山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

くろんど園地(森中路傍での“オシッコ”)

2013年03月24日 | 山野逍遥

Sii356 

◆撮影:2010年4月3日、くろんど池にて

2013323日(土) 

『山野逍遥』

<くろんど園地>

[私市駅]1130→[月ノ輪滝]→1240[すいれん池]1325→[くろんど池]14201500[すいれん池]15201630[私市駅]

◆所要時間:5時間00

<森中路傍での“オシッコ”>

もう暫くで“月ノ輪滝”に着くのだろうと思われる細い下り道を歩くとき、J太郎が小声で「オシッコ」と言う。「ここでしたら」と返すと、「おうちに帰ってする」と答える。私市駅までかなりの距離があるし、「ここでしたらええやん」と言いつつパンツを下ろしてみるがJ太郎にはまったくその気がない様子だ。仕方なくパンツを上げるが、駅までもつ筈がない。そのとき咄嗟に僕の口から出た言葉が「僕もするから一緒にJ太郎もせえへん」であった。僕の姿を眺めていた彼に、如何なる思考があったのかは知る由もないが、自身でパンツを下ろし始めた。オシッコを済ませた後に無事に済ますことができたという安堵の表情がJ太郎にあったようにも見えたのだが、それは彼にとって初体験となる森中路傍での“オシッコ”となった。

太郎は“くろんど池”への道を楽しんだ。嫌がる様子は皆無であった。ただ“くろんど池”への道は、“ほしだ園地”の道と比して、比較的暗くて岩石が多く少々歩き辛い処も多い。三歳になったばかりのJ太郎は難儀したのだろうと推察するが、往路も復路も軽快な足取りで、時には身体を左右に振ってリズムをとって歩き続けた。帰路、“すいれん池”を過ぎた暫くのころ、一度だけ「疲れた」という言葉を彼は発したが、けっして「抱っこ」とは言わなかった。彼の気を紛らわすために僕は、J太郎と一緒になって大きな声で「虫さん出ておいで」と叫んでみたり、「石投げしようか」と促したりもした。J太郎が好きな石投げをしたのは帰路に一度だけ、尺治の流れが緩やかで浅瀬が続くところで行なった。またJ太郎は「ふねみたい」と言って枯葉を流してみたりもした。

草花にはまったく興味を示さなかった。森中に至る民家が並ぶ空き地や畑の路傍には、ホトケノザやヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、ハコベなどが、森中ではタチツボスミレやスイセン、タンポポ、サザンカ等が花弁を開いていたが彼は興味を示さなかった。彼が興味を示したのは動く生物で、彼の眼前に現れたのは、ヤマトシジミとベニシジミの二種の蝶と蟻、“くろんど池”ではアヒルとオシドリ、“すいれん池”では6尾の鯉、白と朱がそれぞれ一尾、そして黒のもの四尾が優雅に泳いでいた。老眼で裸眼の僕には見えなかったのだが、小学生45人組みの男の子達が「バスが居る」「何でバスが居るねん」と叫んでいた。また、“すいれん池”横の管理棟では、ヤマドリ撮影のための大きなカメラが17台も並び、J太郎と残ったパンとテルモスの温かい珈琲を楽しむときに、目的のヤマドリ出現にデジタルカメラ独特のシャッター音が森中に響いた。また姿を見ることは無かったが、森中の其処彼処で終始鶯の声を聴くことができたし、時折カラスの声も耳に届いた。

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ほしだ園地(ピトンの小屋前広場を駆る)

2013年03月09日 | 山野逍遥

Sii368

◆撮影:2010年3月14日、くろんど園地にて

(すいれん池)

201333日(日) 

『山野逍遥』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]12151224[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→1316[ピトンの小屋]15331550[星のブランコ]1615→[ピトンの小屋]→1653[ほしだ園地駐車場]

◆所要時間:4時間38

<ピトンの小屋前広場を駆る>

吊り橋を南側から北側へと戻り渡り終えようとするとき、突然J太郎の様子がおかしくなった。渡り終え椅子に腰掛けさせ顔を覗きこむと体調が芳しく無い表情だ。熱があるのだろうかとJ太郎の額に僕の額をくっ付けるがそうでもない。「抱っこしようか」と言うと、その言葉を理解したのであろう朦朧とした表情のJ太郎は両手を広げ抱っこの体勢に入った。山中にJ太郎を連れて来るようになって今日で7回目だが、穣太郎を抱きかかえ歩き続けるは初めてのことであった。

抱き上げ歩き始めるや否や瞬時のうちにJ太郎は眠り始めた。「眠たかっただけやったんや」と理解し安堵した僕は、J太郎を胸前に抱え歩みを進めた。ピトンの小屋方面への階段を慎重に下るときJ子より電話が入った。「まだ吊り橋から少し下ったところやねんけど、J太郎が眠ってしまって抱っこして歩いている」と言うと、「駐車場まで車で迎えに行くから」とJ子は応じた。

J太郎を抱き上げたとき僕は、彼を胸前に抱え私市駅まで戻る覚悟をしていた。その一時間余りのときを、もう一週間で三歳の誕生日を迎えようとしているJ太郎の体重に、腰痛を病む我が身体が耐えられるのだろうかとも考えた。併しだ、もし耐えられたなら、否、耐えられるような気がしたのだが、「山野走が再開できる」「山の会例会に出席できる」とも考えた。ところが、J子から「ほしだ園地駐車場まで迎えに行こうか」の言葉を聞いたとき、一時間余りJ太郎を胸前に抱え歩き続けることが、腰に如何なる影響をもたらすのだろうかとも不安感を抱いていた僕は、即座に「ほんなら、駐車場で待っている」と答えた。それは今以上に酷い腰痛に陥ってしまうことを懸念したからだが、そのとき僕は「駐車場まで頑張ればよい」「私市駅まで歩く必要がなくなった」と安堵したのも事実だ。

寝顔を見ながら、J太郎の今日の運動量は僕の数倍であったに違いないと思った。それは、 “ピトンの小屋”に居た二時間余りを、僕は漂う冷気に負け、小屋内の椅子に坐り冊子や書籍を見て、またときにはベランダに出て手摺に腕をのせて、J太郎の行動を確認するのみでまったく動かなかったのだが、J太郎は“クライミングウォール”前の広場や“ピトンの小屋”周辺を駆け巡った。また、三歳の彼にとって、同じ一時間の道程といっても僕と小さな彼とでは運動量が確実に違う。階段を一段昇るにしても然りだ。疲れを知らないJ太郎の身体力に敬服するばかりだ。

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