山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ヤマトリカブト(比良山系・奥の深谷源流沿いにて)

2018年10月31日 | 植物
2018年10月24日(水)
『ヤマトリカブト』
<比良山系・奥の深谷源流沿いにて>
この写真の[ヤマトリカブト]は、
2012年10月14日、比良山系、奥の深谷の源流に沿って歩くときに撮影したものだ。
当時の僕の山日記に、
「滔滔と流れる奥の深谷源流の川面が僅かな木漏れ日に煌き、
陽射しが届く少しばかり明るい処にヤマトリカブトがひっそりと咲いていた」と書いている。
[平凡社・日本の野生植物]にはトリカブト属について、
「約300種が北半球の暖帯~寒帯に広く分布する」
「変異が強くて種の境界が明らかでなく、分類の困難な群である」
「ジテルペン系のアルカロイドを含み、猛毒のあるものが多く、いろいろな民族によって矢毒として用いられてきた」などとあった。
また、今年の8月26日に雲取山(京都北山)に行ったときにも出合っている。
三の谷出合を過ぎた辺りで群生していたのだが、その時に咲いていたのは極めて僅かであった。


(上)写真は、雲取山山行時に出合ったヤマトリカブト
そして先日に八丁平(京都北山)に行ったときにも、江賀谷に沿う道を歩く時に一輪だけ咲いていた。
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京都北山・葛川学校前~八丁平~峰床山~葛川学校前

2018年10月25日 | 山野歩
2018年10月21日(日)
『京都・北山』
<葛川学校前~八丁平~峰床山~葛川学校前>
[コースタイム]
[葛川学校前バス停]8:50→9:33[二股]→11:08[中村乗越]→11:18[八丁平]11:50→(クラガリ谷)→12:15[峰床山]12:30→[展望ベンチ]→14:29[八丁平]14:33→14:42[中村乗越]→15:42[二股]→16:29[葛川学校前バス停]
<季節を変えてもう一度やって来よう>
八丁平へやって来るのは6月17日以来で2度目であった。
あの時は、江賀谷の二股の道標と右股を見落とし暫くの間、江賀谷の左股を進んだことにより一時間のロスタイムが生じ、
時間切れで峰床山へも行けなかったし、八丁平の散策もあまり楽しめなかった。
それゆえ今日は、峰床山に上ることと八丁平湿原をぐるりと一周廻るという二つのことに目的があった。
朝、葛川学校前バス停で下車したのは僕以外にもう一人おられた。
僕と同年代のその方(伊藤さん)とは、中村乗越から下った処にある八丁平の看板前まで御一緒した。
僕はその看板前のベンチで大休止にしたのだが、
峰床山へ登りオグロ谷経由で梅ノ木へ行くという伊藤さんは、その儘、峰床山へと向かった。
八丁平の看板(地図)を見て、峰床山へはクラガリ谷を通る道を選択し進むと、伊藤さんが上手より下りて来られた。
そして何ゆえ引き返して来たのかを説明してくださった。
伊藤さんがおっしゃった如く、勾配がきつくなり始めた処にテープが2~3本あったのだが、その辺りより道が判然としなくなる。
しかし上方には道が間違いなくある筈ゆえ、踏み跡のない急勾配を懸命に上ると、
展望台より峰床山へと続くとみられるしっかりとした道に飛び出した。
その飛び出した処に立っていた道際の一本の樹木に枯れ枝を立てかけ目印にした。写真も撮った。

