは、2日の妙見山山行と3日の京都一周トレイル歩行を除いて、元旦に歩いて以降、今朝が2回目であった。
今日まで朝歩きに出掛けなかったのには理由があった。それは風邪ひきで、しかもかなり強いもので、ハンカチやタオルを手離せない状態が続いていたからだ。
京都一周トレイルを楽しんだ3日に我が家に帰って来た夜に、既に風邪の兆候が出ていたのだが、風邪くらいその内に治るだろうと高を括っていた。
ところが一向に治る気配がない。7日の夕飯時に何処となく寒気を感じるので、ジャンバーを羽織り検温してみると「37.7度」との表示。
「単なる風邪ひきであるのなら嬉しいのだが、明日は治さねばならない」と、その日の日記に僕は記している。
8日のお昼に測った時には「36.7度」、夕飯時には「36.9度」と、僕にすれば微熱なのだろうが、しんどいと感じることはない体調が明くる日も続いた。
しかし、ハンカチとタオルは手放せない。11日になっても風邪は改善せず、ハンカチとタオルは手放せない状態が続く。
ところで我が上さんは、年末に風邪をひいて体調を崩し、横になっている姿を度々見ていたのだが、
他の病ではないかと考えたようで、10日なってやっと医者に行き、もう直ぐ治りますよと言われ、風邪薬を貰ってルンルン気分で帰って来たのだ。
そこで、風邪が治らない僕に、その風邪薬を半分くれて、その日より僕も3錠ずつ毎食後に呑み始めたのだが、その効果がなかなか現れなかった。
そうこうする内に、寝る姿勢のときに問題が生じ始めたのだ。それは、寝返りをするときに、白山山行時の腰の痛みが生じ始めたのだ。
あの時のような酷いものではなかったが、寝返りをうつときに、痛みが瞬時走るのだ。
困ったよなと思い、風邪改善のために、ここ9日間、朝歩きを自粛していたゆえ、運動不足かも知れないなと思い、
ジャンパーにハンカチを忍ばせ、いつものようにカメラを持って、今朝、我が街中歩を愉しんだ。さて腰痛は改善するのだろうか。
この腰痛は上さんには内緒だ。もし知られたなら、山に行かせてもらえないのは間違いがない。
打上川治水緑地にやって来ると、南東の空に月が昇っていたのでカメラに収める。その後、白み始めた東方もカメラに収める。
そして次にカメラに収めたのは、国松町の一軒家の庭より顔を覗かせていた黄花の蠟梅であった。
ところでこの蠟梅は、先月の28日のNHKラジオ深夜便で、今日の誕生日の花として、また花言葉は「貴い」「望みを得る」だと紹介されていたのだが、次の如き解説もあった。
「中国原産の落葉低木」「蝋細工のような黄色い花を咲かせるので蠟梅というのかなと思ったら、それだけではなくて、
臘月、つまり陰暦の12月に花が咲くからという理由もあるそうで、どっちがほんとうか分からない」「この季節に、とても香りのよい黄色い花を咲かせるのが蠟梅」
「中国では梅とか水仙とか椿と共に、折衷四友(しゆう)として入って来て、折衷四友として尊ばれている花」
「江戸時代初期に日本に入って来て、他の花木よりも早く咲く香りのよい花ということで愛され、生け花とか庭木として活用されてきた」
「この蠟梅の花は、黄色い花だが、真ん中が茶褐色になっているのが基本的な蠟梅」「今一般に出回っている蠟梅は、全部黄色いものが多い」
「殆どすべてが黄色いものは、素心蠟梅という」
「素心(ソシン)とは、他の色を交えないという意味があるらしく、他の植物でもソシン何とかという名前が付いているが、出回っている蠟梅は素心蠟梅」
「その素心蠟梅から改良された園芸品種も多く出回っている」「蠟梅は黄色い花だと申しましあげたが、本当は黄色い花弁に、真ん中は茶褐色で、素心蠟梅よりも、やや小さめの花が蠟梅」
「高くなれば4㍍くらいになり、剪定して花をいっぱい咲かせているものが多い」「梅とか桜よりも前に蠟梅の花が咲き始めて、良い香りを放ち、春を感じさせてくれる」
「蠟梅の花は、黄色くて、真ん中が茶褐色で小さな花が俯き加減に咲くので、花言葉が慈愛心、そして思いやりとなった」
「蠟梅の名所は結構沢山あるのだが、なかでも、神奈川県足柄上郡の松田町という処にある、日本最大級と書いてある蠟梅園があって、
それは、寄という字で、寄(ヤドリキ)と読むんだそうだが、寄(ヤドリキ)蠟梅園という所に行ったことがある」
「地元の中学校の卒業生が、250本を植えた事から始まって、今では2万本以上の蠟梅が植栽され、季節になると、周り一面に黄色い花が咲き、良い香りが漂うという蠟梅園だ」
「観光客も年々増加して、町も力を入れて脚光を浴び始めている」等と。

