山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

くろんど園地(山粧ふ季節)

2012年11月25日 | 山野走

Si045

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

2012119日(金) 

『山野走』

<くろんど園地>

【コースタイム】

[私市駅]60300→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→63556[くろんど池]64300(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)65536[展望台]65900→(管理道)→72024[キャンプ場]72400→(管理道)→(やまごえの路)73810[水舞台]7400074655[草原広場]74900→[すいれん池]→81032[私市駅]

<山粧ふ季節>

私市駅から“くろんど園地”の森へと向かう民家が建ち並ぶ道を駆けるとき、見上げたまだ薄暗い空に、傘を被り気味の三日月がぼんやりと浮かんでいる。ところが、“すいれん池”畔の道を通るころには夜がすっかりと明け足下が明確に見えるようになる。“すいれん池”畔の2本の落羽松は、葉先の黄緑色を残して殆どの部分で茶褐色へと衣替えを始め、その傍らのニシキギの紅の色彩は、余りにも深く選定し過ぎたためだろうか極控え目で如何にも淋しそうな様子を呈している。

“月ノ輪滝”へと進む上り道とその上に位置する木造りの階段を歩き上る、それより直ぐに現れる階段も歩いて上る、そして三ヶ所目の階段も歩いて上ったのだが、それは僕の脚力と精神力では仕方がないことなのだろう。また、“草原広場”へのコンクリートの道もやはり歩いて上ることとなった。しかしそれら以外の道の殆どを、曲がりなりにも走ることができたのではないだろうか。いつの日にか近いうちにこのコースを、二時間以内で走ってみたいものだと思う。

展望台から葛城の峰は見えない、また遠景の峰も見えないという曇天だが寒気を感じることはなく、それどころか額から汗が流れ落ちる。山粧ふ季節となり木々の黄葉や草紅葉が美しい。なかでも“くろんど池コースの道”にある小さな橋を渡り右折したところの路傍には、朱赤に染まったイロハモミジが立ち並ぶ。朱赤の色彩を右手に楽しみながら砂利道の管理道をキャンプ場へと懸命に走る。水舞台畔に立ったとき、アメンボが俄かに弧模様を創り始めた。アメンボの今朝の目覚めを僕が促したようだ。

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ほしだ園地(親爺と映画)

2012年11月24日 | 山野走

Si035_3 

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(アキアカネ)

2012117日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]61900→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64036[ピトンの小屋]64600(さえずりの路)70019[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72256[飯盛霊園・境界鞍部]72700(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80958[私市駅]

<親爺と映画>

私市へと向かう京阪電車線各駅の階段を上るとき、いつものことだが脚が至極重たく、「こんなんで今日、走ることが出来るんやろか」としばしば考える。また、走り始めてから10分くらいまでの間に、「何でこんなしんどいことをしてるんやろ」「ここで走るのを止めて引き返そう」などという思いが僕の脳裏を掠めたりする。しかし不思議なことに、未だ一度たりとも途中で引き返したことはない。

今朝、“かわぞいの路”にある103段の階段と、“さえずりの路”の階段の大部分を歩いてしまうが、総じて快調に走れたように思う。ところで、今朝走るときに心掛けたことが二つある。一つは「背筋を伸ばし、しっかりと腕を振る」であった、それは先日上さんが「前屈みで年寄り臭い歩き方や」と、僕の歩く姿勢を指摘したからだ。二つ目は、「右腰や左膝をかばった走り方は止めよう」であった。今朝起きてから暫くの間、重たかった腰は僅かな違和感のみで済んだが、左膝には終始痛みがあった。

「なんで快調やったんか」と考えるとき、身体的にそうであったと云うよりも精神的な部分の方が大きかったのだろうと思う。それは、この4月に逝った親爺のことを終始考えていたからだろう。走る間に親爺との様々な記憶が蘇ったが、中でも、認知症の進行が加速し始めている親爺と、その介護に腐心するお袋との三人で行った映画鑑賞時の記憶がもっとも強烈に蘇った。その映画は、藤田まこと主演の“明日への遺言”で、僕が何故戦争にかかわる映画を選択したかと云えば、「主題が戦争にかかわることであれば、認知症が進んでいる親爺であっても、大正11年生まれの親爺なら理解できるのではないか」と考えたからだ。そして鑑賞後に感想を訊いたところ、「私には関係がない」と一言だけ発した親爺の言葉を僕は今も明確に覚えている。

