おばあちゃんが2人いました。 夫のお母さんです。 この人にとって 男の内孫一号なのです。 男の内孫はこの子だけ。 そういう分類を私は知りませんでした。 だから誕生祝に知らない親戚が うじゃうじゃ来たのにはびっくり。 今ではそれが誰かわかりますけれどね。 そのお客の中に 今のうちのおばさんもいました。 夫はこの母の長男ですから 長男に跡取りが出来て とりわけ めでたかったのです。 跡取りって 商売やら資産やらあるわけでもないのに何の跡をとるの?という認識の嫁でしたよ。
今では
長男というのが特別らしい
女の子を祝いに来なかったのに何で男だとこんなに来るんだ?
なんて思わないですよ。
しょうがないわねえ
古い人は
ってわかってあげられますけれどね。
当時は訳のわからない新人類の嫁でしたから
嫁姑問題はこじれて
姉娘が生まれて同居したこの母とは別居するようになってから
弟は生まれました。
義姉の配慮で別居に踏み切ったので
その後はうまくいくようになりましたよ。
このおばあちゃんが
孫たちの絶対的支持者。
そういう人がいるというのは子どもにとって本当に幸せなことです。
人間がプッツンしない
というのは
このような、絶対的な愛を注ぐ人がいる
ということが大きいと思います。
私の夫も
そのように愛されて育ったのですが
うっとおしがったり
あまり
母をかまわなかったりして
アンチマザコンなのですが
他人に対して非常に献身的に働く
信じられないくらい親切な人
(そうなのです。その分家族にはひどいんじゃない!ということもありましたけれど)
その原動力は
きっとこの母の愛情があったと思います。
わが子らに
おばあちゃんが2人いたというのは
とてもラッキーなことです。
見てください、この眼差し。 兄弟がいない私は うらやましいです この姉が思春期になると 弟に優しくなくなりました。 凶暴な姉は 同じ部屋に男がいるのが我慢ならなかったのでしょう バーン すぐ足が出ましたね。 それで 弟の部屋は
居間に移動
ところがどんどん大きくなる弟は寝返りを打つたび
ピアノにゴ~ン
テーブルに
ゴ^ン
居場所がなくなって
とうとう中学1年のときになって
引っ越したのです。
引越し前は 浦安の公団住宅テラスハウスの団地。 子ども会も健在 うじゃうじゃ群れになって遊ぶ子ども 子どもがよじ登る木もあって
お祭りになると 盆踊りのやぐらには 子どもがよじ登って 太鼓をたたき出す そういうみなでわいわい暮らすのが 子どもが生き生き暮らせる場所なのかもしれません。
引っ越していった先は
ちょっと違いましたね。
なかなか
なじめなかったようです。
引越しが多すぎたかもしれないです