今年の笠間のワークショップのテーマが
シュール・レアリスムだ
私は シュールに関心がない
だいたいよく知らないくせに ブルトンが嫌いなのだ
で 人間の深層心理とか情念とかにもあまり関心がなく
そういう形而上のことにも関心がない
という言葉だって つい けいしじょう だと思っちゃうし
意味も毎回調べて で 結局 わけわかんない
形而下のほうがわかるわ
でも形而上 形而下ってなんかこの言葉自体に価値観の押し付けがあるようで
気に入らない
自分の娘は 自分のプロフィールに↓の様に書き
ロックとサイケとシュールリアリズムをこよなく愛します。
私とは違う世界を生きているようだがなあ
その私に シュールレアリスムという課題が来た
どうするか?
私は自分がわからないことは分からないので
分かる範囲で考えるのだけれど
考えるよりも自分の世界は広く自分の知らない自分の世界というのは
あるのだろうとは思う
そういうのは
他人からは見えていたりもする
自分が認識している 感じ取れる以外にもいろいろな世界があるというのは
分かっているんだよな
ただ それを見出す手がかりがない
自力で把握することにこだわり過ぎなのだろうな
と
思うと
親鸞のいう他力の世界のことも
謎めいて魅力
そうだな 探ってみたいな
という気がして
それにはシュールレアリスムという課題を
大いに利用しようと思い
原風景 とくれば 頭の固い私にも手がかりが・・・・
ここにある
そう思ったわけだ
エルンストの場合
技法も面白い
このフロッタージュで画面を作るのやってみたい
で 原風景 場所はどこ? 私は何?と考えて見るかな
と 思いめぐらすが
11日 笠間まで行けるかなあ
それが問題だ
然しブログ友の原風景についての反応が これまた想像のほか!面白い
これは 他力の世界だよ?