一人暮らしの台所事情

2018年4月からストレスによる耳鳴り(頭鳴り)を発症。13年間の降圧剤の服用を止めます。

久しぶりに具なし茶わん蒸し

2020年10月05日 | 妄想日記


残念ながらまだ蒸し中であり、出来上がっていない
今日は息子も夕飯要らないそうなので
昨日から今朝にかけてずっと雨だった
夜、しんどかったです。耳鳴りによる睡眠障害
あるいは脳のどこかの異常による耳鳴りと不眠

不眠と言われても寝つきはいいんだけど、突如として眠れなくなることも
一時期寝つきも悪くなってしんどかったこともある
だから何がどうなってんだかわからなかった

秋になり今度は寒暖差など冷えが関係してくる
だからどの季節をとっても耳、脳にいいという日は少ない
気圧による障害は今の時期からつらいと思う
冬の気圧はもっともつらい。それでもなんとか生きている

気分が落ち込んでも当たり前なんだからそれを病気として
捉えなくてもいいと思う。それを否定したら
全ての人間が明るく生きなければならなくなる
喜怒哀楽は人間にとって必要な感情であり、
そもそもそれが人間であるのだから

あの方っていつもニコニコとしていいわね
って言われた方が本当は心の中で妬み、恨みが募っていた
となれば心中穏やかでない。そういう方もまれにいるらしい
亡くなってからの霊が鬼のようだった、ということもあるらしい

だから人間は見た目ではわからないし、むしろ素っ気なくても
心のあったかい人もいる。でも心が顔に表れるのも本当のこと
きれいでかわいかった人が何年振りかに会うと、あれ?と
思うこともある。生き方は感情で変わるのだから、顔も変わるし
病気にもなるだろう。貧乏でも心が満たされていれば幸せであるし
たとえ裕福であっても心が満たされなければ不幸と感じる

その基準って他人が評価するのではなく、自分が基準
それを作るのも他人ではなく、自分だと思う
確かにお金があれば欲しいものは自由に手に入る
でも心の自由はお金では買えないはず

心が病み、身体が病み、それで薬を飲んでまた心が蝕まれ
いつになったら自分は自由になるんだろうか?
薬を飲むと症状が確定してしまい、完全に病気になるんですね
だから少々気分が落ち込んだからといって、病院に走るのはやめること
それをしたが為に「精神科医を恨む」という行為に走る

精神薬は非常に問題のある薬です。副作用は半端ないです
その為、減薬、断薬は非常に困難です
睡眠薬は当たり前に処方されますがこれもかなりの問題です
睡眠薬を飲み始めると、最初はいいですが段々効かなくなります
量が増え回数も増えてきます。その為、脳がおかしくなります

私は睡眠薬は合わせて2錠(二日間)試しましたがあまりの耳鳴りの大きさに
全く効きませんでした。眠るという機能を遮断してしまいます
ブラウン管テレビがプツっと切れた時と同じものでした
それを脳で視た時は恐ろしくなりました

私は眠れなくてもそのまま横になっています
2時間もすれば寝入っています。そのあと大きな耳鳴りに襲われます
脳内がうまく機能していないということです
それは毎日ではありません。たまに起こります
それでも薬は飲みません。そんなことをしてから2年経ちます

薬を断ってから4年。そして5年目に入ります
私の場合、13年間の降圧剤です。副作用から後遺症になっています
降圧剤は止めてもいいのです。飲むもの(薬)ではありません
以前にも書きましたが、年齢+90でいいと思います







TVばっかり観ていると、それが当たり前の感覚となります
最近、「フェイク」ということばが多くなりました
TVの情報そのものが操作され真実はありません
むしろ嘘の情報ばかりです

今でも減塩が必要だと考えていますか?








ようやく雨が上がりました。長かったです…

症状はあっても病名にこだわる人が多いですね
病名に囚われると少なからずショックを受ける人もいます
私もまたAC(アダルトチルドレン)、適応障害があるらしいです
でも私はそれを理解していません。誰にでも当てはまることだし

症状を病名とし治療することは一切ありません
人それぞれ、って言葉がよく出てきますね
人それぞれに症状が違うとすれば、では何を定義にして病名をつけるのか
それはデータであって、全てが自分に当てはまるものではない
だとすれば、とても厄介ですね

だから私はそれを知ってもすぐに忘れるんで気にしないんです
また症状があっても一過性のものなので、病気と考えていません
みなさん病気ではなく、個性として捉えているようです

個性とはそもそも何でしょうか?すごく都合のいい解釈です
私はそれらの症状全てを自分で受け止めることだと思っています
症状を病気と捉える為、人々は病院に行きます
けれど病気ではなく単なる自分から起こす行動であるならば
病気でもなんでもないはず。症状を病気として捉えているのは医師であり
人間はそのようなものを必要としません

なぜならば、先ほども書いた通り、人それぞれ、なのですから
だとしたならば、いろんな人がいていい。誰も同じ人はいない
行動も性格も感情も。物の捉え方、考え方は違うのだから
人間の考えた定義は作られたもの。それを正解にしてしまうと
誰もが病む対象となってしまいます

怒る場で笑っても元々感情の起点が人それぞれ違うのだから、
笑っても泣いても怒ってもいいじゃありませんか
日本人は何かと全ての行為を同じようにする習性があります
人と違うことをするのが躊躇われる、あるいはそのことに対し
言われることを恐れているのでしょうか

だからマスクの件でも問題が起こる。マスクは論外です
だれもがそれを知っているはずです。しないと犯罪なのですか?

もっと人間らしく生きたいですね


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