山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

街中歩(しっかりと歩けた)

2014年09月29日 | 我が街中歩

P9230008

◆撮影:2014年9月23日、くろんど池にて

2014922日(月)

『街中歩』

<しっかりと歩けた>

嘗てのプライベートランニングコース(6.3km)を本当に久し振りに歩いた。三井団地を抜けて寝屋川沿いの道を西へと進み、寝屋川警察前で右折し国道170号線を北へと向かい、成田不動尊下へと進む走り慣れた路なのだが、「半ズボンにすれば好かった」と後悔する程に、Tシャツが汗で濡れるくらいに暑かった。今日の所要時間は1時間1434秒で、思いの外しっかりと歩けたように思うが、ボウリング場を過ぎた辺りより右足の脛部分にかなりの張りを感じ始め、走ることが出来る脚力が無いのは明確であった。

寝屋川沿いの散策路には、グラジオラスと曼珠沙華(彼岸花)が咲き満開という様子を呈していた。またツマグロヒョウモン蝶と何度か出合うこととなった。見上げる空には、淡い絹雲と絹積雲が主体の青空が拡がり強い陽射しが届いた。

夕食後、机前に坐ると頸椎が至極痛む。何ゆえだろうか、歩いたことに原因があるのだろうか。それとも昨日、墓参の為、平尾往復に三時間余り車を走らせたことに原因があるのだろうか。墓参からの帰宅時、至極疲労していたのは間違いが無い。

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錯覚(走ることができて当然)

2014年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

P9230003

◆撮影:2014年9月23日、すいれん池畔にて

2014921日(日)

『錯覚』

<走ることができて当然>

「明日から走ろう」と考える日がここ数日間過ぎ去った。「明日から…」「明日から…」と思うばかりで、走ることができない日々が過ぎ去った。併しだ、身体力快復のために先ずはランニングからと思ったが、それ自体が間違っているのかも知れない。自身の身体の現実を考えるとき、「けっしてそんなに甘いものではない」と理解した。現状において歩くことでさえ満足なそれではないのに、走り続けられるものではないだろう。

滑落事故を起こしたのが昨年の914日、その9月には、13日までの間に10日間早朝ランニング(6.3km)を行なっている。因みに8月は28日間も走っているゆえ、走ることができて当然だという錯覚に陥っているだけだ。一年間殆ど運動を行なってこなかった僕の心身は、自身が考えている以上に脆弱なそれに陥っているのだろう。

「先ずは歩くことから」と言っていた梅安さんの言葉を思い出す。先ずは歩くことから始めるべきだろう。短い距離から始めて、徐々に距離を伸ばす。また、腰痛の改善も必要不可欠だろう。前屈姿勢が満足にできない状態では走るどころか、歩くことでさえ難しいかも知れない。また、左手の痛みも、左顔の神経麻痺も明確に残っている。

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滑落事故から早や一年(身体を鍛える)

2014年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

P9140332

◆撮影:2013年9月14日、御在所岳(藤内小屋)にて

2014914日(日)

『滑落事故から早や一年』

<身体を鍛える>

昨年の914日に僕は滑落事故を起こした。当時、山仲間のABちゃんが記した「御在所岳藤内壁前尾根前壁ルンゼ遭難の記録」に、「前尾根前壁ルンゼ下降中、約20m落下し、2回バウンドして大岩陰でやっと止まる」「左耳前部より多量出血あり、本人意識なし、応急手当、雨具着せる」「救助の応援を求めるため、前尾根P2(ヤグラ)を登攀中の名古屋山岳同志会のメンバー(3名)に救助の携帯電話での連絡をお願いしたが、携帯電話が繋がらないので、徒歩による警察への連絡を依頼した。」などとある。

滑落事故前後の記憶も含めて、ザイルで確保してもらいながらルンゼを自力で下降したという記憶、担架を使えないところでは、オンブによって二村氏に降ろしてもらったという記憶、裏道登山道では担架搬送をされたという記憶、救急車で病院に到着し病院で治療を受けた記憶、全てが我が脳裏から喪失しているのである。「滑落した」「滑落してゆく」なんていう記憶もまったく無いという現実のなかで、それが如何なる原因で生じたのかも分からず仕舞いだ。あれから早や一年が経つのだが、その間、山の会例会に二度出席し、一人で私市の森中へ二度足を運んだようにも思うのだが、それらを除くと殆ど運動らしき運動を行なっていないというのが現実で、我が脚腰と精神は至極脆弱なものとなってしまった。また、事故の後遺症も明確に残っている。