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京都一周トレイル(伏見・深草ルート)

2023年03月25日 | 山野歩
2023年01月03日(水)
『山野歩』
<京都一周トレイル>
<伏見・深草ルート>
[コースタイム]
[京阪・伏見桃山駅] 9:35 → [乃木神社分岐] → 10:32 [伏見桃山城入口] → [伏見桃山城] → [東古御香公園(トイレ休憩)] → 11:57 [大岩山展望所(昼食)] 12:50 → [名神高速地下道] → [真宗院] → 12:15 [伏見神寳神社] → 15:13 [稲荷奥社] → [千本鳥居] → [伏見稲荷大社] → 15:33 [京阪・伏見稲荷駅]
◆所要時間:5時間58分
昨年の12月11日に、山の会の例会で、嵐山駅をスタートして、明智越を通り、亀岡駅まで歩いたときに、
渡月橋を渡り間も無くやって来たところで、我が眼に飛び込んで来たのが、“竹林の小径”であった。
何とも言えない二度目のこの景観を眺めて、何か懐かしい思いが込み上げて来たことにより、
もう一度ゆっくりと、京都一周トレイルを我がペースで歩いて、更に深くその景観を楽しみたいよなという思いが湧き出て来たのだ。
その一回目として、“伏見・深草ルート”から始めようと思ったのだが、一度歩いた道ゆえ、道迷いに陥る心配もないだろうし、
独りで楽しむのは勿体ないよなと思い、朝歩きの中で知り合い、過去に3度、生駒山縦走路等を一緒に歩いたことがあるMさんに声を掛けてみたところ、
何度かのメールのやり取りの結果、朝8時50分に伏見桃山駅で、待ち合わせということになった。
ところが僕の怠慢で、書籍を読んでいる内に、伏見桃山駅を通り過ぎ、
電車が停まっている駅が伏見稲荷駅であることに気付いたのだが、降りようとしたが発車してしまう。
そして、次駅(鳥羽街道駅)で下車して、やって来た電車に乗り、大阪方面へと引き返したのだが、
約束の時間に着くはずもなく、大幅な遅刻となった。その遅刻が、最後まで、僕の心中に大きくのしかかることになってしまう。
それは、彼女から「15時半までには、自宅に戻りたい」という要望があったからで、常に時刻を意識して歩き続けた。
ところが、山の会で一度歩いた道にもかかわらず、道迷いに陥る。
京都一周トレイルの立札を見つけられなかったり、あってもしっかりと確認することなく進んでしてしまったりして、
何度か後戻りをすることとなり、結果として、伏見稲荷駅に着いたのが15時33分であった。
このコースを山の会の皆と歩いたのは、2018年12月23日で、もう4年も経過しているからだろうか、
今日歩いて目の当たりにした景観が、まったく記憶に無かったのだ。
その最たるそれは、京都の街が一望できる“大岩山展望所”と、もう一つ挙げるとするなら“伏見稲荷奥社”だろうか。
僕自身も、本当に残念だった。本来ならば、神社仏閣もゆっくりと見学し、心行くまでこのコースを楽しみたいと思っていたからだ。
ところで、2018年12月の山の会例会では、朝9時00分に伏見桃山駅をスタートして、清水寺まで歩いている。


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妙見山(初谷川~日蓮宗霊場~上杉尾根)

