窯を見に行ったら743度 これは下りの(冷めていく過程の)温度です。 今日は体が痛いです。 きっと天気が崩れるでしょう。 指が曲がりません。 今日はKINU洋画会です。 ここの先生も指が曲がらなくなってるのです。 私は、昼には曲がるようになりますよ。 その先生は午後だって曲がらないのです。 医者に行きなさいって言うのに行きません。 全く!
ところで
このところ読む本で
10代って
かなりのものだというのと
人によって10代の環境ってずいぶん違うなと思いました。
私の場合1953年~1964年です。
当時はみな貧しかった。
といいますが
貧しさの程度もいろいろ。
10代になってようやく自分を相対的に考え始めるときですよね。
私は中学校、今で言うお受験をして
地域の学校ではないところに行ったんです。
聞く人によっては、なにそれ、貧しくなんかないじゃん。
見たいね。
私の小学校一クラス51,2名
そのうち受験して他校に行った人6人は覚えているので
もう少しいたかもしれません。
近所の仲良しはみな受験してよその学校に行きました。
当時
地域の学校は荒れて大変だったのです。
後に
その頃のその学校の先生方の教育実践は
記録に残るほど立派だったようです。
私、そこに行ってそこの生徒になって
先生と
クラス作りとか
したかったな。
でも母は
私が、女番町になると恐れたみたいよ。
・
それで母はいろいろな学校を調べ
仲良しの親同士情報交換をしたようです。
母は両親を早くなくして女学校にも行かれず
私にかなわなかった夢を託したみたいよ。
結局仲良しは母の調べてきた私立のお嬢様校にいき
私は受験料もなくそこは受験できず
公立に行ったのです。
・
その小学校の高校進学率は多分9割はあったと思います。
大学進学率は女子で20%を超えているのは確かです。
同世代の日本全体を考えると東京だからか
一般的ではないかもしれません。
進学熱が始まった走りの世代です。
茨城にいた
夫のところは違います。
ま、そういう地域に住んでいて
クラスの中では私は貧乏なのね、家は。って思いました。
だって給食費忘れたと言ったけれど
実は
「ごめんね、忘れてって」
と、お母さんがくれることが出来なかことがあったもの。
父が飲んだくれで家計を省みず
母が小さい店をやって育ててくれたのです。
子どもは私一人というのも、母の細腕で育てられたわけでしょうね。
あらかわいいじゃない。 小学校6年生の私 今じゃ面影も無い あああ ・ 思い出した 夫がこの写真を見て どうして小学生のときは しっかり顔に見えるのが 今じゃ、こんなにうっかり顔なんだ?