山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

モンベルの下着(ジオライン)

2014年01月29日 | 山道具

P1010126

◆撮影:2014年1月1日、交野山にて

2014122日(水)

モンベルの下着

<ジオライン>

モンベル製品の下着を購入したのは、昨年の2月であった。そのとき僕は「寒さに弱いので普段着として使用したい」「ランニングにも着たい」「冬山にはウールの下着を使用している」と話し、どの下着を選択すればよいだろうかと店員さんに訊ねたところ、選んで頂いたのは“ジオライン”の中厚手であった。そもそも“ジオライン”の下着を試してみたいと考えていた僕は、迷うことなく購入することとなった。“ジオライン”について、カタログには「汗を素早く放出し、保温力に優れる」と記されていた。その他「制菌・防臭」とも書かれていたのだが、“メリノウール”に記されている「冷え性の方」「日常生活」という文字は無かった。

ところで、昨年前半は腰痛に悩まされた結果、身に着ける機会が無い儘に終了してしまい、今冬は昨秋の滑落事故ゆえ、山は無論のことランニングの機会も無い儘、今に至ってしまった。そこで暫く前に、普段着として使用してみようと思い立ち一週間着続けてみた。しかし寒気に包まれた日のランニング時等に着用してみないと正確なことは言えないのだろうが、また、殆ど外出することがない生活が続いているゆえ、室内における普段着として使用しただけなのだが、我が部屋にはエアコンが無く小さな電気ストーブが一台あるだけという条件の下であったのだが、あまり寒気を感じることがなかったのも事実だ

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レチコラン錠500μg&ATP腸溶錠20mg

2014年01月18日 | 健康・病気

Photo

◆写真撮影:2013年1月1日、白旗池にて

2014117日(金)

『左顔神経麻痺』

<レチコラン錠500μg&ATP腸溶錠20mg

一昨日、左顔の神経麻痺改善の為の二種類の薬剤が無くなった。それらは、三ヶ月余り呑み続けた「レチコラン錠500μg」と「ATP腸溶錠20mg日医工」なのだが、これらの薬剤は、僕の神経麻痺改善にかなり効果を発揮してくれたのは間違いがないだろう。先日、僕の話すのを聞いたH子ちゃんが「滑舌がよくなった」と言ってくれたのだが、僕自身も昨年までと比して、かなり良くなったと認識している。

これからは、医師の仰るがごとく僕自身による頬や顎、そして左目の上や横のマッサージを今までと同様継続しなければならない。元の状態に完全に戻ることはあり得ないのだろうが、滑落事故を起こしたのは僕自身の責任ゆえ、それは仕方が無いことである。左右どちらかの手が動かせる状態にあるときは、必ず頬を触っているようにしなければならない。触れば触るほど更に滑らかに話せ、咀嚼も上達するのだろう。

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病院を卒業する(西洋医学の限界)

2014年01月11日 | 健康・病気

P1010136

◆写真撮影:2013年1月1日、交野山にて

(元旦)

201419日(木)

『西洋医学の限界』

<病院を卒業する>

KM病院、耳鼻科を今日卒業した。IT医師に会えないと考えたとき、変な話だが何だか淋しさを覚えた。

左顔面神経麻痺はまだ完全に治癒したわけではないが、僕の語りや口の動き方、そして表情を看て、「もう薬は不要でしょう」「後はマッサージで」と医師は言った。その言葉に僕自身も納得であった。西洋医学ではこの状態まで改善したなら「治癒した」と考えるのだろうと思ったのだが、また今まで処方して戴いた「レチコラン錠500μg」や「ATP腸溶錠20mg日医工」を、呑み続けてもこれ以上によくなることもないのだろうとも考えた。また、薬による副作用もあるのだろうから、呑み続けることも我が身体にとっても好ましく無いのだろうとも考えた。

帰宅して上さんに病院での様子を話したら、「次は鍼灸やカイロやね」と言った。それは十数年前に上さん自身が経験した、「西洋医学による治療には限界がある」という現実を心底に刻んでいるからだろう。上さんは十数年前、数ヶ月間両眼とも見えない時期があった。しかし看てもらった二ヶ所の病院とも、治療行為もなく薬さえ処方されることは無かったと記憶している。その後、鍼灸院やカイロプラクティックに通い、奇跡的に極めて僅かではあるが視力が戻り、現在はカイロプラクティックに通い続けている。

ところで、左顔の神経麻痺は昨年と比してかなり改善したのは間違いの事実だ。914日の滑落事故以降、僕は汁物や飲料を飲むときにはストローを必要としたが、今はストローを使用することは無い。ただ、咀嚼が上手く出来ているかといえばけっしてそうではないし、左眼から出るヤニや涙が止まらないという現実もある。また、左手指はまったく治癒していない。中指と薬指、そして小指の痛みは以前と同じだ。ちょっとした重量物を左手指で握って持つことが難しい。整形外科や神経内科で診てもらったが、診察はそれぞれ一日で終了してしまい治療してもらうことは無かった。

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元旦の交野山(場違いの感)

2014年01月02日 | 山野歩

P1010128

◆写真撮影:20.14年1月1日、交野山にて

201411日(水) 

『元旦の交野山』

<場違いの感>

[コースタイム]

[枚方市駅]457→[交野駅]510538 [機物神社]545→645[カントリー倶楽部入口]→624[白旗池]→648[交野山]715→[白旗池]→800 [機物神社]815841[交野駅]

自宅前のアスファルト路に今しがた雨粒が落ちた形跡があったが、躊躇することなく駅へと向かう。それは「交野山の大岩上から初日の出を拝まなければならない」という強い想いが僕の心底にあったからだろうと思う。

今日で8年連続の元旦の交野山となったのだが、昨年と違って今年は太陽が顔を見せることはなかった。それは天気予報から十分に理解していたことなのだが、「もしかすれば」という期待を抱いてやって来た頂であった。また僕が到着したときには天候が芳しくないにもかかわらず山頂は大混雑という様子で、如何にして岩上に上ろうかと悩んだくらいの人並みであった。狭い頂に集うのは200300人くらいだろうと思われたが、その殆どの人を学生さんと思われる若い人達が占めていて、高年の僕が頂に立っていることが場違いの感すらあった。後方に居た学生さんの言葉より今の瞬間が日の出の時刻と理解したのだが、そのときもやはり曇天で僅かな暁光さえものぞむことは出来なかった。それより暫く後に、白旗池前へとやって来たとき池の向こうの空を見上げると晴れ間が僅かだが覗いた。

カントリー倶楽部の舗装道路に這入ると勾配の傾斜角度が極めて大きくなり、僕の歩行速度が遅くなってしまう。後ろからやって来る人々に次から次へと追い越される始末であったが、それは仕方がないことで、そのときには既に僕の両脚の大腿四頭筋に痛みが生じ始めていた。交野山への最後の急勾配の階段では、後ろから上がって来る人の為に再三立ち止まり路を譲らなければならなかった。

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