京阪電車交野線車中より見る東方の空を鉛色の高積雲が覆っていたが、飯盛霊園境界鞍部から見る狭い空には一点の雲も無い青空があった。そして半月もあった。また、磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス8℃とあった。

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くろんど園地(桜紅葉とスミレ)

2012年11月23日 | 山野走

Si025

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(センブリ)

2012114日(日) 

『山野走』

<くろんど園地>

【コースタイム】

[私市駅]152400→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→155641[くろんど池]160300(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)161826[展望台]162100→(管理道)→164155[キャンプ場]164700→(管理道)→(やまごえの路)170253[水舞台]170400→[すいれん池]→172716[私市駅]

<桜紅葉とスミレ>

放せない仕事や用事が無い限り、僕は毎月三日の日にN霊園に墓参に行く。そのお墓には、祖母、父、母、甥の4人が眠っている。それは父母が健在であったとき、父母が毎月欠かさず三日に墓参していたのを、父母が逝ってしまった今もそれを僕は踏襲している。認知症が進み車の運転を止めた親爺に替わって、僕が二人を車に乗せて墓参するようになったのは20079月からだ。20102月にお袋が、そして今年の4月に親爺が逝った。

ところで、昨日が三日だったのだが、昨日は義兄の三回忌で墓参は叶わなかったゆえ、今朝N霊園へ墓参に行ったところ、至極桜紅葉が美しかった。今日は、事務所にて一日中机上の仕事に励むつもりで山野走を楽しむ予定はなかったのだが、その華やかな桜紅葉に誘われて、やらなければならない仕事があるにもかかわらず、“くろんど園地”へとやって来てしまった。しかし、“くろんど園地”には桜の木が少ないのだろうか、N霊園のような華やかな桜紅葉の色彩を見ることは殆どなかった。

“キャンプ場” を後にするとき、「手袋を持ってきて正解やった」と思った。そのとき僕の両手指先は冷気で固まり始め自由が利かなくなりつつあった。次に“やまごえの路”へと足を踏み入れて以降今度は、「ヘッドランプを持って来るべきやった」と後悔すること頻りであった。そのころより私市駅に到着するまで僕の眼は、足下のみを見て走ることとなった。日没がもう其処に迫っているため草原広場へ行くのを諦め、“すいれん池”より真っ直ぐ、夕闇が近づく道を“私市駅”へと急いだ。これからの季節、午後に山野走を楽しむときは必ずヘッドランプを携行しなければならない。

“さわわたりの路” を行くとき、仄暗い足下を極めて小さな紫色の花が後方へと走った。それが如何なる花なのかと、10m余り引き返し暗くなり始めた道上を「この辺りの筈だった」と腰を屈め地面を注視すると、それはスミレのように見える。今の季節に花咲くスミレがあるのだろうかと、地面に着かんばかりに頭を垂れつくづく眺めると、それはやはりスミレで、周辺を見廻すと計三輪の開花するスミレがあった。

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ほしだ園地(ササユリの植栽)

2012年11月18日 | 山野走

Si037_2 

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(オオカマキリ)

2012113日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]61900→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64046[ピトンの小屋]64500(さえずりの路)65922[やまびこ広場]70300(まつかぜの路) 72244[飯盛霊園・境界]72600(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→81051[私市駅]

<ササユリの植栽>

駐車場の少し手前、午前中にはしっかりと陽射しが届くであろう天野川土手上に咲く、少しばかり弱り始めたシラヤマギクを足下に見ながら、「まだ咲いてくれている」「次回来るときにはもう花は無いだろうな」などと、哀愁を感じながら通り過ぎる。そのとき瞬時のことではあったが、僕の脳裏中に厭世的思考が頭をもたげた。駐車場横の豊かな秋陽に恵まれる路傍には、黄花のヤクシソウが群落を形成し満開を迎えている。飯盛霊園との境界鞍部では黄花のアキノキリンソウがまだしっかりと頭を持ち上げ、そこより見上げた狭い青空中には一点の雲も無かった。帰路、“さえずりの路”を下るとき、雑木林中、薄暗いところに、何処となく儚さ漂う二輪の白花コウヤボウキが顔を覗かせた。

