山里授業以来
自分のルーツ(ものの考え方の)はどこにあるんだろうと
気になり始めた
八咫烏や 四神が行きつ口ころは漢らしいというのなんで 漢?
ということも気になった
もっとも四神はもっと古く 戦国時代にもうあった考え方みたいだ
これはどこからそういう発想になるんだ?
と思ったら
古代の天文学のようだ
インドでは27宿という風に空を分け
中国は28宿という風に分けるみたいだ
それは月の満ち欠けの日数がかかわるらしく
昔の人々にとって数の概念は
天文学に関係したのか
と
面白い
日本でも
明治になってグレゴリオ暦を採用するまでは
インド式や中国式の暦の考え方だったようだから
これは生活の中に深く浸透しているの違いない
ついで 12支とか 12神将とか12という数も
いろいろなところであるがなあ
何でだ?
これまた 一年がおよそ12月に分けられることと
かかわりが深いようで
それは世界中共通することだから
12 が特別な数なのは 何も東洋だけの話じゃないけれど
インドで27宿も28宿というのも天球に対して月の公転周期が27.32
ということに由来するそうだ
四捨五入じゃないのはなぜか?
28が12と公約数が便利だったからみたいで
こういうのを見ると ふうんこういう風の整理するのが好きな気持ちは分かる
という感じ
ついでに 四神との関係図
28宿の星座図
この星座図は
阿部の晴明が書いたらしいよ
占いで使ったのだな
こういうことを調べていたら
気になったのが
七曜 これ 西洋と共通ではないのか
何でだ?
月曜と日曜は対応する天体が同じなのはなぜだ?
不思議だ
なんで7なのだ?
週とか 曜日の概念はバビロニアにあるらしいけれど
どういうことかわからない