遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

知らないことが多すぎる

2012-11-01 22:51:51 | 日本美術

仏教国日本に暮らして居て

まず

仏教のことはほとんど知らない

だから仏教美術を見てもわからないことが多すぎて

困る

私の人生はもうあんまり残りがないのに

もう

わけわかんない!

東寺の両界曼荼羅 これ空海が唐から持ち帰って

片方は海に落ちてしまったので

日本に来てから描き直した

と聞いたが

調べたが そういう話は出てこない

両界曼荼羅は 空海は持ち帰ったが

それも 第一次転写本も今はもうないとWIKIには書いてあるがなあ

この曼荼羅は 空海の師匠の恵果阿闍梨の発想のようだ

恵果阿闍梨は 司馬遼太郎の「空海の風景」に出てきたから

名前は知っているので知っているような気がするけれど

実は何も知らない

密教の世界観を図で表現することが必要だ

こういう曼荼羅図ができたようなのだ

528pxkongokai

ああ

これもっと拡大して細かく見たい!

調べたら これだけをテーマの本が近々出るようだ

高くて買える本じゃないから

図書館に買ってもらわねば・・・

要望を出そう

といつもこの手のことを思うけど

忘れる

これに截金は使われていないで

金泥で描いている

と聞いて

截金とか金泥の線とか

注意してみたくなったのだけれど

この

金でなぜ描くか

暗いお堂で蝋燭の光で

坊さんの説経を聞いているとき

金で光って浮かび上がる

そういう効果をねらったそうだ

フム 家には金箔が貼ってある絵はないが

銀箔の線が走っている絵はある

確かに暗がりで うろちょろするとセンサーライトが光る部屋なので

その線が浮かぶよ

 

空海は その曼荼羅の図像学的なリストみたいなものを

持ってきたか

頭の中に持ってきたか

ともかくそういうものに則って図も描き(描かせ?)

像も作られているらしい。

キリスト教のイコンなどもそうだろうけれど

宗教的なものはそういう図像学的な決まりに則って

造形されるものだ

 

その中身がほとんど 私にはわからないのだよ

少し前に空海と密教美術という展覧会があったが

私 それ見ていない

損した!

 

悔しいからこの間博物館のお店で図録買ってきた

私図録に書いてあることを読むの好きなのだ

で 板彫り曼荼羅ってあるの初めて知った

Img109


うへえ! 見たかったなあ

和歌山県金剛峰寺にあるらしい

行ったら見られるのかなあ

板彫り十二神将は見たことあるがな

これは興福寺の国宝館にあった

Junishinsho01


考えてみると

近世になるまで

個人としての作家が芸術作品を作る

ということはなくて

図像学的に則って みたいな

何かに則って作られたものばかりだ

今の世の中は

個人の作家の創造した世界みたいな考え方があるから

そういう風に見るけれど

つい最近まで

芸術は時代が産み権力とか 宗教とか

そういうものが表現されたものだなと思う

転換したのは19世紀からじゃないのか?

ともかく わからないことだらけだ

例えば 軍荼利明王 って 名前は知ってたって

中身は知らないし

曼荼羅だってわかっちゃいないイメージがあるだけ

Img110


このひと軍荼利さん

 

コメント
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