2023年03月23日 | 山野歩
2022年01月02日(月)
『山野歩』
<妙見山>
<初谷川~日蓮宗霊場~上杉尾根>
[コースタイム]
◆[妙見口駅] 9:10 → (初谷川沿い) → 12:00 [分岐(車道に合流)] → (暫くで、左へと山道に入る) → 12:17 [妙見大菩薩・鳥居] → 12:20 [妙見山・霊場入口) → 12:32 [妙見山・三角点(660.1m)] → [妙見山・山上駐車場] 14:06 → (稜線展望コース・上杉尾根) → 15:39 [妙見口駅]
◆所要時間:6時間33分
<春から夏にかけてもう数回、この道を歩いてみたい>
妙見口駅前で、スマホの電源を切る前に、天気のアプリを見ると、現在地の気温が3度との表示であった。
決して寒くないよなと思いつつ、駅前にあった大きな地図を眺めて、線路沿いの道を歩き始める。
歩いていると、“初谷コース”等の道標や目印が現れ、自然と初谷川沿いの道へと導かれてホットする。
初谷川への道が分かるのだろうかと心配したが不要であった。
初谷川沿いの道には、豊能町・吉川自治会が記した“間歩試掘跡”の掲示板を始めとして、“初谷川と五八寸伝説”という掲示板、
そして“初谷渓谷憩いの場プロジェクト”という掲示板があって、その前の土手には芸術品の“タマゴとキバ”が整然と並んでいた。
また植物にかかわる掲示板としては、“キツネノカミソリ”や“ウバユリ”など9種の野生植物を紹介したものや、
“初谷川の木の花”と称して、“ダンコウバイ”始め“ムクロジの木”や“オニグルミの木”などの8種の樹木を記したもの、
そして、“希少野生生物保護・ 世界で2番目発見 シロミノヤブムラサキ”という掲示板、
また、“初谷の希少植物”として“クマガイソウ”“ヒオウギ”“オオヒナノウスツボ”“ヤマシャクヤク”の4種を記した掲示板が立てられていて、
それらの掲示板を読んでいると、春から夏にかけてもう数回、この道を歩いてみたいと思ったのであった。
それらの掲示板に書かれている文言や絵、そして写真を、丹念に読んだり眺めたりしていると、
知らぬ間に時間が経過してしまい、昭文社の山と高原地図に記さている、妙見口駅より初谷渓谷を上り、
妙見山上の車道と合流する地点に到着するまでの所要時間が1時間20分の処を、僕は、2時間50分も要してしまったのである。
その合流地点より、ホンの少し車道を歩き、車道を離れ、左手へと山道を進み、
車道を横切り更に上ると大きな鳥居(妙見大菩薩)が現れ、やっとのことで、日蓮宗霊場に到着したよなという印象で、
それよりホンの少し進むと霊場へと繋がる入口があり入って行くと、初詣ということもあるのだろうが、大勢の人で賑わっていた。
お参りを済ませ、さて山頂は何処なのだろうかと、更に進み、日蓮宗能勢妙見山という山門をくぐると、展望が拡がる処に到着する。
さて、山頂は何処だろうかと見廻すと、三角点と書かれた木札が眼に入り、それに誘われ更に上って行くと、眼前に三角点が鎮座していた。
さてお昼にしたいが、何処か温かいところがないだろうかと探すが、見つかる筈もないし、
人通りがあまりにも多く、ゆっくりお昼にする場所もないというのが現実であった。
また、下山路として考えている上杉尾根の入口を確認しておくのが先決だろうと思い、今日初めて、地図と磁石をザックより取り出す。
それは、妙見山上の霊場中を歩き廻っていると、方角が分からなくなってしまったからで、
方向を定めて大勢の初詣の人々に混じって進むと、前方に大きな駐車場が現れ、その柵に“上杉尾根”と書かれた札が掛かっていた。
駐車場中を進むと、これが上杉尾根に違いないというしっかりとした道が現れたのだ。
これで安堵して、今度はお昼ご飯にしようと、ちょっとした土産物店やトイレがある処をウロウロしていて、
偶然出会った、地元の人と思われる中高年男性と言葉を交わすうちに、
「少しの間であれば、ここで休んだらええよ」と言って頂き、ちょっとした詰所に案内される。
中に入ると2台の石油ストーブが灯る温かい所で、周辺で仕事をされている人達の休憩所という様子で、
少なからず人の出入りがあったので、短時間でお邪魔することになった。
初谷川沿いの道には、21(?)枚の“緊急通報ポイント 火事・救急・救助は119番へ”と書かれた、豊能町消防署&豊能町観光協会の立札があったし、
下山路として選んだ上杉尾根にも、同じ立札が11(?)枚用意されていたのを見て嬉しくなった。
また、何れの道も道迷いの心配のない明確な一本道で、初谷渓谷では4組9人の人に抜かれ、
上杉尾根では3組5人の登山者に抜かれてしまうが、仕方がないよなという思いで、のんびりと歩き続けた。


