写真(やまびこ広場)
2017年4月9日(日)
『山野歩』
<生駒山系縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]10:01→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→10:52[ピトンの小屋]11:02→(さえずりの路)→(つつじの小路)→11:26[展望デッキ]→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内(大休止)]13:02→13:20[ビオトープ田原の里山・車止め]→13:39[堂尾池]→14:06[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→14:45[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→15:08[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→[龍王神・祠]→[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→[くさか園地バイオトイレ]→16:07[辻子谷ハイキングコース北出合(小休止)]16:15→16:45[生駒山頂(遊園地内)]→17:25[暗峠]→17:39[鳴川休憩所]→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡展望台]→[枚岡神宮]→18:44[枚岡駅]
◆所要時間:8時間43分
<生駒山上遊園地の想い出>
[生駒山上遊園地]への80段余りの階段を、足下ばかりを見て懸命に上るとき、居るはずはないのだがもしかすればお袋と親爺が、僕がやって来るのを其処で待っているのではないかという幻想を懐く。
認知症がかなり進行している親爺と、認知症の親爺と二人で暮らすことにストレスを感じている御袋の二人を乗せて、いつの日にか[生駒山上遊園地]にやって来たことを想い出す。戦前戦後と若かりしときに懸命に働いた大阪の街なら、親爺がよく知っている大阪の街なら、御袋と所帯を持った大阪の街なら、親爺は何かを感じるのかも知れない、思い出すのかも知れないと考え、また、日々の生活に変化があればお袋の疲弊している精神も僅かにしろ和むに違いないと期待し、大阪の街が一望できる「生駒山上遊園地」にやって来たのだ。
あのとき、御袋や親爺が如何なる精神状態にあったのか今となっては分からない。あのとき親爺はまだ、僕のことを自身の息子であると理解していたのだろうと思うのだが、これもまた今となっては分からない。お袋はあのとき特段何も言わなかったように記憶するが、お袋と親爺を連れて僕が生駒山にやって来たことを、御袋はどのように考えていたのだろうか。また、お袋と親爺は自分のこれからの人生のことを、当時親爺はどのように考えていたのだろうか。お袋はどのように考えていたのだろうか。教えてほしいと思う。教えてくれたなら、僕のこれからの人生の指針になるかも知れないからだ。
用事があってスタート時刻は遅くなったが、独り山行ゆえ急ぐ必要もないゆえ、終始我がペースでゆっくりと歩み、日暮れ前に、脚が痙攣に見舞われる前になんとか生駒山頂に辿り着いた。[まつかぜの路]を行く時に出合った、落花した藪椿の赤の花弁の其処彼処に拡がる景観が、殊の外物悲しくもあり美しくもあったのが印象的であった。