あれからまた少しわかったことがある
神武東征にでてくる八咫烏
これが 三本足という話になったのは
お話成立より大分後らしい
三本足の烏が太陽と関連付けられる話は
起源は古代中国にあるらしい
これが高句麗建国神話にも出てくることになったのだろうなと思った
だから 八咫烏のせいで神武東征と高句麗とは関係づけられるものではない
高句麗と言えば
高句麗滅亡直前に亡命してきた人たちの
住みついたところの近くに私は住んでいたので
そこにある高麗神社関連のことも思い出してしまう
その亡命は7世紀の話だ
そのころ高句麗の人々がたくさん日本に来たのは確かだろうし
その前にも移ってきた人はいただろうけれど
この前載せた高句麗の古墳の壁画
いつごろのものかというと
4世紀以降のものらしい
一番古いのが
357年に死んだという冬寿(どんな人か知らない)という人の墓だそうだ
高松塚古墳の壁画とか関連をもっと知りたいですねえ
こういう古墳の壁に壁画を描くというのも
中国にルーツがあるらしい
八咫烏と言えば
熊野神社のシンボルマークでもあるらしい
熊野神社にはためくのぼりのマーク
これが使われているのは神武東征伝説がらみ
こういうお墓の中の図柄のデザインによく出てくるのが
四方を守る守り神とされる
四神 玄武白虎青竜朱雀 だ
こういうのはあっさり 中国の漢から伝わった
などと 思ってきたけれど
これ薬師寺薬師三尊像の台座の白虎
(今こういう風に 書いてあるんだ!)
これもいろいろなところで出てくる
子供のマンガにも出てくる
図柄のアイディアやデザインが延々と
繰り返し使われ
そのうちなんだっけ?と言われもわからなくなり
誤解も独り歩きし始めてくる
面白いことだ
八咫烏は(三足烏かも)サッカー協会のシンボルにも使われているそうだけれど
それを巡ってもくだらない話もいろいろあるようだ