三本の竹を組み、赤テープを添えたものが“まつかぜの路”と“せせらぎの路”の其処彼処に作られている。それらは総数20組以上を数える様子だが、その幾つかに「ショウジョウバカマ、ササユリなどを育てています」という札が掲げられている。それらは“ほしだ園地”の職員さんによって作られたものに違いがない、ほんとうに御苦労さまです。その竹組を見始めたのはいつごろだったのだろうか、最初気づいた時からみるとその数は相当数増え花咲く来春の季節が待ち遠しい。併しだ、ササユリが其処彼処に咲くのはもしかすれば興醒めかもしれない。僕の偏見かもしれないが、ササユリは、森中を歩くとき、林中に突然姿を現しハッと驚かされるくらいの数の方がもっとも美しいと思うのは僕だけだろうか。そう考えたとき、9月の比良山系比良ロッジ跡の様子が脳裏に蘇った。比良ロッジ跡に数多の植樹が実施されていたのだが、それらのすべてがその甲斐無しという状況に陥っている光景を思い出した。もしかすれば植栽とは「数打ちゃ当たる」なのかもしれない。

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス6℃とあった、今秋中でもっとも低い気温であった。

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ほしだ園地(トウカエデ)

2012年11月17日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(ウメバチソウ)

2012111日(木) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]62000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64144[ピトンの小屋]64500(さえずりの路)65953[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72448[飯盛霊園・境界]72800(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路) →(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→81452[私市駅]

<トウカエデ>

駅へと向かうとき、アスファルト路面が濡れていた。雨具をとりに家に戻るべきかと躊躇しつつ何故か僕の足は駅へと向かっていた。まだ白む気配さえない天空を見上げると、その西方一部分の雲が鈍い淡黄色に染まっている。それ以外の雲は見えないのだが、そのとき、何故その部分の雲のみがそのような色彩を呈するのかが解らなかった。立ち止まり暫く眺めていると、まあるい月が雲端より現れた。「なーんやお月さんが居てるんや」という結果であったのだが、月が見えたのはほんの瞬時のことであった。

今にも雨粒が落ちて来そうな天候ゆえ、また、平日でもあり早朝ゆえ、“ほしだ園地”の森中には人は居ないものと思っていた。ところが、僕よりも先に早朝の森を楽しむ三人の人の姿があった。男性二人が“ピトンの小屋”付近で、女性一人が“やまびこ広場”におられた。“さえずりの路”をやっとこのことで上り切って前方を見たとき、その奥に見える東屋は僅かに煙っていた。その所為か、それとも僕が眼鏡をかけていなかった所為なのかは分からないのだが、東屋前に立つ女性の存在に直ぐには気づかなかった。その女性は両掌に余るほどの栗の実が入ったビニール袋を提げておられた。「早いですね」と僕は声をかけた。

飯盛霊園との境界鞍部に黄花のアキノキリンソウが5株咲いていた。“せせらぎの路”を下る路傍に暫く以前より咲いていた青紫色唇形の花の名称が、先日、ほしだ園地の職員さんのお蔭で判明したのだが、そのときよりも更に背丈が伸びたアキノタムラソウが2株、僕の眼前に期待通り出現した。

“ピトンの小屋”の僅かばかり上手にあるトウカエデとヤマモミジの紅葉が始まろうとしていた。もう何年も前のことだが、トウカエデという名称を初めて我が脳裏に刻んだころ、そのころ僕は、トウカエデが楓の類の中でもっとも早く紅葉し散ってしまうことを知らなかった或る秋、「今年は紅葉することなく散ってしまった」と思いきや、足下に敷き積もる特徴ある形の紅や黄、茶褐色の葉っぱに気づいたことがあったのを思い出した。

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くろんど池(サロモンのトレールシューズ)

2012年11月16日 | 山野走

Si043

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(ミミカキグサ)

20121030日(火) 

『山野走』

<くろんど園地>

[私市駅]60700→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→63940[くろんど池]64700(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)65920[展望台]70300→(管理道)→72313[キャンプ場]73000→(管理道)→(やまごえの路)74859[水舞台]7510075710[草原広場]75900→[すいれん池]→81926[私市駅]