それは、飛び出した処に何も目印になるものがなかったからだ。
クラガリ谷経由で八丁平へ下降する時の為にその進入路が分かるように目印を作ったのだが、
結果的にはこれより下ることなく展望台へと回って八丁平へ下ることにする。
新しい何かに出合えるかも知れないと考えたからだが、
展望台が過ぎて暫くすると、夥しい倒木が現れ、しかも連続して現れ、判然としない道が続き、
「オグロ谷へと下った方がよかったのかも知れない」と後悔しつつ前進した。
峰床山には一人の高齢の男性がおられたが、出立しようとされているところであった。
すれ違いざまに「どちらから来られたのですか?」と訊ねると、「鎌倉山!」とおっしゃる。
「道ははっきりしてましたか?」と続けると、「テープがありましたから」と答えられ展望台方面へと向かわれた。
峰床山には長居せず早々に後にする。道に迷うことなく予定時間内に八丁平へと下りる自信がなかったからだ。
今日は久し振りに芍薬甘草湯を使用する必要がなかった。
倒木を潜ったり跨いだりするときに脚が攣りかけたが、いつものように歩くのに困るほどの酷い痙攣ではなかった。
また、雨に降られる心配のない秋晴れの一日で、行動中は終始シャツ1枚で過ごした。
マムシグサの朱赤に輝く果実に何度か出合ったが、花はヤマトリカブトの1輪のみで、

期待した野草や樹木の花には残念ながら出合えなかったゆえ、季節を変えてもう一度やって来ようと思う。
中村乗越より下り右股を暫く進んだ処ぐらいにあった、
急傾斜の崖上の5㍍くらいの距離のトラバースに恐怖を感じながら、
張ってあるトラロープを掴みトレッキングポールを支えにして、
上って来るときにこんな処を通ったのだろうかと思いつつ極めて慎重に足を運んだ。
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ドヴォルザーク作曲・新世界より(ひと日の終わり)

2018年10月24日 | 音楽
2018年10月20日(土)
『ドヴォルザーク作曲・新世界より』
<ひと日の終わり>
この一週間、ドヴォルザーク作曲「交響曲第9番ホ短調作品95・新世界より」を食事時に繰り返し聴き続けた。
その中の第二楽章は、我々が小学生のころにキャンプファイヤー時に聴いた“ひと日の終わり”という曲だ。
子供の頃に聴いていて数十年経った今でも覚えているこの旋律が流れると、何故か心地好い気分に浸れるのが不思議だ。
しかし、昔に聴いたこの曲が“ひと日の終わり”という曲名であったことを僕は覚えていなかった。
教えたくれたのは上さんだ。
いつの日にかこの曲を聴いていたときに、上さんが曲名を教えてくれたのだが、
今日はこの曲につけられている詩を、「殆ど忘れてしまったんやけど」と言いつつ「遠き山に陽は落ちて…」と、
娘や孫がいる朝食事時に、覚えている出だしの部分を歌ってくれた。
さて、今でもこの曲は、キャンプファイヤー時に流れるのだろうか。
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ミミカキグサ(比良山系・八雲ケ原湿原にて)

2018年10月22日 | 植物
2018年10月18日(木)
『ミミカキグサ』
<八雲ケ原湿原にて>
2012年10月14日に、
比良山系・八雲ケ原湿原にて[ミミカキグサ]に出合い、
その時に初めて[ミミカキグサ]の存在を知り、その花名を覚えた。
それ以降、僕はこの花を見ることはなかったのだが、
この21日、比良山系に行ったおり、
八雲ケ原湿原の木橋を渡ると6年前同様[ミミカキグサ]が開花していた。
[ミミカキグサ]は食虫植物だそうで、
「多年草、湿地性ではあるが、泥、ミズゴケ、砂など色々なものの上に生育することができる」
「植虫植物の多くは、根から養分を吸収する代わりに虫を消化するので、他の植物が生えられない劣悪な土壌にも耐えられる」と書籍にあった。
そう言えば、湿原横にある案内板に
「八雲ケ原の土壌には養分が少ないため、樹木が大きくならない」などと記されていたように思う。

八雲ヶ原
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シロバナマンジュシャゲ(明日香村で出合う)

2018年10月20日 | 植物
2018年10月17日(水)
『シロバナマンジュシャゲ』
<明日香村で出合う>
[彼岸花]に白花があるのを知ったのは、2007年10月7日に明日香村へ行ったときのことだ。
書籍に「人家に栽培されるが、九州と朝鮮(済州島)に自生があるといわれる」
「ショウズイセンとヒガンバナとの雑種であるという」と記されていた。
この[シロバナマンジュシャゲ]の写真は、2007年10月に明日香村で撮影したものだ。
ところで先月の23日、“むろいけ園地”に行ったおり、
帰路、四条畷駅へと“蟹ケ坂ハイキングコース”を下るときにも、
栽培されている[シロバナマンジュシャゲ]に出合った。

