私の子供が通った高校の家庭科は
人間生活科というのだった
そこでの授業に出身校の校則を比べあうというのがあった
ものすごく面白かったようだ
(その学校は寮もあって全国から生徒がやってきてた
校則は ないみたいな 自由な学校だ)
中学生などはまだ自分のいる世界が普通だと
そんなふうに思いがちだ
だから 高校生になって全国の中学校の校則を聞いて
!!!!!!となることが多かったようで
目から鱗がポロポロ落ちる
そういう授業だったみたいよ
私自身は 小学校時代 戦後の民主主義教育に
先生方が燃えていた時代だったから
自治能力を育てようとそういう感じ
だから校則の縛りなんかない
児童会では みんなで話し合って物事を決める
ということを学んできた
でも子供っぽくて
私児童会議長ってやってたけれど
会議の進め方がよくわかってたわけじゃなかった
と後で思いしる
小学生の時の楽しみは
朝早く登校して
一人でまだ誰もいない校庭で
鉄棒でくるくる回ること
学校中すべての場所を探検することだった
図書館の先生用の書庫に入るために
図書委員になってお掃除するのでそこに入り込める
それが狙いで立候補したりした
クラスでは犬も飼ってた
後に 私が勤めた学校
信じられない校則
朝は8時何分だったか開門まで学校に入っちゃいけない
警備会社とつながっている校舎に
先生だって カードで警備システムを解除しないで時間外にうっかり入ると
背後から 警備会社の男に誰何される
これ 当たり前らしいけど・・・。
違う学年の教室の階に行ってはいけないとかいう校則のある学校もある
私の中学生の時も 校則?あったかなという感じだ
女子が体育で社交ダンスを習って
クラスで男の子たちに教えてあげたら
面白くなって ダンスパーティーになった
担任の先生はもうお帰りになった後だったけれど
警備員さんが報告したらしく
先生が飛んで来て
叱った
何で?
先生も困って
もう誰もいない学校で 男女が ダンス!?
ダメでしょそれ もうお帰りなさい!
と帰された
私たちのクラス男女仲いいんだけどなあ
いいんじゃないの?
とは思った
お菓子を食べるとか 昼ご飯に近所の蕎麦屋に行っちゃうとかも
あったよ
高校の時は先生がはっきり仰った
あなた方を信頼しています
生徒手帳はあるし
図書室で本を借りるルールとか それはありますが
校則は決めません
良識を持って創意をもって行動しなさい
と教えられた
相当自由な校風だった
そのころまで 制服も定めてはいても強要するのは悪みたいな
(だって 買えない子もいる
一人の友人は 中学の時の服がまだ着られるから
とそういう服装で通した人もいる)
私が最初に赴任した学校は
自治能力を育てる方針の学校で
それもここまで生徒にやらせるのか!面白い!
というところだった
(遠足 どこに行くか 条件だけ与えられて生徒が決めた)
会議で物事を決めるのも方法をしっかり仕込むんだわ
議事法ってのを。
これはこちこちに硬いんだけれど
ルールに則れば意見の交通整理もうまく行く
自由が増える
というのもここで学ぶ)
然し 多くの学校は
スカートの丈だの ソックスの折り方だの
決めて押し付けるのが校則 そういう学校の方が
ドンドン多くなっていった
信じられないのが 宿泊行事の寝巻が 学校指定の
ジャージ!!
化繊恐怖症の私には耐えられない!
初めてそういう学校に赴任した時に
ジャージで寝かせると聞いて
卒倒しそうになった
じんましんが出そう!
そんな決まり反対!だめ!家で着てる寝巻持ってこさせましょう
と必死で主張したが ボツ
そのせいで 全く馬鹿にされるようになった
高校生のわが子が全国のそういう笑っちゃう校則を知って
笑いあっただろう授業は
面白かったろなあ
その高校は
私のような頭のおかしい親から見ても
そこまで自由か?というほど 自由だったけど
よく育った
然し わが子の髪の毛が
ある日 金髪になったとき!!!
私は実は 涙ポロポロ
だって 私も まがい物よ
子供が髪を染めようがピアスをしようが
寛大だったのは 他人事の時
自分が偽善者だと
思い知って 涙ぽロポロ
ピアスの穴から黴菌が入る
推薦してもらって受験するのに 金髪!?
未練たらしくコソコソ言ったが
娘はへっちゃらだ
「面接で髪の毛見て 私の中身見ないような学校なら
私の方がお断りだよ!」
ええ!?
いつからそんな強気になっちゃったの?
落とされたと思うでしょ?
落ちなかったのよね
ふうん
やっぱり私の周りの人は頭が固いな
世間の人はそんなことないのだな
と発見した気分だった