ルソーの森と ボードレールのコレスポンダンスの森と
レーモン・ルーセルのロクス・ソルス(?)
の共通点と
シュールレアリスムについて
ちょっと思ったこと
(レーモン・ルーセルって読んだことない)
だいたい シュールレアリズムの人たちって
キチガイじみている
妄想の塊
そんな感じ
シャルル・バルバラの「ウィティントン少佐」というお話も
科学的に構築されたような
妄想の殿堂というようなお話だったと思う
私は並の人間なので
そんな妄想は持ち続けることができない
でも世の中には妄想を持ち続けることができる人が居る
これは大した才能だ
あと 音楽を構成する
音楽を響き合わせる
言葉の音とリズムと響きで
構想を編み出す
など
並の人間にはなかなかできない才能の持ち主がいるのだろうな
と
私は空想する
あと 共感覚者
これも私にはその能力がないので夢想するだけだ
これらはみんな 場合によってはキチガイ沙汰
だけど 今日友人とも話したけれど
この世で キチガイ沙汰を身のうちに持ってない人は
そうはいないんじゃないか?
私だってかなり並ではあるけれど 変でもあるし
これらは 脳みその多様性から出てくるような気がする
シュールレアリズムは
そういう 並みじゃない豊かな妄想力が
生み出した世界を リアルにしたものなんじゃないだろうかという気がしてならない
それで
世の人はみんなどこか頭はおかしいから
自分の感性に響くものを感じ取って
芸術家たちが構築した妄想の館に踏み入ることができる
そういうものが 私みたいな
並みのの脳みそにも どこかで共鳴し
響き合いそういうところもあり
始まってしまえば 増幅し大交響曲になる
ということもあり得て
今まで知らなかった世界に連れて行くということもあり
真実頭のおかしな豊かな才能は
それで解放された方法で 世界を創り出すことが
止まらなくなる
そんな感じ