蟹ケ坂ハイキングコースにて咲いていたマンジュシャゲ
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比良山系・ガリバー旅行村~八淵の滝~八雲ヶ原~坊村(八淵の滝は思いの外厳しかった)

2018年10月17日 | 山野歩
貴船の滝

2018年10月14日(日)
『比良山系』
<ガリバー旅行村~八淵の滝~八雲ヶ原~坊村>
[コースタイム]
◆[ガリバー旅行村バス亭]9:35→[ガリバー青少年旅行村]→10:29[大摺鉢]10:45→[貴船の滝]11:20→(七遍返し)→[オガサカ分岐]→13:30[八雲ヶ原]13:54→[大橋小屋]→16:35[牛コバ]→[伊藤新道出合]→17:15[坊村]
<八淵の滝は思いの外厳しかった>
“魚止の滝”と“障子の滝”、この二つの滝を見たいと思った。
しかしその分岐点にあった急勾配の下降路と、そこに伸びている鎖の先端は見えず、
その傍らに「下り禁止」の看板が立っていた。
僕の足腰ではここを下るのは不可能ではないか、
何とか下りられたとしても時間がかかるのではないかなどと考え、
諦らめることにする。
次にやって来た“大摺鉢”でひと休みしているとき、
後方よりやって来た若い女性三人組は、
張られている1本のロープを利用して、
丸い大岩からやはり丸くて滑りそうな大岩へと軽快に飛び移り“広谷”方面へと向かった。
僕は計画通りに“貴船の滝”へと向かう。
直ぐに20歳ぐらいと思われる男性二人連れに出会う。
彼等が言うには、
もっとも彼等が語った言葉を僕はしっかりと理解した訳ではなかったのだが、
「貴船ノ滝の手前の処、足下が崩れていて突破出来なかった」と解釈した。
彼等はそこより引き返して来たようで、
若い彼等が通過することができない処なら、僕にも越すことができないのだろうと思い、
「其処まで行ってみて、駄目なら引き返してきます」と答えると、
スマホで撮ったばかりの“貴船の滝”の映像を見せてくれた。
数十年振りにやって来た八淵の滝は思いの外厳しかったが、
慎重に“貴船の滝”も通過し“七遍返し”を進むときに二人連れの外国人に出合う。
彼等は共にイギリス人で、
滋賀県下で英語の教師をしているという白人と黒人の若人であった。
昭文社の地図にある“オガサカ分岐”に気付くことなく通過してしまい、
いつしか“八雲ヶ原”を下方に見る処に到着していた。

八雲ヶ原
マツムシソウとリンドウに出合えるのではないかと期待し、
スキー場跡の草むら中を足下に注意しつつゆっくりと“八雲ヶ原”へと下ると期待通りにリンドウが開花していた。
八雲の大石に腰掛け大休止の後、
湿原に架かる壊れかけた木橋を慎重に歩くと、
期待した通り、白花のウメバチソウと黄花のミミカキグサに出合え写真機に収める。
その後、奥の深谷の源流の水音に耳を欹てながらゆったりとした愉楽の精神で大橋へと歩くが、
八雲ヶ原を離れてから暫くして脚が攣り始めた為に、
芍薬甘草湯を服用するが、完治しないのでもう一袋服用した。
奥ノ深谷遡行は昔に数回楽しんだことがあるのだが、
金糞峠経由でイン谷口へと下山するのが常であったゆえ、
大橋より坊村間の道を歩くのは今回が初めてであった。
頻繁に木橋を渡ったのだが、さてどの橋が大橋だったのだろうか、
気付くことなく知らぬ間に何時しか大橋を通り過ぎてしまったようで、
突然大橋小屋らしき建物が現れた。
大橋小屋以降の道は八淵の滝同様、僕の足腰には厳しかった。
なかでも渡渉には苦労したし、ロープが設置されている難しいトラバースも再三現れた。
牛コバにやって来たときに、
坊村のバスの時刻(17時21分)までに時間がないことが分かる。
それは信じられない勘違いにより生じたのだが、
この儘のんびり歩いていてはバス時刻に間に合わないので、
ときには小走りで懸命に歩いた。
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ヤマオダマキ(赤岳山荘近くで撮影)

