『我が街中歩』
<強い芳香を有する植物が眼に留まる>
数日前、普段あまり歩かない道を行く時に、
人家の壁際の花壇に植えられている植物の、特徴のある丸みのある葉っぱに眼が留まり、
サラッと触ると、至極強い芳香が手に残った。
そして今朝、毎朝通る老人ホームの花壇中にも、
数日前に眼に留まったのと同じ植物が、植えられているのに気付く。
念の為に触るとやはり強い芳香があり、しかも小さな花が数個咲いていた。
その花は、仄かな青色を有した花弁の長さが1cm程の大きさであった。
その姿をカメラに収めたのを切っ掛けに、
今朝は6種類の植物を撮影したのだが、すべてが名前は分からない。
なかでも、最初に撮影した芳香を有する植物の名前を知りたいと、
木本と草本の図鑑を丹念に眺めたのだが、残念ながら見当たらなかった。
2019年04月03日(水)
『街中走』
<我が周回コース(6.3㎞)>
パソコン中の一つの頁に、「2013年9月6日:34分53秒23」と、もう一つ「2015年6月4日:43分58秒03」という二つの文字が残っている。
それらは街中走と称して暫くの間、街中の周回コース(6.3㎞)を自身で作って走っていたときのタイムだ。
「2013年9月6日:34分53秒23」は、その周回コースの最高タイムだと思う。
「2015年6月4日:43分58秒03」は、山で滑落事故(2013年9月14日)を起こし、
暫くの間走ることがなく運動らしきことからも遠ざかっていたときに、
身体を動かさねばならないと一念発起して、周回コースを走ったときのタイムだろう。
自身で商いをやっていた頃、
仕事に入る前の時刻までの早朝に、“くろんど園地”や“ほしだ園地”を走っていたのだが、
時代に合わなくなった商いを閉じて、娘夫婦が新しく始めた商いにかかわることにより、
早朝に山野を走ることが出来なくなったことを契機として、時間を見付けて街中を走り始めたのだ。
事故後何度か周回コースを走ったのだが、あまりにもしんどくて、走らなくなってからもう久しい。
◆撮影:2013年7月13日、八ヶ岳(大同心稜)にて (キバナノコバノツメ)
2013年9月6日(金) 『街中走』
<34分53秒23>
今朝の「街中走」のタイムは34分53秒23、自身でもびっくりの34分台突入だ。8月19日にAH君と走ったときのタイムが36分03秒43、またそのときのタイムが6月19日に走りはじめて以降で最もよいタイムであったのだが、そのタイムを上回ることは今後あり得ないだろうとその時は思った。ところが今朝にあっさりとそのタイムを1分以上も上回ったのだ。それは、蒸し暑い季節から脱出し清々しい気候になったことがその大きな理由だろうと思うが、ここ三日間連続で37分台を記録していて、「もしかすれば再び36分台で走ることができるかもしれない」「頑張ってみよう」と考えた。また、今朝走り始めたときの脚腰の状態から、歩幅を広くとって走っても大丈夫に違いないと判断し、最初からしっかりと腕を振りしっかりと走ったことが34分台に繋がったのだろう。しかしいずれにしてもそのタイムは自身でも殊に意外であった。
◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)にて
(ミヤマシオガマ)
2013年8月31日(土)
『街中走』
<強迫観念>
無理のない歩幅で走った、唯一つ注視したのは「腕をしっかりと振る」ことのみであった。その結果、今朝の「街中走」のタイムは40分52秒34。走り始めたときに明確にあった左腰の痛みが、いつしか消滅し走り終えるころには違和感さえも無かった。不思議であった。
]5時過ぎに目覚めてベッドからゆっくりと起き上がる。そのとき「昨日と比して幾分改善したかな」と思ったのだが、それが間違いであることが直ぐに分かった。神棚前に正座し前へと腰を曲げたときに左腰に稲妻が走ったのだ。その直後の仏壇前では腰を曲げる勇気が無かった。食卓前に坐し一人朝食を済ませ立ち上がるとき、やはり腰は素直に伸びてくれず直立できるまで2分間ほどを要し、洗面所で歯を磨き、顔を洗うときには片手を洗面台につき身体を支える必要があった。
駆け始めるまで「走れるのだろうか」という不安感が我が脳裏を席巻していたのだが、何とか完走する。6月19日より走り始めて、6月は5日間、7月は18日、そして今月は27日(28周・176km)も、我がプライベート周回コースを走りすべて完走できたこと自体が信じられない。昨日も今日も「止めようかな」という思いが脳裏を掠めたが、今朝走らなければ、明日は走れないに違いないという強迫観念的なものがあった。