武蔵が
読んで見ろとよこした本
読んでみて
山里授業のおかげで
私は新羅と百済の日本の中の整理がかなりついたなあ
と思った
あれがなかったら わかりにくいなあ
・・
しかしこの本を読むと違和感を感じる
それは
著者の方も 日本のあれこれについては
違和感はあったのだな
この人は言語のことから考えを進める人だけれど
私は 表意と書いてあることに違和感を感じる
例えば日本は家という制度
親分が居て子分が居てと言う一族郎党も対な仕組みがあるが
朝鮮にはそういうものはない
というので
家門家門と盛んにこだわるのは何だ?
と思ったりする
前にもどこかで書いたが
和を以て尊しとなす となすって
聖徳太子の17条憲法にあると習ってきたこと
これ逆らわせない深慮遠謀だというようなことを
この著者も感じるらしい
朝鮮人は口を濁したりしない
言いたいことははっきり言う
みたいないいかたで
日本人の和気あいあいが好きな
ヘンなの!という感覚もあるようなのだ
それは 理解できる
朝鮮は恨と情の国というのだが
それは朝鮮半島は穏やかな気候で豊かな自然で
そこで育まれたものだというように会って
ああ
恨の国というのはよいことであり
大事なアイデンティティーを構成しているのだなとは感じるが
実際は
しつこく恨みがましいなあ
と
私はそう思っちゃうのよね
こんなに近くて
同根のものも多い国で
これだけ違和感を感じる
というのは
面白い
自分の感性でだけものを考えがちだけれど
ちょっとときどきいらっとくるけれど
この本ちゃんと読むか
と思ったわけです