2018年10月13日 | 植物
2018年10月11日(木)
『ヤマオダマキ』
<赤岳山荘近くで撮影>
2013年7月15日、八ヶ岳山行の帰路、
赤岳山荘近くで撮影した[ヤマオダマキ]は、峠を少しばかり経た花であった。
[ミヤマオダマキ]と花形はよく似ていたが、青紫色ではなく薄黄色。
植生帯が違うそうで、[ミヤマオダマキ]が高山帯であるのに対して、
[ヤマオダマキ]は温帯~亜寒帯だという。
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シモツケソウ(三俣蓮華岳を過ぎて出合う)

2018年10月10日 | 植物
2018年10月10日(水)
『シモツケソウ』
<三俣蓮華岳を過ぎて出合う>
2003年08月15日、
朝に三俣山荘を出立し、雨が降り続くなか三俣蓮華岳へと向かう。
三俣蓮華岳の頂(7時30分着)は雲中にあり全く視界が利かない故、留まることなく通り過ぎる。
その後、雨が小降りになり始めたときに[シモツケソウ]に出合ったようだ。
その[下野草]について当時の山日記に
「下野草の淡紅色は殊に華やかだ」と記している。
この花はバラ科の仲間だ。
また、双六小屋より鏡平への道でも出合っているようだ。
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クスノキ(鎮座していて出迎えてくれる)

2018年10月08日 | 植物
2018年10月07日(日)
『クスノキ』
<鎮座していて出迎えてくれる>
先月は2日にやって来た墓地、
毎月一度は必ず、娘に会うために片道一時間半かけて車でやって来る墓地、
その墓地に入ってゆくと、正面に楠が鎮座していていつも僕を迎えてくれる。
この墓地には桜の木は其処彼処にあるようなのだが、楠はこれ一本のみのようだ。
楠は神社やお寺によくある樹木で、枝ぶりのよい大木となったものをしばしば見ることがあり、
よく訪れる京阪電鉄・私市駅前にも数本の楠が植えられているのを思い出す。
この楠の写真は、2005年11月27日に私市駅前で撮影したものだ。
ところで、長女が眠る墓石の直ぐ右横の墓石には義父が眠るのだが、
奇しくも今日は我が上さんの親爺さんの祥月命日でもあった。
それゆえ今日にお墓参りに行きたいと考えていた。
その為には「昼前には出て16時くらい迄に帰ってくればよい」
「昼飯を作っておけば、上さんに苦労を掛けない」と考え、
スタジオより帰って来て、直ぐに台所に立ち、ミートスパゲティーを作り始めた。
合挽肉やトマト缶を使う孫達が好むいつものミートスパゲティーだ。
我が家を出たのは11時頃だったように思う。それより1時間半後には墓地に居た筈だ。
ほぼ一時間費やして、
いつものように草引きから始めて、墓石を洗い供華をして、四つの墓石一つひとつに言葉を掛けて般若心経を上げる。
長女の墓石前に立つと、長女が小さかったころのことを想いだしてしまった。
お正月などに上さんの実家を訪れ、
夕刻我が家に帰ろうとすると長女はいつも「何で●●子だけ帰らなあかんの!」と言って泣きじゃくったのを想い出した。
「お彼岸に来なくて申し訳ない」「また来月やって来るからね」と言って墓地を離れた。
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チングルマの花期後(軽やかに羽毛が揺れる)

2018年10月06日 | 植物
2018年09月27日(木)
『チングルマの花期後』
<軽やかに羽毛が揺れる>
2009年09月06日、
太郎平小屋がもう其処という所に、花期後のチングルマが群生し一面に拡がっていた。
風に吹かれると羽毛が軽やかに揺れる様子は至極気持がよい。
チングルマは花後、花柱が伸びて羽毛状になり、果実の先端に残るのだという。

太郎平小屋
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