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我が街中歩(初日の出は望めなそうにないという空模様)

2023年03月22日 | 我が街中歩
2022年01月01日(日)
『我が街中歩』
<初日の出は望めなそうにないという空模様>
4時56分のスタート。スマホの寝屋川市の気温は「0度」、湿度は「77%」と表示。
“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、
“成田山不動尊”の“奥の院(開)”にお参りし、続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、
そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。
いつものように先ずは内周を、続いて外周を一周ずつ歩き、東方より治水緑地を離れる。
緑橋を渡り、寝屋川右岸の道を進み、寺山橋を渡る。寝屋川左岸の道(寒緋桜の道)を進み、
上観音橋を渡り、寝屋川右岸の道より国松町の昔道を通り帰路に就く。我が家着7時14分。本日の歩数は14,588。
香里園駅より、成田山不動尊へと繋がる参道に位置する友呂岐神社のお参りを済ませ、
成田西町にやって来ると露天が現れ、お正月という雰囲気が漂っていた。
いつもように成田山不動尊の北門をくぐり、本殿へと回り込むと、初詣にやって来られた数多の人々がおられたが、
成田山不動尊を後にして、三井が丘へと向かう道を進むと、いつもの朝と変わらない様子が続いた。
打上川治水緑地に入ったのは5時50分頃。内周と外周を歩く間に、犬の散歩を、また僕のように歩く人、そして走る人と、多くの人を見掛ける。
外周路を歩いて南側にやって来ると、左手下の内周路際では、いつもよりは人数は少ないが、Nさんを中心とする体操が始まっていた。
打上川治水緑地を離れようとする時、右手の建物の上には厚そうな雲が覆い被さり、初日の出は拝めそうにない様子であった。
帰路に入り寝屋川右岸の道を進む時に振り返った、生駒山系上の日の出前の東方の空は、
ほんのりとした赤みが増し始めていたが、やっぱり明確な初日の出は望めなそうにないという空模様であった。残念。


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我が街中歩(天照大御神様と氏神様に誓う)

2023年03月20日 | 我が街中歩
2022年12月31日(土)
『我が街中歩』
<天照大御神と氏神様に誓う>
6時18分のスタート。スマホの寝屋川市の気温は「マイナス1度」、湿度は「84%」と表示。
“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、“成田山不動尊”の“奥の院(開)”にお参りし、
続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。
今朝はいつもと違って、先ずは外周路を一周歩き、続いて内周路を歩いて東方より治水緑地を離れる。
それは、いつもなら、夜明け前のまだ暗い時刻に、6時前に打上治水緑地に入るので、暗くて人の姿も判然としないのが常なのだが、
今朝は遅いスタートゆえ、打上川治水緑地に着いた時には、そこには、いつもと違う景観が拡がっていたゆえ、
その景観に眼を奪われてしまい、いつものように内周路に向かうのを忘れ、その儘、直線路を進んでしまったからだ。
その後はいつものように、ハリエンジュの道、十月桜の道、寝屋川左岸の道(寒緋桜の道)へと進み、
上観音橋を渡り、寝屋川右岸の道より、国松町の昔道を通り帰路に就く。我が着、8時56分で、13,618歩を数えた。
帰宅して我が記録を見ると、この12月は、我が街中歩に出掛けたのは21日で、意外に少ないという印象であった。
また、日々、歩き始めて直ぐに空を仰ぎ、天照大御神と氏神様に向けて語るいつもの言葉以外に今朝は、
「食後に椅子に坐った儘眠ってしまうことと、我が机前で椅子に坐った儘の姿勢で眠ってしまわないように注意します」という文言を述べ、
友呂岐神社でも成田山不動尊でもやはり同じ言葉を述べたのだが、さて、来年は守ることができるのだろうか。
三井が丘を離れようとする時に、昭和16年生まれのAさんに出会い、結構長い時間言葉を交わす。
Aさんは、ボランティアで清掃活動をしておられ、寝屋川左岸の道や右岸の道にある小さな公園の周辺でよく見掛けるのだが、
今朝出会ったのは、それらよりも更に東へと進んだ処であった。
昔は松下電器に勤めておられ、門真や西三荘という駅名が出て来た。
定年後は、71歳まで、本町にあるビルで清掃業務に携わっておられたという。
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我が街中歩(冬の植物を楽しむ)