サロモンのトレールシューズ

傍らに居た山仲間に唆されて、SALOMONのトレールシューズを某山の店で今年の7月初めに購入した。それは、黒、橙、黄、緑の色彩を使用した派手な靴ゆえ、「余りにも派手ゆえ、履く勇気があるのだろうか」と、購入するときに62歳の僕は瞬時躊躇した。また、靴紐は従前のランニングシューズと比して極めて細く直ぐに切れてしまうのではないかとも心配した。その紐は「括る」というものではなく、「引っ張る」「締める」というもので、直ぐに緩んでしまうのではないかとも心配した。ところが、その靴を履いてまだ10回余り走っただけだが、その心配は無用のようである。また、耐久性についてはまだ結論は出ていないが、履き心地は至極よい。先日一人で、八雲ケ原湿原(比良山系)を楽しんだのだが、その時に履いていたトレッキングシューズ(履くのが購入後3度目)がまだ我が足に馴染まず、左足外反母趾に痛みが生じた。そしてその二日後にSALOMON で“ほしだ園地”を走ったのだが、痛めた外反母趾になんら支障が無かった。SALOMONの靴中は至極ソフトで僕の足を柔らかく包んでくれた。この靴を薦めてくれた山仲間に感謝せねばならない。

僕は過去に三度、阪急イングスでトレールシューズなるものを購入している。最後に購入したのは10年近く以前のように記憶するのだが、それら三足ともが我が足に合わず失敗に終わってしまっていた。その原因は「靴が硬過ぎることにあった」と理解している。それ以降僕は、トレールシューズは買わず、美津濃製の同一モデルのランニングシューズを繰り返し購入し履き続けてきた。それは、美津濃のそのモデルの靴が僕の足にピッタリ合っていたからだ。街中を走るための靴を購入するのなら今後もこのモデルを選択するのだろう。

このSALOMONのトレールシューズ(11,550円)は、靴裏の面積が美津濃製ランニングシューズより確実に広い。その所為か地面にピッタリとくっつき傾斜地や砂礫、石上を走るとき、至極安定感があるように思われる。今朝もこの靴で早朝山野走を楽しませてもらった。体調は快調、腰に違和感も無く、膝に痛みが生じることもほとんど無かった。黒添池畔でティーシャツの上に羽織っていた長袖シャツを脱ぎ半袖シャツ一枚になるが寒くはなく、その半袖シャツ一枚で帰宅した。

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裏六甲・烏帽子岩(20数年振り)

2012年11月11日 | 岩登り

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◆撮影:2012年10月14日、奥の深谷源流(比良山系)にて

(ヤマトリカブト)

20121028日(日) 

T山の会』

<烏帽子岩>

■参加者:ABちゃん、MOくん、MK子さん、YUSUN

[JR道場駅]→[百丈岩]→(鎌倉峡)→[烏帽子岩]→[JR道場駅]

20数年振り>

道場駅舎で皆がやって来るのを待つとき、既に雨が降っていた。計画は「不動岩で岩登り」であったのだが、降雨ゆえ鎌倉峡にハイキングに行こうということになった。今日の降雨は昨日から分かっていたことなのだが、そもそも、我々の山の会には「中止」という言葉が存在しない。僕は、京橋駅でJRの切符を購入する前にABちゃんにメールを送信した、「不動へ行くのですか?」と。すると「雨なので、百丈岩になると思います」との予想通りの返信があった。「明日雨なら“百丈岩”で脱出訓練なのだろう」と僕は昨日より考えていたのだ。

ところがである、皆が揃ったところで「鎌倉峡にハイキングに行こう」と計画が変更になったのだ。雨の岩場で脱出訓練を行なうことに気乗りがしていなかった僕は胸を撫で下ろした。それは雨や泥砂でロープが濡れ汚れるのは間違いが無いゆえ、帰宅してからの、陰干しや泥落しという手間暇を考えたからだ。

“鎌倉峡”の右岸の道を20分ばかり進んだとき、先頭を歩いていたMOくんが「戻ろう」と言った。それは、予想外に岩場が多く雨で濡れて足下が至極悪く、尚且つ、道から川面までかなりの高さの処が現れるので、滑落して怪我でもしたらつまらないと考えたからだろう。そのとき、「計画が不動岩のとき、もし降雨の可能性があるときには渓流靴も準備する」という話が持ち上がった。「雨の時は鎌倉峡で沢登り」と考えたのだが、しかしその流れはけっして清冽な流れという様子ではなかった。

