◆撮影:2014年8月17日、大石山の家
2014年7月29日(火)
『厭世的思考』
<封閉>
携帯電話の本年カレンダー8月25日の処に、「自ら逝く」「2014年12月31日までに」「10月29日~31日」と記してもう久しい。ところがだ、今朝聴いた次女の妊娠の話は、「自ら逝く」の四文字を僕の携帯カレンダーから消し去った。そのときに我が脳裏を掠めた思いは「また次女に助けられるのかも知れない」であった。
それは、2009年の秋にも同様のことがあったからに他ならない。当時僕の脳裏は厭世的な思考で溢れていた。「60歳で自ら逝こう」と考えていたときに、次女の「できちゃった婚」が決まったのだ。「JN子が結婚する」「子供ができる」という中で、「JN子の生活が如何なるのだろうか」「上さんが大変だろうな」と云う思いが、厭世的思考を封閉したのだ。
今回もまったく同様の状態に思える。なかでも昨年の滑落事故以降、生き続けることが嫌になり厭世的なことばかりを考えていたからだ。JN子の出産と子育て、そして始まったばかりの事業には、母親の後ろ盾が絶対必要条件だろう。そしてその上さんとJN子の二人に対する僕の助力も必要なことは明白だからだ。