2023年03月19日 | 我が街中歩
2022年12月20日(火)
『我が街中歩』
<冬の植物を楽しむ>
5時10分のスタート。スマホの寝屋川市の気温は「マイナス1度」、湿度は「75%」と表示。
“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、
“成田山不動尊”の“奥之院”にやって来ると、珍しく扉が開いているので、奥まで入りお参りする。
続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。先ずは内周を、続いて外周を一周ずつ歩く。
東方より治水緑地を離れ、ハリエンジュの道、十月桜の道を通り、寺山橋を渡り、寝屋川右岸の道を歩き続け、
国松町の昔道を通り帰路に就く。今朝の街中歩の歩数は、13,779歩であった。
歩き始めるや否や、透明な南東の夜空に、三日月が昇っているのに気付き、カメラに収める。
また、打上川治水緑地の内周路に入ってからも三日月をカメラに収める。
好天気の下、しっかりと歩かねばと思い、今朝も“足を蹴り出す”と大股を意識して歩き続ける中、9種の植物をカメラに収める。
その一つ目は、過去にも何度も撮影している“ジュウザクラ”。次は、寝屋川右岸の道で我が眼を捉えた真っ赤な“ナンテンの果実”。
その次は、やっぱり右岸で、真っ赤に色づく実をいっぱい付けている“ヒマラヤトキワサンザシ”。
それより暫く歩いてやって来た、国松町の民家の垣根際に咲いていた黄花の“ツワブキ”が4つ目の花。
5つ目の花は、それより数分歩いた処にある小さな畑に植えられている“黄花の菊”なのだが、Googleで検索しても花名が判然としない。
その傍には“ハボタン”が植わっていた。その次は、それより直ぐの処の民家の玄関横、鉢植えの紅色のケイトウだ。
このケイトウは、もしかしたら前にも撮影したことがあるかも知れない。
8番目の植物は、僕にとって初めての花で、民家の垣根の越しにカメラに収める。
淡紅色の繊細な6弁花が数多咲いていて、見出し画像にこの花を選択したのだが、我が所有の植物図鑑には記載がなかった。
そこでGoogleで検索すると“ネリネ・ダイヤモンドグリーン”と表示された。
そして最後の花は“ユリオプスデージ”で、今朝の我が街中歩は、たくさんの植物に楽しませてもらうこととなった。





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山の会(明智越)

