2011/6/25 (土曜日) 晴れ
アマルフィー海岸の観光を終えて昼食を済ませて次の観光地のマテーラに向った。
マテーラには「サッシ」と呼ばれる洞窟住居がある。
マテーラがあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食によって出来たもので石灰岩の岸壁が
何層にも重なって存在している。 この岸壁を「サッシ」というのだがここに掘られた
洞窟住居のこともサッシと呼んでいるとのことである。
ここには大昔から人々が暮らしていたが、次第に貧しい階層の人々の住まいとなり、
南イタリアの貧しさの象徴のようにみなされ、第二次世界大戦時には不衛生で、不便な
暮らしが嫌われ、廃墟と化していった。
(汚物や生活排水が街中を流れて谷底に落ちていくという感じだったそうで、伝染病も
広がって非衛生きわまりなかったらしい。 それを当時の権力者ムッソリーニが排水路を
整備するなど、環境を整えていった・・・と添乗員さんが説明してくれた。
ファシストとしてあまり芳しい評価を得られないムッソリーニもこういうこともしていた
んだなぁ・・・と思った。)
やがてイタリア政府も建築学上貴重なものとして保存に乗り出し、世界遺産にも登録され
て、住民も増えて大勢の人々がこの洞窟住居に住んでいるとのことであった。
↓ 高速道路を降りてマテーラに向う。

↓ マテーラのドォオモ。 バスの車窓から。

↓ 洞窟住居の群れ。 洞窟住居の上に家が建てられ、その上にもまた家というわけで
ちょっと見にはどれが洞窟かわからない。

↓ こういう渓谷の岸壁に穴を掘ったんだなぁ・・・・

↓ 上空には何羽もの小型猛禽類が飛び回っていた。 ちょっとチョウゲンボウのように見えたが
日本で見るそれとは違うように感じた。

↓ 洞窟住居

↓ 洞窟住居の内部を見学した。 なかなか快適そうだった。

↓ マテーラの観光を終えてバスで今夜の宿泊地アルベロベッロへ向った。
途中の道路標識に「Alberobello」って書いてあったので写真を撮った。

↓ あっ、パンフレットで見た石積み屋根の小屋だ! アルベロベッロ(舌を噛みそう)はもうすぐかな?
バスは今夜の宿泊地アルベロベッロを目指してひた走った。
どんなところだろう、楽しみだ。
第3日目完
アマルフィー海岸の観光を終えて昼食を済ませて次の観光地のマテーラに向った。
マテーラには「サッシ」と呼ばれる洞窟住居がある。
マテーラがあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食によって出来たもので石灰岩の岸壁が
何層にも重なって存在している。 この岸壁を「サッシ」というのだがここに掘られた
洞窟住居のこともサッシと呼んでいるとのことである。
ここには大昔から人々が暮らしていたが、次第に貧しい階層の人々の住まいとなり、
南イタリアの貧しさの象徴のようにみなされ、第二次世界大戦時には不衛生で、不便な
暮らしが嫌われ、廃墟と化していった。
(汚物や生活排水が街中を流れて谷底に落ちていくという感じだったそうで、伝染病も
広がって非衛生きわまりなかったらしい。 それを当時の権力者ムッソリーニが排水路を
整備するなど、環境を整えていった・・・と添乗員さんが説明してくれた。
ファシストとしてあまり芳しい評価を得られないムッソリーニもこういうこともしていた
んだなぁ・・・と思った。)
やがてイタリア政府も建築学上貴重なものとして保存に乗り出し、世界遺産にも登録され
て、住民も増えて大勢の人々がこの洞窟住居に住んでいるとのことであった。
↓ 高速道路を降りてマテーラに向う。

↓ マテーラのドォオモ。 バスの車窓から。

↓ 洞窟住居の群れ。 洞窟住居の上に家が建てられ、その上にもまた家というわけで
ちょっと見にはどれが洞窟かわからない。

↓ こういう渓谷の岸壁に穴を掘ったんだなぁ・・・・

↓ 上空には何羽もの小型猛禽類が飛び回っていた。 ちょっとチョウゲンボウのように見えたが
日本で見るそれとは違うように感じた。

↓ 洞窟住居

↓ 洞窟住居の内部を見学した。 なかなか快適そうだった。

↓ マテーラの観光を終えてバスで今夜の宿泊地アルベロベッロへ向った。
途中の道路標識に「Alberobello」って書いてあったので写真を撮った。

↓ あっ、パンフレットで見た石積み屋根の小屋だ! アルベロベッロ(舌を噛みそう)はもうすぐかな?

バスは今夜の宿泊地アルベロベッロを目指してひた走った。
どんなところだろう、楽しみだ。
第3日目完