遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

今日温泉で

2013-05-10 17:51:44 | ただの記事

無事温泉に行けた

私が のた~~~~っと横泳ぎで泳いでいると

あきれ返ってみている御婦人が居て

目が合っちゃった

「お上手に泳ぐのねえ 横向きでどう泳いでいるの?」とおっしゃるので

肩が壊れたこと

クロールと背泳の腕の動きはできないけれど

この泳ぎでは泳げるようになったこと

リハビリになるから泳げる方法で泳ぐの勧められた

などとお話した

わたしは 水泳選手にはなれるようなスピード感はないのだが

見るから楽ちんそうに泳ぐのだよ

なんせ

前世クラゲだから

 

これ 父親に教わって初めて泳げるようになったのがこれ

父は戦地で鉄砲とか濡れないように頭に結わえて泳いだんだわ

多分

ほら 昔の武士の泳法じゃないの?

(調べたら水府流ひとえのしに似てる)

忍者って横向きに泳ぐわよねえ?

そ!わたし実は忍者なの!

その方 危ない奴と知り合っちまったと思ったか

どっか 行っちゃった

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結局病院に行った

2013-05-10 14:13:49 | 健康・病気

指の関節も肩も痛いので

もう いや

それで ?4週一回飲む薬どうだっけ?と気にもなったし

病院に行った しかし

朝からパスタソースを作り始め

じたばたじたばた

病院に行くというと叔母さんは温泉は?と催促だし

じたばたじたばた

大丈夫です 温泉連れて行きます!

運転手次第だけど

さてリハビリの先生「調子はどうですか?」

わたし「ダメ!お天気崩れますよ

上がっていた手も上がりません!」

「明日雨のようですね」

「タオル引っ張る運動教えていただいたけれど

あれ 痛いです」

「うちの旦那が 背中丸まってる

ちゃんとしろって怒るんです

背中丸めて歩いて婆さんだって

痛いからよ!って蹴飛ばしたくなるんです」

「背中は丸まってくるのはまずいですよ

手を上げることにも悪いですよ

姿勢をよくしましょうね」

「ふむふむ 文句言ってくれるの 蹴飛ばさないで

感謝しなきゃですね」

「ガラスに映る自分は確かに 背中丸めてるんです ショック!」

「はい10回やりましょうね 」

と先生は両肩持って肩胛骨後ろに寄せる運動手助けしてくださった

「耳と肩の線が一直線になるようにね

これが普通なんですよ」と肩の位置を決めてくださったが

かなり厳しい 痛い

「ありがとうございました!えっへん オッホンと帰りますわ」

「そうそう 意気揚々っとね」

うはあ!

年齢が出てるう!

 

あ 薬の方は失敗だった

間空きすぎた

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 川向う

2013-05-10 06:41:45 | 原風景

川向うって放送禁止用語なのよね

その経緯についてはもう今じゃ 歴史のごみに埋もれているだろうが

これを差別的に使った人を一人だけ知ってる

父が夫婦喧嘩のなかで母を川向うの育ち

と言ったのだ(だから幼児のまえでうっかりものを言ってはいけない)

これは 父が若者時代浅草に下宿したからでもある

浅草の人は自分の方がえらそうに そういう風潮があったらしい

(下町というと本所深川は川向うでも下町に入るという説が多い

寅さんの葛飾柴又は 諸説ある)

父は自分の生まれた横浜が一番都会的だと思って

自分はシティ・ボーイだったと思ってた風があった

(そういうところが実にくだらない と子供心に親をなめてたよ)

後に私も川向うの生まれ

深川住吉で生まれたと知ることになる

戦争の真っただ中 私をおなかに宿したせいで

母は病気になり 寝たきりで

運よくお産婆さんが裏に住んでいて産前産後 面倒を見てもらったそうだ

(母は親がなく伯父の家で育ってそこのおばさんとは折り合いが悪く

実の姉は富山にお嫁に行っちゃって頼る人もなかったのだ)

 

その深川に母の妹がいた(母は12人きょうだいで両親が早くに亡くなって

バラバラに育った その妹という人は養女に行って 戦後10年にして

初めて姉妹の対面をした)

その私から見ると叔母さん(今も千葉で健在)が群馬にお嫁に行って

深川にいた養母が病気で入院 

養父にあたるおじいさんが一人で暮らさねばならなくなって

叔母さんが心配して

わたしにその家から高校に通って

おじいさんのご飯作ってあげて

ということになった

で どのくらい一緒に暮らしただろうか?

ちょっと待てよ 私 その時ご飯作ったんだ!

すごいな 家ではご飯作ったことなんかないよ

おじいさんは日課でよくお散歩に歩いた

わたしも歩いた

しまいにはおじいさんは一人歩かせて心配ないので

わたしは私の散歩

界隈を探検した

小名木川にかかる高橋とか

きれいな清洲橋とかがあるあたり

この橋は関東大震災の後の復興事業で作られたのだよ

だから 母よりちょっとだけ若い

ほとんど同い年の橋だ

上の写真は竣工当時のもの

その家には下宿がついていて

夜間高校に通う同い年の女の子がいた

すごくしっかりとした賢い女の子で

働きながら高校に通う 自活してる

すごい人と知り合ったことになる

お部屋に入り込んで色々おしゃべりもした

その深川界隈は小説にもよく出てくるし

現代美術館の近くでもある

↓ 深川めし

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青春時代の終わり

2013-05-10 05:42:16 | 原風景

私の青春時代の匂いがする場所は

御茶ノ水界隈神保町界隈だと思っているけれど

ここらあたりとか・・・・

青春時代って なんだろうね

わたしにとっては自我に目覚めてから自立するまで

人生のモラトリアム期間かな?

大人になるのが遅かったのかな

(まだ大人じゃないんじゃないかと言われれば一言もない)

年齢でいうと

小学校高学年から20代前半ぐらいだと思うのだ

それを懐かしいとか楽しかったということもできるけれど

この青春時代の始まった瞬間

終わった瞬間

これははっきり覚えがある気がする

始まったのは

自分を他人の目で意識した瞬間

一瞬で世界が転換した感じがした

自分は変わったのに人はそれに気が付いてない

そういうものなのかと思い知ったのも仰天だった

 

終わったのは

生きていくためには自力で社会の中に役割を持って

生活できないと何も始まらない

と身をもった悟った(当たり前のことだって悟るのは大変だったのよ

私の場合)

誰かが食べさせてくれるわけでもなく

財産があるわけでもなく

思えばピンチの時に手を貸してくれて人々が居なければ

ホームレスになるのは必至だったわけで

それは今の若者も同じだろうけど・・・・

そのおよそ15年くらいの青春時代という

猶予期間があってそこで獲得した無形の武器を持って

世の中を泳ぎだしたんだと思う

こういう青春時代というか

箸にも棒にもかからない時期を持たなかったのが

わたしより10年以上上の世代のように思う

もう いきなり食うために 何でもやる中で青春時代が始まった

うちのおばさんなんかもそうだし

久子さんも女学校1年生でいきなりだったわけだ

そういう人から見ると

15年もモラトリアムという青春時代?

甘ったれ!と言われちゃうけれど

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