2023年03月18日 | 山野歩
2022年12月11日(日) 
『山の会』
<明智越>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[阪急・嵐山駅] 9:00頃 → [渡月橋] → [大河内山荘] → [常寂光寺] → [小倉山二尊院] → [落合] → [トロッコ保津峡駅] → [JR保津峡駅] → (明智越) → [サンガスタジアムby KYOCERA] → [亀岡駅]
<嵐山駅~保津峡駅~亀岡駅>
山の会例会では、タイムを記すのを忘れるし、地図を殆ど見ないのが常だ。
山中の道に入ると、前を行くリーダーの梅安さん、そして東さんや聖子さんの姿を見失わないようにと、
三人の後ろ姿を確認しながら追いかけ懸命に歩くだけだ。
それゆえ、山日記を記するときに難儀することが多い。
何処を歩いたのか分からないし、タイムも分からない。頼りは、デジタルカメラに残っているタイムとその映像だけだ。
中でも今日はその最たるものであったように思う。
“阪急・嵐山駅”9時集合でやって来た。
駅の改札口を撮影した時刻が8時41分、次に、“渡月橋”をカメラに収めたのが9時06分。
“渡月橋”を渡り“大河内山荘庭園”の案内板と“竹林の小径”を撮影したのが9時27分、
“常寂光寺”を撮影したのが9時34分、“小倉山二尊院”をカメラに収めたのは9時39分であった。
そして次に撮影したのが、“落合・現在地”と書かれている地図板で10時35分、此処で橋を渡ったように思う。
一艘のゴムボートが下るのを見たのは、此処だったのではないだろうか。
次にカメラに収めたのは、“トロッコ保津峡駅”で10時49分、
トイレがあるものと思い、対岸の駅まで橋を渡るが、残念ながらトイレは無かった。
次にやって来た“JR保津峡駅”、11時が廻った頃だと思うのだが、切がよいということで、
トイレもあるし、ちょっと早い時刻ではあったが、リーダーの梅安さんの判断で、
改札口前の咲く花は無いが、荷物を置くのに丁度よい花壇があり、
此処で立った儘、お湯を沸かし、温かい珈琲を頂戴しお昼にする。
次に撮影したのは、お昼を済ませ、駅前を離れ、ちょっと歩き始めた時で、振り返って撮影したのだが、その時刻は11時57分であった。
この後が分からない、
明智光秀が山岳の武将らしく、山を越えて愛宕に参拝したという“明智越”というルートに入ったのだが、何処を如何歩いたのかが分からない。
先行く3人の姿を、僕と安部ちゃんは懸命に追い掛けた。
次にカメラに収めたには“←明智越え”という道標で、その時刻は13時25分であった。
“明智越”の道に入ってからは、人に出会ったという記憶はない。
次にカメラに収めたのは、“土用の霊泉”という案内板で13時39分、
その次は“山坊の甚五郎住処跡”と“簾戸口”という案内板で14時42分であった。
それよりだいぶん歩き、漸く民家が立ち並ぶ所へと出て来た。
それより2度ほど地元の方に、亀岡駅への道を尋ね、立派な車道に沿って歩くと、前方に大きなスタジアムが現れた。
その巨大な建物は、“サンガスタジアムby KYOCERA”という競技場であった。
その競技場を右手へと回り込むと亀岡駅到着。16時半頃であったように思うのだが、時刻をメモしていない。



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我が街中歩(今年最後の満月)

2023年03月16日 | 我が街中歩
2022年12月08日(木)
『我が街中歩』
<今年最後の満月>
4時56分のスタート。スマホの寝屋川市の気温は「3度」、湿度は「77%」と表示。
“友呂岐神社本殿”にお参りし、その横に祀られている“正一位・成願稲荷大明神”にも詣で、“成田山不動尊”の“奥の院(開)”にお参りし、
続いて“お滝”、“胎蔵界大日如来”、“賓頭盧尊者”、そして“本堂”にもお参りして、“成田山不動尊”を後にしていつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。
いつものように先ずは内周を、続いて外周を一周ずつ歩き、東方より治水緑地を離れる。
ハリエンジュの道、十月桜の道、寝屋川左岸の道(寒緋桜の道)へと進み、上観音橋を渡る。
寝屋川右岸の道より、国松町の昔道を通り帰路に就く。我が家着7時10分。今朝の街中歩の歩数は、14,395歩であった。
睡眠中の夜中、1時から2時頃にかけて2度こむら返りが生じたため、
二度目の時に芍薬甘草湯を服用し眠ると、4時半頃に目覚めるまで、こむら返りは起こらなかった。
また、寝違いなのだろうか、昨朝から右腕付け根辺りがかなり痛むゆえ、
今朝の我が街中歩きでは、足は蹴り出すを意識して、腕は振るようにして歩いた。
そんな中、打上川治水緑地の内周路を反時計廻りで歩き始めた時、北西の空に、真ん丸い月が昇っていた。
あまりにも綺麗な月ゆえ、バックよりカメラを取り出し撮影する。それは5時44分のことであった。
次に、外周路の北側の直線路を歩くときにも撮影したのだが、それは6時09分のことで、
帰宅してNHKラジオを聴くと、今日の月は、今年最後の満月だと報じていた。

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