先日主治医と話した
私がもしも
この田舎で最後に残ったら
私はやっていけない
そういったら
先生は東京に帰ってくればいいだろとおっしゃって
私もその気でいた
が
これまでも
田舎でやっていけなくなったら
おばさんが居ようが武蔵が居ようが
私は勝手に東京に帰る
そう決めていた
でも それは やめた
田舎では私が年老いたらやっていけない
庭の始末もできない
畑もできない
武蔵が整理した里山も
また篠竹の山(ここらで山とは林のことだ)に戻ってしまう
私には管理できない
田舎の付き合いもできない
しかし
そうしたら 東京に帰る というわけにはいかない
東京は故郷ではないのよ
家があろうがなかろうが
そこにはもう幼友達もいないし生活の基盤もない
(別に おさな友達に会いたいとも思わない
会えば懐かしいだろうけれどよ)
交通網も把握できないほど変わってしまって
お店だって なじみのところはどんどんなくなっている
ふるさととなれないのが東京だ。
私は家族三人の中で孤独を感じている
おばさんはここで生え抜きであるという自負があり
武蔵はかつての同級生やら幼友達と
日々畑や道場で楽しくやっている
東京みたいなごみごみしたところは
人間の住むとこじゃないなあ なんて 二人ともほざく!
私だけがここに 他所者としている
といじけてみるが?・・・
(こういうのは よそから来た嫁さんという人はみなそうだよ
男もそうだけれど
男の方が 男尊女卑の田舎では 悲哀を感じる度合いが少ないかも
でもね
このあたりは
信じられない話だが
婿いびり って あるのよ!
だから嫁いびりなんか当たり前だろう
そうしてねじくれた嫁さんが挙句の果て
認知症になって家族を困らせている例があるが
報復か?と思っちゃう)
それは別にさびしいということではないのだ
私の辞書に さびしいというのはないの
一人でいるのが好きなのだから
ずっと流浪の民だったのだよ
だから 今いるそこで 私は自分の好きなものを見つけて
好きなように暮らす それでいいのだ
買い物難民になったら ネットで買う
医者だけタクシーで通う
タクシー代が無くなったら病院に行けないで
病気が悪化するならそれでもいい
どうせ 大昔はそんな医療にかかることはなく逝くのが自然だ
体が動かなくなって 困ったら
介護施設に入れるものなら入ってもいいし
工夫の鬼になって死ぬまで生きればいいのだ
全ての場所は
私にとっては他所であり
そこで暮らすならそこに自分のテリトリーを作る
利用できるものは何でも利用する!
ああスッキリした!田舎万歳!里山バンザイ!
今日やっと肘掛月キャンプ用チェアー買ってきた
腕を空中に置いたまま絵を描けないので
これで里山で 絵を描けるぞ