その後、“烏帽子岩”を20数年ぶりに訪れることになった。「道場駅から然程遠くはなかった筈だ」「車道から直ぐの処に岩場があった」などの、僕の微かな記憶を頼りに歩き、直ぐに辿り着くこととなったのだが、「僕が攀じれるルートは皆無みたいだ」と、僕は岩場を見上げるばかりであった。併しだ、次回機会があれば、最も平易なルートでよいから二十数年ぶりに一度攀じってみたいと思った。

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ほしだ園地~むろいけ園地(秋を楽しむ)

2012年11月10日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)

(リンドウ)

20121027日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地~むろいけ園地>

[京阪・私市駅]71400→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→73514[ピトンの小屋]74300(さえずりの路)75743[やまびこ広場]80500(まつかぜの路) 82535[飯盛霊園・境界]82900→(飯盛霊園内)→[戎バス亭]→84721[ビオトープ田原の里山(車止め)]→90151[堂尾池]91500(小池)93138[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →(森の工作館)→[むろいけ園地出口]100000→(蟹ケ坂ハイキングコース)→(車道)→102824[JR・四条畷駅]

<秋を楽しむ>

黄花のアキノキリンソウに出合ったのは、“ほしだ園地”と“飯盛霊園”との境界鞍部、次は堂尾池畔であった。なかでも堂尾池畔では至極繁茂していたのだが、その畔の日当りのよい道端に大群落を作っていたのは黄花のヤクシソウであった。そしてヤクシソウに負けじと僅かに湿ったところに多く開花していたのはミゾソバで、白のものと淡い紅色のものの二種の色彩のものがあった。ところで、ミゾソバがもっとも繁茂していたのは“湿生花園”で、その殆どを席巻していたといっても過言ではないだろう。“湿生花園”で咲いていた花は、他に二種のアザミくらいだろうか。一つはオハラメアザミだろうか、もう一つはキセルアザミだろうか、分からない。その一つのアザミ相手にミドリヒョウモン蝶が遊んでいた。堂尾池畔の日当りのよい処ではヤマトシジミ蝶と天狗蝶の舞う姿を見かけたし、赤蜻蛉がゆったりと浮遊していた。さて、草叢中で「リリリリッ、リリリリッ」と鳴く虫は草雲雀だろうか。堂尾池で見かけた花に、チジミグサ、エノコログサ、イヌタデ、アザミなどがあり、堂尾池よりほんの少しの処に、夏には所狭しとヒツジグサが咲く小池があるのだが、その畔ではミズヒキが紅色の花をつけていた。

堂尾池から少しばかり階段を上った処と、“むろいけ園地”へと続く車道にもう少しで飛び出す森中の二ヶ所に楓並木があり、紅葉の季節に其処は、見事な紅葉のトンネルへと衣替えするのだが、その季節はまだまだ先のように思えた。ところで、“ビオトープ田原の里山”の林中に掲げられていた札に「平成24624日、ゲンジボタルが乱舞する」と記されていたのだが、「ゲンジボタルの見学に一度やって来たいけど、夜の時刻にここにやって来ること事態難しいよな」と思った。

秋天の青空の下、清閑な森中の景観を思う存分楽しませてもらった。堂尾池に着いてから蟹ケ坂ハイキングコースを下り始めるまでの殆どの道程を歩いた。左膝の状態が芳しくなかったのもその一つの理由であったが、精神力不足と身体力不足が最大の原因だろう。四条畷神社から四条畷駅への街路を駆けるとき、腰に微妙な違和感があった。ところで、“ピトンの小屋”前の掲示板を見ていて、3日前に“さえずりの路”で見かけた大柄の鳥の名称が「ヤマドリ」であることが分かった。ほしだ園地の職員さん、ありがとうございます。

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ほしだ園地(心地好い余韻)

2012年11月06日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、比良山系(金糞岳)にて

(琵琶湖を望む)

20121026日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]62000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64025[ピトンの小屋]64500(さえずりの路)65945[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72302[飯盛霊園・境界]72600(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80926[私市駅]

<心地好い余韻>

早朝に限ってのことだが、同じような時刻であっても、“ほしだ園地”は“くろんど園地”と比して森中で人に合う機会が多い。それは、ハイキング道が尾根の西側に集中している“くろんど園地”と違って、道の殆どが尾根の東側に位置しているからだろう。森中の道が尾根の東側にあると、当然のことながら西側の道よりも朝陽が樹林中に射し込む時刻が早い。即ち明るくなるのが早い。

