山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

星のブランコ(吊り橋怖くないもん)

2013年07月09日 | 山野逍遥

A106_2

影: 1999年6月、ほしだ園地にて

2013629日(土) 

『山野逍遥』

<星のブランコ>

[コースタイム]

[私市駅]940→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→1050[ピトンの小屋]1130→(管理道)→(ぼうけんの路)→1150[星のブランコ]→(ぼうけんの路)→[ピトンの小屋]1500→[星の里いわふね]→1654[私市駅]

◆所要時間:7時間14

<吊り橋怖くないもん>

腰の状態はまだ芳しくはないが、7月連休の夏山に向けて617日より走り始めた。17日と22日は私市における山野走、19日、25日、27日、28日と、そして今朝も街中走を楽しんだ。併しだ、山野走や街中走の疲労が今日のJ太郎との山野逍遥に如実に現れ、J太郎に申し訳ないことをしてしまったと後悔すること頻りであった。それは、“ピトンの小屋”で、また“星のブランコ”の南側で時間を無駄に費やしてしまい、またひと時ではあったが、J太郎の存在が僕の脳裏から消滅していたからだ。“星のブランコ”を南へと渡った処の木陰に銀マットを敷き、余りにもしんどいので横になったのだが、うっかり眠ってしまい意識が無い時間が暫しあったように思う。J太郎に起されたのかもしれないのだが目覚めたとき、瞬時のことではあったが右足に腓返りが生じた。また、帰路の“ピトンの小屋”なかでも、奥の本棚前の椅子に腰掛けるときにうとうとと眠ってしまったのだ。

帰路、“星のブランコ”を南側から北側へと渡り始めたときに、僕は敢えてJ太郎を後ろに残し足早に前進してみた。一人になった穣太郎が吊り橋上で如何なる反応を示すのかを見てみたいと思ったからだが、耳を澄まして後ろの様子をうかがっていると、歩く気配が無い。そっと振り返ると、そこには立ちすくむJ太郎の姿があった。今朝自宅で「吊り橋渡れるかな?」と訊くとき、「吊り橋怖くないもん」と答えていたJ太郎であったのだが、「怖い」と小声で呟き僅かに泣き顔になった。それより私市駅に辿り着くまでJ太郎は、僕の手をそっと握りにくることが多くなったように思う。そんなとき僕はJ太郎の手をしっかりと握り返しゆっくりと歩いた。

鉄道風木橋を歩く時や“星のブランコ”を渡るとき、眼下に薄紅色のネムノキの花が拡がっていた。“ピトンの小屋”横では華やかな薄紫の紫陽花、小屋前にはシモツケや錦糸梅、散策路の其処彼処ではヒメジョオンが白花を咲かせていた。出合った蝶は、モンシロチョウ、テングチョウ、キチョウ、コミスジ、そしてJ太郎が好きだというジャノメチョウ(コジャノメ)、その他、多くの蛾や蝶を見かけたが名称は分からない。“ピトンの小屋”より少し上手でオニヤンマ、“かわぞいの路”ではハグロ蜻蛉に出合った。見上げる我々の頭上を周回するオニヤンマを見て、「行ったり来たりしている」とJ太郎は表現した。名称が分からない様々な生き物を見かけたが、中でももっとも多かったのは黒蜘蛛だろう。頭部と尻部に分かれまん丸い形をした身体の色彩は見事なまでに黒色であった。

ところで、“ピトンの小屋”中でかなり長い時間を過ごしたのだが、生き物にかかわる本がこれ程までに沢山あるとは今日まで僕は知らなかった。J太郎と僕は暫しの間、二冊の昆虫図鑑を楽しませてもらうこととなった。

コメント
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