我が山の会は、この連休を利用して、小豆島に岩登りに行った。昨日も今日も好天という様子で、「今、岡山に向かう電車に乗っています。本番は明日ですが、気をつけて行ってきますね!」と、昨朝1130分にABちゃんからメールが届いた。昨晩はMTくんの実家に泊り、日中は釣り三昧だったのかも知れない。「素晴らしい天気ですね。僕も一緒に行きたかったです!海、岩、いずれも存分に楽しんでください」と僕は返信した。

ところで、仕事や家庭にかかわる僕の生活環境を考えるとき、また僕の身体力を考えるとき、岩登りは勿論のこと、山中を歩くことでさえ不安な気持ちになってしまう。それは、「二度目の事故はあってはならない」と考えてしまうからに他ならない。その為には、僕の身体を鍛える必要があるのだろうと思うのだが、そして先ずはランニングから、と考えるのだが、その為の時間の捻出が現在の僕の生活環境では殊に難しい。従前のように早朝に走る時間は無いし、午前中も駄目だ。また、夕方も時間の捻出はやはり難しい。

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山仲間(嬉しいメール)

2014年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

P8160140

◆2014年8月16日、大石山の家にて

2014824日(日)

『山仲間』

<嬉しいメール>

18日に、「こんばんは、でございます。メール届いていますか?お元気ですか?あまりメールに返信がないので、心配になってきました。大丈夫でしょうか?何でもいいから連絡お待ちしておりますよ。」というメールをABちゃんより頂戴し、その次の日、朝方に、「一時は前向きに考えていましたが、やはり24日は不参加と決めました。足、脚、腰、手指、顔、頭、精神と、身体中が芳しくありません。また、日常生活は何とかこなしていますので安心してください。」と返信をした。

そして昨晩2147分にABちゃんより嬉しいメールを頂戴した。「こんばんは、ABちゃんです。今仕事の帰りです。明日の件、気が変わって、少しでも、行ってみようかなぁ?という気になったら、何時でも来てもらって、いいですよ!期待せずに、待っていますので、お気軽に!どうぞ!ABちゃんでした。お休みなさい。」と。

今日、我が家辺りでは14時過ぎごろより激しい降雨となった。道場(不動岩)の天候は如何だったのだろうか。この連休(913日~15日)を利用して、小豆島(吉田の岩場)に行く計画があって、今日の不動岩はそのトレーニングと聞いていたのだが、僅かな時間であっても岩にトライできたのだろうか。

年間を通して何度か攀じる不動岩なら、あまり心配をしないのだが、殆ど行くことが無い小豆島(吉田の岩場)の登攀は心配だ。皆はけっして若く無いわけだから、自身の身体力を過信することなく細心の注意を払い、無理をせず登攀を楽しんでほしいと思う。

僕が昨年9月に起こした滑落事故(藤内前尾根前壁ルンゼ)の、滑落の事実さえ記憶に無いという現実を振り返るとき、その原因が何にあったのが未だに分からない。「ヘルメットを被っていたから助かった」「20m落ちて止まった処から、その下部へと更に滑落していたら助かっていなかった。」と後に聞いたが、それまで僕は、「自身が山で事故を起こすことはあり得ない」と考えていた。藤内壁前尾根の登攀自体は至極快適で存分に楽しませて戴いた筈だ。併しだ、結果として事故を起こしてしまったという事実を省みるとき、「あり得ない」と考えていたこと自体に原因があったのかも知れない。

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夢(お祖母ちゃんも親爺も現れる)

2014年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

P8170172

◆撮影:2014年8月17日、大石山の家にて

201486日(水)

『夢』

<お祖母ちゃんも親爺も現れる>

先月に引き続きお袋が夢に現れた。否、お袋ばかりではなく、親爺もお祖母ちゃんも現れたのだ。ただし、親爺の姿を見たかどうかは定かでは無い。

既に建物は建て替わっているという前提で夢中の物語は進んでいるはずなのだが、舞台は懐かしい嘗ての我が家の応接間兼食堂であった。応接間の長椅子にお祖母ちゃんと僕が坐っていて、「なかなか商いが替えられない」という僕の悩みをお祖母ちゃんに語っている。それは、建物を建て替え、商いを従前のものを止めて新しい商いに変化させる予定であったのだが、親爺が稼働させている機械音が店より聞こえてくる。そしてその機械とは従来の商いに使用する機械なのだ。

そのとき、健康検診のために数日間ドッグに入っていたお袋が帰宅して、応接間に這入って来た。そのときお袋は何かを話したようにも思うのだが残念なことに覚えていない。

併しだ、何れにしても、お袋ばかりでなく、お祖母ちゃんにも親爺にも会えたことが、僕にとっては至極嬉しいことであった。

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