19世紀後半から20世紀にかけて
全ての価値観やモノの見方を
覆して覆して
もがいていた時代だったのだなと思った
何に反発をして
というのは
考えてみれば
当代の人には意味があるけれど
その後の人間には 歴史的な意義に変ってしまう
考えてみれば
そんなことどうでもよくなってしまう
19世紀後半から世の中は
新しく市民階級が力を得たり
社会主義革命がおきたりして
それまでの支配階級を覆して
それが 新しいこと って
その前は 王侯貴族の時代だったわけだ
美術だって そういう趣味そういう人々が背後にいて
作られた価値観があって
それに
反 反 反
と 文化的に アイデンティティーを求めてもがいていた
で
ありとあらゆる縛りを 縛りとしてそれを振り払って
爆発的に うんと いろいろなされてきた
としても 今の時代は その細やかな反発は
分かってみなければわからない
ただの 好みの問題みたいな感じだ
具象を排してきたのが
もう執念みたいに
なっていた
ルネサンス以来の遠近法から脱するって
お題目みたい
で 描く対象はなしにしてみようとか
何を描いたのですと言うのではない絵が新しいのだとか
それらは 今となっては 目新しくもなんともなくなって
何でも可能だよ
なんと 楽しいこっちゃ
だから もちろん具象だって
写実だって あり
何でもいいの 当人が よければ
というところに戻ってきた
美術の場合の象徴主義ってなんとなくわかってきた気がする
人々は 美術的表現に
観念的なものを主眼に置く人が多いのかな?
と思った
だいぶ前から思っていることなんだけれど
観念的なものとか 自分の精神とか
そういうものに
私は関心がない
自分の 外にあるものに興味がある
観念が大事だと思う人には そういうのが
なっちゃないと思うらしい
この著者も
キュビズムにふけっていて
リアリズムの重しが取れない間に
というような言い方をしている
キュビズムって リアリズムとして 大事なエポックメイキングな出来事だと
そこに意義があると思うのに
リアリズムだから駄目だ
という論調がかなり多い
芸術にとって大事なのは 観念だ
という考えなのだと思うけれど
私は
自分の外にあるものをどうとらえるか
ということに関心があって
自分の観念なんかどうでもいいんだ