遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

寝るのが怖いぞ

2013-05-01 21:17:10 | 健康・病気

さっき帰宅後右肩が痛くなってきたと書いたが

ちょっとだんだんひどくなる

ともかく気が付くと右手を脇から離せないので

左手を使っている

これまでは左をかばって右手でやってきたんだがなあ

右利きなんだがなあ

参った

まずパンツとズボン

これを上げ下げ左が不自由で右で補ってきたが

ええ!!?下の方で前後ろに手を動かすと痛いよ

左手もこの動きまだ苦手なんだが・・・・

どどど  どうする?

あまり想像しないでよ

 

左手で洗い物を食洗機に入れてたら

左手じゃぶきっちょで服をびしょびしょにしてしまって

寒いから着替えたら

ええ!!?どうやって着替えるの!?

これまでは大丈夫な右手でまず袖を通しそれから

大幅に動かさなくても済むように工夫して左袖を通して

着たが・・・

じゃ~~ん うへえ!!

今日ゆるゆるの巨大シャツ見つけて

綿100%じゃないけど触ってかぶれなさそうだから

買ってきた 

よかった!

着られるもの一個増えた

マウス操作は痛いや

でもリハビリにはなるんだよ

寝るの怖い

寝ると固まって起きられなくなるんじゃないかと思っちゃうよ

う~~~~

これを常に持っていることにする

何しろ水道のレバー上げ下げ

電燈のスイッチ

左手が伸ばせるようにはなったけどさ

右手伸ばせなくなっちゃった

これ

痛いところ押すのにいいけど

作業棒にも使える

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130501

2013-05-01 20:46:15 | 健康・病気

ああ 右肩も来た感じ

まだ腕が動くが前に伸ばすのは苦痛

右手でコップとか持てない

やばい

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藁ぶき屋根

2013-05-01 18:17:09 | 原風景

WIKIで原風景って調べると

藁ぶき屋根とか出てくる

日本人の郷愁をそそる風景だろうな

わが子らも 昔話で

昔々 あるところに貧しいおじいさんとおばあさんが住んでいました

的な セットで 藁ぶき屋根 貧乏 おじいさんとおばあさん

こういう風に胸に抱いていた節がある

 

田舎に行ったら 本当に 藁ぶき屋根の 崩れそうな古い家があって

ここには

まさに物語に出てきそうな

おじいさん(この人↓おばさんの長兄)

Oji

Wara

子供たちは

興奮して走り回った

だって

おばあちゃんが

こういうところにセミの抜け殻があるんだよ

とはっぱをひっくり返せば

そこには本当にセミの抜け殻がくっついている!

お庭にうずたかく積まれた

藁のような堆肥のようなものをほじくり返すと

!!!!

カブトムシの幼虫が住んでいる!

もう

自分たちは物語の世界に入り込んだと思ったことだろう

家に入ってしみじみとむき出しの梁なんか眺めてさ

(おじさんは掃除なんかできないから・・・人のこと言えないが

家のなかは どろどろ)

煤と埃でそれが蜘蛛の巣のように垂れさがってたのよ

子供は感激して言った

「~~~~~ なるほど!これが 貧乏と言うものか!!!」

大人は 慌てた

古い読者の方 ごめんね 前にこの話したものね

私が○○になって また同じ話だよ

と思った?

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今日は古河に通院日

2013-05-01 17:49:42 | 健康・病気

病院に書類を頼んでいたこともあり

血液検査があるといけないから

(検査は無かった)

いつものように早く出かけた

先生は昼休みなのに呼んでくださって

(ってほとんど 世間話共通の知人

高齢になって大変な先生について喋りまくった

私の主治医も心配しているのだ

主治医が医師としてある その源泉のような先生のことだから)

高齢の親が頑固で賢すぎたりすると

はた目には 子供たちちゃんと面倒見ろよ

と言う風に見えてしまうかもしれない

難しいよな 頑固な高齢者の自立装い自尊心と言うのもあるし

うちは 武蔵が一人残されて田舎で一人頑固爺で

暮らすって言ってるよ

と言ったら 私の方が後に残ることも考えろ

とおっしゃる

いやだよ

田舎で武蔵と言うバリアーなしじゃ暮らせないよ

とおしゃべりだけしてお薬だけ処方してもらって帰ってきた

古河に行ったからこそ変えた本と画材

巨大ホームセンターで手に入れた掃除材料などお買い物もできた

 

帰ってきたら !右肩が痛い

?右にも来たか? でも腕は上がるがな 痛いだけだ

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原風景・原っぱ

2013-05-01 05:16:14 | 原風景

深川生まれ世田谷育ちの子供時代に

原っぱがないかというと

そんなことはありません

原っぱはちゃんとありました

風景を覚えている一番古い住所は高田馬場

堀部安兵衛が助っ人をした高田馬場の決闘の時だとか

流鏑馬のあった時だとか

ファイル:100 views edo 115.jpg

何しろ馬場だもんね 原っぱだってあっただろうけれど

私の幼少時は覚えがない

空襲はあったから焼けたところの後は原っぱになっただろうな

次に住んだ

上野御徒町

ここで私はウサギを飼っていて

その餌の葉っぱを上野の山が焼け野原の原っぱになってたから

お父さんの自転車の後ろに乗って

草摘みに行きました。

次に住んだ池袋は幼稚園に通う道端は畑で

トウモロコシ畑や麦畑が広がってた

麦の穂を摘んでくちゃくちゃ噛むとガムになるよ

と教わってみんなで噛んだことがある

ちょっと 驚いたが 検索したら ガムのルーツかもしれない それ。

一番子供らしい遊びの原っぱは

小学生の時犬の散歩道が 永福町と明大前の間に広がっていた

いずみ(和泉)田圃という 湿地の原っぱ

レンゲやシロツメ草の思い出はないけれど

ザリガニのいる小川だとか

ヘビいちごだとか カラスノエンドウやらスズメのエンドウだとか

猫じゃらしとかね あったよ

にぎにぎして遊んだ

近くには

和田掘り浄水場と言う水道関連の施設があって

そこの境は土手の上にフェンスがあった(今はコンクリートだ)

そこにはつくしも出た

当時の東京では三越デパートとかの

6階建てのビルが一番高いビル

だから 風景は ここ田舎と近いかもよ

ここも一番高いビルは6階建て

KINU洋画会展会場になるスピカ 会場は6階だ。

コメント (2)
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