今朝も“ほしだ園地”では、平日にもかかわらず6人の中高年の男性を見かけた。一人の方を除いて、僕のようにリュックサックを担いでおられる方はいなかったので、近隣に住まいを構える方々が健康に留意し、「歩く」を目的として早朝散歩を楽しんでおられるのだろうと思う。ただ、日曜や土曜日なら早朝であっても時折ランナーに出合うしハイカーにも出合う。

そんななか、“ピトンの小屋”に到着して、汗で濡れる前にと、長袖シャツを脱ぎティーシャツ一枚になろうとしているとき、管理道を下って来られた70歳半ばと思われる男性が僕に「おはよう」と声を掛けた。僕が「おはようございます」と答えると、柔和な表情のその男性は続けた。「気持よろしいやろ、汗掻いたはるけど、すっと冷えますやろ、風邪引かんよおに」と、優しさ溢れる柔らかい口調で話され直ぐに下って行かれた。その言葉を聴くや否や僕は手帳を取り出し、男性が発した言葉を書き留めた。短い言葉であったが、その語りは僕の脳裏から消滅することはなく心地好い余韻が残った。

“さえずりの路”を上がるとき、西方の尾根上から朗々と詩吟を吟ずる声が聞こえた。以前にも何度か聞いているので同じ人なのかもしれない。

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ほしだ園地(ありがとう、ほしだ園地の職員さん)

2012年11月04日 | 山野走

Si018_2 

◆撮影:2012年10月14日、金糞峠(比良山系)への途にて

(マツカゼソウ)

20121024日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]62100→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64113[ピトンの小屋]64600(さえずりの路)70013[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72303[飯盛霊園・境界]72700(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→81445[私市駅]

<ありがとう、ほしだ園地の職員さん>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス7℃とあった、因みに帰路では10℃。“星の里いわふね”辺りの気温が、今秋初めて10℃を切って7℃まで一気に下がった。

168号線を走るときに、ひんやりとした空気を感じたが意外と寒くはなかった。それは風がなかった所為なのか、それとも私市駅をスタートするときに、ティーシャツの上にもう一枚長袖シャツを羽織っていた所為なのだろうか。我が身体は右腰、左膝を除くと終始至極快調であった。しかしその左膝であっても、まだ軽微な痛みは存在するのだが、以前のような酷い痛みが生じることはなかった。腰も然り。

“さえずりの路”を上るとき、左5mくらい上方草叢中でガサガサッと音がする。見上げると長い尻尾を有した茶色っぽい大柄の鳥が、僕の足音に驚き慌てて逃げようとするところであった。それは瞬時のことで、その姿をしっかりと捉えることはできなかったが、僕の拙い鳥にかかわる知識では、それはキジのように思えた。さて、この辺りにキジは棲息しているのだろうか。

“かわぞいの路”を戻るとき、雑木林が繁茂する薄暗い森中をヒラヒラッヒラヒラッとゆったりと翔ぶジャノメチョウらしき大形の蝶を見かけたが、直ぐに樹林中に姿を消した。僕はその蝶をしっかりと確認したいものと林中に一歩二歩と踏み込んだが、立ち並ぶ雑木林に阻まれてしまう。

“せせらぎの路”を下るとき、今月初旬に咲いていた3出複葉、青色唇形の花の名称が判明した。そのときには僕の踝までにも届かないくらいの背丈のものばかりであったのだが、今朝駆けるとき、花の数は少なくなっていた様子だが、残っているもののなかに少し高くまで伸び上がって青の花弁をつけるものがあった。そしてその中の一つの横に、“アキノタムラソウ”と記された札が掲げられていた。そのとき僕は心中で呟いた、「ありがとう、ほしだ園地の職員さん」と。

しかしいずれにしても、実際に咲く花を記憶として、また記述して、もしくは撮影して持ち帰った写真などを植物図鑑の写真と参照するとき、その花の咲き始めや終焉のときの場合などとで同じ花であっても様子が違ったり、また茎の背丈や観る角度などで、その雰囲気様子が微妙に違うときがあるように思う。矯めつ眇めつ眺めまわす必要がありそうだ。

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