明日からですので
お近くの方どうぞよろしく
分かりにくいところなのですが
カスミの北西ホテルつたやの南西の5差路を
陸橋方向に行って最初の信号のある交差点を
左折 すぐ右折 で行かれます
私が出すのはこの絵です
剣道の防具の絵なんて
誰も興味ないだろうから
ずっと
剣道場に飾ってもらっていた
展覧会が終わったらまたおいてもらおう
明日からですので
お近くの方どうぞよろしく
分かりにくいところなのですが
カスミの北西ホテルつたやの南西の5差路を
陸橋方向に行って最初の信号のある交差点を
左折 すぐ右折 で行かれます
私が出すのはこの絵です
剣道の防具の絵なんて
誰も興味ないだろうから
ずっと
剣道場に飾ってもらっていた
展覧会が終わったらまたおいてもらおう
文句を申し上げますが
以下のところがわからなかったです
この辺で
頭のなかが です
>神武天皇に大王の座を譲ったのは何故でしょうか。
実は、日向とヤマトの合体を画策したのは、阿遅鋤高日子根尊(別名ヤタガラス)と
宇摩志麻冶(ウマシマジ)命の兄弟と話し合って、神武(応神)を養子に迎えるという形で、
合体を実現させたようです。
しょうがないから ますます検索魔になりますが
ますますわかんない
ところで
八咫烏ねえ 高句麗の三足カラスと同じねえ
それで八咫烏を検索したら
三という数にはいろいろな思いもあり
太陽を表し
三足烏は太陽の黒点から出てきた図柄だとか
ケルト他世界中にあるとか
出てきた
これは高句麗の壁画の中の三足烏
なんだかみな出雲系ということになりそうな感じだけれど
出雲の人々は新羅から来たとお教えくださいました
(これをすぐ忘れて どこだったっけ?になるんだ)
でも 子供のころ見た神武東征の絵本
八咫烏を従えて って なんか 高句麗っぽい
さて
やっとニギハヤヒという名前は覚えましたが
崇神天皇と同一人物というのが呑み込めません
ニギハヤヒは神武東征前にヤマトの王朝を作っていた
そういう風に理解しました
あと 神様の名前が やたら多い
誰と誰が同一人物という話も多い
これでは
もうどうでもよくなっちゃう
何とかの命という神様は 人間じゃないね
部族とか その権力グループとか
そういうものを神様化したものだと思うことにしました
ニギハヤヒの話って 秋田にもあるのよね
そこで修行してから大和に行ったとか
???
ニギハヤヒって空飛ぶ船にいにってきたという方よね
子供のころは 空想的に受け入れていたけれどこれは
半島から 船に乗ってきたことの象徴だろうし
奈良のニギハヤヒさんが祭られている矢田坐久志玉比古神社には
こういうプロペラの奉納された門があるそうだ
飛行機乗りには有名なんだろうな
秋田あたりもそういうポイントがあるみたいだ
山形も
ここらは別教授が教えてくれるだろうな
このニギハヤヒさんが
神武東征にあっさり大和を明け渡したような
それは かつての 国譲り事件の償いのような
お話があったけれど
それって 神武側の見解でしょう?
本当は 叩き潰してぶんどって征伐しちゃったのではないの?
そのあと
>崇神五年、天候不良の凶作が続き、
疫病が蔓延し、人民の多くが死亡したり、生き残った者も流民化して、
加えて、謀反をたくらむ者さえ現れました。
こういうことになって
崇神は祟る神ではなく
祟られた神だったのではないか
箸墓古墳は もしかして ニギハヤヒのたたりを恐れて
おおいに祭った 墓ではないかと妄想しちゃった
箸墓 というエピソード
(崇神紀十年の条に有名な箸墓伝説が記されている。倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。箸墓古墳は、彼女の墓と伝わる。)もね
あそこで出てくる蛇がニギハヤヒそれを
祭ったのが 倭迹迹日百襲媛命で
祭られているんじゃなくて
お祈りをしたのが倭迹迹日百襲媛命
と考えると大物主とニギハヤヒを同一視している
人物じゃないんだ
ヤマトを神武が奪った そう考えて
ニギハヤヒも大物主も奪われた側
つまり 祟る側という考えです
妄想お許しくださいませ