山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

厭世的思考(封閉)

2014年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

P8170176

◆撮影:2014年8月17日、大石山の家

2014729日(火)

『厭世的思考』

<封閉>

携帯電話の本年カレンダー825日の処に、「自ら逝く」「20141231日までに」「1029日~31日」と記してもう久しい。ところがだ、今朝聴いた次女の妊娠の話は、「自ら逝く」の四文字を僕の携帯カレンダーから消し去った。そのときに我が脳裏を掠めた思いは「また次女に助けられるのかも知れない」であった。

それは、2009年の秋にも同様のことがあったからに他ならない。当時僕の脳裏は厭世的な思考で溢れていた。「60歳で自ら逝こう」と考えていたときに、次女の「できちゃった婚」が決まったのだ。「JN子が結婚する」「子供ができる」という中で、「JN子の生活が如何なるのだろうか」「上さんが大変だろうな」と云う思いが、厭世的思考を封閉したのだ。

今回もまったく同様の状態に思える。なかでも昨年の滑落事故以降、生き続けることが嫌になり厭世的なことばかりを考えていたからだ。JN子の出産と子育て、そして始まったばかりの事業には、母親の後ろ盾が絶対必要条件だろう。そしてその上さんとJN子の二人に対する僕の助力も必要なことは明白だからだ。

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蝉の声(憧れのクマゼミ)

2014年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

P8170175

◆撮影:2014年8月17日、大石山の家にて

2014724日(木)

『蝉の声』

<憧れのクマゼミ>

「蝉の鳴声がよく聞こえる」と先日、上さんが言った。そのときに僕が返した言葉は「僕等が子供の頃と比して、その様子に相当の変化があるよね」「夏が始まったころ、先ずはニイニイゼミから鳴き始め、次はアブラゼミ、そして盛夏になって初めてクマゼミが鳴き始めたように思う」であった。

今はクマゼミの声ばかりだ。時折アブラゼミの声が聞こえたりもするが、ニイニイゼミの鳴声は皆無だ。もっとも僕の耳鳴りの所為で聞こえるニイニイゼミの声はあるのだが。

僕達が子供であった半世紀前の気候が、現在のそれと比して如何であったのか僕には分からないが、今は気温がかなり上昇しているのだろう。その影響で蝉の生態系にも変化が生じているのかも知れない。クマゼミと比して相当身体が小さいニイニイゼミは、平均気温の上昇に耐えられなかったのかも知れない。

半世紀前、僕達小学生にとってクマゼミは憧れの的であった。ニイニイゼミやアブラゼミは低い処に停まって居るのだが、クマゼミは今のように低いところに停まってはくれなかった。神社の境内の鬱蒼と茂る高木(欅?)の、それも高い処で鳴くのが一般的で、市販されている一本の採集網ではけっして届くことはない。竿をつないで紐でしっかりと括って長く伸ばさなければ届かなかった。中には網ではなく竿先にトリモチを付けて捕る者も居た。その方が、樹木の枝葉の間隙をすり抜け網のように音をたてることなく上手く蝉に届くからだが、僕はトリモチを使用することはなかった。蝉翅にトリモチが一旦くっ付いてしまうと蝉は二度と飛べなくなってしまう。そのころ僕達の殆どの者が、捕獲した蝉を暫くしたら逃がしてやるのが常であったからだ。また、夏が終わろうとするころに鳴き始めるのがツクツクボウシで、ツクツクボウシはクマゼミよりも小型で、クマゼミと同じ透明の翅を所有し少し緑がかった綺麗な体を持つ美しい蝉であった。しかし、すばしっこいので捕獲することが難しかったのを覚えている。

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四柱推命の先生の言葉(お墓の面倒をみる)

2014年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

P8160167

◆撮影:2014年8月16日、大石山の家にて

201479日(水)

2014721日(月)

『四柱推命の先生の言葉』

<お墓の面倒をみる>

馬町にある四柱推命の先生が、大先生は亡くなって久しいと思うのだが、我々の二人の娘がまだ幼かったころ、もう三十年も以前のことなのだが、先生が僕に語った言葉の中で二つのことを明確に覚えている。

その一つは「孫が五人」であり、二つ目は「両家の御墓の面倒は貴方がみることになる」であった。それらの内一つ目の「孫は五人」は見事に外れるようだ。それは長女であるKY子が二十歳で我々よりも先に逝ってしまったからだ。次女のJN子は一男一女を儲けたが、もう三十歳を迎え、仕事を抱えているという中では、あと三人を出産し育てることはあり得ないと思われるからだ。また、二つ目についても、僕にも上さんにも兄が居るゆえ、両家のお墓は何れもが長男家が引き継いでいるので、これもあり得ることではないだろう。正しく、「当たるも八卦」「当たらぬも八卦」なのだろうか。

ただ「お墓の面倒をみる」と「お墓を相続する」とは別ものかも知れない。KM家のお墓には、お袋と親爺が行なっていた毎月の三の日のお参りをお袋も親爺も逝ってしまった現在、僕が踏襲し行なっているし、TN家のお墓には、そのお墓の横に我が家のお墓がありKY子が這入っている関係上、やはり清掃と供華の為に月に一度は欠かさずお参りしているゆえ、当然のことながら、TN家のお墓の清掃や供華、お参りも月に一度は必ず行なっている。これらのことが「お墓の面倒をみる」にあたっているのかも知れない。

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